凹川君は、いままでの方法とは異なる方法をとって成功しています。
凸山課長が口うるさいばかりでなく、権限を与えられるには全く価しない男でした。ですから、同業者協会のような大きく設備の完備した事務所においても、仕事を予定通りに片づけることは出来ませんでした。
部下の凹川君がいくら上役の凸山課長と一緒に働こうと努力しても、上役の目的がはっきりしないのと、理解力の欠如、決断力の無さのお蔭で、何時もはねつけられるばかりでした。
凹川君は、やるべきこと、目標、時間のスケジュール、仕事の手順などを記入したプログラムを作成して、同僚のところに持って行きました。この計画には、説得力がありました。皆が同意してくれたので、同僚のうち九名が凸山課長の部屋に出かけて行って、驚いている彼にこのプログラムを差し出したのです。
九人の同僚達は、課長が、顔を真っ赤にして書類を読んでいる間、座らずに立ったままでいました。
凹川君は、最後通告する準備もできていたのです。
もしも、凸山課長が、計画を了承してすぐに仕事に適用しない場合には、皆で協会の理事長に苦情を申し立てる積もりでいるのです。
色々と、揉めるには揉めましたが、凹川君とその仲間の言い分が通りました。
それ以来、凸山課長は、以前ほどはうるさくなくなり、部下の話を聞くようになってきたのです。状況がすっかり快適になった訳ではありませんが、随分と改善されたには違いありませんでした。
凹川君の行為は、上層部まで伝わり、一年と立たぬ間に彼へ新しいポストが与えられました。
凹川君は、いまも協会で働いております。いつかは理事になるだろうと噂されております。
以上の例の人々は、出来の悪い管理者と戦うために、強硬な手段をとっています。この事はいくらかの勇気と創造力があれば、誰でも相手をへこませる程、やり返すことが出来るということを証明しています。冷酷無情で無神経な管理者であれば、その当然な報いを受けなくてはなりません。
「あてがった人間には後ろ槍、後ろ弾もあてがわれる」
戦国の世から、最近の太平洋戦争に至るまで、戦に臨む人に語り継がれている諺があります。
戦の場に臨むにあたって、敵は前だけではありません。後ろにもいるのです。しかも、味方の中におります。この様な環境での戦は、最初から勝ち味も命もないという事情を表します。同輩や部下に対しての思いやりに欠けるところがあれば、生命すら危険であると言う昔からの戒めの言葉です。
今日のビジネス社会においても、厳しいと言いながら戦国時代の命の争奪に、ものを例える例が少なくありません。しかし、「教育訓練に恵まれなかった」だけの、あたら人材を「後ろ槍や後ろ弾」で失う悲劇が、身近にあることも合わせて知るべきではないでしょうか。
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