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一桁のビジネスマン《行動心理資料》より

【上役の扱い方】

「尊敬しているが、同輩だと思うようにする」
 上役の前で、卑屈な態度をとってぺこぺこと頭を下げている人間の光景を見るのは、何処の職場で見ても「胸糞が悪い」といいたくなるように感じが悪いです。と、いっても逆に、上役を「君づけ」で呼ぶ手本を仲間に示して、派手に、「僕は君とその点で意見が違うよ。−−君」などと開けっぴろげの人柄では、身の破滅になります。

 上役という立場でも、部下と同じように、自分の「業績について尊敬されたい」と、いう人間共通の欲望を持っております。ですから、この仕事一筋に二十年も三十年も続けてきた人にとって「若造に、いつも自分の考えに、文句をつけられる」恰好は、ちょっとうるさい、などと感ずるくらいの心境ではないのです。

 しかし、「労せずして右によらず、左せずの中庸を行く道」は、上役を、「自分が最も尊敬している同僚の一人である」と、考えることによって開けるものです。

良き友との「語りあい」では、いうべきときは、自分の意見や批判すらも述べるのを厭わないものです。しかし、自分から次から次へと批判的辞句を吐くことは遠慮しなければなりません。

 エチケットとして、真に必要あるときだけに限って批判するようにします。
そのため、自分の態度は単に批判のために話しているのではなく、何らかの助けの為に話しているのだという印象を与えることになります。

 このように、上役との正しい人間関係は、卑屈さのない尊敬を必要とします。「自分の意見を述べるのが、恐ろしくなる」といった行き過ぎた考えを伴わないで、上役の能力を認めることがもっとも大事です。

 この様な、片寄らない中庸を歩むための実際の手段は、ある上役に対処するやり方ですが、迷いが生じたら次の二つの質問に自問自答してみるのもよい方法です。

一、彼は本質的には礼儀正しい人なのか、それともざっくばらんな人なのか? 
 前者ならば形式を重んじ部下から尊敬されることを期待する場合が多いです。また、ざっくばらんな人は、大抵自分に対しても、同じように、率直な人間を重んじます。

二、彼は自分の権限については自分が一番良く知っていると思うか?
 それとも、良い考えを自分の誇り以上に大事にする人か?

 自分の性格として間違った決定がなされたときに、沈黙を保つことが無理であっても、上役が、自分の考えにクレームをつけられるのを嫌がるタイプの人か、それとも「事務所は、協同のチームのようなもので各人が可能な限り役割を果たすべきだ」と、考えるタイプの人であるか等を区分けして整理するのは、実際の場合に役立つ大切なことです。

この二つの質問に対して、明瞭な答を出すことが出来たときは、自分は、「上役との関係」という問題を、既に半分解決したことになります。
 自分の上役が重大な誤りをしようとしていると知ったとき、または、そう考えられるときには、人間関係に特別な問題が起こってくるようになります。

 前項にあげた正しい道への手がかりとして「二つの質問」は、この様なときに、役に立ちます。
 上役がざっくばらんな人であれば、簡単に次のようなことがいえます。
「貴方の考えを最後の直ちに覆そうとは思いませんが、この問題を良く考えてみますと、わが社で取ろうとしている方法について疑いたくなります。私の考えを述べさせて戴きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 しかし、対処しなければならない上役が、神経質な人、あるいはワンマン的な人である場合には、「貴方は間違っています」ということは、話し合いの解決の上では、最後の切り札ではないかと思います。

 以下に、上役を怒らせない「攻め手」の二、三の例をあげてみます。
「ほんの念のためですが、この問題に関連する考えを述べさせて戴きます」
「これは問題に対する最終の答なのでしょうか?」それとも「条件が悪くなったときに変わるものなのでしょうか?」

「これについての貴方の考えを良く伺っていなかったと思いますので……。自由市場におけるドルの変化から生ずる損失の危機性ということを別個にお考えになりましたか?」

 別途の作戦として、次のような善意のトゲのない二重外交を行っても良いのではないでしょうか。
 つまり、自分の支持する解決方法、並びに、それを支持する理由を述べたメモを、分かりやすい楷書で書いて、上役のところにもって行きます。

「これは私が以前に準備したメモです。今となっては何の価値もありませんでしょうが、何かご覧になって興味ある点がありましたらと思いまして。」と、云うことです。

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