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一桁のビジネスマン《行動心理資料》より

【仮面もいつか本物に】

「人格形成に努力が必要」
 顔も性格も瓜二つという人は滅多におりません。
 親子であっても、兄弟であっても、一卵性双生児であっても、同一人格という人はまずおりません。

 心理学者のクレッチマーのいう分裂気質【註】であれ、循環気質【註】であれ、人様々です。
それぞれ程度も違いますし、そのままの形で特定の気質が固定している場合は少ないと言われます。

どちらかというと、一人の人間の性格とは、色々な性格が入り混じり、その傾向は、分裂気質であったり、循環気質であったりというように表現が曖昧になるとのことです。

 言葉を換えて表現しますと、非社交的で、生真面目と過敏冷淡が同居しているような分裂気質が存在するには、本来持って生まれた循環気質の明朗快活と蔭の陰気部分の欠点を補っているし、またその逆もあるからです。

 人格(パーソナリティ)の基礎は気質(テンパラメント)です。
これは遺伝的に伝承されたもので生涯変える訳にはいきません。
乳幼児期に、親の手から離れてオオカミに育てられた狼少年の話があるように、気質だけで成長すると、人格は、形成されないといわれております。

 人間は、物心ついた頃より、両親や家族に養育されます。そして、幼稚園や学校で人間としての躾を教育されます。気質は、このようにして性格(キャラクター)にまで発達することになります。キャラクターの語源は、刻み込むという意味から生まれております。

 しかし、大多数の人々はこの性格だけで日常生活を送っている訳ではありません。
社会の多くの人々に接し、それぞれの文化の中で働き、遊び、やがて性格は社会的・文化的な影響をうけて、人格(パーソナリティー)へと発展しているのです。

人格が性格のまま親から受け継いだ遺伝子だけにとどまっていると、その人は未熟で依存的になります。しかも、自己中心的で、子供っぽい人柄ということになってしまいます。
人格の語源はラテン語でペルソナ、つまり「仮面」ということです。ですから、社会で生活する大人たちは、みな仮面をつけていることになります。
欠点を隠して、自分の都合のよい表面だけを人前に見せようとしているのかもしれません。これが仮面なのです。

 人格がつくられるには、自分自身の努力も要求されております。人間とは、努力次第で色々な仮面をつけることが出来るのです。しかも、それが習慣になれば、仮面でなく本物の顔になるのです。

 泣きたいときに泣いたり、わめいたり、また、嬉しいときには、おおはしゃぎするだけの人であれば、これは大人といえません。
赤ん坊や子供と同じです。夫をなくして悲嘆のどん底にある未亡人であっても、友人の結婚式に出席すれば、泣いているわけにはまいりません。泣き笑いでも、人間には笑うことが出来るのです。

 このような書き方をすれば、「そんなことは出来ない」と主張する人もいるかも知れません。
それは、「出来ない」のではありません。「しない」のです。気分とは、「あるがまま」に受け入れ、やるべきことを自分本位・行動本位に実行することです。

気分がよくなれば、健康人らしく振る舞おうというのでは、いつまでも立ち直ることは出来なくなります。

 神経症の療法で世界的に有名な森田療法では、「外相整って、内相自ずから熟す」という言葉を用いて、悩む人達を指導しています。
これは、孟子や孔子の言葉を借りるまでもなく、「健康らしくすれば、健康人になれる」という意味でもあるのです。


註【分裂気質】 クレッチマーの分類による気質の一。非社交的・控えめ・きまじめで、感情が極端に敏感だったり、逆にひどく鈍感だったりする。

註【循環気質】 クレッチマーの分類による気質の一。同調性が高く親しみやすい。陽気で活動的な躁の状態と憂鬱で優柔不断な鬱の状態との間で気分が変動したり、一方に傾いたりする。肥満型の体型の者に多いとされる。躁鬱気質。

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