管理者として、優れたリーダーになりたいと心がけている人は、すべて、リーダー養成期間の初期に、科学的管理を必要とする諸原則と、一般的な手順を習得しておいた方が良いと思います。
これはあらゆるタイプの組織に適用することですし、また、適用されなければならないことだからです。
この点について、ある権威者は、彼のいわゆる心くばりする仕事場では、一日の仕事の割合……つまり、仕事の切符を受け取り、その日のなすべきことを前もって知っているようにすれば、仕事に対する自尊心も高まるだろうし、また、干渉されずに仕事を進めて行けるだろうと、指摘しています。
しかし、このような管理の仕方は、実際に、家事手伝いのような仕事にとっては、摩擦と転職の原因になります。
とくに、雇い人が一人で、女主人が一日家にいるような場合、何時も仕事を監視されて、四六時中、「私の云ったように、何もかも、きちんとしないと駄目じゃないの」という、奥さんの声に追われ続けになるのです。
雇い人のやり方が自分より増しかも知れないことに、考えが及ばないと雇い主は、絶えず干渉せずには治まらないのです。これではどんな自信のある有能な雇い人でも疲れ果ててしまいます。
ですから、やっぱり命令は最小限に止めるようにした方が良いのですが、全く命令無しであっても済まされないのです。要所々々に必要になるからです。
命令には、まず”例外的”なものがあります。グループのメンバーが、自分に与えられた実施基準の指示では、カバーできない何らかの事態が起きたことを発見した場合、あるいは、管理者リーダーが例外的に変更を加えねばならない場合、必要を認めたとき、明確な指示が必要であることは明かです。こうした場合には働く方も快く受け入れるようになります
次は、特別な処理を要する緊急事態が生じた場合です。リーダーは適切な処理をしなければなりません。例えば、火災が起きた、怪我人がでたと云うような場合です。リーダーは、その場合素早く急場を救う命令を出さなければならないでしょう。もし、それが出来なければリーダーとしてたちまち失格です。
さらに、仕事のやり方に問題が生ずる場合もあります。従業員が管理者のもとへ来て、「自分が何をしたらよいかわからなくなった」等と云うときです。
最後には、従業員間、部課間の相互関係について、リーダーが調整を命令しなければならない場合もある得るのです。
以上のことは、それぞれの状況にしたがって与えられます。それが従業員と仕事、あるいは、組織との抜き差しならぬ関係から生まれてきたものであることを、はっきり、理解させなければならないのす。命令は、忘れることの出来ない恨みのようなものであってもならないのです。
恨みが残ると命令は、行われ難く、またそのために組織の計画や仕事に、思わぬ欠陥を生じたりするようになります。
命令は、ある状況では、避けられないものであり、期待され、ときには、歓迎されることもあるのです。人々の欲求と意志を纏めるに際して、良いリーダーならば命令を、必要としないと信じている向きもあるとすれば、それは間違いです。
しかし、半面、よいリーダーであるならば、平素全く自主的に働いているように思えるほど、彼の組織に対して、秩序正しく仕事を、させていなければならないのです。
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