まず、経営の形態の問題です。 @組織で行動するタイプ Aワンマンコントロールタイプに大別しましょう。
その@Aは
さらには、経営者は創業者なのか、交代者なのかというような、分類をすると大きく経営者の特質について長所短所の見分けがつきます。 『情報の経営資源化』問題は時代の要請で、避けて通れない問題です。経営上の検討課題は、社長始め経営者の経営【判断の環境問題】であり、社内組織の管理上の問題と全く異質の問題ですから、文頭の経営者の判断環境やその経営環境の診断を的確にしないと、軽々しく問題は取り上げまたは提起は至難ではないでしょうか。
後文の問題を含め週末じっくりアップしましょう。取りあえず 一桁 京都大学の会田雄次先生は、著書「日本的権威の論理」の中で、経営者の条件として、国立民族博物館長の梅棹忠夫先生の言葉「説明できることを説明するのが学者、科学者。 説明できないことを説明するのが哲学者、説明していけないことを説明するのが宗教者」つぎに福沢諭吉の例の有名な言葉、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」 この二つの言葉をもじって、政治家と経営者の相違を述べています。 まず福沢諭吉の言葉をもじると、政治家は天が造らなかった筈の「人の上に立つ者」であるが、経営者は「人の前に立つ者」なのだと言っています。さらに、梅棹先生の言葉を引用、人間の行為は三つのタイプ、三段階に分かれている。
「出来ること」「出来ないこと」「してはならないこと」の三つであるとしています。 最後に、「してはならないこと」をやってしまうのが政治家ということである。「人の上にたつ」と言うことは、その「してはならないこと」の最もたるものでしょう。誰も自分の上に立ってくれと頼んでもいないのに、勝手に立つのだから、それは、まさに「してはならないこと」の優たるものである。と論じています。 この、「してはならない」「人の上に立つと言うことをしている人物」である政治家は、正にそこから政治家の使命と義務と責任が生まれてくるのだとしています。裏を返すと、その特異な権力欲望や能力を持たぬ人間は政治家であってはならないと言うことになるのではないでしょうか。 そうした意味合いで企業経営を考えると、戦国時代の武将の戦略が、とかく経営戦略として参考にされ勝ちです。戦闘という多少の偶然性があっても、賭の問題があります。運の問題があります。勝つか負けるか、強いては、自分と組織の破滅か、拡大か、その責めを経営者は負わなくてはなりません。
政治家であり経営者である武将は、神の代理人を続ける一方で、破壊を繰り返し強大な権力でそれを正当化しています。
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