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『創造的思考力を育てる』

 アイデアをどんどん生み出させるか、それとも、創造力を封じ込めて仕舞うのかは、自分自身の心構え一つです。
 人間の頭脳は、同時に二つの方向へ働きます。比較選択を行い判断をしたりする思考。それに、分析する考えと、創造あるいは、予想、予見をしたり、アイデアを生み出したりする創造的な思考です。

 判断することばかり考えると、時としてその人は消極的になります。そのわけは、彼の関心が、新しいアイデアを生み出すことより、むしろ、アイデアが役に立たない理由を、明らかにすることになるからです。選択や適合の判断をする考えは、子供の頃からずっと育ってきたものです。

 その間、常に創造的な考えは封じ込められています。われわれは「やってみる」という試みよりも、「あら捜し」に近い可否判断を長い間教えられています。部下に創造力を持たせるようにするには、積極的な試みの態度を教え込むことです。われわれは熱意をもつと共に、楽観的になる気持ちの切替を必要とします。
 新しいアイデアを考えるときは、役に立つかどうかの判断を下すより先に、役立つように出来るあらゆる方法を考えるようにします。

 創造力を育てる上でもう一つの問題は、大抵の人が新しいアイデアを出すことに対して、怖じ気づくことです。自信をもつように仕向けなければ、創造的な働きはまるで機能しません。部下たちに信頼を向けることによって、彼らの自信を強めることが出来るようになります。部下の中には、この分野で特別な助力が必要な人もいます。人間行動において、行動科学的に、人間関係の効果的な話し方、と言った人間関係の講座は、多くの人たちの自信を強めるのに役だっています。

 管理者は、部下達が障害を乗り越えて、自分たちの創造力をのばすことに、協力することが出来ます。創造的思考を妨げる主な障害の一つには、周囲を取り巻く習慣や慣例に、順応しやすいという点があります。服装や言葉、あるいは態度が、周囲の人たちと違うことに、気にするのと同じように、自分の考え方が周囲の人達と異なることを気にするのです。問題解決に、大いに役立つかも知れない新しいアイデアに従うことは、いままでの習慣を打破することになります。

 偉大な発明のほとんどは、同時代の、習慣や伝統を無視する勇気をもった人達に、よって行われています。部下に革新的な考えを、生み出させるようにするには、どんな理屈に遭わないものでも、部下が出すアイデアをなんでも良く聞いてやることです。
「それは使いものにならない」と言った結論へ、一足飛びにいかないで、発案者と一緒に、そのアイデアを入念に検討し、その中にメリットがあるかどうか、あるいは、その一部でも使えるかどうかを調べることにします。

 そして、あなた自信の判断において、アイデアの独創性を褒めます。最初から、アイデアを全面的に否定して、全面的に、落胆させるようなことはしないことです。欠点があれば、プラスになるような形で指摘してやります。アイデアを出したものを力づけてやります。
 例えば、「これは金がかかりすぎる」と言う代わりに、「鈴木君、君にこの金でまかないきれるかな」と言ったほうが効果的です。鈴木は、自らコストの問題を認識し、もっと良い答を出すに違いありません。

「あえて人と違うことをする」人間は、しばしば、非現実的で突飛なアイデアを出しますが、上役や同僚の軽視にあって黙殺されることがなければ、何れは、「革新的で有望なアイデアを、出すことがあるかも知れない」と言うことを、決して忘れてはならないと思います。

 創造力の妨げとなるもう一つの大きな障害は、一度心に決めた概念を、飽くまでも固執する、傾向を多くの人がもっていることです。新しいアイデアが、自分のアイデアと対立するものであれば、それを丹念に調べようとします。アメリカの鉄鋼王デール・カーネギーはこう書いています。
「いつでも変化に応じられる心構えで、いなさい。変化を歓迎しなさい。変化を求めなさい。自分の意見やアイデアを何回でも試練に遭わせなければ、あなたの進歩はない。」

 カーネギーの言葉は、創造力を組織内で開発しなければならないとき、管理者自身は勿論、部下にも守らせなければならない原則です。「我々はいつもこうやっていた」と言う言い訳で、アイデアの発生を、妨げないことです。
 状況認識は、人によってまちまちであったり、同じ人が同じ状況を、異なった時期に知ることで生ずる、創造力への障害はもっと複雑です。心理学者によると、この様な認識の問題について、人は自分を邪魔したり、自分の基本的な考え方を崩すものを、無視したがる傾向があるとしています。考えを変えるのは、外部の力に押されたときとか、極端な場合には、自分の認識が形にはまっていることを自覚して、疎外感を味わったとき、始めて認識を改めようと言う気になります。 つづく