仕事の教え方事例集Ⅳ    【目 次】
NO 項  目   内      容
「やる気を起こすとは」 今どきは、根性論や精神論では通じません。ではどうすれば下記の項目から……
「仕事に無関心」  「仕事に興味をもたせるには」  
「仕事に無責任」  「自らを学ぶ気にさせるには」   
「続 仕事に無関心」 「続 自らを学ぶ気にさせるには」  
Ⅳ-1 教えた内容が違っていたときは、潔くわびてすぐ訂正せよ。      そのことは選手たちも良く知っています。ましてや、自分の失敗を部下のせいにしたり、言い訳などしていては、部下はついてきません。自分の教えた内容が違って、部下がそのままの方向に進んでいると、上司としては大変言い辛いものです。
-2 部下に対する"制裁"には、たった一つでも例外を作るな。     ルールを考える甘さが問題となって露呈するのは、組織全体の信頼関係が崩れたときだけではなく、個人対個人の場合でも同じ現象が起こります。たとえば、いつも遅刻してくるのに叱らずに、たまたま遅刻したべつの部下だけ叱ったりすれば、叱られた部下は反発し不信感が生じます。
-3 一見こまかくてつまらない仕事は、全体の中の位置づけを明確にして教えよ。 いうことを聞かないから仕事ができないかといえば、こういうタイプの中に仕事が好く出来る人間がいるから正直には厄介です。つまりバント作戦で手堅く進めます。
-4 責任をもって仕事を覚えさせるには、あらかじめ大枠を示して任せよ。     要するに、"部品"として使われた末端作業員(スパイ)は責任感がありません。ある軍事評論家に聞いた話ですが、優秀な情報部員とダメ情報部員との差は、その情報部員に仕事の全貌(物事の構成や機能)を伝えるかどうかにかかっているのだといいます。
-5 厳しく叱った後には、単純作業をさせてみよ。     叱ることがむずかしいといわれることの一つには、叱られたほうに『防衛機制』が働いて、叱った内容が相手に理解されない点にあります。叱られたあとの部下の心には、相手に対する憤りや反発心、自分の能力に対する不安がうずまいているのです。
-6 失敗の責任はオレが取るといい続けよ。      上司が責任をかぶるというのは、一般に失敗の責任がうやむやになるようにできています。たとえば、どんなに致命的なミスがあっても、会社全体、部全体、課全体の責任という形で、個人が責任を負わなくてすむ仕組みになっています。
-7 いい加減な気持で仕事をさせないためには、使う"道具"を大事にせよ。     経験がなかったといいます。内弟子時代は、駒を磨かされている時間のほうが多いくらいだったといいます。 ビジネスマンにとって、ボールペン一本、ホッチキス一個まで"道具"のうちです。なまじの技術より、何が大切かを教えたかったに違いありません。
-8 数字や目標は「てきとう」「~くらい』でなく、具体的に示せ。     あいまいな表現でも、部下がよく解釈してくれれば、部下のほうで情報収集して予期した以上の仕事をします。部下は"あいまいな指示"を自分流に"ラクな仕事"にしてしまいます。
-9 部下のミスにはどうしたらよいかはあえて教えず、結果だけを指摘せよ。 こうしたときはミスだけは的確に指摘しておいて、どうすればそのミスを未然に防げたか。それを繰り返しているうちに、だんだん『自分が何をわからないのかがわかってきた』といいます。
-10 怒るときは、なりふり構わず気色ばんでみせよ。 教えるということには、真剣さが必要です。しかしいまは体罰の時代ではありません。君らを殴りたいときは、この中村(指導者本人)を殴りつけます。その結果、相手には、とにかくその真剣さと迫力だけは伝わったのです。
-11 時には、自分が"教わり魔"になれ。      人にものを教えるのは、優越感を満足させる面が確かにあります。それは謙虚さだけでなく、教えることが出来なかったとすれば、今度は教わることとは何かを知りながら、自ら学ぼうとするはずです。
-12 自分の上司が部下を叱っているときは、わざとかばってやれ。 すぐ怒鳴り散らかすため、嫌われている課長がいたのです。ところが、ふだんは部下を叱ってばかりいる課長が、このときばかりは部長の前に立ちはだかって、『書かせたのは私です。私が責任を取ります』と部下をかばったのです。
-13 ときには自腹を切って教える"場"を設けよ。 マラソンの瀬古俊彦選手を育てた中村清氏は、自分のすべてを投げ出して、選手の世話をしたといいます。しかし、教え、指導する立場にあるものは、時には中村氏のように、自ら教える相手の『召使』のように考えてみることも必要でしょう。
-14 ほめるときは、そのことがたいしたことでなくても情熱を込めてほめよ。     部下に仕事を教えるとき、"褒めて教える"という方法が、いい方法であることはおわかりのことと思いますが、あまりに作為的な褒め方には、ほめられる部下は敏感です。褒めるときは徹底的に褒めることが大切です。
-15 いい結果が出たら、その場で褒め言葉を与えよ。 一つの作業や仕事をするとき、何の評価もなく続けると、作業能率が落ち、学習力も低下することが知られています。それは仕事の一区切りがつくだびに評価を与えると、能力や学習力が上がるということです。
-16 教えることを強化するには、直接誉めるよりも第三者を通して誉めよ。 鳴門親方は、幕下時代に糖尿病で入院したことがあります。ある日、担当医から『きみは将来、三役になる力士だそうだから』といわれたらしいです。鳴門親方は、『時津風親方はそんな風に思っていて、医者に話しているんだな』と気づき、感激し、退院後、さらに稽古に励んだそうです。
-17 ほめる時は、漠然と誉めず、具体的に指摘せよ。 『どこがいいのか!簡単に誉めないこと!』誉めること自体は的を射ていても、あまりに軽く誉めてばかりいると、感激が薄くなり、本当に誉めてやりたいときに手段がなくなります。
-18
新人のうちは"プロセスを誉め"慣れてきたら"結果"を誉めよ。 達成度の低いレベルの部下に、高いレベルを要求しても、むりな話しです。プロ以前のときに結果だけに注目、まぐれで成功しても誉めなければならなくなると、本人は錯覚し、本当のプロになる努力を怠ってしまうことになりかねません。
-19
小さなことでも良いから、部下との共通点を探し、強調しろ。 出身県の場合、上司が部下と同じ県の出身でなくても、一向に構わありません。が、いったん身内の者(イン・グループ)とわかると、初対面の相手に対しても心を許すことがあります。部下と共通の話題があれば、それを話題にするだけで、十分に共通項のやくめをはたしてくれます。
-20
ときには「うちにはうちのやり方がある』で押し通せ。 教える立場の者が論理だけで説得しようとしても、いつも論理が完璧であるわけでありません。論理とか理屈は、全能ではないと後からわかっても、そうなってからでは手遅れというものです。プロ野球のある名審判が「俺がルールブックだ」という名言を吐いて断固として相手を退けたことがあります。

仕事の教え方Ⅳ

「続 仕事に無関心」

◇no1 教えた内容が違っていたときは、潔くわびてすぐ訂正せよ。

 ある雑誌のインタビューで近鉄の仰木彬監督の次のような話がありました。『投手に対しては非情な監督だとよくいわれたし、実際に自分でもそうかもしれないと感じたこともあります。ただ、悩んだ挙句続投させ、結果的に悪いほうに転がったことが二度だけあります。そのことは選手たちも良く知っています。明らかに交代の時期だったのですが、其れを選手の今後の成長を、と考えて負けてしまったのです。誰もが交代しても仕方がないというときにです。そのことで翌日の試合の前、選手たちに頭を下げました』

 このとき監督は、このまま放っておくと今後の試合に指示を出しても選手たちは半信半疑のままのぞむことになりかねないと考えたのです。まだシーズンが始まって間もないころのことです。この潔さが、その年、シーズンの最後まで優勝戦線に絡み、選手一丸となった戦いが出来た秘訣といえるのではないでしょうか。

 部下にとっても、どんなに一生懸命やっても、たった一つのことがいつまでたっても謝れないような上司ではなかなか信頼できません。自分が間違っていれば、即座に謝るくらいの率直さがあってこそ、冷静な人であり、状況を把握している人として人徳もあがります。ましてや、自分の失敗を部下のせいにしたり、言い訳などしていては、部下はついてきません。先に『観察学習』について述べましたが、これは悪例を学ぶことになり、まさに"無責任上司"の下に、"無責任部下"が生まれても仕方がありません。

 自分の教えた内容が違って、部下がそのままの方向に進んでいると、上司としては大変言い辛いものです。自分の権威が揺らぐとか、上司としての信頼が薄らぐなどといったことが常に頭の中を駆けめぐります。しかし、訂正は早ければ早いほどいいのです。もともと部下は、上司に対して非常に採点が辛いので、すこしもためらいがあれば、よってタカって検討し、血祭りに挙げる"残忍"な面を持っているものです。反対に『非を認める』者には、寛容な面も併せ持っています。

 自分にとって都合の悪いことをごまかしたり、その場しのぎのために取り繕うと、後になって、引き返せない状態になったりします。『朝礼暮改』という言葉は、あまりいい意味には使われませんが、こと間違いの訂正に関してなら、積極的にこの『朝令暮改』を心がけます。
 こうして、身をもって"責任"の見本を示しておけば、部下の仕事に対する取り組み方、覚え方も、自然に変わってくるというものです。

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◇no2 部下に対する"制裁"には、たった一つでも例外を作るな。

 日本の社会は、すべてルールに対して人々の考え方が甘いのが特徴です。たとえば、日本の高速道路のスピード制限は、たいてい時速八十キロです。これが極めて非現実的なルールであることは、取り締まられるドライバーも取り締まる側も良く知っています。ですから、ドライバーが制限速度を二十キロくらいオーバーするのは日常茶飯事です。制限速度で走っていれば、かえって事故や渋滞の原因になってしまいます。

 ところが、ヒトラーがつくった唯一の功績などといわれる有名なドイツのアウトバーンに、制限速度がありません。制限速度は非現実的だから最初からつくらないのです。ルールが"たてまえ"だけだと、当然例外が生じ、ルール自体が甘くなります。日本の社会のように組織全体がルールに甘いと、上下関係がうまくいっていればいいが、何かのきっかけで信頼関係のバランスがくずれると組織の末端がその甘さにつけこんできます。

 かつて日本中の大学に学生運動の嵐がふいたとき、大学当局は当初学内の立て看板は立ててもいいが、当局の許可を得ることを条件にしたのです。しかし学生たちは其れを無視し、大学側も苦りきりながら、しばらくはなすがままにしました。いよいよ見かねた大学側が其れをはがしにかかると、学生はゲバ棒を持って当局側を襲撃し始めたのです。これは、高速道路の制限速度とおなじように、最初のうちは大目に見ていて、手が負えなくなってから急にはがしにかかったからです。

 ルールへの考えの甘さが問題となって露呈するのは、組織全体の信頼関係が崩れたときだけでなく、個人対個人の場合でもまったく同じ現象が起こります。一人の上司対数人の部下の関係でも、これは同じことです。

 たとえば、ある部下が会議にいつも遅刻してくるのに叱らずに、べつの部下がたまたま遅刻したときにだけ叱ったりすれば、叱られた部下は反発します。その部下の仲間も彼に同調します。ところが、会議の時間厳守の違反者に例外ない"制裁"が行われていれば、反発も反発者への同調も起こらず、言い逃れや責任回避をしようがなくなります。かつての阪急ブレーブスをひきいていたころの西本監督が、バントのサインを無視してホームランを打った外人選手を怒鳴りつけたというエピソードはすでに紹介したが、これなどは"例外なき"制裁の格好の見本にするべきでしょう。

 業績は業績、ルールはルールなのです。どんなに業績が良かろうと、部下がルール違反を犯したときには、きちんとそれなりの制裁を加えます。広い意味では"制裁"も教育の一部ですが、"制裁"には権限がからむだけに、どんな些細な例外もつくらないことです。

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◇no3 一見こまかくてつまらない仕事は、全体の中の位置づけを明確にして教えよ。

 ビジネスは川の流れのようなものですから、急流になったり平坦な流れになったりうねりになったりしますが、いつも変化に富んでいるわけではありません。むしろ全体からいえば単純で一見つまらないと思われる作業が続くことのほうが多いです。

 チームワークで仕事をしている以上、ごく細かい単純労働を、部下に指示したり教えてやらせなければならないことも日常茶飯事です。
 問題はそんなときの部下へのものの教え方です。
 たとえば、コピーをとらせたり、ワープロを打たせたりと、いうようなときもそうだし、取引先にちょっとした書類を届けさせるときなども、単純にその作業だけをやらせるのと、ビジネスの全体の流れを把握させた上で頼むのとでは、部下の仕事への責任感の持ち方が違ってきます。

『このコピーは、今日の○○会議に当社の系列グループの会長や顧問などが集まってくる場に出す書類ですから、よろしく頼む』

 一言そう伝えるだけで、部下は『では、文字は読みやすく拡大コピーしておいたほうがいいだろう』と気をきかすことも出来ます。ワープロなら、縦書きがいいか、横書きがいいかの判断しやすくなります。取引先への届け物でも、同じように目的がハッキリしていれば、『ついでに相手の××課に顔を出して挨拶してこようか』ということにもなります。

 人間の心理は、自分が全体の流れに参加しているという"参加意識"があるのとないのとでは、まったく違った働きをするように出来ているものなのです。

 ある軍事評論家に聞いた話ですが、優秀な情報部員とダメ情報部員との差は、その情報部員に仕事の全貌を伝えるかどうかにかかっているのだといいます。捕まったときにしゃべってしまうのを恐れて、全貌を伝えないままに使った情報部員は、捕まったときに、かえって自分の知っている範囲のことをぺらぺら吐いてしまいます。しかし、仕事の全貌を知って謀略に参加した情報部員は、そう簡単には吐かありません。つまり、"部品"として使われたスパイは責任感がありません。

 反対に"参加意識"の強いスパイは、責任感が強く優れた働きをするのだといいます。
 例として妥当ではありませんが、大型疑獄事件などでも捜査当局がまず狙うのは、まず末端の"部品"的な関係者であることが多いです。この部分には責任感がないから、吐かせやすいのでしょう。

 車を運転していて、行き先を指示されないままに、右に曲がれ左に曲がれといわれたのではドライブに責任が持てなくなります。それと同じ心理が人間にはあらゆるところで働いています。
 部下に指示を与えながらあるべき作業のやり方を教えるには、仕事の流れの全貌をつねに掴ませておくことが必要です。こうしておけば、簡潔な指示で部下が責任ある働きをしてくれます。

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◇no4 責任をって仕事を覚えさせるには、あらかじめ大枠を示して任せよ。

 組織はルールを決めれば混乱し、かといってあまり細かくルールをつくると人間が萎縮してしまいます。
 組織本位の規律という面から見ても、個人の士気という点から見ても、ルールはなければならないが、あまり細かくないほうが良いです。

 大枠をきちんと自由にやらせ、部下が大枠をはみ出したときにはすぐ叱るのが、最もわかりやすい現場教育につながります。

 教育の現場で、生徒たちの風紀が乱れ、服装や振る舞いなどに目を覆いたくなるような中学校や高校が珍しくなくなりました。そうした学校に限ってスカート丈は何センチ、前髪の長さは眉の上何センチと、生徒の日常にびっくりするほど細かいルールを決めている場合が多いです。

 生徒たちは、細かい規則を決められれば決められるほど、それに反発し、教師は生徒が反発して規則を破るから、さらにルールを細かくするという悪循環をつくりだしているようです。
 行動を規制されればされるほど反発したくなる"あまのじゃく心理"は、何も子供たちに限ったものではありません。仕事の場でもまったく同じことがいえます。上司があまり細かく指示したり規制したりすると、部下は極端に士気をを失ってしまうものです。

 いま部下のOLにワープロでの文書作成を頼んだとします。A上司は、『書類の中身は例の懸案の開発商品に関する市場調査の資料で、午後四時の常務会の参加者全員に配るものなので頼むよ』といったとしよう。もう一人のB上司は、『A4の紙に横書きで行間はたっぷり、見出しは倍角にして、打ち損じの内容に気をつけてなるべく早くやってくれ』と言ったとします。

 A氏のように言われ続ければ、部下は大いに責任を感じて、自分の仕事をものにしていこうとするだろうが、B氏のように言われると、ただ無責任にロボットのように仕事をこなしていくしかありません。こんなことが毎日続けば、Å課の部下はぐんぐん仕事を覚え、B課の部下はどんどんスポイルされることになります。

 A氏がきちんと大枠を指示してあとは部下に任せなのに、B氏は細部まで干渉しすぎています。ワープロが打ちあがってからも、A氏が、『老眼の人が多い常務会用としては、この文字並びは見にくいから打ち直しだ』といえば部下は納得します。一方B氏が、『なんだか読みにくいな』といっても、部下は『言われたとおりにしたまでです』と反発するでしょう。

 学生ラグビーの名門、明大の北島忠治監督が、「わたしはめったにカミナリを落とさないが、選手が大枠の基本プレーから外れたときには怒ります』といいます、一方の強豪、大東大の鏡保幸監督も『大枠をきちっと決め、そこからはみだしら注意を与えるのが監督の仕事』と、同じようなことを言っていましたが、どちらも、"教える心理学"をよくわきまえているといえましょう。

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◇no5 厳しく叱った後には、単純作業をさせてみよ。

"経営の神さま"松下幸之助氏にまつわる有名なエピソードは、ご存知の方も多いでしょう。松下氏のもとで永年活躍した三洋電機元副社長・後藤清一氏によると、松下氏はある日、後藤氏のちょっとしたミスを烈火のごく怒り、ストーブの火かき棒で床を激しく叩いたといいます。

 むしゃくしゃして帰ろうとする後藤氏に向かって、松下氏は『一生懸命怒ったから、火かき棒がこんなに曲がってしったのです。悪いけど、真っすぐしてんか』といったそうです。後藤氏はしかたなく金槌で直し始めましたが、打つたびに心が少しずつ落ちつき、素直に叱られたことを改めようという気になってきたのです。ようやく直し終えて持っていくと、松下氏は、「きれいやな、前よりきれいや、あんた器用やな」と一転してニコニコ笑いました。

 後藤氏がすなおに叱責を受け入れようという気になったのは、松下氏の人柄や後の配慮も大きかったかもしれありません。しかし、この話の中で無視できないのは、金槌で火箸を打つという単純作業をさせたことにあると、私は思います。一定の作業の繰り返し行う単純作業は、それを続けることによって、心の奥深くわだかまっていた鬱屈や不安を放散させてしまう効果があるのです。

 たとえば書道では筆を持つ前に、すずりに向かって墨をするという"単純作業"を行いますが、これによって不思議なほど心の雑念が取り払われることは、経験されたことがあるでしょう。また、エーザイ会長の内藤祐次氏は、イライラしたときは、モヤシのひげを一本ずつとる"単純作業"によって、妙に心が静まり、冷静に物事を捉える心を取り戻すことができるということです。

 厳しく叱られたあとの部下の心には、叱った相手に対する憤りや反発心、自分の能力に対する不安がうずまいているものです。このような不安定な心の状態から脱するために、叱られた方は、叱られた内容を意識に上らせないようにしたり、理由をつけて自分の行動を正当化したり責任回避する反応に出やすいです。

 この心理的メカニズムを、『防衛機制」とよんでいます。
 叱ることがむずかしいといわれることの一つには、叱られたほうのこの『防衛機制』が働いて、叱った内容がそのままの形で相手に理解されない点にあります。このため、叱った内容をストレートな形で相手の印象にとどめるのは、相手の不安定な心の状態をうまく解消できるキッカケを与えてやる必要があります。

 その一つの方法が、単純作業です。先の後藤氏も、火かき棒を打ち終えたときには、すでに心の危機状態は解消に向かっていたに違いありません。その結果、叱られたことが、『防衛機制』によって歪められることなく、そのままの形で伝わったのです。

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◇no6 失敗の責任はオレが取るといい続けよ。

『ドイツで生活してみて痛感したことは、家庭の中でも地域社会でも自分の役割を果たさないと周囲の人々が実に厳しい視線でこちらを見るということでした』と、ドイツ人と結婚した私の友人の日本人女性がつくづくといっていたことがあります。

 欧米社会での生活体験のある人なら、たぶん共通にそう感じたことがあるのではないでしょうか。
 企業社会もその一例の中に含まれますが、日本の社会構造は一般に失敗の責任がうやむやになるようにできています。若干の例外があるとすれば、官僚組織ではきちんとした階級制度が残っている警察関係と、企業社会では強烈な責任感を持つ創業者社長が指揮をとっている会社ぐらいのものではないでしょうか。

 イギリスには「ノーブレス・オブリージュ」という有名な言葉があります。『身分の高さが責任の高さ』というような意味で、貴族階級のような身分の高い人ほど、戦場などではもっとも危険な仕事を分担されることを誇りにする習慣があります。

 その点、たとえば日本の企業社会などは、どんなに致命的なミスがあっても、会社全体、部全体、課全体の責任という形で、個人が責任を負わなくてすむ仕組みになっています。

 むろん、そんな日本型のビジネス風土の中にも例外はあります。住友金属鉱山の藤森正路会長が、部下に『失敗してもいいからやるだけやってみろ、後の責任はオレが持つ』というのを口癖にしているのを読んだことがあります。部下のしりを叩いて動かすよりは、率先して誘導したほうがみんなのやる気を起こさせる、というのです。これはたしかに人間心理への優れた洞察眼からくる見識です。

 失敗を恐れると、同時に萎縮し消極的な無難主義に陥ってしまうのは、人間の心理の自然な働きです。失敗しても、誰かが責任取ってくれるとわかれば発想も行動も大胆になります。反対に、大胆な発想や行動が習慣になってくれば、『よし、この仕事で失敗したらオレ自身で責任をとってもいい』『失敗は出来ないな』という方向に心の重心が移っていくものなのです。つまり、上司が責任をかぶるというのは、部下の"自発的責任分担"にも通じるのです。ワンマン型の創業者社長などが、一切の責任を自分でかぶりながら時々経営で挫折するのは、企業規模がどんどん大きくなっても部下の"自発的責任分担"に気づかずに、責任と権力を全部自分に集中させてしまうからです。

 責任を取ってくれる上司への部下の信頼度は、日本の企業社会ではそういう習慣が希薄なだけに絶大なものになってきます。

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◇no7 いい加減な気持で仕事をさせないためには、使う"道具"を大事にせよ。

 江夏豊氏はプロ野球の現役時代には、『針の穴を通すコントロールの持ち主』といわれましたが、高校時代は、まったくのノーコンピッチャーだったといいます。ある試合で四球を連発して大いにくさり、思わずロージンバックを地面に叩きつけました。それを見た監督はタイムをかけて、マウンドに駆けつけるや否や、江夏投手の頬をなぐり、顔を真っ赤にして怒鳴りつけたのです。「ユタカ! ロージンはお前の味方だだろう。味方を乱暴にあつかって、試合に勝てるか!」

 その監督は野球の経験がなかったといいます。なまじの技術より、野球選手にとって、何が大切かを教えたかったに違いありません。
 昔から、職人の修業は、道具をたいせつにすることからはじまります。板前修業の人は、くる日もくる日も包丁を研がされます。大工修業の人は、道具箱を曲がって置いただけで、親方になぐられたのです。道具を大切にすることを覚えれば、いざ仕事を習うときに、真剣に取り組むようになります。

 それを単なる精神論と受け取るのは早計でしょう。将棋の故・芹沢博文九段が"駒磨き"について書いた文章を読んだことがあります。内弟子時代には、将棋を指すより、駒を磨かされている時間のほうが多いくらいだったといいます。

 たしかに、面白くない作業でしが、そのうちにいろいろなことを考えます。なぜ駒を磨くのか、自分にとって将棋の駒とは何か、を考えていくと、最後には、将棋とは何か、という問題にぶち当たります。それが、知らないうちに将棋の勉強になっていたのです。あのころが、一番強くなった時期ではないのか、とまで芹沢氏は書いていています。

 ビジネスマンにとって、ボールペン一本、ホッチキス一個まで"道具"のうちです。 道具に限らず、物をぞんざいに扱うのは最近の風潮のようですが、道具の一つをとっても無責任な気持であつかっていますと、その気持が他にも伝染し、まだ仕事の仕方を身につけていない未熟なものほど仕事にまで波及しやすいです。たとえ、消しゴムやノートのようなものでも、ぞんざいに扱っていると、仕事の面まで響いてくるのです。

 だからといって、いきなり『ボールペンを大事にしろ』では、いまどきの若者には通用しそうもありません。精神論でわからないときは、上司が身をもって示すのが最も効果的でしょう。 私の友人で、静岡新聞の社長・大石益光氏は、業界内では”ケチ”ということになっているらしいです。ちびた鉛筆まで大切にすることから始まり、今では社風にまでなっているといいます。

 競争の激しい地方新聞の中で安定した経営基盤を誇っているというのも、ただの”ケチ”で終わらせず、仕事への基本的姿勢を教える社風、つまり、一定の『型』にまで高めたからでしょう。

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◇no8 数字や目標は「てきとう」「~くらい』でなく、具体的に示せ。

 オフィスで課長が若い部下に細かく仕事の趣旨を説明します。「わかったか」と念を押すと、部下が『一応、わかりました』と答えます。課長は思わずアタマにきて『一応、わかりましたとは何事です。わかったのかわからないのかどっちかハッキリしろ』と、部下を怒鳴りつけたくなります。

「課長、さっき部長が課長に用があるとかいってました」『来いといったのか』『ええ、そうみたいです。』また腹を立てます。『まったく、新人類は明確な言葉の使い方も知らない……」ということになります。

 しかし、これを一方的に部下の能力の低さと解釈するのは疑問です。 たとえば、上司が部下に仕事を命ずるときに『なるべく早くやってくれ』『がんばってくれよ」といったり、成果を評価するときに『ま、これくらいでいいや」「ここはもうすこし適当な方法で考え直してみてくれ』というような表現を使っていないでしょうか。こうしたケースでは、日ごろの上司のものの教え方が部下の言動に表れていることが多いのです。

 人はあいまいな言葉で教えられると、あいまいな言動の癖がついてしまいます。あいまいな表現とは、解釈の幅の広い表現です。あいまいな表現でも、部下がよく解釈してくれれば、部下のほうで情報収集して予期した以上の仕事をします。

 ところが、人間の心理は、大きな責任を回避して自分の都合のいいほうに物事を解釈する傾向があります。部下は"あいまいな指示"を自分流に"ラクな仕事"にしてしまいます。

 上司は三日が限度のもつりで『なるべくはやく』と頼んだ仕事でも、部下は』一週間くらいが期限だろう』と解釈してしまうことがあるし、『これくらいでいいや』と評価されると、どんな場合でもそのくらいでいいのかと思い込んでしまいます。

 書類の報告なら『三日以内にレポート用紙十枚前後で』『今週の金曜日までに図表をつけて、資料は別にスクラップしてA4の封筒に入れて』と、万事具体的に指示する習慣をつけておくと、部下のあいまいな言動はなくなるし、責任を持って仕事をするはずです。

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◇no9 部下のミスにはどうしたらよいかはあえて教えず、結果だけを指摘せよ。

 わたしは、これまで数十年間に数え切れないくらいの講演会・研修会で話しをしてきました。それ以外も、もちろん長いこと大学の講義で学生たちにものを教えてきています。そんな体験を通してつくづく感じるのは、"講義"と"講演"はまったく違うということです。

 大学の講義の目的は主として知識の伝達ですから、知識さえあれば誰にも出来ます。しかし、講演となるとそうはいきません。こちらのものの考え方を聴衆にわからせるためには、インパクトを与えなければならありません。つまり、これから自分で勉強しようという気持に火をつけなければならないのです。

 そうしたときに思うのは、"話しをすること"は簡単だが"相手に聞かせること"が如何にむずかしいかということです。いや、耳で聞かせることは出来ても、頭で聞かせる、つまり考えさせることは大変むずかしいです。人を教えるときには、この二つの違いを画然とわけておく必要があります。

 部下がビジネス上のミスをしたときなど、この二つを画然と区別していない人は、どうしても自分の知識を相手に話そうとします。『ミスの原因は、ここでこうしたことがこういう作用でこんな風に影響したのです。ここではこうするべきだった」と、いわば"講義"をしてしまいます。じつは、これでは、ミスを指摘された相手は、大学時代の講義のように、言われたことが一応は頭の中に入っても、身につかず忘れやすいです。

 こうしたときはミスだけは的確に指摘しておいて、どうすればそのミスを未然に防げたか。ミスのフォローはどうすればいいか、その方法についてはあえて教えずに黙って相手に考えさせたほうがいいです。その上で相手がいろいろと自分で考えても手段が見つからなかったときに、「どうしたらいいでしょうか」と聞いたら、初めて適切なアドバイスをしてやります。

 プロ野球のV9監督として有名な川上哲治氏がこんな興味深い話をしているのを聞いたことがあります。禅の修業に始めて参加した若いころ、朝食に禅僧たちと一緒にタクアンを食べていたら、突然心臓が縮まるほどの大声で喝を入れられたのです。理由がわかりません。よく考えたら、自分の食事中の姿勢の悪さが原因だったらしいです。そのあと修行中に何度か喝を入れられます。それを繰り返しているうちに、だんだん『自分が何をわからないのかがわかってきた』というのです。

 禅の修行は何がミスかまったく説明なしに喝を入れられます。そういう伝統の中から、優れた禅僧が歴史的にもたくさん輩出しています。

 ビジネスを効率的にこなそうとすると、いちいち部下に考えさせるよりは簡単に知識を伝達してわからせてしまいたくなりますが、それでは部下は育っていかないのです。

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◇no10 怒るときは、なりふり構わず気色ばんでみせよ。

 プロ野球の元監督で『名将』とよばれた西本幸雄氏が現役時代、選手に鉄拳を振るったことがあります。
 それについて氏は、『選手を鍛えようとか育てようとしてやったことではありません。ただ腹が立ったから殴ったのです。
 わしが懸命になって野球をやっているのに、やる気のないようなそぶりを見せる奴は、ほんま、腹が立って思わず手が出た』と語っています。

 また、ヱスビー食品陸上部の元監督、故・中村清氏にまつわるこんな話しも聞いてます。 中村氏が早稲田大学の陸上部監督に就任することになって、陸上部の合宿を訪れたときのことです。氏が熱を込めて話せば話すほど、若い部員たちはそっぽを向き、冷笑するものまでいたといいます。次第に激した中村氏は、『私は以前、ここの監督をやっていたとき、部員をめちゃめちゃに殴りました。しかしもう鉄拳制裁の時代ではありません。君らを殴りたいときは、この中村を殴りつけます。このようにだ』といって、自分のこぶしで自分の顔を殴り始めたのです。氏の顔は晴れ上がり、唇から血が流れ始めました。部員たちがあっけに採られていると、今度は部屋の壁に頭をぶつけだし、ついに壁が崩れ、ぽっかり穴が開いてしまったといいます。

 目撃した大部分の部員たちにとって、常軌を逸したこの中村氏の行動は理解できなかったに違いありません。しかし、中村氏の持つ情熱や迫力だけは十分に伝わったはずです。このときが中村氏との最初の出会いになった、マラソンの瀬古俊彦氏は、『気が違っていると思いましたが、すぐにすごい人だとわかってきました』と語っています。

 西本氏と中村氏の話で共通しているのは、真剣になってなりふり構わず怒ったということです。その結果、相手には、とにかくその真剣さと迫力だけは伝わったのです。そして、中村氏の話では、後に名ランナーとなる瀬古氏は、その真剣さと迫力の裏に何が本質的なものがあることを感じ取っていたのです。

 教えるということには、真剣さが必要です。教えるほうに真剣さがなければ、いくらもっともな理屈を並べても相手に伝わらありません。教えられるほうは、その内容を受け入れるかどうかを、教える側の真剣さによって選択しようとするからです。ときには、なりふりかまわず怒って見せることで、何かを真剣に伝えがっている、という強烈なメッセージを受け取って、初めて理屈を越えた感情が揺さぶられ、教わる方にも真剣な受け入れ態勢が整うのです。

 何事にも冷静さは必要なのですが、行過ぎるとしらけて無表情になり、驚いたり感激しなくなります。
 この章では、部下の感情を揺さぶり、仕事への真剣さを取り戻すことで仕事を覚えるようになる方法について述べていきたいです。

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◇no11 時には、自分が"教わり魔"になれ。

 人間は、だれでも"教育本能"というものをもっています。人にものを教えるのは、優越感を満足させる面が確かにあるからです。

 俗に"老人キラー"などといわれる女性たちは、実に聞き上手で、年寄りの訓戒などを辛抱強く傾聴しています。キラーなどというと聞こえは悪いが、大会社のトップになった人たちの話しを聞くと、年長者からかわいがられた人が実に多いです。きっと真剣に耳を傾けていたに違いありません。

 教わることで、相手から得るところが大きいのはもちろんですが、教える側に満足感があることで上司―部下の関係がスムーズになることも見逃せません。

 一方、たんに教えるだけならいいが、教えの押し売り、つまり"教え魔"になったら年を取った証拠だと思え、などといわれます。私とて、教えるのが商売であっても、教え魔にはなりたくありません。ですから、出来るだけ機会を選んで"教わり魔"になるよう心がけています。人にものを尋ねたり、新聞やふだん読まない若者雑誌、あるいは外国文献などの活字の森に足を踏み入れるのも、森林浴ではありませんが、自らを涵養するためにもいいです。

 たとえば、部下や後輩にしろ、案外思いがけぬ一面をもっていて、草花の知識なら何でもこいと言うものもいれば、星や鳥のことに詳しいもの、将棋や碁にめっぽう強い者がいたりします。

 そうした情報をキャッチしたら、こちらが"教わり魔"になってやるのです。たとえば、『きみ、裏庭のゆきのしたが毎年葉が小さくなってくるんだがどうしたもんかね』とか、『惑星と恒星の違いを息子に聞かれたんですが、どう説明すればわかりやすいかね』などとたずねてみます。すると相手は、たとえまだ知識の蓄積が少なくても、ありったけを総動員して答えてくるはずです。同時に喜びや励みもわいてきます。

 部下は上司に仕事を教わる立場にいるといっても、十のうち十まで徹底的に教えられては、精神的にも前面屈服する気持になり、息が詰まるものです。ときには、部下からものを教わることで楽しさを伝え、主客逆転させてやるといいです。もしそのとき、相手が十分に答えられなくてもかまわないのです。ここにいくつかのポイントがあるからです。いくつになっても、あるいは年長者が年下のものに向かっても"何か教わる"ということを知ることです。

 それは謙虚さだけでなく、つねに『教えることが出来なかったとすれば、今度は教えることのむずかしさを身をもって知るに違いありません。これらによって、相手は教わることとは何かを知りながら、自ら学ぼうとするはずです。

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◇no12 自分の上司が部下を叱っているときは、わざとかばってやれ。

 ある教え子の話です。部下に対してすぐ怒鳴り散らかすため、課員のほとんどから嫌われている課長がいたのです。ある日、その上の部長が血相を変えて、部屋に入ってきて、『この報告書を書いたのは誰だ!』と、課長を飛ばして、書いた本人を直接叱り始めたのです。ところが、ふだんは部下を叱ってばかりいる課長が、このときばかりは部長の前に立ちはだかって、『書かせたのは私です。私が責任を取ります』と部下をかばったのです。

 その日を境にして、その課の雰囲気は一変したといいます。相変わらず怒鳴り散らかしているが、課員の課長を見る目ががらりと変わったのです。
『あの人は俺たちのことをちゃんと考えていてくれるんだ』という意識から上司と部下の間に信頼関係が生まれ、職場全体が活気付いたといいます。

 驚いたことに、部長が『あのぐらいでなきゃダメだ』と逆にほれ込み、この課長氏は同期入社の中で一番早く部長に昇進できたと言うのです。

 教える立場はむずかしいです。ときには、相手にとってつらいことも言わなければなりません。仕事を教えても、逆に反発する受けます。ですが、ピンチに陥りそうなときは、見逃してはなりません。
"わらにもすがる思い"のとき、すがる保障がなければ、社員はただ会社に席のあるフリーランスとなんら変わることがありません。いざというときの庇護は、大きい心理的バックボーンになります。

 日本エアシステムの田中勇会長も、かつては感情に任せて部下を叱り飛ばすことが多かったといいます。しかし、感情的になれば、言うことに筋が通らなくなります。説得力がないから、部下に馬鹿にされるばかりで、説教の効果は少しも上がりません。そのことに気がついた田中氏は、五十歳を過ぎてから、喫煙を始めました。怒鳴りたくなったら、ぐっとこらえて、タバコに一本火をつけ、気持を落ち着かせ、自分に落ち度がなかったかどうか冷静に考えてみるようにしました。そのほうが、よほど説教の効果が上がったと田中氏は語っています。

 このように、教えるということは忍耐力がいるし、苦しい作業なのです。にんげんというものは、とかく地位が上がればあがるほど、下のものから自分がどのように見られているか、わからなくなってしまうものです。下のものはそういう上司をじっと観察しています。説教一つするにしても、上司が自身の身勝手や保身のためにしているのか、それともその部下本人のためを思ってしているのか、敏感にかぎわけています。

 仕事がうまくいかないと、すぐ『部下の出来が悪いから』『思ったように部下が動いてくれないから』愚痴を言うような上司の言うことは、だれも聞かなくなるでしょう。何かあったときに自分が泥をかぶるぐらいの覚悟があって、はじめて部下の感情に訴え、教わろうという気にさせることができます。

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◇no13 ときには自腹を切って教える"場"を設けよ

 マラソンの瀬古俊彦選手を育てた名伯楽である故・中村清氏は、自分のすべてを投げ出して、選手の世話をしました。監督としてもらっていた手当ては、月五千円という信じられないほどの薄給だったのです。

 にもかかわらず、食べ盛りの部員六十人の食費を自腹を切ってだしたのです。食費を出すどころか、自ら買出しをし、包丁をふるって調理することさえしました。経営していたアパートと鉄砲店からの利益や講演料など、収入のほとんどを選手のためにつぎ込んだそうです。

 師弟というよりも、一つの目標を達成するための”同志"であり、"盟友"であるように見えた瀬古選手と中村氏との強い精神的結びつきは、中村氏のこの驚くべき自己犠牲精神からもたらされたのでしょう。中村氏は、自分のことを『先生』であるとともに『名使い』であると語ったことがあります。

 陸上競技や世間のこと、精神生活のことなどを教えるという意味では、「せんせい」でが、選手を強くするために私財や時間を捧げつくしているという意味では選手の『召使』に過ぎないというわけです。

 これほどまでに自分を犠牲にできるのは、中村氏が『正法眼蔵』や『聖書』といった宗教書を座右の書としていたことと大いに関係があるのでしょう。だからといって、中村氏の選手に対する態度と同じものを部下に対してとれといっても、それは無理でしょう。しかし、人を教え、指導する立場にあるものは、時には中村氏のように、自ら教える相手の『召使』のように考えてみることも必要でしょう。部下を指導するのは、あくまで相手のためであり、ひいては自分のためにもなると考える心構えです。だいいち、自分の保身のことだけを考えて汲々としている上司の言うことを聞く部下など、いないはずです。

 そういった心構えを態度で示すためには、中村氏のように自分で調理してまでとはいかないが、たまには自腹を切って部下にご馳走してやるのもいい方法でしょう。

 新人類などといっても、とくに若い人というのは、お金に対する感覚は敏感です。上司におごられるとき、領収書をもらうかもらわないかということを、案外見ているものです。自分が身銭を切るつらさを知っているから、おごられるときには、『私のためにわざわざしてくれたのか』と感激します。ですから、ポケットマネーはたいて教える“場”を設けてやれば、部下はこちらの言うことをいい加減に聞くわけにはいかなくなります。

 ただし、この場合、『ご馳走してやるのですから、まじめに働け』といった押し付けがましい気持でいると逆効果です。こんなときは、あくまで私利私欲を配して、『召使』に徹してこそ、部下から絶大な信頼を得ることができるといえましょう。

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◇no14 ほめるときは、そのことがたいしたことでなくても情熱を込めてほめよ。

 世界的ギタリストである小野聖子さんは、褒める教育の名人といわれます。彼女の褒めて教える方法というのは、どんな未熟な生徒であっても、何か一つ長所を見つけてやり、そこを徹底的に褒めるといいます。

 たとえば、まったく技術的に未熟でも間の取り方一つがうまかったら、『あなたの今の間のとり方は良かった』とほめます。生徒のほうが、『先生』またそんな冗談言って…』とか『お世辞でしょう』などと言おうなら、小原先生の顔は真っ赤に変わるらしいです。怒らんばかりに真剣な表情でなぜいいのかを説明します。

 これには軽い気持で聞いている生徒もびっくりして先生の言うことを聞くようになります。 褒め言葉にもともと半信半疑であったところに、もう一押しあると、"もしかしたら本当に自分の間の取り方がうまいのではないか"とおもうようになるのです。実際、このように褒められて、実力をつけていった門下生は、数え切れないくらいいるという話です。

 部下に仕事を教えるとき、"褒めて教える"という方法が、いい方法であることはすでにおわかりのことと思いますが、あまりに作為的な褒め方には、ほめられる部下は敏感です。「ほんとうはダメだと思っているくせに慰めているのではないか』『心にないお世辞を言われているのではないか』と反感すら感じるようになります。褒めている相手の"感情"を部下が感じなければ、"ほめて仕事を教える効果"は薄いのです。

 先ほどの小原先生のように、褒めるときは徹底的に褒めることが大切です。部下にとってどんな自信のない仕事でも、一つの部分を真剣に褒められれば、それが自身になり、仕事への情熱が充実してくることにもなります。褒めること事態が、一種の暗示効果ですが、暗示にも"信憑性"が必要です。その"信憑性"を強化する材料の一つが教える上司の真剣さです。真剣に言われれば、教えられる部下も暗示を信じ学ぼうとするはずです。

 幕末の勤皇思想家として有名な吉田松陰の松下村塾には、高杉晋作、伊藤博文ら多くの門下生がいます。松陰も"褒めて教えるタイプ"であったといわれますが、さらにつけ加えれば小原先生のように"徹底的に褒めるタイプであったようです。

 松陰の塾はおもに中国古典などの学問を教えていましたが、伊藤博文だけはその辺の才能にまったく乏しく、さすがの松陰にも褒め言葉がなかったようです。その伊藤博文は、後年松陰を回想して『お前には周旋(政治)の才能がある』と、何か大発見したような情熱で褒められたことが記憶に残っていると語っています。

 当時、政治思考のまったくなかった伊藤博文が政治という仕事を学ぶようになったのは、松陰のほめる情熱にあったのかもしれありません。

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◇no15 いい結果が出たら、その場で褒め言葉を与えよ

 アメリカのある工場での作業実験です。AとBと二つのグループに分けて、作業の進度を測ったのです。Aのグループは、一日の中で細かい一つの作業が終わるごとに、『できた』『できない』を確認し、その確認を終えてから作業を続行したのです。

 一方、Bのグループは、一日の作業を終えてから、『できた』『できない』を確認しました。 作業の結果は、小刻みに仕事を確認していったAのグループの進度がBのグループよりもはるかに良かったといいます。

 この実験結果から、一つの作業や仕事をするとき、何の評価もなく続けると、作業能率が落ち、学習力も低下することがわかったのです。逆に言えば、作業の仕事の細かい一区切りがつくだび即座に評価を与えると、作業能力や学習力が上がるということです。これを、"即時確認"といいます。

 もちろん、これは部下に仕事を教えるときも応用できます。上司としては、部下のちょっとした成功を見ても、忙しさにまぎれて『当たり前』で終わらせがちです。これでは、部下に感情的な起伏が少なくなり、五無主義の社員になってしまいます。

 部下は成功のたび、すぐに褒められれば、『成功= ほめられる」の結びつきが強くなり、、さらに学習意欲が高まるはずです。

 最近、プロ野球などで、大試合のたびに十万円単位の報奨金がオーナーから出されると聞くが、これも"即時確認"の効果を狙ったものでしょう。金額的には、年何千万円の収入がある選手にとって取るに足らないものといえます。

 それでも異常にハッスルするのは、自分の功績が即座にお金という最も現実的な褒美に表れるからではないか。一般のビジネスマンの場合、お金を"即時確認"の方法に使うことは無理ですが、それに変わる方法が、"褒め言葉"を使うことです。誉められると自体が部下に仕事を教えていくために優れた方法であるが、さらに教える効果を高めるにはタイミングを見計らうことで、部下の喜びを大きくすることができます。

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◇no16 教えることを強化するには、直接誉めるよりも第三者を通して誉めよ。

 大相撲の鳴門親方は、現役時代の横綱・隆ノ里の名でも有名です。親方は、若いころ、元横綱・双葉山の時津風の下で教えられていましたが、時津風は何も言わない人であったらしいです。

 鳴門親方は、幕下時代に糖尿病で入院したことがあったそうです。そのある日のことです。担当医から『きみは将来、三役になる力士だそうだから』といわれたらしいです。鳴門親方は、『ハハーン、時津風親方はそんな風に思っていて、医者に話しているんだな』と気づき、感激し、退院後、さらに稽古に励んだそうです。

 もし時津親方が、この言葉を面と向かって言っていたら、単なる見舞いの励ましとしか受け取られなかったかもしれないでしょう。言い足りないようだからと、くどくど続けていたら、慰め、おだてぐらいにしかとられなかったかもしれありません。しかし、この場合、医師と言う第三者を通したことで、励ましの言葉を"うそのない情報""本音"と、若き日の鳴門親方は受け取って感激したのです。後日、この第三者を利用した褒めかたに気づいたなると親方は、弟子をほめる時は、お上さんや兄弟子を介して伝えるようにしているといいます。

 実際、鳴門親方に限らず、スポーツ指導者の多くは、ほめる時は第三者を介して信憑性を高める方法を無意識のうちに使っているようです。

 もっと身近には親が子供を勉強させる時も、これと似た方法が使われます。私の友人などは、夜、娘が茶の間の横を通る時刻となると、決まって娘の勉強の話を妻とすることにしているらしいです。知らない振りして、娘は両親の言葉を真に受け、『よし、やってみよう』と思い、勉強に励み始めたという話です。

 もちろん、部下の仕事を評価してやるときも、この手を使わない手はありません。部下直属の上司に一言言わせても言いし、部下の妻に向かって部下のことをほめるのいいでしょう。妻は、部下の感情に訴えて、学ぼうという気持をもたせることです。

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◇no17 ほめる時は、漠然と誉めず、具体的に指摘せよ。

 私の友人の娘さんは、ギターをやっていました。友人の家は、部屋がいくつもある豪邸ではありませんから、彼はしょっちゅう聴かされていたわけです。ある日も娘さんが引き始めたので、『いいな』とほめたのです。お世辞ともいえないほど軽い気持ちで、何気なくです。

 ところが娘さんは、『どこがいいのよ!かんたんに誉めないでよ!』と、急にふくれてしまい、ギターを片付け始めたのです。その娘さんは、しばらく練習をしなくなったといいます。

 見当違いでも友人が本気で誉めたのであったら、照れこそすれ怒りはしなかったでしょう。あるいは進歩させようという意図で意識的に誉めたのであったら、娘さんがふくれたとき『○○の点がいいと思ったからほめたんです。もっと自分に自信を持て』と、いえたでしょう。しかし、この友人は深い意味もなく、誉め言葉を安売りしたため、かえって娘さんの意欲をそぐことになったのです。

 このことは、部下をほめるときにも同じです。なぜなら、第一に、誉め言葉があまりに漠然としていると、すべてがいいと受け取られ、天狗になってしまうか、不安感を大きくしてしまいやすいです。『いいょ』『やったじゃない』だけでは、こちらが変形されて伝わってしまう恐れがあるからです。より具体的に『ここが良かった』と指摘すれば、誤解されずに『やった』という喜びを感じさせることができます。

 第二に、誉めること自体は的を射ていても、あまりに軽く誉めてばかりいると、誉められることに慣れ、感激が薄れてしまいます。つまり一種の心理的"耐性"ができてしまうのです。
 狼が来たといい続けていた少年は、本当に狼が来たときは『またか』と相手にされなかったのです。と、言うイソップの寓話があります。それと同じように、本人が、たいしたことではないと思っていることを誉めてばかりいると、感激が薄れ、本当に誉めてやりたいときに手段がなくなるわけです。

 ある雑誌で進学塾のベテラン指導者が『安っぽく誉めるな』とかたっていたのです。『たいした成果もないのに誉めてばかりいては、子供に軽く見られてしまいます』というのです。そして、今までできなかったことができたら、そのときこそ心から褒めちぎってあげるといいます。

 在日年数の長い外国人に「日本語が上手ですね」とばかり言っていると、「バカにしている』とそっぽを向かれるという話しをよく効く。それと同じことが、部下をほめるときにもいえます。その人にあったほめ方をするということは、それだけ、本人をよく観察して具体的に誉めるということでもあります。下手に誉めては、軽蔑され、ますます部下を無表情にしてしまうだけです。

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◇no18 新人のうちは"プロセスを誉め"慣れてきたら"結果"を誉めよ。

 数年前に大学を卒業した教え子が、先日ひょっこり訪ねてきたのです。ある車販売会社に就職した青年なのですが、『会社とは"聞く"と"見る"では大違いですね』と、言います。わけをたずねると、次のようなことでした。

 彼はさぞ"ノルマ漬け"だろうと覚悟して入社したのに、最初のころ、上司からは、まったくといってよいほど、成果を聞かれなかったといいます。報告時の質問は、もっぱら『客と何を話したか?』とか、『客はどんな表情だったか?』のたぐいだったらしいです。時には一台も売れなかったのに、『そんなふうに攻めたのか』と大声で笑いながら、『それはいいやり方だ』と、誉めさえしたといいます。横を見ると、三年以上の先輩は、厳しく成果を問われているのにです。

 私は、『なるほど』と思い、『君の会社は教え方が上手です。今に君もわかるよ』といっておきました。それからまたしばらく歳月が流れて、当人がやってきていうには、『また会社でお客様扱いなのかな、といぶかりながらも、セールス話法を誉められて悪い気はせず、努力しつづけてきたら、去年ゴロから成果も問われるようになりました。それでピンときましたね。セールスマンとして子どものレベルのものには、努力の度合いなど"プロセス"に注意し、大人のレベルに達した者には、"結果"を観察していたのでしょう』

 部下の仕事を評価するときには、能力に合わせることです。達成度の高い部下に対し、低いレベルのことで誉めても、感激が薄れるだけです。一方、達成度の低いレベルの部下に、高いレベルを要求しても、それはむりなはなしでしょう。仕事を教えるときには、達成水準と要求水準を合致させることが大切なのです。

 もちろん企業の最終目標は、"利益"ですから、最終的には結果が評価されます。そうしなければ"プロ"としての自覚を持たせることはできません。あるプロ野球監督は、常々『”情"が三分に"理"が七分の比率が妥当』と語っていたといいます。これは、プロは結果がすべてですから、あまり個々の選手の努力度など人間性や立場は考慮しない。という意味だと考えられます。

 たしかにこのとおりであり、新人を教育するときは、なるべく早くプロにすることが最終目標となります。そして早くプロにするためにこそ、セミプロのうちは"プロセス"など仕事への前向きな姿勢を褒めることです。仕事の楽しさ、喜びを覚え、一刻も早く、プロとなるための知識を身につけさせるのです。プロ以前のレベルのときに結果だけに注目していたら、まぐれで成功したときも誉めなければならなくなり、本人は錯覚し、本当のプロになる努力を怠ってしまうことになりかねません。

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◇no19 小さなことでも良いから、部下との共通点を探し、強調しろ。

 インタビューを職業としている人は、あらかじめ相手のことを調べるのが常識だそうです。 それによって、話のきっかけを作ることが多いです。優秀なインタビュアーになればなるほど、その辺のコツを心得ています。あるとき、私は初対面のライター氏にインタビュをうけたのです。『実は、多胡さんと私は血がつながっているらしいんですよ』

 開口一番、こういわれて、私はびっくりしました。そのライター氏は、どこまで調べたのか、わが多胡家の家系を調べてきたのです。それによると、五、六代前で両家の接点が発見されるといいます。

 もちろん、彼が本気で『血がつながっている』といっているのではないことくらい、私にもわかっています。が、少なくとも、家系を調べた彼の努力に敬意を表したい気分になったのです。同時に初対面の相手にある親近感をもったのもたしかです。

 日本人は島国根性とでも言うのか、欧米人に比べて、身内でない者(アウト・グループ)に対しては、かんたんに胸襟を開かありません。その代わり、いったん身内の者(イン・グループ)とわかると、初対面の相手に対しても心を許すことがあります。

 また、身内同士で結束して、アウト・グループに対応することも珍しくありません。ヤクザはその典型です。
 ですから、上司が部下に"イン・グループ"意識を持たせることができれば、自然に教えられる雰囲気も生まれてきます。そのためには、先ライター氏が家計の話を持ち出したように、部下との共通項を見つけて、それを強調するようにすれば、いいのです。

 心理学では、相手の心と自分の心にベルトをつけることを『ラポール付け』とよんでいます。『ラポール』はフランス語の rapport で、『交わり』『つながり』などの意味があります。部下との共通項は多ければ多いほど、近ければ近いほど、また、狭ければ狭いほど有効で、イン・グループの結束も強まるが、あまり、むずかしく考える必要はありません。出身県、出身校、血液型、生まれ月(星座)、性格を当たれば、二つや三つの共通項は必ず見つかるはずです。

 たとえば、出身県の場合、上司が部下と同じ県の出身でなくても、一向に構わありません。部下の出身地の近くにあるスキー場に行ったことがあれば、それを話題にするだけで、十分に共通項のやくめをはたしてくれます。食通の上司なら、部下の出身地の名産品について話をしてもいいです。

 ただし、出身校によるイン・グループ形成はかえって、他の部下の反発を買ってしまうようです。たとえば東大出の上司が、東大出の部下と学生時代の思い出を語り合ったとすれば、東大出以外の部下は、アウト・グループ扱いされたような気分になるから、注意も必要です。

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◇no20 ときには「うちにはうちのやり方がある』で押し通せ。

 知識をもとにして相手に話すことが"教えること"とはいえないように、論理的に正しいことを伝えることが"物事を教えたことにならないことがあります。

 話しをするだけでは相手に"聞かせた"ことにならないのと同じことで、あまり論理や世間の理屈にこだわると部下のいいわけや反発を助長することになるから、先輩や上司は、ときに理屈にあわなくても『うちの課は、うちの課だ』『この部にはこの部のやり方がある』と、強引に押し切ることが必要です。

 むかしプロ野球のある名審判は、野球ルールを立てて執拗な抗議をしてくる相手に「オレがルールブックだ!」という名言を吐いて断固として相手を退けたことがあります。

 ビジネスには様々なケースが考えられますが、ここではわかりやすく家庭の教育問題をあげよう。高校生の息子が、通学のためにオートバイに乗りたいといってくることはよくあるはなしですが、大人の判断では危険でもあるし、諸般の事情を含めて好ましいことではありません。こんな場合は父親は断固として『うちではまだオートバイは許可しない』というのがもっとも明快な回答になります。
 ところが、これを論理的に納得させようとすると、息子から『法律では十六歳以上はオートバイの許可証が取れるではないか』などと必ず反撃されるようです。

 教える立場の者が論理だけで説得しようとしても、いつも論理が完璧であるわけでありません。ところが、教わる側がおかしいと思ったら必ずその論理の穴を見つけて鬼の首でもとったように反論します。たとえへ理屈を並べてても、論理と論理なら平等ですから、そこに布陣して対抗しようとしてくるのです。ここで、うっかり論理的な破綻を認めたりすると相手はさらに無意識に付け上がってきます。

 実は、論理とか理屈というものは、全能ではないのだと後からいっても、そうなってからでは手遅れというものです。『隣の課ではこんなときにはこうしたと聞いています』『○○部の部長はこういってたのを聞いたことがある』などと、相手はトラックに積むほどあらゆるるる理屈を見つけて自説にこだわりだしかねません。そうなっては収拾がつかなくなります。

 大相撲の井筒親方は、実子でもある逆鉾などが「よその××部屋ではこれだ』などというときには『うちはうちです。気に入らなければ××部屋に行け』と押し切るそうです。『私はどこまで行っても私でしかないから、自分の信じた道を歩くしかない』と書いています。

 家庭での父親は、信念がある限り少々頑固なほうが子どもたちにとっては説得力のある存在になるのと同じで、ビジネスの現場では少々頑固であっても自分なりの筋を通す上司や先輩のほうが部下の信頼の対象になります。


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