アスタルテ--Astarte--について


アスタルテの原型イナンナ

 アスタルテの原型は、新石器時代から西アジア一帯で崇拝されていた愛と出産と豊穣の女神とされています。これがメソポタミアの中でシュメール文明が発祥すると「イナンナ」という名前になってきます。イナンナとは「天の女王」を意味するそうです。これが各地に伝わり、バビロンなどアッカド語ではイシュタル、フェニキア語ではアシュタルツ(アスタルテ)、聖書ではアシュトレトなどと変化します。またビュブロスでは「バラアト」と呼ばれ、これは同地方では「主」を表すバアル(後記)に対して、「淑女」を表す言葉となっています。また、先のギリシアではアフロディーテ(もしくはアテナ)となっていて、最初に出てきたキプロス島にはその神殿があります。アフロディーテはラテン語では「ミネルヴァ」となり、戦争と知恵、紡績の女神とされました。また、アラブ人にとっては「アスタルテ」の原型は「Athtar(アタール)」、セム族あたりでも「Attar-Samayin」と呼ばれて、これらは明けの明星を指すそうです。

メソポタミアの神々

 さて、イナンナが登場するまでの神の流れを書いてみましょう。メソポタミアの文明シュメールには、天の神アン、大気の神エンリル、水の神エンキ、大地の女神ニンフルサグの4柱が居ました。紀元前4000年頃までは天の神アンが最高神として治めていましたが、都市ウルクの衰退とともに「お払い箱」になってしまい、代わってエンリルが権力をもつようになります。ここでは省略しますが、エンリルも少女強姦のために失脚させられ、水の神エンキが権力を持つようになります。

 そんななか、生活をうまく治めるため「メー」という概念ができてきます。これは宇宙や世界、都市、さらには音楽や職業などあらゆる現象を説明したものです。例えば宇宙は創造された後はすべての部分において絶対永遠である、といった具合です。これによって人々はあらゆる生活を「神によってもたらされた自然現象」と理解し、安心して生活することができたのです。このたくさんある「メー」ごとにエンリルやエンキは神をつかわすことになります。こういった「天地の営みに説明をつけて」「安心感を得る」という神の「必要性」は、このへんが原点のようですね

 エンキは世界の様々な土地に繁栄をあたえ、川に清い水を流し、大地には様々な種をまいた。そしてそれらを監督するようにいろいろなメーを定めてそれぞれに神々を遣わせました。このように賢い神であり、この時代の都市エリドゥは栄えるのですが、やっぱり失脚させられてしまいます。

 ここでその原因として登場するのが、エンキの娘「イナンナ」です。

イナンナの野望

 このイナンナちゃん、実はとんでもない野望の持ち主で、都市ウルクを全世界の中心都市にしようと目論見ます。しかしそのためには、父エンキからなんとかしてでも「聖なるメー」を奪い取らなければなりません。彼女は従者をつれてエンキの神殿を訪れます。エンキにしてみれば最愛の娘であるイナンナが訪ねてきてくれたわけですから祝宴を開くことになり、様々なご馳走や酒を並べるのですが、この時点ですでにイナンナの罠にまんまと引っかかっています。イナンナはエンキに酒をどんどんすすめて、「おねだり」を始めたのです。おねだりしたのはもちろん様々な「メー」。いい気分に酔っ払ったエンキは、イナンナに「メー」をどんどん与えてしまいます(神さまもただの酔っ払いおやぢですね^^;)。

 次の朝、酔いからさめたエンキは「しまった!」とコトの重大さに気がつき、あわててイナンナからメーをとり返そうとするのですが、あっさり追い返されてしまいます。イナンナはまんまと都市ウルクにメーをもたらすことに成功したのです(その割には後でウルクは滅びてしまうのですが)。

 さてイナンナは都市ウルクの支配者ドゥムジと結婚します(これがモチーフとなりこの後もメソポタミア各地では支配者は「イナンナとの結婚」を模した儀式をするようになる)。ドゥムジよりイナンナの方が格は上で、しかも野望に満ちた女性だったから、ドゥムジは散々なメにあったようです。イナンナはたとえて言えばキャンディ・キャンディにおけるイライザみたいな女の子でしょうか?(違うって?)

 イナンナの野望はエスカレートし、ついに冥界までも支配しようと企んで冥界に下りて行きます。が、悪いことはできないもので、そこで冥界の女王でイナンナの姉でもあるエレシュキガルの怒りを買って殺されてしまいます。ついに天罰が!…って神様だから天罰は無いか。イナンナちゃん大ピンチ!なのですがイナンナの従僕から連絡をうけてイナンナの父エンキ登場!さきほどイナンナのワナにはめられ失脚させられた父エンキですが、イナンナに生命の水をふりかけて生き返らせてくれるのだ!さすがは父!これでイナンナちゃん改心…かと思うと、そうでもなかったようです(^^;;

 実は冥界のメーによると、冥界に入ったものは出られないとの規則。なんとか出ることは許されたものの、悪魔を付き人にされて、身代わりを探すことになります。身代わりを探して各地を転々としましたがなかなか適任者が見つかりません。イナンナちゃんはタカピーでしたから、そんじょそこいらの都市の王やなんかでは、自分の身代わりとしてふさわしくないと思ったようです。最後にウルクに戻ってみると…夫のドゥムジがちゃっかり玉座に座っています。まあドゥムジからしてみれば、うるさい妻が死んで、しかもその権力は自分に相続されたわけですから、やりたい放題だったのでしょう。それを見たイナンナは「大激怒〜!!((c)大馬神)」で、付き人の悪魔に「身代わりはこいつや!」ということで、哀れドゥムジが身代わりとして冥界に連れて行かれてしまうのです。

イナンナとリリス

 ミュージカルでアスタルテを操ろうとしたリリス。実はちょっとヘンなエピソードでアスタルテ(イナンナ)と関係します。

 イナンナはある日、河原で「フルップの木」をみつけます。大事に育てて自分の玉座をつくる材料にしようと思い、家に持ち帰ってたいせつに育てます。ところがいつまでたっても、成長こそするものの葉がつかず、丸坊主のままです。変だな?と思って、よく見てみると、根元の部分には蛇がまきつき、てっぺんには不吉の鳥イムドゥグドが住みついていて、さらに幹の途中には荒廃の乙女、リリスが住みついていたのです。イナンナちゃん驚いて助けを求めます。

 この助けに応じたのが、シュメールの英雄「ギルガメシュ」だったのです。ギルガメシュはこいつらを追っ払い、フルップの木を加工して玉座をこしらえて、イナンナにプレゼントしたとのことです。まあライオンを手玉に取る怪力ギルガメシュも、美少女には弱かったのですね。

フェニキアのアスタルテ

 イナンナはカナン人(シリア付近の民族)を経由してフェニキア人に伝わります。後にやってきたギリシア人の間ではアフロディテ神とされ、キプロス島南岸の海の泡から生まれたと信じられていました。

 フェニキア人の間での絶対神は「エル」という名で、その名は「神」そのものという意味で「創造者の創造者」とも呼ばれあまり信仰の対象として表面には出てこないということです。そのかわりに嵐の神「バアル」(男神)が強さや精力を現すということで、信仰の中心となっていました。このバアルの配偶者として存在したのが、アスタルテです。エルにも配偶者は居ますが、実質上の女神のとりまとめはアスタルテが担当しています。まあ日本の総理大臣の奥さん、みたいなものでしょうか。

 アスタルテは基本的には豊穣を表す女神ですが、愛と戦いも司り、さらには万物を創造しそれを維持し、最期には破壊するという一連の自然現象、人間の活動をもたらすものとされました。実は夫のバアルも雨や生命をもたらし、時には死んで地中に身を隠し、妹の「アナト」が救出にきてバアルが復活すると大地に息吹が蘇るという構図があるので、バアルとアスタルテの両者で世の流れをコントロールしていたのかもしれません。

 アスタルテはなにも「破壊」して終わり、ではなく、それによる死者の魂を天界に導き見守る役割もあります。ここでは死者は光る服を身につけているために星となって見えます。その星々を夜空の中心で見守りもしくは見守られる役目はやはりアスタルテです。これはもちろん、「地球の月」のことなのです。このような大きな存在ですから、アスタルテは別名「星の女王」とも呼ばれたようです。

 つまり「星の女王」であるアスタルテは、すべての命を創造した「母」であり、その子供たちが死んだ後も、夜空でそれを見守っている(もしくは見守られている)というわけですね。

人身供犠

 当時のフェニキア人の間では神を祭る儀式には人身供犠、つまり人間による「生贄」が必要とされました。紀元前数百年頃の話ですが、この頃になると世界の他の民族ではさすがに人身供犠は撤廃する動きがあったのですが、フェニキアでは続けられていたのです。特に記録の残る西フェニキア人によると人身供犠には幼児が最適とされました。ところがやはり自分の子供を生贄に捧げるのは耐えられないもので、隠れて動物を使ったりしたこともあったようです。戦争に大敗北した時にその原因を調査したところ、政府高官たちが儀式に動物を使っていたことが発覚し、責任をとらされて政府関係者の子供達500人が犠牲に供されたとの記録が残されています。

 人身供犠の儀式ではまず司祭が幼児をなだめ、静かになったところで喉をかき切ります。次に幼児を神の像の腕に抱かせると、あらかじめ準備した機械的な仕掛けで腕が可動し、燃え盛る火の中に幼児を墜落させる、というものだったようです。機械的なしかけなど知らぬ一般庶民にとっては、神が手をくだしたと見えたことでしょう。この「機械的な仕掛け」はフェニキア人の遺跡から様々なものが発掘されています。これらは神官が庶民に「神の到来」を見せつけるのに利用され、それによってかなりの収益をあげていたようです。なんともインチキなひどい話ではありますが。

エジプトにおけるアスタルテ

 「フェニキアについて」で書きましたように、フェニキアでは物理的な記録が残っていないためにフェニキアにおけるアスタルテの役割については実際のところよくわかっていません。このため各地に伝来したアスタルテ神の記述に頼るしか無いのですが、よく記録が残っているのがエジプトです。

 エジプトには第18代王朝時代に伝来し、アースティルティトと発音されます。潮にのまれそうになったアスタルテをエジプトの神々が救出したそうです。万物を創る神も、水泳は苦手だったのですね。なんとも頼りない話ですが、それ以降、アスタルテはプタハ神(もしくはラア神)の娘として、メンフィスに身を置くこととなります。メンフィスに身を置いたアスタルテは王を守る座につき、セト神(フェニキアのバアルと同一視)と結合し受胎します。

 ところがセトと敵対していたホルス神が、セトの妻であるアスタルテの膝を永久に閉じてしまったため、永久に受胎したまま、子を産むことができない身体になってしまいます。

 エジプトでは神はなにがしかの元素を担当していますが、アスタルテは「火」と「水」です。また王を守り、戦争を行う女神とされます。馬をあやつることで女騎士として王の戦車を導くものとされ、武器を持ち、戦車を操る勇ましい姿で表現されています。表現方法としてはこのほかにも、太陽円盤を載せていたり、ライオンの頭をしていたり(セメフト神と同一視)、冠をかぶっていたりと様々のようです。

その後のアスタルテ

 このように実質上の「女神の最上位」として存在したアスタルテですが、その本拠地シリアではギリシア帝国の地中海制覇とともに次第にギリシア系の宗教と混同され、都市そのものも破壊されて、よくわからなくなってしまいます。さらに致命的なことに、ヘブライ人によって夫のバアル共々、ことごとく嫌われます。当時のヘブライの預言者たちの言葉と、バアル/アスタルテ信仰の内容がことごとく反していたからです。聖書が執筆される時代になると、聖書の中では唯一神しか認めないために、バアルもアスタルテもことごとく嫌われた記述がなされてきます。 聖書での「アシュトレト」という表記は、「アスタルテ」に「恥」というコトバをかけあわせたものだそうです。運悪く、信仰が継承されていた地でキリスト教が発祥してしまったから、バッティングしてしまったのでしょう。このあたり、シリア・レバノンという同じ地区で誕生したイスラム教の場合、聖書でもそこは上手くつじつまを合わせていますが、フェニキア信仰の場合は絶対的な神が登場するために、聖書では本当の神と敵対する関係とされてしまったと思われます。

 …そして時は流れて西暦2000年。フェニキア人を祖先に持つ日本人高校生のもとに覚醒したとの記録が残されています(おいおい)。


<参考文献>

タイムライフブックス「ライフ人類100万年 海のフェニキア人」

タイムライフブックス「ライフ人類100万年 メソポタミア」

河出書房新社「図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を訪ねて」

河出書房新社「図説:エジプトの神々事典」

日本実業出版社「早わかり聖書」

日本文芸社「古代史新聞」

日本放送協会出版「古代エジプトの神々」


戻る