大峰山奥駆 北部   平成22年5月2日〜8日       TOP  BACK  大峰奥駆 南部 平成22年9月23日


コースタイム
5月2日 
大阪阿部野橋5;28=吉野駅8:10〜10:05金峯神社10:15〜四寸岩山12;40〜14;00二蔵宿小屋14;15〜16:05五番関
5月3日
五番関5;30〜8;10山上ヶ岳8;25〜9:10小笹ノ宿9;20〜大普賢岳11;55〜15;50行者還小屋
5月4日
行者還小屋5;20〜9;35弥山9:55〜八経ヶ岳10;50〜14;00楊子ノ宿小屋
5月5日
楊子ノ宿小屋5;30〜鳥ノ水6;55〜8;40釈迦ヶ岳9;20〜太古ノ辻10;30〜小仲坊11;55〜14;50前鬼バス停〜18;30池原
5月8日
十津川温泉7;30=玉置神社駐車場8:05〜玉置神社8;20〜大森山9;50〜金剛多和11;030〜13;40七越峰13;55〜熊野川川原14;40〜大斎原15;05〜新宮大社16;46=17;50新宮

 

金峯山寺
立派なお堂
 今年のゴールデンウイークは工夫をすると8日間の連休が取れ、天候もよさそうです。思い切って大峰山奥駆に挑んでみた。結果は思いのほかタフなコースと暑さに思い通りには行かなかった。変則的な奥駆けになってしまったが満足度は大きく装備食料で勉強になることが多かった。
前夜、土曜日の仕事の終了を待って新幹線で大阪へ行き、天王寺の動物園前の安ホテルに泊まる。もうお馴染みとなったが独特の雰囲気がある。安い宿が立ち並ぶなか予約を入れたのが2日前で少し遅かったため、ホテル中央(2700円)に宿泊した。この付近では高めです。

5月2日

翌朝、天王寺駅前の吉野家で朝食をとり5;28の電車に乗った。古市に着くとホームの使用不可で吉野へ予定の乗り継ぎ電車がありません。5〜6人が乗り換えのため下りたが適切なアナウンスがなくうろうろした。橿原神宮まで進み、乗り換えて吉野に出た。30分の遅れで吉野駅を出発する。桜のときはにぎやかだろう駅前も静かなものです。二人の登山者はタクシーで出て行った。電車で一緒だった大峰山の戸開式に行く二人より一足先に歩き出す。歩き出してすぐ、ケーブルのおばさんの呼び込みに、つい乗ってしまった。まだ開店前の静かな狭い通りをゆくと金峯山寺に前のお店が開いていたので草餅を一つ買い頬張りながら歩く。水分神社の休憩中の行者さんにここの水はおいしいと言われ、湧き水をペットボトルに補給した。行者さんも戸開式に行くそうです。家並みが途切れると金峯神社に到着する。水を補給しようとトイレに行くと「この水は飲めません」でした。さっき汲んでおけばよかったと後悔する。仕方なく義経隠れ塔の前でお清めの水を補給した。
 
金峯神社
義経隠れ塔
 
大天井ヶ岳の巻き道
今回の奥駆道中の最大の流れ
ここから山道に入る。青根ヶ峰 を過ぎ林道に出ると3人が先行しているのが見えた。淡い緑で山肌を覆うなか、ピンク色は吉野の山桜の名残かと眺める。再び山道に入って少し登ると新茶屋分岐となって、さらに登って四寸岩山の山頂に着く。先行していた3人が休憩中だった。一部開けて展望がよく休憩、食事にはよいところです。足摺ノ茶屋跡にはこぎれいな小屋があり、小屋の屋根の下を通り抜ける。車道に出て再び山道に入ってだらだらと登り二蔵宿小屋に着いた。小屋の広場はテン場にもよい。一本の山桜が咲いていた。今晩泊まる人が2名ベンチで休んでいた。水は左のほうに7分ほど行くと取れるそうだ。水を補給したいが大天井ヶ岳を巻いてゆく途中で取れると、水分神社で会った行者さんに聞いていたのでそのまま進むと、水の豊富な小沢に到着した。顔を洗い、水の補給をした。その先もう一箇所小沢でも水が流れていた。
1日目のテン場の五番関に着いた。女人結界の門が立つ小広場で焚き火の跡もある。テント設営をして早速焚き火をしながら夕食の準備をしいると、電車で一緒だった戸開式に行く2人が白装束の行者姿でやってきた。吉野駅で着替えたらしい。しばらく話し込んでから登っていった。今晩の主食はアルファー米のお強とトン汁。夜中、結界門のところでほら貝を吹いたり、読経する人がいて何回か目を覚ました。山上ヶ岳のほら貝は一晩中鳴り響いていた。
偶然に年に1度の戸開式の夜に当たったのが良かったのか、悪かったのか
 
五番関
焚き火が出来た
 
正装の山伏
5月3日
テントを撤収していると戸開式が終わって下りきた行者さんが結界門で読経をして洞川に下りて行った。朝食はサッポロ一番塩ラーメン。杉林が自然林に変わり気持ちのよい尾根になった。時々、山伏姿の人が下ってくる。装束もいろいろで立派な人もいる。記念に1枚写真を撮らせてもらう。
本職の山伏ではなく戸開けのお祭りにそれぞれの衣装で参加して楽しんでいるようだ。洞辻茶屋に来ると一気ににぎやかになった。茶屋ではビール、コーヒー、うどん、ゆで卵など買える、大勢が休憩をしたり、通り抜けたりして行く。講の人も多い。その先、2個の茶屋を通り抜けると道は奥駆道と新道に分かれる。携帯電話が通じると書かれていたので電源を入れてみると3本立った。女人結界と古きしきたりを謳う地にも、新しき文化は入り込んでいるのだ。
新道の長い階段を登って、まず、西の覗岩によって、本堂の立つ広場に着く。、戸開け式で大勢の人が居ると思ったら、意外とひっそりとしていた。大きな本堂にも寺の関係者が3人ばかりだった。護摩焚きの残り火がくすぶって戸開式の名残りを感じる。大普賢岳を眺めて柏木方面への道を下る。ここからは一人旅となる。
 
 
大峯山戸開式
護摩焚きの残り火
 
大普賢岳
暑いよー
 大台ケ原の雰囲気に似た原生林の尾根道になり、小笹ノ宿に着いた。小屋は小さいがテン場は豊富で小川が流れているのが何よりありがたい。水の補給と休憩をする。阿弥陀ヶ森付近は原生林が茂る山深い雰囲気になる。小普賢岳から登り返すと大普賢岳に着く。大勢の登山者で山頂はいっぱいだった。和佐又からの人が多いようです。山上ヶ岳を振り返り山頂を後にして急下降になる。まだ芽吹き前の裸木に笹の林床が広がる。水太覗で天ヶ瀬の谷と和佐又山を覗きこむ。鎖場を通過、稚児泊はテン場によい広場がある。七曜岳を通過、行者還岳分岐でピークにピストンするか思案するが暑さでばてたのでパスをした。
行者還小屋の手前で2本のホースから水が出ていたので顔を洗い、2L補給して小屋に着く。小屋には先ほどの水場からホースで水が引き込まれていた。丸太作りのきれいな小屋で屋根裏も使えるので15人は泊まれる。この日は10人が泊まった。暖かくスリーシーズンシュラフだけで十分だった。
 
水完備の
行者還小屋
 
ブナ林にコバイケイソウ
 5月4日
昨夜、というか早朝というか3時に出発するという学生3名が1時半から起きだしてパッキングをし始める。寝ている人の迷惑は考えず遠慮なく大きな音を立てるので寝られなかった。寝具だけ片付け、外でパッキングをすることを知らないのか。3時まで付き合わされてしまった。隣の部屋で寝ていた人が文句を言ったのは3時ころだった。2階の人は夜も遅くまで、ごそごそと話をされ完全に寝不足で出発した。
天川辻を過ぎるとブナ林と笹の尾根道で気持ちよい。林床にコバイケイソウ目立つようになって行者還トンネル西口への分岐を過ぎると避難小屋に着く。トタンのあばら家で床もないが風をしのぐことは出来る。ここで遅めの朝食を食べる。
一ノ峠で小谷林道への道を分ける。その先奥駆道出会でトンネル西口からの道が合流すると人の往来が多くなる。聖宝ノ宿から1時間ほど登ると弥山に着いた。きれいなトイレがあったので100円を箱に入れ使わせてもらった。大きな小屋だがアルプスの小屋のように人が出入りがなくオープンしてるのかさえ分からない、無人のような感じだ、ここで水を分けてもらう予定なので事務所で呼び鈴を押してみた。ようやく人が出てきて2L、200円で分けてもらえた。ベンチで食事をして、弥山山頂に行ってたが神社が建っているだけで、山頂標識はなかった。

 
弥山
すぐ奥が山頂
 
八経ヶ岳(八剣山)
百名山、人が多い
 八経ヶ岳には階段道だ、日差しが強くとにかく暑い、寝不足もたたり足が重い。八経ヶ岳(八剣山)、大峯近畿最高峰の標識で写真を撮って山頂は人が多いので少し下った斜面で寝転んで休憩をした。明星ヶ岳を巻き、沢の崩壊の激しいところを通過して舟ノ峠のコバイケイソウが群生する雰囲気の良さうなところだったので休憩をしたが蒸し暑くすぐに退散した。本日の予定は深仙小屋だが暑さと寝不足でバテた。楊子ノ宿小屋に泊まることにした。
水場は5分ほど行くと水場がありパイプで流れていた。小屋もきれいで2階にも泊まれる。最初3人だったが遅くなって本宮大社からのドイツの若者が単独でやってきた。世界遺産の効用だろうか外国人を見かけることが多かった。
小屋前で焚き火をしながら過ごす。さらに6時過ぎにもう一人来てテントを張った。
 
楊子ノ宿小屋の水場
 
鳥ノ水
水は細い
 5月5日
夕べは熟睡できたため爽快な朝を迎えた。昨日より快調な足取りだ、鳥ノ水は水取りの予定地だ。枯れているように見えたがよく見ると草むらにパイプが挿入され水流は細いが十分に取れてほっとする。今日も暑くなりそうで水の不足は致命傷になるので多めに確保した。ツガの原生林、笹の原、立ち枯れの尾根と変化があり退屈しない。奇岩が立ち並ぶ風景がまたよい
立ち枯れや巨木が倒れ、累々とするまるで木の墓場のような尾根の向こうにはピラミダルな釈迦ヶ岳が聳えている。信仰、修行の言葉がぴったりする風景だ。岩稜を這い上がると大きな釈迦如来の像が立つ山頂に出た。
旭橋からきた2人と池原から入って持経ノ宿に泊まって登ってきた学生2人がやってきた。弥山から今まで歩いた山並みを見渡しながら40分ほど山頂で過ごした。
 
立ち枯れ、倒木の先に
釈迦ヶ岳
 
釈迦ヶ岳山頂の
釈迦の像
 旭橋への分岐を過ぎると笹が一面に敷き詰められたきれいな道を下るり、赤いお堂が見えてきてた。深仙ノ宿かと下りてみると、お堂は潅頂堂という参篭所でした。隣のトタン屋根の小屋が深仙ノ宿でした。今までの2泊の小屋に比べるとみすぼらしい物です。小広場の鞍部は四天岩の景観もよくロケーションはすばらしいところです。水が取れるか確認しませんでした。登り返して、大日岳の修行場を巻いて下ると、ミツバツツジとコブシの花が咲いていた。ひと下りで太古ノ辻に降り立った。
これより南奥駆道の標識が立っている。持経ノ宿まで行く予定だったが暑さで体力が心配だし、天気も思わしくないと聞いていたので前鬼に下りることにした。南奥駆は次回の楽しみにとすることにし、新宮に出て熊野大社にお参りすることにした。
前鬼へはよく整備された登山道を下り、二つ岩を過ぎると谷筋の道になってやや急下降する。ゴーロの枯沢を2〜3回横切る。小仲坊に着き、缶ビール1個を買う。ご主人と奥さんと出てきてくれしばらく話をした。バス停まで2時間半〜3時間かかると教えてもらって歩き出した。このとき、バス時間を1時間間違えていたのを知らずに余裕で車道をを歩いていた。途中の沢水で水浴びをしたり日陰で紅茶を飲んだりと時間調整をしながら歩いた。前鬼口バス停についてまだ50分ほど時間があると思い昼食でも作ろうとしていたら釈迦ヶ岳で逢った学生がタクシーでやってきて「ギリギリセーフ」といっているので改めてバス停の時刻表を見ると、1時間間違えていたのだ、偶然にぴったり到着したのでした。

 
これより南奥駆道
太古ノ辻
 
下北山温泉「きなりの湯」
 新宮に出るには逆方向へ行かなければならないが池原で終点となってその先は連絡がないと小仲坊のおじさんに聞いたので上市に戻って電車で新宮まで行くしかない。大回りの無駄なコースだが仕方ないと杉の湯行きに乗ったところ運転手さんが今晩池原に泊まって明日村営バスで熊野に出られると教えてもらった。土休日は運行しないが明日は月曜日で大丈夫だという。運転手さんが民宿に連絡してくれ民宿の手配もしてくれた。同じバスが引き返すのを待って民宿まで案内してもらった。親切な運転手に感謝です。コンビニの2階が民宿で至極便利だったし、きれいでした(素泊まり2500円)。歩いて8分ほどのところに下北山温泉「きなりの湯」という立派な日帰り温泉(600円)があり夕食もそこで済ませた。宿のコインランドリーで着たきりだった服も洗濯でき、体も衣服もさっぱりとなり、最高の段取りとなった。
泊り客は主に釣り人だそうで地図を見ると池原ダムのダム湖の下流で温泉もある大きな集落だった。前鬼口、小仲坊にも近いので利用価値がある。
 
池原の民宿
カーブ2階
 5月6日
民宿のすぐ裏が池原バス停で、7;30分行くと昨日の運転手さんが待っていてくれた。村営バスが複雑で心配なので教えるために来てくれたのです。十津川村の旭橋から釈迦ヶ岳を超えてきたご夫婦が居て、熊野〜新宮までご一緒させてもらった。お二人は熊野古道を何回も歩かれていてバスフリークらしく村営バスの運行も知っていました。
村営バスは中学生のスクールバス兼用で同乗させてもらい乗り継ぎ駅で降ろしてもらった。さらに北山村営バスで七色バス停まで行く、ここまで無料でした。ここで熊野市行きに乗り換えた。七色では住民のお年寄りや通勤の人が乗り、路線バスとして運賃も取られました(バス代1000円くらいだった?)。山間部の峠道を越えながら熊野市駅に着いた。
電車は50分待ちだが、5分待ちで新宮行きが来たのでバスに乗った。獅子岩、七里御浜など景色を楽しみながら新宮に着いた。思いがけずバス旅を楽しめたが料金は800円と電車の倍ぐらいだった気がする。でも、大和上市に出ていたらバス代と電車賃で1万円円くらいはかかるだろう。3分の1以下で済んだことになる。
 
速玉神社
新宮駅の観光案内所でバスの時刻表をもらって喫茶店でこれからの対策を練る。速玉神社は歩きで行かれるので早速行ってみる。世界遺産速玉神社の石碑がある立派な朱塗りの神殿がきれいだ。お参りの人も少なく静かな神社だった。
新宮駅に戻って電車で那智駅に行き、バスで熊野神宮に向かう。大門坂で下りて歩き出すと先ず、夫婦杉という巨大杉が迎えてくれた。平安衣装の女性が下りてきた。杉並木と苔むした石段に華やかな衣装が実によくマッチするのにびっくり、見とれてしまった。石畳と石段の坂道を登りるとお土産屋さんの並ぶところに出る。さらに石段を登り鳥居をくぐって那智大社にお参りした。速玉神社よりにぎやかです。引き続き、隣の青岸渡寺にお参りする。ここから朱塗りの三重塔と那智大滝の定番の景色が眺められる。那智大滝下まで行ってみるが全体が見えにくく迫力に欠けた。新宮に戻りホテル光洋に泊まった(3500円)近くのスーパーで夜と朝の買出しをする。海鮮物、刺身の種類も豊富でおいしかった。明日の作戦を立てて早めに寝た。
 
三重塔と那智大滝
 
本宮大社
中間報告をする
 5月7日
朝から天気予報どおりの雨です。今日は本宮大社にお参りして、十津川温泉まで足を伸ばす。夕べの調査で十津川温泉から上葛川口へバスがあるのを知る。これを利用すると奥賭道に戻って最終部の1日を実行することが出来る。
7;46新宮駅発の八木駅行きのバスに乗る。雨のためか1人だけでした。運転手さんに熊野本宮大社から十津川村営バスが出ているのを教えてもらった。湯の峰温泉で大きなザックを持った人が乗ってきた。聞くと奥駆を昨日満願達成して本宮大社にお参りするところだった。最後の日は上葛川口に下りて民宿の浦島に止まり、昨日は13時間かかって本宮に着き湯の峰温泉まで歩いたたそうです。充実したいい顔に素直に拍手とおめでとうの言葉をかけました。神殿が4つも並ぶ、全部に参拝してきた半分の奥駆を報告した。1時間の参詣で十津川村営バスに乗った。雨が上がるようなら最終の瀞八丁行きのバスで上葛川口に行き奥駆道に復帰するつもりだ。
 
十津川温泉
庵の湯
 十津川温泉には3箇所の公衆浴場があり、バス停に一番近い「庵の湯」に入った。川べりにあってダム湖の湖面が見渡せる露天ではないが開放感がある風呂だった。雨脚が強まり、やがては雷もなって湖面をたたく雨粒が大きくなった。時間つぶしに1時間半ほど風呂で過ごしたがその間誰も来なかった。橋を渡った先のドライブインで釜飯を食べ天気の様子を見るが今日は移動しないでここに泊まることに決めた。宿は民宿大和やさん(素泊まり4200円)、温泉掛け流し書いてあるが家庭用のポリの湯船でお粗末なものだった。足元を見られた気がする。ほかに素泊まりがないので仕方ないが共同キッチンは一部屋あるので自炊にはよい宿です。スーパーに夕食と朝食を買出しに行き、部屋に落ち着いてから明日の予定を立てる。タクシーで玉置神社に行き、新宮まで奥駆道の最後の1日分を歩くことにした。明日の天候の良くなることを願って、7時半にタクシーを予約して早々と床に就いた。

 玉置神社
再び奥駆道に戻る
5月8日
予報どおりの晴れ、約束の時間にタクシーが来てくれた。玉置神社まで35分ほど(3840円)で着く。石楠花の咲く階段を登り、神社へお参りした、ご神木の杉の大木にもお参りして歩き出す。水が得られると書いてあったが手洗い水はとめられていた。神社に頼めば分けてもらえるのだろうが宿で十分詰めてきたので補給の必要はなかった。すこし下り、最終日のテン場と計画していた林道に出た。大平多山への分岐を過ぎる。ここも小さいが平地があった。大森山、大水ノ森と2ピークを超える。2日の休養日のおかげで快調な足取だ。 五大尊岳のピークで休憩中の人に追いつく。上葛川口の浦島に泊まって今朝3時半に歩き出したとのこと、持ち物の少ないのに驚いた。25Lザックににスニーカー履き、シュラフ、ツエルトなし、レスキューシートだけです。ビバークは考慮しないと徹底している。避難小屋まで必ずたどり着く自信があるのが前提の軽量化です。前鬼の小仲坊と上葛川の民宿を利用するのが味噌らしい。ビバーク用のツエルトを加えてもかなり身軽さです。大変勉強になりました。
 道中、石楠花の花が時々見られるものの花は少なかった。。金剛多和は3張りは晴れるビバーク敵地だ。大黒天岳を過ぎるころには日差しが強くなってきて水を飲む回数が増える。鉄塔の付近で蛇行する熊野川をみおろせるようになるとゴールが近くなる。七越峰の手前の展望台に着くと大斎原の大鳥居が見えてきた。
 
大斎原の大鳥居
 
熊野川
連続の奥掛は不連続となってしまった
熊野川をどこで渡渉するかを考えながら眺めた。
七越峰を下るところに左高山の木札に惑わされ七越峰を一周してしまった。車道と奥駆道が交錯して分かりにくかったが備崎への案内にしたがって下り、熊野川の川原に降りた。連続走破が出来なかったことを悔やみながらザックを川原に投げ出してしばらくは川のなられを眺めていた。
ちょっと上流に移動して浅そうなところを渡ったが、
石を踏むと疲れた足裏が異様に痛む、最後の修行と顔をを歪めながら、一歩、一歩足の置き場を探がして渡った。
大斎原は神殿もない広場ですが厳かな雰囲気が漂うところです。大鳥居の前では田植えの農作業の真っ最中、瑞穂の国と神々の切り離せない風景を見ることができた。変則的な奥駆けとなってしまったが最後の1日だけでも復帰でき、なんとなくまとまりがで出来ました。抜け落ちた部分を早めに繋ぎたい思いを抱いて終了した。
湯峰温泉に行きたかったがバス便がなく諦めて、めはり寿司とビールを買ってバス停で今回の無事を乾杯した。平安朝のつくりなのか回廊式の大きなバス停は開放的で快適でした。
新宮に戻り、前々日お世話になったホテル光洋に泊まって、翌日、松坂ー名古屋経由で帰郷した。