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小姓名 |
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諱 |
生没 |
父(一族) |
略歴 |
清洲城時代 |
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岩室 長門守 |
いわむろ ながとのかみ |
重休 |
?〜 1561 |
不明 (小十蔵) |
桶狭間の戦で信長出陣の際に最初に付き従った。
於久地城攻めで討死。 詳細 |
加藤 弥三郎 (岩室 勘右衛門) |
かとう やさぶろう |
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?〜 1572 |
加藤順盛 |
桶狭間の戦で信長出陣の際に最初に付き従った。
一端、追放され三方が原で討死。 赤母衣衆・尺限廻番衆 |
佐脇 藤八 |
さわき とうはち |
良之 |
?〜 1572 |
前田利昌 (前田利家の弟) |
桶狭間の戦で信長出陣の際に最初に付き従った。
一端、追放され三方が原で討死。 赤母衣衆・尺限廻番衆 詳細 |
長谷川 橋介 |
はせがわ きょうすけ |
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?〜 1572 |
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桶狭間の戦で信長出陣の際に最初に付き従った。
一端、追放され三方が原で討死。 赤母衣衆・尺限廻番衆 |
山口 飛騨守 |
やまぐち ひだのかみ |
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?〜 1572 |
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幼名・諱など不明。尾張鳴海城に山口一族があるが関連は不明。
桶狭間の戦で信長出陣の際に最初に付き従った。
一端、追放され三方が原で討死。 赤母衣衆・尺限廻番衆 |
岐阜・安土期 |
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青木 鶴 |
あおき つる |
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?〜 ? |
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高山飛騨守の北陸送致の使い。 |
市若 |
いちわか |
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?〜 ? |
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苗字不明。雑賀攻めの際の使い。天正九年の馬揃え。 |
金森 甚七郎 |
かなもり じんしちろう |
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?〜 1579 |
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金森長近の一族と思われるが詳細不明。小姓仲間の佐治新太郎と口論。刺殺された。
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佐治 新太郎 |
さじ しんたろう |
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?〜 1579 |
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小姓仲間の金森甚七郎と口論の末、刺殺し自らも切腹した。
尾張大野城に佐治一族あり。関連は不明。 |
中西 権兵衛 |
なかにし ごんべえ |
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?〜 ? |
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詳細不明。安土城下に屋敷を与えられている。 |
長谷川 竹 |
はせがわ たけ |
秀一 |
?〜 1594 |
長谷川丹波守 橋介の甥 |
甲斐攻め等功績。本能寺の変の折には家康接辞に付いていた。
朝鮮出兵で討死とも伝わるが生還した様である。 詳細 |
堀 菊千代 |
ほり きくちよ |
秀政 |
1553〜 1590 |
堀秀重 |
久太郎。有岡城攻め・伊賀攻め他、政戦共に活躍。
本能寺の変時には羽柴秀吉の元にいた。詳細 |
万見 仙千代 |
まんみ せんちよ |
重元 |
?〜 1578 |
神子田長門守 |
荒木村重の謀反の際、糾問の使として派遣。
有岡城攻めで討死。 |
本能寺討死 |
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以下、甫庵信長記には小々姓とあるが、小姓に統一。 |
飯河 宮松 (宮松丸) |
いいかわ みやまつ ? |
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?〜 1582 |
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足利将軍家側近に飯川肥前守信堅(信賢)あり。縁者か否か不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
伊藤 彦作 |
いとう ひこさく |
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?〜 1582 |
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信長の馬廻衆に伊藤彦兵衛がいるが繋がりはあるのか否か?詳細は不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
今川 孫三郎 |
いまがわ まごさぶろう |
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?〜 1582 |
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詳細不明だが今川氏豊の孫、或いは曾孫という説あり。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
魚住 勝七 |
うおずみ しょうしち |
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?〜 1582 |
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信長の馬廻衆に魚住隼人正がいる。縁者と思われるが詳細は不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
種田 亀 |
おいだ かめ |
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?〜 1582 |
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美濃国内の信長家臣に種田正元・正隣・正安あり。縁者と思われるが詳細は不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
大塚 孫三 (弥三) |
おおつか まごぞう |
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?〜 1582 |
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信長馬廻衆に大塚又一郎、信長に取立てられた関取に大塚新八郎、津田一安朱印状に記された大塚太郎左衛門がいるが関連は不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
小河 愛平 |
おがわ あいへい |
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?〜 1582 |
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信長馬廻衆に小河源四郎あり、親族と思われるが関連は不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
落合 小八郎 |
おちあい こはちろう |
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?〜 1582 |
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村井貞勝の元に落合長貞があるが、関連は不明。
落合将監安親・康親、落合重清が織田家臣にあり、関連は不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
金森 義入 |
かなもり ぎにゅう |
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?〜 1582 |
金森長近? |
『信長公記』に於いて本能寺の御殿内にて討死とあるが、同池田本に於いては二条御所で討死とある。
金森長近の次男長則が本能寺変時、二条御所で討死と伝わっており同一人物ではないかとの見解あり。
但し『信長公記』『甫庵信長記』の二条御所の場面に金森長則の名は無い。 |
柏原 鍋丸 |
かしわばら なべまる |
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?〜 1582 |
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詳細不明。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
柏原 (弟) |
かしわばら |
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?〜 1582 |
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『信長公記』等に「柏原鍋丸兄弟」とあるのみで名も定かではない。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
狩野 又九郎 |
かのう またくろう |
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?〜 1582 |
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詳細不明。 本能寺の変、御殿内にて討死。 |
久々利 亀 (亀丸) |
くくり かめ |
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?〜 1582 |
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詳細不明。 本能寺の変、御殿内にて討死。 |
菅谷 角蔵 |
すがや かくぞう |
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?〜 1582 |
菅谷長頼 |
『甫庵信長記』に菅谷長頼の子息とある。しかし、同書には本能寺で死者名に菅谷角蔵の名は無く、二条御所での戦死者に名を連ねている。いかなる事だろう? |
薄田 与五郎 |
すすきだ よごろう |
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?〜 1582 |
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詳細不明。 本能寺の変、御殿内にて討死。 |
祖父江 孫 (孫丸) |
そぶえ まご |
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?〜 1582 |
祖父江秀重 |
祖父江秀重の次男。祖父江家は尾張津島社の神職にあるといい、信秀の頃より代々織田家に仕える。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
高橋 虎松 |
たかはし とらまつ |
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?〜 1582 |
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天正七年、安土の長谷川秀一邸を与えられたという。
『信長公記』に天正九年、稲葉刑部・祝弥三郎とともに知行を与えられたとある。
本能寺の変、御台所の口にて大勢と戦い比類なき奮闘した力尽きて討たれたとある。 |
武田 喜太郎 |
たけだ きたろう |
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?〜 1582 |
下方弥三郎 |
下方弥三郎の子で武田左吉の養子になったらしい(『織田家臣人名辞典』)
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
森 乱丸 |
もり らんまる |
成利 |
1565〜 1582 |
森可成 |
森可成三男。森蘭丸として著名だが、良書に蘭の文字が無い為、「乱」を用いた。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
森 力丸 |
もり りきまる |
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1567〜 1582 |
森可成 |
森可成五男。乱の弟。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
森 坊丸 |
もり ぼうまる |
長隆 |
1566〜 1582 |
森可成 |
森可成四男。乱の弟。
本能寺の変、御殿内にて討死。 |
山田 弥太郎 |
やまだ やたろう |
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?〜 1582 |
山田弥太郎? |
『信長公記』に記載は無く『甫庵信長記』による。信長馬廻に山田弥太郎があり、その子か?
或いは馬廻の山田弥太郎を小々姓と記載した『甫庵信長記』の誤りか?不明。 本能寺の変で討死。 |