83年のGPで、”ホンダNS500”を駆るフレディ・スペンサー。
85年のデイトナ
元フィアンセのサリー・ジョベールと2ショット。
87年の日本GP、左はAMAからGPまでを通じての盟友であった
エンジニアのアーブ・カネモト氏。
このレース、スペンサーは先のデイトナで負った右肩の負傷のため欠場しました。
85年のWGP、めずらしいカメラサービス。
16才の若さでプロレーサーとしてデビュー
同年ノービスチャンピオン
翌年エキスパートチャンピオン
その才能を認められてホンダのワークスライダーに。
AMAのグランドナショナルシリーズを戦うかたわら、スポット参戦した
81年のロードレースWGPイギリスラウンドでは、NR500でいきなり5位を走る好走で注目の的に。
翌年よりGPフル参戦。
83年「キング」ケニー・ロバーツとの壮絶なデッドヒートの末、500ccチャンピオンに。
互いに死力を尽くした渾身のバトル。
フレディのマシン(手前)のスリップ・アングル
とてもオートバイのロードレースとは思えませんね。
85年度には250ccと500ccにダブルエントリーし
その両方でチャンピオンになるという離れ業を披露。
ダブル・チャンピオンを決定した’85スウェーデンGP。
チームメイトのランディー・マモラと一緒に、プールにダイブするパフォーマンス。
86年以降は不調をかこち、原因不明のリタイヤや
レースを目前にしてのドタキャンが目立つようになりました。
原因は手首の腱鞘炎、と正式にはコメントされていましたが
「うそつきフレディ」というありがたくない別名を拝したりもし、
88年シーズンを前に急な引退宣言。鈴鹿サーキットで行われた引退セレモニーは
そのシーズン彼が駆るはずだった「ホンダNSR500」で
コースを一周しただけのいささか寂しいものでした。
89年に復帰を果たしており、戦跡としては目ぼしいものが少ないですが
ジャコモ・アゴスチーニのチームやソノート・ヤマハからWGP500に出場したり
USスーパーバイク、鈴鹿8耐にも幾度かエントリーしています。
フレディが、久々にホンダのワークスマシンを駆った92年の鈴鹿8時間耐久。
「スクーデリア・オクムラ」から「ホンダRVF750」で出走しました。
転倒をリカバーし4位入賞。
テレビで見てても、すごい走りだったです。