さて、野球の話だ。背の開幕から数試合についてはカープの話を書いていたが、私が合宿研修に出てしまいそれ以来途絶えてしまった。理由は明快で、その後次々と届くクラシックのボックスセットの話ばかりで背一杯だったからだ。ただ、それも一段落し(とはいえ、あさってには新しいのが届くのだが・・・・・・)、ようやく書く機会出来たので、ほんの少しだけ書いておこう・・・・・・。
ゴールデンウィーク明けから交流戦に入り、俄然面白くなってきた今年だが、広島カープに限った話をすると、今シーズンは最初の読売との3連戦だけが良くて後は一進一退。5割付近をいったりきたりしている状態だ。今日の試合に勝ったので、ようやく5割に戻したところかな?毎年のこととはいえ、ファンとしてはふがいない気がする。
で、交流戦について書こうと思うのだけど、これはやってみて良かったと思うね。なんていっても面白い。これに尽きる。今までにない戦いが繰り広げられているね。オープン戦や日本シリーズとはまた違った緊張感で試合が見られるからかな?たとえば、今日たまたまテレビで見た読売対オリックスなんて非常に見応えある試合をしていたように思うね。最後は選手層の厚さで読売が買ったけど、オリックスも一歩も引けをとらずにやっていたからね。特に2番手のピッチャーの斉藤が投げっていたところを中心にみたのだけど、彼の投げる姿をテレビで見ることが出来ただけでも収穫ってモノだ。
翻って、今日の広島カープは良かった。黒田と杉内の投げ合いで、息詰まる投手戦ということだったようだが、まぁひろしまは打線が沈黙していたのが気になる。今日もら六課のホームランがなければこの前の小山田の時のように好投をするも見殺しという可能せいもあったわけで・・・・・・。
まぁ、明日明後日と続くホークス戦、がんばってもらおうではないのねぇ。多分明日は佐々岡が先発のはずだ。よほどのことがない限り試合が壊れることはないだろうから、打線の奮起に期待だ。今日のホークスを見ている限りでは決して楽な対せ泣いてではなさそうだからね(首位を独走しているチームだから当たり前だが・・・・・・)。
そんなわけで、明日も楽しもう・・・・・・。ということでね。
今日はなんと、アバド指揮ロンドン交響楽団によるメンデルスゾーン交響曲全集がHMVで安売りだったので注文した。メンデルスゾーンはここのところずっと買おうかどうしようか考えていて、親父は「1枚ずつ名盤と呼ばれるものを買え」といっていたのだけど、今日のHMVの安売りをみて考え方を変えたようだ。「全集買うならこれが一番無難ではないか?」ということだ。私もそう思った。特に4番をちょっと視聴するとなかなか聴きやすそうな感じがした。で、注文の決心が付いたというわけだ。
結構格好良いのですが・・・・・・。というか、この曲は良い。新古典主義としての出来は相当のモノがあると思う。全部で17分程の短い曲で、急-急-急の3楽章という面白い構成になっている。で、管楽器とピアノが対等の立場で鳴っているようなので、こういう題名なのだろう。ちなみに1924年の曲だそうだ。アンセルメとスイス・ロマンド管のリズム感覚が良くて好きだ。
アンセルメのSP盤起こし集でも聴けた曲だけど、今回の非常に優秀な録音を聴いてもかじることは同じで、奇想曲の皮をかぶったピアノ協奏曲だ。ちなみに、この曲は1929年の作品だそうだ。つまり、この曲もまた新古典主義ど真ん中の作品ということで、鋭いリズム感覚と重厚なオーケストレーションは圧巻だ。
全4曲の組曲。トータルでも4分足らずのあっという間に終わる曲。うーん、書きようがない。色々な曲をひとまとめにしている組曲だ。4曲目のバラライカがロシアの作曲家であることを感じさせるし、アンセルメの演奏にも合っていると思う。
これまた4曲の組曲で、こちらは舞曲集となっている。その関係上6分程度と曲が長い。マーチ、ワルツ、ポルカ、ギャロップという構成だ。ポルカやギャロップになるととたんに演奏が輝き出すのだが、これで非常にアンセルメとスイス・ロマンド管の得意なスタイルというのが分かる。特に最後のギャロップがカラフルで面白い。
1分、2分、4分、2分半の4曲が並ぶ。しかし管弦楽曲の練習曲というのも面白い。それぞれがどういう演奏の練習になるのかは分からないが、最後のスパニッシュなリズムを使った「マドリッド」と題された曲がカラフルで良かったね。こういった曲はアンセルメの独壇場だろうね。
初めて聴いた曲だが、何でこういう題名になったのか良く分かった。確かにロシア風だ。しかし、ここまでコテコテなのは曲自体がそうなのか、アンセルメの演奏がそうさせるのかは良く分からない。
ついにきました「詩編交響曲」。これまたSP盤起こし集で聴いて以来なので、きれいな音で聴けるだけでもうれしい。そう、つまりかなり好きな曲なのだ。宗教楽曲的なメロディではあるが、分厚いコーラスを軸にその周りを彩る楽器演奏というスタイルがアンセルメのもっとも得意とするスタイルと合致する。ましてや彼は初演者であり、ストラヴィンスキーの最大の理解者でもあったようで、やはり誰とも違う地平に立って演奏しているのだと思う。
カンタータとなっているが実はバレエ音楽だ。で、内容をきちんと追っていくと実に奇妙。4台のピアノと10種類の打楽器による演奏に4製の独唱が付くというオペラではない舞台劇となっている。だから非常に乾いた雰囲気の中で曲が進行していく非常にシンプルな音楽だ。ちなみに、初演者はアンセルメなので、この独特の世界を持つ曲も見事に構築している。
とらえどころのないオペラ。そう感じたね。ストラヴィンスキーらしい旋律が至る所の出てきてはいるのだけど、それが歌劇という形になったときにはどうなのだろうか、その辺の判断がいまいち付かない。アンセルメの演奏は当然良いのだが、それだけではないからねぇ・・・・・・、オペラというモノは・・・・・・。
今日は夜になってから親父と一緒に立て続けにHMVでCDを注文した。実は今HMVでは全商品ポイント2倍キャンペーンというのをやっていて、親父はそれに便乗していくつか欲しいCDを注文したんだね。で、ここのところたまったポイントを使わずに3500円分もためてしまっていたため、それを使って私が上記のCDを注文したというわけだ。
マーラーの交響曲全集(インバル/フランクフルト放送響)ということで、「また、マーラーか」という声も聞こえてきそうだが、まぁ、ポイントを使うことによってかなり安く買えることになるので、世にも激安価格で人気の高いインバルのマーラーが手に入るというのがうれしいんだね(というか、マーラー〜ワルター〜バーンスタイ〜インバルと一本の線で結ばれている人だからねぇ・・・・・・)。
これも初めて聴くのだけど、かなり色々な音楽が入り交じっていて、非常に色彩感のある音楽だ。これは正確にはバレエ音楽でなく音楽劇のようだ。初演者はこのアンセルメだけど、こういう曲は彼の独壇場だろうね。たった7人という小編成でこれだけのモノを作り上げられるストラヴィンスキーも凄いし、それを色彩感覚豊かにまとめ上げるアンセルメも凄い。ちなみにこの組曲版は音楽のみで20分程度のモノだが、全曲はせりふやナレーションが付き1時間程度のモノになるそうだ。この曲の凄いところは演奏する曲の幅が広いというところ。マーチに、タンゴに、ワルツに、果てはラグタイムまで。おなじみのモノから当時の流行のモノまで面白くするために詰め込んじゃえってノリが良いよね。ちなみにこの曲は1918年の初演で、ストラヴィンスキーの新古典主義の最初を飾るモノらしい。
何で全曲版の録音を残しているのに組曲版の演奏も残しているのだろうか?そこは良く分からないが、なんにしても美味しいところ取りの組曲版となっていることだけは確かだ。解釈は全曲版と変わらいし演奏の質も問題あるほど違わないので、特に追加して書くこともないが、歌のパートが全くなので、要するに先の「兵士の物語」と同じく歌抜きバージョンということなのだろう。
彼の新古典主義末期から十二音階音楽はじめの頃の作品だ。1940年の初演ということで、聴きやすいのに、とらえどころがなく、前衛的である。しかしながらフレーズフレーズ一つ一つは非常にロマンティックで、新古典主義を通した現代音楽で交響曲を作ってみました、というのが感じられた。つまり、私は彼の新古典主義の感性系の一つとして聴いたわけだね。で、当然聴くのは初めてで、アンセルメの演奏はどうかと思うと、かなり色彩感覚豊かな演奏をしている。そう感じたね。
これまた上記「ハ長調の交響曲」と同じく新古典主義と次の音楽への狭間の曲だ。1945年の初演だそうで、ストラヴィンスキーは第二次大戦後二位に音階の音楽を指向し始めるので、まさに新古典主義の集大成といったところか。この曲はとにかく第1楽章の冒頭が迫力がある。アンセルメ、スイス・ロマンド管のコンビで良くもまぁこれだけ迫力のある演奏が出来たモノだと感心したね。で、この曲は題名の通り3楽章の曲なのだけど、協奏曲的な性格を持ち第1楽章と第3楽章ではピアノが活躍し、第2楽章ではハープが活躍する。壮大で重厚な新古典主義交響曲ということでね(というより、雰囲気はマーラーの交響曲の世界だが・・・・・・)。
これはブラスバンド用の曲で、交響曲といえるかどうかは微妙なモノである。1920年に初演され、その後1945年に改訂されているのだが、アンセルメは多分1920年版を使って演奏しているのだろう。作曲された時代が時代のため、表面的には前衛的な曲でも、新古典主義の曲と言えるだろう。アンセルメはその新古典主義的なところをうまく使って演奏している。表面的な曲調が新古典主義なのではなく(表面はひどく抽象的な音楽に聞こえる)、曲の構成がということだ。
3分弱のソナタ。展開部の旋律がかわいらしい曲だが、演奏自体は一気に演奏しているという感じだ。
4分ほどのソナタだが、短調の曲になるとどうも曲自体が弱いのかな?ホロヴィッツの演奏はこのスカルラッティの曲は長調の方が似合っているように感じる。
2分半弱の曲。非常にかわいらしい主題を持っているのだけど、元が多分チェンバロの曲だろうから、もう少しメリハリをつけた演奏をしても良かったように感じたね。
5分程度のソナタ。なんかベートーヴェンのソナタでも聴いているかのような気分になった。またホロヴィッツは情感豊かに演奏するだね。でも、なんか少しスピードが速いのか、粘りけが足りない気がしたね。
2分半ほどのかわいらしい旋律を持った曲。これを自分のスタイルで引き倒したという感じだ。迫力には欠けるが、まぁ、これは曲自体の問題だろう。
4分ちょっとの曲。この曲もすばしっこい旋律を持った曲で、かなり聴いていて楽しい曲だ。
5分ほどの曲だが、きれいな主題を持った曲で、それが全体を面にている。ホロヴィッツはあまり力を入れずにテンポを適度に変化させながらうまく弾いているように聴いて感じた。
5分弱のソナタ。この曲はなんだかロマン派の人の作曲した曲に聞こえなくもない。それくらい、ロマン派的な曲ということだ。この曲でも彼はうまく力を抜いて演奏していると感じた。
2分半強の曲。メロディはとらえどころのない曲だ。ただ、悪いことはない。悪いことはないのだが、私には物足りなかった。で、演奏だが、これは非常にメリハリのはっきりした良い演奏だと思ったね。
これはモーツァルトのような古典派的な曲に聞こえた。まあちょうどバロックと古典派の狭間にいるような時代の人なので、両者の特徴を兼ね備えていてもそれは仕方がないだろうね。
5分ほどの曲だが、このホロヴィッツという人の特徴が良く現れた曲だと感じた。
2分半の曲。非常に早いパッセージの曲で、しかもホロヴィッツはそれを早く攻撃的に演奏していたため、あっという間に終わった。
実は全然印象に残っていない。うーん、なぜだろう?考えても良く分からなかったりする・・・・・・。まぁ、曲自体を知らないということがあるからだろうかね。良く分からない。この曲には実は引間違いがあって、それの影響で、全体に緊張感が漂った演奏になっている云々ということは調べればすぐに出てくるのだろうが、そういうこととは違う次元での話なんだね。
この人はとことん自分の懐に曲を持ってきて演奏する人なんだなと感じた。非常に落ち着いた演奏で、特に第2楽章が良かったね。一歩間違えば、ミスタッチをしてぐちゃぐちゃになってしまいそうなぎりぎりの所での演奏のように感じた。まぁ、修正されているらしいので、「実は・・・・・・」というのがあるのかもしれないが、そこは分からない。
圧倒的。曲自体は非常に難しい曲なので云々出来ないのが残念だけど、演奏は本当に圧倒的。良くこれだけの指運びを持続して演奏できるのだとほとほと感心した。しかも細かい音符が乱れ飛ぶような曲だしね。副題のイメージからというわけではないが、局長じたいにただ良くダークなイメージもかなりうまく描けていたと思うし・・・・・・。
こちらは一転、絵画のような佇まい。これはこれでうまいとは感じるが、やはり、「黒ミサ」の激しい曲を聴いた後では部が割るというか、なんというか・・・・・・。でも、息もつかせぬ美の世界があったことはいうまでもないのだが・・・・・・。
これはねぇ・・・・・・、なんかリズムとかが怪しいところがあるのだが、そこが人間くさくて良いかもしれない。完璧に非着こなしその上に個性も加味しようとしての積極的な部分での話なので、演奏自体の面白味として聴ける。しかし、この曲は妙にダイナミックレンジが広い。弱音と強音の差が激しいように感じ角は私だけだろうかね。
ホロヴィッツはなぜこの曲をこの演奏会で選んだのかは良く分からないけど、2分半ほどの時間の中で音符が渦を巻くこの曲を見事に演奏している。で、非常に懐の深い演奏になっているのが特徴だ。
ルービンシュタインのとは違った魅力を感じた。とにかくなぜかは知らないがこの演奏には激しさが込められているように感じる。メロディを強調するところは当然強調しているのだが、一旦ピアノをうならせて走らせ始めるととたんに激しくなる。そういった曲のいじり方が自由自在なのである。あくまでも職人気質に弾くルービンシュタインとはそこが違うということだ。私はピアノを弾くわけではないので、技術的なことは云々出来ないのだが、そういうことだ。
これはまたかわいらしい。でもさすが男性が弾くピアノだと思わせる部分が多々ある。結構題材が題材なので無機質に弾くのかと思いきや、思いっきりコケティッシュに弾いているようで、かなり好感が持てたね。さて、この人はどうせ全曲は録音してないのだろうけど、「子供の領分」の他の部分も聴いてみたなぁ・・・・・・。
さて、スクリャービンのれん終局だけど、この曲は先にスタジオ録音番を聴いているけど、こちらも基本的には変わっていないようだ。この曲は主題の妙に歌謡曲タッチなメロが実は気に入ってたりして・・・・・・。それを思いっきり思い入れタップリに演奏するこのバージョンもこれはこれでなかなか・・・・・・。
モシュコフスキってだれでしょう・・・・・・。えぇ、知らない人です。生没年をみると、1854〜1925ですから、ロマン派後期の人と見受けられます。で、その人の練習曲ということです。非常に流麗なタッチで弾いています。これでなんの練習になるのかは想像が付きませんが、非常にさわやかな曲です。それを繰り返しますが流麗に、そして、流れるように演奏しています。でも、あっという間に終わります。練習曲ですから。
ライヴの最後の締めは「トロイメライ」。この曲を情感タップリに弾いて幕を閉じる。結構タッチは優しいと感じた。徹頭徹尾ロマンティックにやってくれているところが好感が持てるね。
三部構成の第一部がかなり好きだ。とらえどころのないこの曲を良くもまぁ、これだけ情感豊かに演奏するモノだと感心したね。昼間部とのダイナミックレンジの大きさの差があり、ちょっとボリュームコントロールが大変そうだけど(これはこの人の演奏自体の特徴だね)、でも聴き応えがある曲だね。さて、この曲はポロネーズとしては崩れた形式だろうけど、そんなことはお構いなしにそれこそ形式が自由な曲でも弾いているかも様な雰囲気だ。特にラストは大円団で、「聴いたぁ」って思わせるだけの充実が感じられるね。
楽しそうな演奏。そう感じたね。あっという間に終わる曲なので、聴いていたらあっという間に終わった。
実はこの曲は初めて聴く曲だ。序奏のメロディが非常にロマンティックで好みだ。そこから一気に立ち上がってロンドの主題へと移ると、結構ここまで聴いてきたホロヴィッツのお得意の世界が待っている。何でこんなに情感豊かにしかも迫力ある演奏が出来るのだろうかと不思議不思議。
お気に入りの一曲をホロヴィッツの演奏で聴けたということにしておこう。主部のメロディが本当に非常に好きだったりするので、これは嘘ではない。どうでもいいけど、このホロヴィッツの演奏を聴いていると、この曲をこの演奏スタイルでギターで弾くと面白いかもしれないと思ったね。つまり、そういった感じの演奏ということ。
あら、随分優しい「英雄」だこと。というのが第一印象。そうしたら、主部主題の最初の部分だけだった。2回目の部分からスピードを上げて激しいとまではいかないモノの非常に変わった読聴の調子での演奏になっていたね。ぐっとためて入っていくところが凄く気に入ったね。実は中間部が活きの良い演奏で好感が持てたね。
これはシューマンのピアノ・ソナタ第3番の第3楽章だそうで、主題とその変奏という構成になっている。ここでのホロヴィッツの演奏は、まぁ、色々言い様はあるのだろうけど、ゆったりとした指裁きで、音符を紡いで作られるメロディを一つ一つ大事に演奏しているという感じた。この遅い感覚が技巧的に凄いことなのかどうかは分からないが、なんだか凄いことをしているという感じだけは伝わってきた。
全8曲から成る組曲で、この曲は題名だけからではどんな曲か分からなかったので、ちょっと調べると、クララ・シューマンに対する思いが込められている曲・・・・・・、というより、当時のシューマンの心の内の投影の曲ということらしい。この曲をホロヴィッツはきれいな音の粒として表現している。すべて8曲とも幻想曲なのだろうね。個人的には格好良いメロディの主題を持つ第3曲目が気に入ったね。
一瞬にして終わった。まさに木の葉が舞い落ちる瞬間の描写といった感じか?
まぁ、練習曲ということで、期待してなかったのだけど、これは結構格好良い。ライヴの時の練習曲ほどではないけど、適度なテンションで良い感じだ。
こちらは一転広がりを見せる曲想の練習曲で、ホロヴィッツの場合はこういった曲よりも前の2番のような曲の方が彼の演奏スタイルには合うね。この曲も面白いことは面白いのだけどね。
こういう風に書いて良いのかどうか分からないけど、面白い練習曲だと思ったね。1分半ほどの曲であっという間に終わったのだけど、テンポ設定が微妙なのがホロヴィッツの演奏が独特のテンポ設定なのかは分からないが、部分部分で見せる顔が違う演奏となってるんだね。
情感豊かな作品をホロヴィッツはひたすら豊かに演奏しているといった印象だ。
これは本当に一瞬にして終わった曲。ピロピロピロピロいわしているだけだったが、ホロヴィッツはここでも聴かせてくれた。ただ、なんの練習になる曲かは分からないが・・・・・・。
この曲はとらえどころのない曲なんでね・・・・・・。
これは凄い演奏だ。凄い迫力だ。こういう魅せる演奏をするホロヴィッツが今までこの箱を聴いてきた印象としては好きだし、彼に似合っていると思うな。はっきり言えば、かなりは出にならす曲だけど、ガンガンいくことをせずにタッチで派手に聴かせるというのが何ともにくい。
単一楽章のソナタ。難しい曲である。だけど、それだけで終わらないモノを秘めている。この人だからこそ弾けるモノではないのだろうかね。スクリャービンを今まで聴いてきて思ったことは、微妙なニュアンスによって曲のおもしろさが変わってしまうということ。ホロヴィッツの演奏の場合、そのニュアンスの表現がよい方向に出ているのではないかな?この演奏を聴いてそう思ったね。
ぼーっと聴いていたラットいう間に1曲目が終わってしまったというような全体でも3分強の2曲から成る組曲。でも、2曲目はお茶目な感じがして面白い(このお茶目な感じはホロヴィッツの演奏スタイルのせいかもしれないが・・・・・・。こういう曲は結構厳しく弾くような気がするが、良い意味で柔らかく弾いていると感じるね)。
決してわかりやすい曲ではない(というか、私はスクリャービンの曲でわかりやすい曲に出会ったことがない)。でも、結構演奏は分かりやすいし、私はどちらかというと好きな演奏だ。演奏中に自分で自分をどんどん煽っていくようなスタイルの演奏に聞こえる。
ある意味かの有名なラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番。ホロヴィッツ版と呼ばれるやつだ。いやぁ、激しいこと激しいこと。ここまで色々なものを詰め込んだ演奏が出来るモノだろうか?という思いが強い。特に第3楽章が凄い。このテイクはライヴなんだけど、このテンションの高さと激しさといったらない。他の人で聴いてみたいとは全く考えないね。多分これより刺激的なのはないのではないかな?作曲者の自作自演が残っていれば別だろうが・・・・・・。
中間から後半への流れが非常に面白く聴けたね。全体的にはホロヴィッツお得意の旋律が幾度となく登場するけど、曲としての面白味には欠けるので、素直に演奏を堪能したということでね。
これはロシアの香りがタップリの曲だけど、こういった曲を演奏するホロヴィッツというのも何とも言えない。ロシアの音楽のメロディって昔の日本の歌謡曲のイメージと合致するので、この演奏はおもっきりきんせんいふれる演奏だったね。
これは、まぁ、こんなモノかな?と思う内容。またもや背景描写だけで終わったという印象だ。
これは冒頭の激しい部分に圧倒されていたら、後がノリよく出てきたので、意外や意外この曲自体の印象が変わってきた。この曲は他の曲に比べると写実的でないモノの、音にひょる表現ということではピカイチではないかな?それより何より、聴いていて楽しいというのがよい。一杯展開があり、ホロヴィッツも、「ここは「こう」して、あそこは「こう」して」というのが聞こえてくるからね。
この「火の鳥」に関してはこの演奏ではなく、ニュー・フィルハーモニア管との1969年の演奏が、アンセルメの代表盤なだけでなく「火の鳥」自体の代表的な演奏として非常に人気が高いのだけど、今回聴いたこのスイス・ロマンド管の演奏はその陰に隠れた形になってしまっていたようだ。私自身も今回のこの作品集で初めて聴いた。この演奏は1955年の演奏でステレオ録音なんだけど、ヒスノイズは多いモノの録音自体はクリアーになされていて、ステレオ総書記にしては驚きのクォリティだ。演奏に関してはニュー・フィルハーモニア管によるモノの14年前ということで解釈のブレを期待したのだけど、それは全くなく、基本的に同じ解釈だった。で、スイス・ロマンド管で良く問題にされる技術面も破綻するほどのモノはないと私は感じた。しかしアンセルメはニュー・フィルハーモニア管を起用して最晩年にもう一度「火の鳥」を録音するわけで、その意図は正直欲は分からないし、変な詮索は無用であろう。ステレオで、しかもハイクォリティの録音で2パターンもアンセルメ指揮の全曲版が残っていることを財産と考えよう。
全3曲から成る交響詩で、私は親父がたまたまこの前買ったCDにおまけで入っていたのを聴いたので、これが初めて聴くわけではない。親父が買ったCDの中に入っていたのはロリン・マゼール指揮フランス国立放送管演奏によるモノだ。こちらはもっとエキセントリックで、上品な響きを持った内容だったが、このアンセルメのを聴いて考え方が変わった。正直言ってこの演奏の前にはある程度楽しんで聴いていたマゼールのが情緒臭く聞こえるようになってしまった。それが悪いとはいわないが(だって歌劇を交響詩にしたものなんだし)、この演奏の方がすっきりと味到しよく聞こえるってことだ。
テンポの遅い演奏で、前に抜粋盤を聴いたときとそれほど印象は変わらないのだが、バレエとして踊れるようにリズムに気配りをしつつこの曲の持つ協奏曲的な面も掘り出している。この曲は全曲はブーレーズのを聴いているが、どこか正直不満があった。その不満はこの盤を聴いて解消されたようだ。これが初演者のモントゥのを聴けばさらに考えは変わるかもしれないが、このフランス音楽的な演奏方法は意外と曲想と合っているのだ。ということにしておこう。アンセルメの上を行く解析的なブーレーズのは演奏がニューヨーク・フィルということもあり、解析的な部分がニューヨーク・フィルの機能的な部分とぶつかって薄められてしまい、ちょっと違うと不満があっんだね。そこに行くとアンセルメは手兵を駆っての演奏ということで、薄められることなく聴けたということだね。
根源的な迫力には欠けるモノのこの解釈はまた絶品。基本的に遅い。ひたすら遅いのだが、これが粘りけのある迫力を作っている。しかも、きちんとバレエが踊りやすいように配慮なされているようで、不協和音で処理する部分がきちんと旋律として奏でられている。これはブーレーズの旧録音でも一緒だが、どうしても原始的なリズムを作り出すのに、金管や弦に不協和音を出させたいのだろうが(作者もそれは意図していると思う)、そうしないでいる。つまり、これは刺激は少ないが(実はブーレーズの場合迫力がある分刺激が強い)、非常に聴きやすい演奏となっているように感じた。「春の祭典」は色々な人の演奏を聴いたがモントゥの演奏同様、他とは一線を画す段違いのモノのようだ。
ストラヴィンスキーの新古典主義時代のバレエということは分かっていたが、序曲からそのまま古典派サウンドとは・・・・・・、いや、初めて聴いたのだけどね。普通に独唱が入ってくるあたりに「本当にバレエ音楽?」と思ったりもしたけど、演奏部分だけを聴くとやはりバレエ音楽といわざるを得ないだろうね。しかし、まぁ、ストラヴィンスキーも良くこんなまるでコンチェルト・グロッソのような曲でバレエを作ったモノだね。そのアイデアに参っちゃったね。で、アンセルメも心得たモノで、それを見事にバレエとして演奏している。この辺がこの曲の初演を任されたゆえんだし、その初演者であることの強みなんだろうね。
これまた新古典主義のバレエ音楽。「プルチネラ」にしてもこの「ミューズの神を率いるアポロ」にしてもそうだけど、実は古典派やバロック的な音楽もばっちり弾いてしまうのがアンセルメの面白いところ。というか、彼の作品はこのストラヴィンスキーやフランス音楽、そしてバレエ音楽などで評価されていて、ドイツのロマン派や古典派の音楽はゲテモノ扱いだ。ところが結構面白いというのが私の考えで、実は新古典主義に彼が呼応していたことからも、スペシャリストではないモノの、充分正統派の演奏が出来ているということだ。で、この曲については、曲自体がそれほどでもないから、まぁ、そういうことだ。
これも新古典主義の曲なのだろうが、この曲は全体が後期ロマン派の交響曲のような雰囲気を持っているし、現代音が卯のような部分を持っている。私はこの曲を聴くのは初めてで、はっきり言って良く分からなかったのだが、全4場から成る、約40分強のストラヴィンスキーにしては眺めのバレエ音楽ということだ。個人的には第1場のプロローグが気に入ったね。
「プルチネルラ」同様歌入りのバレエ音楽。しかしこの曲はほとんど歌曲といっても良いくらい歌が重要な役割をし、歌っている。
1947年のニューヨークフィルとの録音。古い録音ということであまり音は良くないが、70代になったはいえ、最晩年に比べると遙かに若々しい演奏が堪能できたね。録音の製で堅く聞こえるが、これは堅いというよりきびきびした演奏といった方がよいのだろうか?その演奏が堪能できたね。ただ、粘りけがなく、そこが好き嫌いの分かれるところだろうが、個人的には歌があるため、この演奏の粘りのなさはプラスに作用していると考えている。
1947年の録音。ワルターのピアノ伴奏によって歌われた歌曲で、ワルターのピアノの腕前や歌手の歌の善し悪しについてとか良く分からなかった。まだまだのようだ。というか、次の曲も含め、歌曲はまだまだ良く分からない。クラシックに本腰を入れ始めてまだ半年、はっきり言って管弦楽を中心に聴いていてまだまだ当分そこから抜け出せそうにないからね。
1960年のコロンビア交響楽団との録音。この曲はおまけで入っていたのだけど、結構交響曲的な歌曲だった。
1961年のニューヨークフィルとの録音。これは1938年のウィーン・フィルとの録音を聴いていて、それが今まで聴いている9番中のフェイバリットなんだけど、これは、新たなフェイバリットにはならなかった。あの1938年の録音で聴ける、録音の善し悪しを超えた演奏内容の充実度、そういったモノが感じられなかった。たとえば、最終楽章のある部分を聴いて、「ここの下りで感動するんだよなぁ・・・・・・」なんて思っていても、この録音にはそれがなかったね。ただ、ニューヨーク・フィルの非常に機能的な演奏が中弛みともいえる最初と最後の楽章もあがせずに聴かせてくれた。ここはこの録音の魅力だと思うね。後、全体のボリュームが大きいのもね。
1960年のニューヨークフィルとの録音。私は1936年のウィーン・フィルとのと、1952年のウィーン・フィルのとさらに2種類持っているので、これで3種類目となるのだが、1936年の古い録音につては比べるべくもないモノの1952年の優秀録音盤と比べると、どうしても聴きお取りしてしまう。演奏については差は個人的な好き嫌いのレベルだが、録音が悪いのが気になった。ステレオ録音ということがアドバンテージになっていない。そんな気がした。そして、1952年の録音の底力を改めて思い知った。
1960年のコロンビア響との録音。これはすごい。自棄になったかという暗い、思い切りの良い演奏が展開されている。特に第1楽章はその印象が強い。今まで聴いた中でもっとも気迫のある演奏に感じたんだね(とはいえこれで3種類目だが・・・・・・)。ワーグナーでも演奏しているかのごとく豊かな金管の響きが気持ちよい。ただ、第3楽章のオープニングとかやりすぎて、少し音痴に鳴っちゃってるが、それはご愛敬だろう。小型のオケを目一杯有機的に使った、非常に気持ちの良い演奏だ。副題の「ロマてぃっく」どこ吹く風で痛快に演奏してくれている(当然ワルターなので歌もあるし)。変にドラマティックに作らないのも良いしね。なんかべた褒めになってしまったなぁ・・・・・・。
1961年のコロンビア響との録音だけど、ちょっとスケール感が足りないかな?テンポが少々遅めで音が大きいので、まさに「演奏会用の序曲を演奏しました」という内容となっている。後粘りけが意外と少なく、歌が少ないので、物足りない部分はある反面「まぁ、こんなモノだろう」と思う部分がある。ワルターも彼の生きた年代からするとワーグナーからの影響は直接間接問わずすごいモノがあるだろうから、これはこれで、ワーグナー演奏法の一つの形だと思うね。
こちらは1959年のコロンビア響との録音。基本的には上記の「タンホイザー」序曲と同内容の演奏スタイルだ。やはりスケール感がないのが気になる。全体的には悪くないのだがね・・・・・・。
これも基本的には上記と同じ。ただ、こちらは少々重厚に感じる。まぁ、元々曲自体が重厚なので、その分が差となっているだけなのであろうがね。
これの上記達と同じだが、曲が派手でない分、このスタイルには合っている気がするが、そうは言っても大きく出る部分があるので、その時には重厚に感じるモノのスケール感がないという印象だ。
1961年のコロンビア響との録音。4番に比べると曲が劇的でない分淡々とした演奏が続いてしまう演奏だが、それでも、第3楽章など色彩感覚豊かな演奏が堪能できる。そしてメリハリもすごいモノがある。これはコロンビア響との録音のスタイルの問題なのだろうけど、マイクと演奏者が近いことによる独特の音の起き差による効果が堪能できるということだ。贅沢を言うなら、もうちょっと迫力があっても良かったように思うね。
この曲はゆらゆら揺れながらためてためて、ぐっと盛り上がるところで、非常の壮大な広がりを見せてほしいのだけど、個人的なその思いには答えてくれず、悪くはないのだが不満が残った。ということで、これは92471に収録の諸作と同印象といううことだ。
うむ、なんと言ったらよいか・・・・・・。実は結構甘い演奏が繰り広げられ、室内楽的なコロンビア響の編成の小ささを逆手にとったような内容になるのかと思いきや、92471の諸作や上記の「ローエングリン」前奏曲と同様だった。だから、微妙というわけだ。結構大きく見せるようにがんばっている元気一杯の牧歌が聴けるということなのだ
ブルックナーはさすがだ。オープニングからベートーヴェンでも演奏してるのではないかと思わせるような壮大な響きに、元々壮大な曲である9番は非常に大きく壮大に演奏されている。1969年のコロンビア響との録音だ。この曲は基本的に第2楽章のスケルツォ楽章が勇ましくスケールがデカイのだが、まぁ、これは迫力満点の演奏である(ソニーの録音とリマスターはだいぶんその迫力を失わせているように感じたが・・・・・・)。
ニューヨーク・フィルとの1959年の演奏。すごいのだけど、こう、盛り上がるモノがない演奏に感じた。今たまたまオイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィル演奏のCDを親父が買ったばかりで、たまたま聴いていたので比較できるのだが、こちらも凄まじい演奏だけど、盛り上がるモノがある。ニューヨーク・フィルと、ベルリン・フィルの機能の違いか?それもあるだろう。ワルターとヨッフムのキャラクターの違いか、それもあるだろう。でも、それらだけで、こうも印象が違わない。どちらもブルックナーは得意にしてるのだ。残るは録音の差が出た。これなんだろうね。残念ながら・・・・・・。
さて、ここからはホロヴィッツの箱だけど、まずはショパンのピアノ・ソナタの2番から。私はルービンシュタインの演奏でしか聴いたことがないが、比べるとするならこちらの方が感情表現が上ということ。それは二人の演奏者としてのキャラクターの違いを言っているだけで、ルービンシュタインが感情を上乗せするスタイルでなく、ホロヴィッツが感情の赴くままに演奏するというスタイルの違いだけなんだね。具体的に指摘するなら、第2楽章、第3楽章はホロヴィッツの方が聴き応えがあるね。特に第3楽章の葬送行進曲は。
確かに印象派の作品のような曲である。初めて聴いた曲だが、背景描写だけで終わったという印象だ。まぁ、練習曲なので仕方がないのだろうが・・・・・・。
こちらも上記と同様聴いたことのない曲だが、上記曲と比べれば、カチッと曲としてまとまって作ってあるという印象だ。ただこちらはカチッと作ってある分題名である「音の絵画」からは遠のいている気がする。
何でアラベスクなのか良く分からないが、メロディラインだけでいうならモーツァルト様のメロディを持った曲。つまり、古典派的メロディが色々交錯することによってできた曲のようだ。ホロヴィッツの演奏はきれいといえばきれいだが、そんなカチッとした演奏でなく、メロディを大切にした演奏に思えたね。
リストの「ハンガリー狂詩曲」はまともに聴いたことがなく19番は聴いたことがない。でも、この曲はブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番に似ている気がするね。まぁ、どちらもハンガリーを題材にした曲なので、似ていて当然なんだろうけどね・・・・・・。で、ホロヴィッツの演奏はそのフレーズの出てくる後半戦から冴えてくるような気がする。メリハリのきいた変幻自在の演奏が聴ける。さっきまでメロディを歌わせていたかと思うと、早引きの技巧を見せたり、それを複雑に絡ませて演奏するものだから「すごい」の一言。しかもさらっと流すし・・・・・・。
上記のCDの演奏で厳しい演奏を聴かせていた人とは思えない優しい演奏。この曲はさすがに私も知ってはいるが、かなりはっきりわかりやすく曲自体を聴かせてくれていたと思う。というか、私の知っているバージョンはこれかもしれないが・・・・・・。全部で13曲の組曲だけど、多分みんなが一番よく知ってるのは7曲目だろうね。後は、1曲目かな?「トロイメライ」を聴くと映画「転校生」を思い出すのは私だけかな?で、演奏は基本的にファンタジックな演奏に仕上げてあると思うね。
知らない曲だが、スピード感あふれるトッカータだ。ホロヴィッツの演奏は激しくガンガンいっている。曲調にあっているので、これでよいと私は思うのだが、現実はどうなのだろうかね。
スカルラッティという人自体私は知らないのだが、年代から察するにバロックの人なのだろう。その人の3分ほどのバロックソナタ。きれいなメロディの曲だが、正直言うとあっという間に終わってしまった。
この曲は古典派的なメロディが登場する、やはり3分ほどのソナタだ。しかし、18正規前半の曲なので、多分チェンバロかクラヴィーア用の曲のピアノ編曲だろうから、純粋に聴けるモノではないのであろうが、ころころと転がる旋律がかわいらしい曲だ。だけど、これは多分にホロヴィッツの演奏スタイルによるモノなのだろう。
これは多分チェンバロで弾くと思いっきりバロックなき分が味わえるのだろうなと思わせるソナタだ。ちなみにこの曲も3分で終わる。印象としては先の2曲と変わらない。すばしっこい演奏をしていると感じるんだね。この曲主題が非常にストレンジポップなメロディで面白い。
この曲は聴いたことはあったけど評価は難しい。
うーん、これは結構良い。3分足らずの曲の中に一つの世界を築いている
これはまた、メロディがしっとりとした良い曲だと思うね。この曲も初めて聴く曲だけど、ショパン以来練習曲も曲としてのクォリティが上がっている気がするね。
2分足らずの曲だけど、非常に迫力のある演奏の上にメロディもしっかりと弾きこなしている、それは凄い演奏だ。というか、この曲気に入ったよ。初めて聴く曲だけどね。
この曲はバックハウスの素晴らしい演奏を持っているので、その演奏と比べるとどうしても厳しさが足りないように感じる。ただし、指はこちらの方が良く動いているようだ。なので、早いタッチで、正確にメロディラインを追って言っているということでは、非常に聞きやすい「悲愴」を演奏してくれているという印象だ。
ドビュッシーのピアノ曲・・・・・・。は、初めて聴くのかな?前奏曲の3曲がメドレーで演奏されているのだけど、どれもきれいな曲という印象だった。「ヒースの茂る荒地歌」がホロヴィッツの演奏スタイルに合っていたかな?
この曲は結構凄い。フレーズの固まりが渦を巻いて襲ってくるような鬼気迫る演奏だ。どちらかというと無骨というよりすばしっこいという印象をもっちぇいるのだが、この曲では大胆に大きな演奏している。
この曲はまぁまぁかな?基本的には先に書いた「革命」と同じだけど、派手な曲ではないのでそう感じたのかもね。
これはどう形容して良いのか分からない・・・・・・。
さて、今日は友人と呉、広島、東広島、福山方面をうろちょろとしてきた。そこで買ったのは以上の通りで、文庫本の小説を中心にいろ入りと買った。しかし、漫画を除くとすべて105円という値段で買ったために買った冊数から考えるほど購入金額は張らなかったね。しかも、頭からの9冊は3冊で210円だったので、630円で9冊買ったことになる。実はこれだけ買った1500円弱という・・・・・・。うーん、安い買い物だった。
ただ、問題はある。「源氏物語」の下巻を早急に探さないといけないという問題がね。まぁ、これはどうにかなるだろう。後はマルキ・ド・サドに手を出したことがどう影響するかだろう。この人の本は読みたかったんだよね。ということで、やすい古本があったら今後も買っていこうと思う(というか、読むのが追っつくかどうかが問題だと思うが・・・・・・。)。
いやぁ、全曲知りません。イギリスの作曲家の作品ばかりを集めたCDなのだけど、作曲家の名前が分かるくらいのモノで(といってもエルガーとホルスト以外は本当に名前を知っているだけ。)、曲自体までといったらさっぱりということでね。一応収録曲名だけでもメモしておこうか。
とどのつまりは、そんなのだから全く演奏の善し悪しについては言及できないけど、ボールトの堅実な指揮振りには安心して聴くことができたね。で、ここの曲について思うことを書くと、エルガーの「序奏とアレグロ」はフォークタッチの旋律が印象的なコンチェルト・グロッソだったね。さらに「葬送行進曲」はまぁ、題名通りかなということで。バックスの「地中海」はスパニッシュな佇まいを持つ曲。イギリス人の持つ地中海のイメージがわかりやすい形で提示されている。ハドリーの「春の朝」はなんだか、フランス印象派のような曲。このCDを聴いてきて感じたのは、実はこの感じは印象派風ではなく、まさにイギリスの音楽風なのかもしれない。続いてはブリスの「序奏とアレグロ」で、派手で色彩感豊かな曲。ライナーによるとストコ先生に捧げられた曲だそうだ。先生の演奏で聴いてみたいな。で、ホルストの「ハンマースミス」は実は一番印象が薄かった。はっきり言って良く分からなかった。最後のアイアランドの「忘れられた儀式」は幻想的な曲だったので題名通りといったところだろう。まぁ、これで、イギリスの作曲家の曲がどうこうというわけではないのだが、ボールトの指揮による演奏ならある程度安心して聴けるかな?という印象は持ったね。
いやぁ、レーガーって知らないんですけど・・・・・・。でちょっと調べてみると、ちょうど19世紀と20世紀の狭間に生きた人で、聴いてみて分かったのだけど、どうやらロマン派後期の人のようだ。色々実験色の強い音楽をしていたようなので、検索して調べてみると難しい印象が付いて廻っているようだが、この曲を聴く限りではごく普通のバレエ組曲だ。だから、このスイトナーの演奏が良いのか悪いのかまでは良く分からない。ごく普通のバレエに仕上げてあるとしか感じられないからね。
これはまた題名通り、古風な3楽章仕立てのヴァイオリン協奏曲ということで、ただ基本形が古典派風の協奏曲で(というか部分部分ではバロック的であったりする)、そこにフランス印象派の表層を持ったというような趣の曲だ。つまり、プロコフィエフの「古典交響曲」と印象が似ているといえばわかりやすいかな?で、演奏についてだが、初めて聴くのでよいか悪いかは良く分からない。しかしながら、この曲はスイトナーの演奏スタイルが吉と出ている気がする。結構色彩感覚が豊かな演奏をしているからね。
題名の通り、主題と8つの変奏、コーダで終わらず、フーガでしめるという曲構成だ。残念ながらベートーヴェンのどの曲からとってきたのかが分からない。前にも何度か書いたが、変奏曲が苦手な私として、正直何をやっているのか分からなくて、最後のフーガがなかなか良いと感じていたら終わっちゃったという感じだった。演奏については・・・・・・、この曲も良く分からないということでね。でも最後のフーガでのゆったり目の粘りには心惹かれる部分があったね。
ヴォルフという作曲家を私は知らない。ということで、少し調べてみると、後期ロマン派の歌曲をたくさん残したオーストリアの作曲家ということが分かった。そんな人の交響詩ということで、同じ年のマーラーや、少し後輩に当たるR.ストラウスあたりに近いモノを感じる作風の作曲家だ。ということで、スイトナーの芸風からすると得意なのに当たるのだが、これがぴったりはまっているのかなかなかメリハリのしっkさりたおんが区で、曲自体のおもしろさは薄いモノの演奏は面白かった。
途中劇が挟まるモノの、全体的にはごく普通の後期ロマン派の恐々しといった趣だ。さて、このプフィッツナーも知らない人だが、このCDの中に収録されているヴォルフやR.ストラウスと同年代の人だ。これは曲自体が苦手ということで、いまいち分からなかったのだけど、まぁ、重厚な演奏としては楽しめたということでね・・・・・・。
この曲は知らない曲だけど、まぁ、最初ゆったり始まって段々と宇宙的に広がっていく曲のようだが、ちょっとこの演奏は物足りない。確かにメリハリがあって重厚で、非常に聴き応えはあるのだけど、もうちょっと懐を深く壮大な広がりのある演奏をしてほしかった。多分この人の演奏をここまで聴いてきてある程度理解した部分で考えてみるのだけど、この人の融通の利かない部分が出てしまったということなのだろう。いわゆるこの人は職人肌の人なのだと思う。で、曲をブロック単位で考えてそれを積み上げることによって曲を完成させる人で、それがたまたま曲にそぐわなかっただけなのだろうと思うね。
さて、今日はCDを買ってきたので、そのことについて書いておこう。注文していたモノが近所のレコードや三に届いていたので買ったのだが、今日は4枚。急遽買ったプラスティック・ペニーと、予定通りのメリー・ホプキンということでね。ここで一旦クラシックを聴くのを中断して、4枚一遍に聴いたね。
まるでハニーバスのような「エヴリシング・アイ・アム」から始まるこのアルバムは、1960年代末期のブリティッシュポップよりのロックバンドのアルバムの典型とも取れる内容となっている。哀愁漂い耳に残りやすい目路胃ディを持った楽曲がただ、甘ったるいだけのアルバムに終わらない何かを持っている。このアルバムはプラスティック・ペニーの1stだけど、先に日本盤のリリースされている2nd「カレンシー」のプログレッシヴですとレンジポップ的要素のあるアルバムへの素地というモノは感じられる。確かに寄せ集め的な要素は強いし、2ndがあれだけの内容であるから聴劣りはするモノの、アソシエーションの「ネヴァー・マイ・ラヴ」を取り上げたり、このころのこの手のバンドの奥が取り上げていた「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を取り上げていたりと、「カレンシー」同様取り上げる曲のセンスには脱帽だ。そういえば、ダスティ・スプリングフィールドの「二人だけのデート」そのままの曲もあってほほえましかったね。とにかく何でもありのバンドなので(雰囲気が一番近いのはプロコル・ハルムかな?あのバンドに比べるとブルース色は薄いが・・・・・・。「ミセス・グランディ」なんて本当に影響を感じるし・・・・・・)、聴いていて本当に楽しくなるような内容だったということだけは書いておこう。ここに、ポール・レイモンドや、ナイジェル・オルソンの原点が詰まっていると考えると、感慨深い・・・・・・。
メリー・ホプキンのアップル時代の1st。というか、彼女のデビュー作だけど、このアルバムについては買い直しだ。一昨年の9月にプラケース盤を買ったばかりで、たった1年半での買い直しとなったけど、リマスターも同じだし、正直言うと、買い直しをする必要性はないと思ったね。だから、レビューは前のレビューに付け足す形かな?で、付け足す部分とはこのアルバムの性格の話で、よくよく聴くと曲の出来に差があって、ポール・マッカートニーのプロデュースが実はあまり彼女に似合ってなかったというのが分かってしまったんだね。別に、そうだからといって、このアルバムが悪いアルバムだというわけでなく、すべての収録曲はそれぞれすさまじいまでの魅力を持っているのだけどね。で、まさに出色の出来とも言えるのはドノヴァンの曲で、これはポールとドノヴァンのギターをバックに彼女が歌うというシンプルなスタイルで(一部アレンジもあるが・・・・・・)、こういう曲に彼女は冴え渡っている。そういうところかなぁ・・・・・・。
メリー・ホプキンの2ndアルバム。紆余曲折を経た上にトニー・ヴィスコンティと出会い制作されたアルバムだが、バックはデイヴ・カズンズに、ダニー・トンプソンという、当時売れっ子のフォークミュージシャン。そのほか、ラルフ・マクテルや、トニー・ヴィスコンティも演奏に参加している。で、これは「ポスト・カード」で感じた出来の差というのがなくなり、非常に良くまとまったアルバムに聞こえた。それはとにもかくにも、はっきりとフォークの方へベクトルを向けたからだろうと思う。「ポスト・カード」でのドノヴァンの曲でのまとまりがアルバム全体に貫かれている。それはプロデューサーのトニー・ヴィスコンティの理解があったからだろう。確かにそれと引き替えにポール・マッカトーニーが目指していたどんな曲でも歌えるポップ歌手という指向はなくなってしまった。しかし、このアルバムで見せたはっきりと方向性を絞ったサウンドはポップも好きだけど、フォークも好きな私にとっては非常に気持ちよく聴ける内容であったね。
私は基本的にベストアルバムは買わないのだが、このアルバムだけは別。なんせ、このアルバムを買えば既存の1st2ndと併せて彼女のアップル時代が俯瞰できる内容となっているので、そりゃぁ飛びつくってモノだ。基本的にシングルコレクションなので、歴代のシングル曲が一度に聴けるのもうれしいしね(彼女のシングル曲は「悲しき天使」を除くとアルバムには未収録)。そんなわけで、昔からずっと聴きたかった「グッドバイ」や「夢見る港」が聴けたのが非常にうれしいね。しかし、なんといっても聴きたかったのはこの当時のシングルB面曲なんだね。ことごとくギャラガー&ライルの曲で、彼らの曲が堪能できるということでも楽しみだったんだね。「大地の歌」では「インターナショナル」のみだったけど、ここでは4曲も楽しめるからね。で、収録のシングルについてだけど、トニー・ヴィスコンティプロデュースの曲が彼女には一番似合っているかな?ポール・マッカートニーとミッキー・モストがプロデュースした曲については彼女に無理にポップ歌手でいることを強いている気がしたね。それでも、ポールの場合は彼女がフォークを歌うのが似合っていたことを認識していたようで、それを活かしたプロデュースの後が伺えるが、ミッキー・モストはそれすらない。そんな感じだね。
今日から聴き始めたワルターの13枚組箱。まず最初はマーラーの交響曲から。「巨人」はすでに国内盤を持っている関係から今回はとばして「復活」から聴き始める。これはニューヨークフィルとの57〜58年にかけてのモノだそうで、コロンビア響との「巨人」と比べると色彩感は劣るモノの、曲の巨大さの表現や、細部にわたるきめの細かい音作りはこの「復活」の方が上に思うね。さて、中身だけど、最初の頃がおとなしい。最終楽章にきて、凄まじいモノを見せるのだけど、それまでは比較的おとなしめ。特にメリハリのきいたスイトナーのをこの前聴いたからよけいそう思うのかもしれないのだけどね。後、音があまり良くないというのもあるね。これは録音が悪いということだ。
続いてはマーラーの4番。これは録音がいまいち。1945年の録音ということで仕方がないのかもしれないが、それにしても悪い、それをそのまま利マスターしてしまっているモノだからさらに薄っぺらくなっているね。でも、さすがニューヨークフィルというかなんというか、金管の音に深みがあって色々思うところのある演奏となっているね。で、肝心の演奏だけど、元々曲のおもしろさは少ないのであるけど、別に淡々と演奏しているわけではないので、これはこれでなかなか面白いと思うね。
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この曲は久しぶりに聴いたけど、個人的には3〜4楽章が好きだ。明るめの第1楽章も良いがね。さて、この演奏については、結構重厚な演奏ではあるが、やはり小型で、まとめてあるといった趣だ。マーラーやブルックナーとは違う味わいがあり、これはこれで面白かった。実はこの箱についてはこのモーツァルトの交響曲目当てで買ったところがあり、親父からも「モーツァルトが良さそう」とのサジェスチョンをもらっていたのだ。もうちょっと第4楽章がリズムを強調しても良いような気がしたが、まぁ、それは贅沢な希望だろう。
第1楽章が結構有名なこの曲であるが、第1印象は28番と変わらず。きちんとまとめてあるということだ。欲を言うならもうちょっとリズミカルにってほしい気がする。まぁ、比較的重厚な演奏なので致し方ないかもしれないが、何とかしてほしいという思いはある。でも、第4楽章は結構リズミカルなんだよね(当然重厚感は損なわれてない)。この第4楽章のバランス感覚を前楽章に貫いてくれれば良かったのだけど、各楽章にあわせての細かい気配りが空回りした感があるね。
これは第1楽章が非常にさわやかに演奏できている。しかもメリハリがきちんとついていて。で、その音作りが全4楽章の細部に至るまで貫かれている。個人的にはかなり好きな演奏だ。後、低音弦を非常に響かせる作りになっているので、重低音サウンドになっている。これが全体のさわやかな音作りと相まって、メリハリを持って聞こえるんだね。
メヌエット楽章抜きのこの作品。スイトナーは第1楽章に照準を合わせて演奏しているのが、非常に目立って聞こえる。全体的にも素晴らしいのだが、第1楽章が特に素晴らしく感じた。後、第3楽章も駆け足好調で、良かったね。ただ、演奏自体は所々スイトナーらしい重厚な音も聞き取れるが、全体的に小振りでオーソドックスな演奏に感じたね。
この曲は実は個人的には大好きな曲なんだけど、この曲が32番だったってことを今日聴いて初めて知ったりして・・・・・・・。で、スイトナーの演奏は、この演奏については非常に柔らかい演奏に感じたね。
実は地味な曲ということで注目してなかったのだけど、こう聞いているとなかなか良いところもあると感じたね。特に3と4楽章が良かったね。特に第4楽章はスイトナーが非常にリズミカルに演奏していて、いつもの重厚感はないモノの、きれいに無難にまとめているという印象だったね。
この曲速度指定が第1楽章と第3楽章で同じため、最初と最後が似た印象に聞こえてしまった。曲自体のおもしろさ云々もあるけど、スイトナーの演奏が少々地味なのも考え物だ。次の番号以降がしばらく名演の誉れが高いだけに(個人的にそう思っている)、まぁ、彼のスタイルにあわないということでね。
第1楽章聴いて目が覚めました。きびきびしゃきしゃき、メリハリ抜群の超機能的な第1楽章。すごいね。その直後の緩徐楽章である第2楽章の弦の音の厳しさといったら、何とも言えない機能美を感じる。で、雄大なメヌエット楽章を印象づけて最終楽章で怒濤の雪崩を巻き起こす。これが曲自体のイメージと合うのかどうかというのは分からないが、とにかくスイトナーの演奏は聴き応えのある演奏になっていることは間違いない。
こちらも35番同様さえわたる演奏が繰り広げられている。ただ、曲自体が35番ほどはっきりとしていなく、第3楽章のメヌエットが緩やかなために、かえって第3楽章が突出したメリハリとなり、曲を面白くしている。モーツァルトの交響曲を聴き始めて初めて腹の底にズシンとくる、スイトナー得意のティンパニーの音が聞けた。このアクセントが個人的に気に入ったね。
軽快にして重厚。あっという間の26分という感じで、特に第1楽章のすばしっこい弦の使い方には感心した。後第2楽章のリズミカルな音作りにも感心した。そしてなんといっても第3楽章が素晴らしかった。ひたすらメリハリをつけての重厚尚人で、でも、緩めるところは緩めて、これでスピードに変化が付けば面白いとは思ったけどそうはせず、インテンポで突き進むところがこのスイトナーのまじめさというかなんというか。
最終楽章が気合いは行っているが、前の3策ほどの内容ではない。それらと比べると、ちょっと押しが弱いような気がした。しかし、終盤に向けての怒濤の勢いは聴き応えがあった。うーん、するめのような味わいということか?
これは私好みの演奏ではあるモノの、普段聴いているのがワルターということもあって、もうちょっと演奏自体に厳しさを求めている自分がいることに気が付いた。ちょっと甘めなんだよね。ということで深みが足りず、メリハリのみが突出した演奏という印象だったね。でも、その中でも、第3楽章は白眉の出来だったことを付け加えておこう。
早い、堅い、テンポの変化ありの3拍子が揃った演奏のように受け取った。テンポの変化ありは微妙なモノのきちんとアクセントになっているので、これがなかなか面白い。
なんだか、妙にテンポの遅いこの曲の演奏になっている。特に第2楽章がそう感じた。で、本来軽快に行くと面白い第3楽章がつられて遅く感じる。そうなると当然粘りが出てくるのだが、第2楽章は曲事つぁいに粘りがないので、それを感じなかった。ということで、トータルとしては今ひとつといったところだろうか・・・・・・。第4楽章は適度な早さで良かったけどね。
これは、メリハリがあって楽しい演奏なんだが、本来舞踏楽章であるはずのメヌエット楽章が微妙にリズムが流れているのが気になる。1と3楽章破局自体のおもしろさからいうと満点をあげても良いがね。
これはそれなりに色々なリズムが楽しめたけど、まぁ、演奏の方は「こんなものかな」という程度だったね。まとまっちゃってて、結構破天荒なモノを期待している自分に気づいたりして、唖然としているというか、なんというか・・・・・・。
これは第3楽章のメヌエット楽章が抜群だ。実は第1楽章はピンとこなくて、第2楽章はまぁまぁかなといった調子で、個人的には尻上がりに調子が良くなっていった感の強い演奏ということだ。ということは、私はバランスがあまり良くないと思っているわけだが、評価としてはどうなのだろうね・・・・・・。
題名もさることながら、結構貴族的な音楽で優雅な曲なのだが、至って淡々と処理している気がする。ということで、スイトナーの演奏としてはまぁ、普通かなということだ。
ゆったりどっしり構えて雄大な北欧サウンドをドイツ風に演出している。でも、これってワーグナーだよねぇ・・・・・・。でも、これでよろしいらしい。グリーグというメロディーメーカーのメロディ作りのうまさをうまく表現できているように思う。でも、個人的にはもう少しゆったり演奏して重心を低くした演奏を聴きたかったね。この曲自体の粘りけがそうすればもう少し出たような気がするなぁ・・・・・・。まぁ、すごく面白い演奏だったので、欲を言えばきりがないということでね・・・・・・。
ノットゥルノということで、なんだか、ドビュッシーあたりを聴いている気がするのだが、そこは北欧の作曲家の曲で、スイトナーによる演奏、ノットゥルノとは思えないような非常に重厚で深みのある音に仕上がっている。曲自体は正直面白いところがいまいち分からなかったのだが、重厚な仕上がりになっているため、立体的で非常に聴き応えがあった。
行進曲だけど、まぁ、何とも力強いこと。「小人〜」という題名が付いているので、非常にかわいらしい曲か幻想的な曲と思いこんでいたら、なんとなんと、巨人の足音を行進曲化したような曲だった。ただ、やはり中間部は幻想的だけどね。でも、始めと終わりに出てくるパー=とが非常に迫力があったね。ただ、欲を言うと、もうちょっと迫力があっても良かった気がする。
この舞曲4曲あって全部アレグロ指定なんだけど、それをうまくそれぞれの曲の個性をスイトナーは引き出していると感じたね。特に1曲目が面白かったかな?彼の特徴である重厚でメリハリのあるサウンドがこの曲の印象を決定づけたように感じたね。ただ、弱音部がちょっと弱いかなぁという印象はあるけど、でも、今日おんぶでリズミカルに攻めるととたんに輝きを増すので、それは欠点ではないだろうね。
この曲に限らず、このCDには行っているグリーグの曲はすべて初めて聴くのだが、この曲は特にメロディのきれいな曲だと関心した。しかし、この棘皮上に古典的なメロディが使われているので、さっきまでモーツァルトを聴いていた耳の印象がそのまま引っ張られたという感じだ。特に第3曲はそれを感じたね。しかし、第2曲は目の覚めるような明快なメロディで気に入ったね。スイトナーの重厚なサウンドが厚めの弦で形作られているからか、聞きやすかったね。
ドイツらしい曲に聞こえるけど、実はウェーバーはイタリアの人で・・・・・・・、ということで、微妙に違和感はあるモノの、出来は非常によいように感じたね。ただ、イタリアモノということもあるし、古典派ということもあるので、あまり重厚でなかったのが印象に残っているね。でも、これくらいでちょうど良い気もするけどね。
こいつもまた非常にドイツ的な音作りがなされている。古典派の歌劇序曲としてとらえて演奏しているからだろいうか、それが妙に似合うのだが、やはり、部分部分によっては少々重厚すぎる部分もあって、全体のバランスがよいのかどうかは判断が付かない。
これは出だしがかなり歌劇だ。同じイタリアでも後のヴェルディあたりのサウンドに近いモノがある。ということで、この曲についてはヒステリックなまでに重厚なスイトナーの音作りがぴったりと合っている気がするね・・・・・・。
これはまた古典派的な序曲に戻っている。本当にこの人の演奏を聴いていると、ウェーバーというより、モーツァルトを聴いている気になってしまうなぁ。この曲はまさにその典型だ。ただ、それにしては少々重厚で、決定的に違う部分があるのだけどね。なんせ、重低音のティンパニが大活躍してるしね。
この曲のみ演奏会用序曲なのだが、祝典序曲ということで、明るくやってるのかと思えば、どちらかというと、重厚で重めのサウンドなのが何とも言えない。
いやぁ、私が言うのもなんだが、バレンボイムはやはりすごいねぇ。ソニーの貧弱録音と、貧弱リマスターのせいで薄っぺらい音になってしまっているけど、ベルリン・フィルの編成の巨大さを機能的に活かした大胆な音作りと、テンポの間の取り方が非常に面白い。弱点をあげるとするなら第2楽章のワルツの場面でリズミカルな部分に少々かけているくらいで(この辺も彼はうまいはずなのだが・・・・・・)、後はなかなかだ。白眉は第5楽章だろうか。ドスのきいた重低音サウンドを活かしまくった変幻自在の音作りはフルトヴェングラーがこの曲を演奏していたらこう演奏しただろうと思わせるような音になっている(実はその系統ではミュンシュ/パリ管という素晴らしい演奏があるのだが)。
さて、この曲も「幻想交響曲」と同様に録音とリマスターが貧弱なので、演奏の良さはごまかされた部分があるね。さて、それにしても少々メリハリが薄く、「もっと迫力出せよ」と思う部分もなくはないが、基本的には個うぁんおも照子のみの演奏だったね。
盤起こし品のもしかしたら海賊盤かもしれない。元になったレコードはワルター協会のレコードで、日本では昔日本コロンビアがリリースしていたために情報が手に入り、この事実を知った。中身は1964年のライヴで、音はそれなりによい。で、演奏だけど、リヒターのピアノによる伴奏がよいかどうかは余りよく分からないが、ロストロポーヴィチのチェロは低音が豊かな、奥行きのあるサウンドに取れたね。で、曲(ブラームス)が低音の迫力や豊かさを活かす内容になっているので(だいぶん暗い曲ではあるが・・・・・・)、非常に聴き応えがあったね。