「富士見かるた」で富士見村をめぐってみよう(さ、た行)



寒河江元

寒河江元(さがえはじめ)は初代の村長

明治22年(1889年)町村制施行により、富士見村が生まれ、寒河江元が村長になった。明治35年まで村長を務め、76歳で没した。
書家

書家は糸成(いとなり)と一徳斎(いっとくさい)

星野七左右衛門は原之郷の人、浅原庵糸成と号した。奈良右門は徳沢の人、一徳斎光竜と号した。両名とも富士見村が誇る代表的な書家である。
水田

水害跡に苦心の開田

昭和22年のキャスリン台風による白川の大洪水は、小沢、原之郷等に大被害を与え、一面の石河原となった。苦心の結果、大部分が復旧し、新しい田も開かれた。
瀬戸場

瀬戸場皆沢かまど跡

皆沢字中島に瀬戸場という陶磁器を作ったかまど跡がある。初め前橋藩で経営し、後、民営となったものであるが、詳しい事は分からない。関東では珍しい瀬戸物焼きの遺跡である。
村誌

村誌でわかる村のこと

富士見村では、昭和29年県下に先駆けて村誌を編集出版したが、さらにその続編を昭和54年刊行した。いずれも一千頁を越える大冊で、村の歴史や現状が載せられている。
小淵しち

玉糸製糸の小淵しち

小淵しちは弘化4年石井に生まれ、明治12年愛知県二川町で、玉糸製糸をはじめ、後には工員千名の大工場主となり、三遠地方玉糸製糸の恩人として尊敬された。昭和4年83歳で没した。
子供会

地域に育つ子供会

子供は時代を背負う国の宝である。子供を伸ばすことは子供会を育成することから始まる。子供会育成の基盤は地域でなければならない。
十二山

つつじは赤城と十二山

赤城山のれんげつつじは天下に有名であるが、横室の十二山もつつじの名所である。開花時には、つつじまつりが催され、にぎやかである。
白樺ライン

天下の景勝白樺ライン

赤城山頂の白樺純林地帯は全国でも珍しい景観美林である。群馬県企業局は昭和41年10月、小暮一の鳥居から山頂まで延長22kmの有料道路を開通し、白樺ラインと命名した。
時沢大根

時沢大根県下の名産

時沢方面は古くから大根の適地として知られたが、熱心な人々の改良により、量質共に大根の名産地として知られるに至り、大根の採種組合はその改良に努力していた。

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