それも、またもや唐突でした。○○の右上にいた○○○○○○○○です。コイツの話を聞いて、マジ眩みし、恥ずかしい話ですがまたもや画面の中のゲームキャラに本気で怒りました。えぇそりゃもう、振り上げた拳を思いっきり下ろさせて頂きました。
もう何というかですね、これまで少ないながらも幾つかゲームを嗜んできましたが、これだけ感情を揺さぶらせ、本気にさせてくれたゲームは今のところこれだけなんですよねー・・・。
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そして遂に、「奴」の元に辿り着きました。もう戦う理由はありません。しかし、「奴」は・・・(この最後の戦闘でまたもや妄想が膨らみ、ある想像をしたのですが、それはまた別のコラムにでも)。
戦闘を避けるため「奴」の前であらゆる道具を使いました。何かあるかもと思い、最後のダンジョンの床を全部調べました(←バカ;)。もしかしたらと思い、2周目プレイもしました(←大バカ;;)。冷静に考えたらラスボスとの戦闘というイベントは、RPGにおけるクライマックスでありジェリコの壁であり暗黙の了解事であり、有償の娯楽である以上避けられないことは分かっていても、理性、感情がついていきませんでした。
結果残ったのは、脱力感、空しさ等々・・・。そして、それらが昇華されないまま11年が経過したわけです(GBソフト「ドラゴンクエストモンスターズ」でややフライング気味の台詞がありましたが)。 しかし、遂にリメイクされ、もう一度冒険出来るのです。メインとなる部分の修正は無いかもしれませんが、そりゃもう俺的に興奮しない訳が無いというか、今は正に感無量という感じです。
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ゲーム中の話の中にある目的に理由はいらないのでしょうか。これまでのゲームで、世界征服、又はそれに相当する目的を持つラスボスは数あれど、そこに理由を問いかけて返ってくる話は幾つあっただろう。勿論そんなの在っても無意味なものも在れば、無くたって面白いゲームは幾つもある、筈。 でも、それにより魂を揺さぶられるほどの衝撃を10年前に受けてしまった今、浅いゲーム遍歴とは言え、自分の中でこれを超えるものは出ていないというのも事実だったりします。 余りにも早すぎたゲームだったのかなと思うし、自分の記憶が美化され過ぎているのかなとも思いますが・・・それを確かめるためにPS版をプレイするのも一興かなと。色々考えずにただゲームとして楽しむために・・・って、やっぱ無理そうかも;。何にしても、楽しみであることには変わりありません。
ということで、え〜・・・予想通り取りとめも無いまま終わりになりますが;、締めの一言をば。 ありがとう、エニックス!
次回は「DQW、リメイクに対して物申す!(仮)」ということで思いつくまま好き勝手に書きたいと思います(^^;)。 |