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[50] 「拓く 福島泰蔵大尉正伝」(川道亮介著)の紹介- ■親トピック/記事引用/メール受信=OFF■ □投稿者/ 藤本 四郎 -(2019/02/17(Sun) 23:39:51) □U R L/ 17/10/24 19:54:18 作成者: 藤本 四郎 東宝映画「八甲田山」(1987年)で、高倉健さんが演じた「徳島大尉」役のモデルとなった人物こそ、旧陸軍弘前歩兵第31連隊中隊長だった福島泰蔵大尉であり、迫り来る日露戦争を前に、冬期作戦・戦術の研究調査に心血を注いだ人である。 その研究調査の集大成とも言うべき場、即ち明治35年1月、青森歩兵第5連隊と弘前歩兵第31連隊の対抗方式で実施された雪中行軍演習で、青森第5連隊の210名全員が八甲田山中で遭難したため福島大尉の成功が掻き消され、また福島大尉が遭難事故死した隊員やその遺族に配慮して、遭難事故の核心に触れることなく沈黙を貫き通したために、福島大尉の功績は埋もれてしまうことになる。 本書の著者川道亮介氏は、陸上自衛隊を退職後に、この福島泰蔵大尉に焦点を当て、福島大尉の指揮官として、また研究者としての「生きざま」や「人となり」に共感し、その生い立ちから日露戦争の黒溝台会戦で戦死するまでの福島大尉の人生の軌跡を辿り、その中で新しい資料等を発掘・検証し、「正伝」としてまとめ上げられた会心の作品である。 なお筆者である川道氏は、防大第9期生、施設科職種の先輩ですが、陸自幹部学校第22期指揮幕僚課程で、「43期生会」会員の10名が共に学んだご縁があり、特に「43期生会ホームページ」で、本書(表紙の写真 参照)を紹介したいと思います。 (藤本四郎) |
[51] Re[1]: 「拓く 福島泰蔵大尉正伝」(川道亮介著)の紹介- ■記事引用/メール受信=OFF■ □投稿者/ 藤本 四郎 -(2019/02/17(Sun) 23:42:07) □U R L/ 17/10/24 20:15:38 作成者: 藤本 四郎 上記で紹介した「拓く 福島泰蔵大尉正伝」(川道亮介著)のカバー画像は次の通りです。 クリックすると画像が開きます。 http://www.ocs43kiseikai.com/kaiin/album_new/mgalbum/img/23.jpg |
[52] Re[2]: 「拓く 福島泰蔵大尉正伝」(川道亮介著)の紹介- ■記事引用/メール受信=OFF■ □投稿者/ 藤本 四郎 -(2019/02/17(Sun) 23:42:49) □U R L/ 17/10/25 8:01:48 作成者: 藤本 四郎 上記の「拓く 福島泰蔵正伝」(川道亮介著)の表紙カバー写真 は、「同窓会アルバム」に掲載されていますので、ご覧ください。(藤本四郎) |
[53] Re[3]: 「拓く 福島泰蔵大尉正伝」(川道亮介著)の紹介- ■記事引用/メール受信=OFF■ □投稿者/ 水口 勇 -(2019/02/17(Sun) 23:43:44) □U R L/ 17/10/27 14:17:33 作成者: 水口 勇 私も読みました。一読の価値があると思います。 八甲田山雪中行軍での弘前31連隊側の業績が埋もれてしまったことについて、若干述べさせて頂きます。 青森第5連隊の遭難事故は、東日本大震災時の福島第1原発の事故のケースと似たところがあると思いました。福島大尉以下の成功が隠蔽されたのは、記述もされていますが、未曽有の犠牲者を出して挫折した青森第5連隊の大失敗の原因を、「人災」にせずに悪天候が原因の不可抗力の「天災」にするためであり、もし弘前第31連隊の成功が明らかになると、青森連隊の遭難は「人災」とみなされ、遺族のみならず全陸軍に及ぼす悪影響が甚大で、収拾がつかなくなると関係者が判断したからでしょう。 正に、福島第1原発の事故を不可抗力の想定外の「天災」にして事を収めるため、事故を起さなかった女川原発、福島第2原発、東海原発等がとった対策と対処の成功の事例と教訓を、事実上棚上してしまっていることに似ていると思いました。 今も昔も同じで、成功事例を隠蔽乃至棚上げしてしまって、失敗事例にだけに囚われていては、再起も復興も再可動も、更に発展もままならなるのではないかと思いました。 「福島大尉」と「福島第1原発」、偶然の一致かもしれませんが、妙な「福島」の巡り合わせだなあと思っております。(以上) |
[54] Re[4]: 「拓く 福島泰蔵大尉正伝」(川道亮介著)の紹介- ■記事引用/メール受信=OFF■ □投稿者/ 藤本 四郎 -(2019/02/17(Sun) 23:44:39) □U R L/ 17/10/31 15:09:49 作成者: 藤本 四郎 「拓く 福島泰蔵大尉正伝」の著者・川道亮介氏のブログを紹介します。(川道氏は、会員でないので、川道氏からいただいたブログを、そのまま貼り付けて掲載します。 ブログ『「拓く 福島泰蔵大尉正伝」上梓、書き終えて思う ― 再び健さんの「好きになる」を思う −』 川道 亮介 〇 私はかって高倉健さんに映画「八甲田山」に関し、手紙を書いた(H24年1月31日) 先導する案内人秋吉久美子さんを到着時「案内人を下げますか」と進言され、健さん演じる徳島大尉(福島大尉がモデル)は「そのままで良い」。原作(八甲田山死の彷徨)では案内人は「もう用無しか」と不満げに下がります。到着後、徳島大尉は隊員を整列させて去ってゆく案内人を頭右の敬礼で送ります。新田次郎氏は原作の取材ノートで案内人を後尾にさげたのは案内人を使って成功したと言われたくない軍人の見栄であったと断じている。 〇 健さんから速達の返書(封筒)を頂いた(H24年2月12日) 拝復 お便り、拝読いたしました。どのような気持ちで、徳島役を演じたか?とのことですが、”俳優として魂を入れた”の一言に尽きます。しかしそれは、どの映画に対しても同じです。役を演じるからには、自分がその人物を好きにならなければ 過酷な撮影を乗り切ることはできません。「八甲田山」の撮影前に、脚本家の橋本忍、監督の森谷司郎、そして俳優としては自分一人が、冬の青森の陸軍墓地を参詣させていただきました。雪に埋もれた大小の墓が、無言で不条理を訴えかけてきた気持ちがしました。八甲田山に関する資料をいろいろ読み進め、案内人の秋吉君には、日本陸軍が教育された最高の敬礼「頭右」で送りたいと思い、監督と相談しました。結果あのようなシーンになりました。映画は、大勢のスタッフ、キャストの協力なしには成り立ちません。「八甲田山」は3年間185日の撮影の結晶でした。(以下略) 役に魂を込めて好きになる、役になり切ったから嚮導人に敬意が湧いてきて最高の敬礼「頭右」で送った、という心映えとそれが35年前の映画のワンシーンなのに、その質問にきちんと答えられる魂の入れように感動した。 〇 北九州市美術館で行われた追悼特別展「高倉健」に足を運んだ(H29年2月3日) 「八甲田山」は任侠から正統派俳優への転機とするため自ら挑んだ作品で、3年間他の仕事を断り賭けた。この間の現地雪中ロケは過酷で、健さんは常に率先陣頭であった。「頭右」は物凄く魂を込めて作品や徳島大尉を本気で好きになる、に裏打ちされていた、と思い知った。 〇 書き終えて 福島大尉は、率先陣頭で隊員と「共動」して前人未到の「八甲田山」成功を為し遂げたが、根底に日本という国家と陸軍そして最も身近な中隊長という職と隊員が好きだったと思い知った。私も好きになって15年、「これが福島大尉」「埋もれた福島大尉の真実」と確信出来るものに漸く辿り着けた。無関心、嫌いからは何にも見えてこない、好きだから、加えて健さんのように魂を込めてと何度も気合をいれたからこそ見えて来たものに恵まれた。 話を戻しモデルは実在する。宇樽部から戸来まで女だてら?に案内した山本ハルである。この日は3日続きの難所の最後、零下16℃の犬吠峠越えで、福島大尉は重大な気付きをした。これを分かった上で、更に福島大尉の道案内人についての沈黙も分かった上での最高の敬礼かもしれない。第5連隊遭難に覆われ失敗を際立たせてはならないと固く沈黙した福島大尉と「八甲田山に関する資料をいろいろ読み進めた」健さん。今となっては確かめる術はない。 書き終えた今、健さんの「気をつけ、案内人殿に、頭右」は、素朴な善で絵になる演技を追求した俳優魂の極みであり観る者に感動を与えたが、私は更に道案内人則ち福島大尉の沈黙の核心に光を当てたと感じた。その光の当たるところに真実の福島大尉は居なかった。 本書は埋もれていた福島大尉の真実、沈黙を語る。115年間、よくぞ誠意を尽くされました。最早沈黙を解いて下さい、と私は言いたい。本作品で正統派演技俳優としての型を確立した健さんに感謝!!!(終り) |
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