異界その(壱)

第11頁 『たまぐすくの民話』から

PART 01 奥武島の国建て神話




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 第一考 奥武島(おうじま)の国建神話

巣人加那志(『たまぐすくの民話・奥武島』104pから全文、話者は仲村有彦氏)

昔の人から聞いた話では、この巣人加那志(しーじんがなし)という人は国は分らんけど

遠い所から亀に乗って、

「どこに行くかね」

と迷っているときに、この蝶々にかけて歌った歌があるわけ。

 飛び立ちゅる蝶(はべる)まじゆ待ちたぼり

 (飛び立つ蝶よ、ちょっとお待ちください)

 我が巣立ち島や知らんあむぬ

 (私が住む島を教えてください)

とその蝶々に詠んだらこの蝶々がね、飛ぶように進んでいったわけ。

そうしたら、この奥武島に着いたわけ。だから、巣人加那志は、飛んでいる

蝶を頼ってこの奥武島に来たらしいです。このハーベールはこの二階建の

お家の屋敷内に止まったわけ。ここは昔の山だったわけよ。

そこで。蝶が止まったから、巣人加那志は、

「私が住める所はここなんだな」

と屋敷を構えて、ここで育ったという話だよ。

戦前まではこっち側に御願所があった。土地はないけど御願所は今でもあって、

ここの屋号は、神の屋敷ということで神舎慶(かみしゃぎ)と付けた。

だから、この屋敷には拝む所が五、六か所ぐらいあるはずです。

そこの家には、神屋敷だから普通の人は、何か祟りがあって住めなかったというわけよ。

このお家の人は中村で、同じ門中の親戚なんだけどよ、普通なら

姓が中村だったらもう昔から屋号は、中村と付くさあねえ。しかしながら、

同じ門中でもよ、ここはもう昔から神舎慶という屋号が付いてるから

変えられんわけだから、ここの祖先の何代か上の方が、

「僕なら住めるだろう」

と住んで、祟りはいくらかあったんだろうと思うけど、ずっと子孫までいるわけ。

 

奥武島の観音堂(沖縄県南城市)



由来です。読めますか。


上記の類話がいくつか語られているが、共通点として<特徴A1群>

(1)亀に乗ってきた。

(2)蝶々に歌いかけたら、奥武島に案内してくれた。

(3)巣人加那志が祖先となり、門中ができた。

(4)神舎慶と呼ぶ拝所があり、巣人加那志が祀られている。

 

異なる細部また追加点として<特徴A2群>

(1)巣人加那志はウフアガリ(大東)島から来た。/唐から来た。

(2)しばらく亀と暮らした。戦前までこの亀の甲羅が残っていたが、今はない。

(3)霊感を持つ娘が「家の下に黄金がある」というので、掘ったら巣人加那志と亀の骨が出た。

 

奥武島橋

これらの伝承は沖縄では「村建て」「島建て」「国建て」神話として知られているものである。始祖伝説であり、国家的・系統的に語られたものが「古事記」に他ならない。しかし、沖縄の始祖伝説といえば、アマミキヨ・シネリキヨが一般的であり、沖縄の歴史書・民話伝承を解説する書籍に必ず記載されている。

ところで、巣人加那志(しーじんがなし)に関しては見聞きしたことがなかった。紹介する図書『たまぐすくの民話』で初めて聞いた名前であり、伝承だった。調べてみると、

「察度王:察度王統初代・中山王・奥間大親と天女加那志の間の子。(系附 天美人加那志⇒天済大神⇒御巣人加那志(佐敷新里村の並里)⇒並里按司⇒辺戸名里主⇒奥間大親(浦添謝名村、大謝名)⇒察度。」(琉球歴史年表)

という記述に辿りついた。そこで、この沖縄・奥武島(おうじま)の伝承をなんとか紐解いてみよう。

 
対岸の志堅原(南城市)

以下、『遠野物語』『遠野物語拾遺』の伝説を紹介しながら、『村落伝承論』(三浦佑之)にある「村建て神話」論をまとめてみた。(私が持っている『遠野物語』には『遺』部分がないので、該当部分は『村落伝承論』からの孫引きである)

「遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり。(中略)伝え云う、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき落をなせしなりと。・・・」(『遠野物語』地勢1)

そして『村建て神話』である。

「遠野の町に宮といふ家がある。土地で最も古い家だと伝へられて居る。此家の元祖は今の気仙口を越えて、鮭に乗って入って来たさうだが、その当時はまだ遠野郷は一円に広い湖水であったといふ。その鮭に乗って来た人は、今の物見山の岡続き、鶯崎という山端に住んで居たと聴いて居る。其の頃はこの鶯崎にニ戸愛宕山に一戸、其他若干の穴居の人が居たばかりであったとも謂て居る。(『遠野物語拾遺』138前半)」

<特徴B群>

1)この伝承は宮家の始祖神話である。こうした始祖伝承は多くの旧家にあるだろう。

2)宮家と鮭を結びつける伝承がある。(『拾遺』139

伝承の中で「鮭を食べない」禁忌タブーが語られ、時に異類婚やその後の子孫形成に係わる。

3)「川を遡る鮭」というモチーフが別の伝承に語られている。(『拾遺』138

「鮭の大助」は『日本昔話大成』(関敬吾)でも解説され、鮭を食べないことと結びついている。

4)神(異類)との婚姻があり特別な祖先を持つこと、鮭に救われるなど特別の体験を持ち、他の人(旧住民)と異なる禁忌・習慣を持つことが優位性を示している。

5)その禁忌とされる部分に人が触れると、災いをもたらす。

 

以上のように纏められる。こうして、改めて『巣人加那志』の<特徴A1群><特徴A2群>を見返すと、以下の<C共通特徴>が見えてくる。

 

C-1 巣人加那志は異界・神郷(うふあがり=大東島)から来た。奥武島にその子孫がいる。

C-2 亀の背に乗って来た。異類婚ではないが、蝶との特殊な交流がある。蝶の案内で始祖の居住地(奥武島神舎慶)に辿りついた。

C-3 神舎慶という神聖な拝所があり、これを冒す者には祟りがあると言われた。

C-4 旧住民に対する優位性がみられる。「家の下に黄金が隠されている」とする。

 

奥武島の巣人加那志伝承は情報の少ない伝承群ではあるが、従来の研究を援用して、「国建神話」の構造を再構成することが可能であろうと思われる。

 

クワンヌンガー(観音井泉)



説明版。湧き水は命。他にもいくつかある。


島内の拝所案内がある。

<追加の資料>

『拾遺』138

「この宮氏の元祖といふ人は或日山に猟に行ったところが、鹿の皮を著て居るのを見て、大鷲が其襟首をつかんで、攫って空高く飛揚がり、遙か南の国のとある川岸の大木の枝に羽を休めた。(中略)・・・それに伝わって水際まで下りて行った。ところが流れが激しくて何としても渡ることが出来ずに居ると、折よく一群の鮭が上がって来たので、其鮭の背に乗って川を渡り、漸く家に帰ることが出来たと伝へられる」

 

『拾遺』139

「宮の家が鶯崎に住んで居た頃、愛宕山には今の倉堀家の先祖が住んでいた。或る日倉堀の方の者が御器洗場(ごきあらひば)に出て居ると、鮭の皮が流れて来た。是は鶯崎に変事があるに相違いないと言って、早速船を仕立てて出かけて其危難を救った。そんな事からこの宮家では、後々永く鮭の魚は決して食はなかった。」

 

<参考とした図書・出典>

「たまぐすくの民話」(玉城村教育委員会)平成14

「遠野物語」柳田国男(岩波文庫)

「村落伝承論」三浦佑之(五柳書院)昭和62

ホームページ

「琉球歴史年表・用語人名系附解説」http://w1.nirai.ne.jp/mic/re/yougo.htm

 

魔よけのサン
「たまぐすくの民話」の全部・要約版は「物語の地平線」にあります。
「巣人加那志」の類話はそちらを参照してください。
 
ぽんた(八王子市民)



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