第一考 奥武島(おうじま)の国建神話 |
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巣人加那志(『たまぐすくの民話・奥武島』104pから全文、話者は仲村有彦氏) 遠い所から亀に乗って、 「どこに行くかね」 と迷っているときに、この蝶々にかけて歌った歌があるわけ。 飛び立ちゅる蝶(はべる)まじゆ待ちたぼり (飛び立つ蝶よ、ちょっとお待ちください) 我が巣立ち島や知らんあむぬ (私が住む島を教えてください) とその蝶々に詠んだらこの蝶々がね、飛ぶように進んでいったわけ。 そうしたら、この奥武島に着いたわけ。だから、巣人加那志は、飛んでいる 蝶を頼ってこの奥武島に来たらしいです。このハーベールはこの二階建の お家の屋敷内に止まったわけ。ここは昔の山だったわけよ。 そこで。蝶が止まったから、巣人加那志は、 「私が住める所はここなんだな」 と屋敷を構えて、ここで育ったという話だよ。 戦前まではこっち側に御願所があった。土地はないけど御願所は今でもあって、 ここの屋号は、神の屋敷ということで神舎慶(かみしゃぎ)と付けた。 だから、この屋敷には拝む所が五、六か所ぐらいあるはずです。 そこの家には、神屋敷だから普通の人は、何か祟りがあって住めなかったというわけよ。 このお家の人は中村で、同じ門中の親戚なんだけどよ、普通なら 姓が中村だったらもう昔から屋号は、中村と付くさあねえ。しかしながら、 同じ門中でもよ、ここはもう昔から神舎慶という屋号が付いてるから 変えられんわけだから、ここの祖先の何代か上の方が、 「僕なら住めるだろう」 と住んで、祟りはいくらかあったんだろうと思うけど、ずっと子孫までいるわけ。 |
奥武島の観音堂(沖縄県南城市) 由来です。読めますか。 | |
上記の類話がいくつか語られているが、共通点として<特徴A1群> (1)亀に乗ってきた。 (2)蝶々に歌いかけたら、奥武島に案内してくれた。 (3)巣人加那志が祖先となり、門中ができた。 (4)神舎慶と呼ぶ拝所があり、巣人加那志が祀られている。 異なる細部また追加点として<特徴A2群> (1)巣人加那志はウフアガリ(大東)島から来た。/唐から来た。 (2)しばらく亀と暮らした。戦前までこの亀の甲羅が残っていたが、今はない。 (3)霊感を持つ娘が「家の下に黄金がある」というので、掘ったら巣人加那志と亀の骨が出た。 |
奥武島橋 | |
これらの伝承は沖縄では「村建て」「島建て」「国建て」神話として知られているものである。始祖伝説であり、国家的・系統的に語られたものが「古事記」に他ならない。しかし、沖縄の始祖伝説といえば、アマミキヨ・シネリキヨが一般的であり、沖縄の歴史書・民話伝承を解説する書籍に必ず記載されている。 ところで、巣人加那志(しーじんがなし)に関しては見聞きしたことがなかった。紹介する図書『たまぐすくの民話』で初めて聞いた名前であり、伝承だった。調べてみると、 という記述に辿りついた。そこで、この沖縄・奥武島(おうじま)の伝承をなんとか紐解いてみよう。 |
対岸の志堅原(南城市) | |
以下、『遠野物語』『遠野物語拾遺』の伝説を紹介しながら、『村落伝承論』(三浦佑之)にある「村建て神話」論をまとめてみた。(私が持っている『遠野物語』には『拾遺』部分がないので、該当部分は『村落伝承論』からの孫引きである) 「遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり。(中略)伝え云う、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落をなせしなりと。・・・」(『遠野物語』地勢1) そして『村建て神話』である。 「遠野の町に宮といふ家がある。土地で最も古い家だと伝へられて居る。此家の元祖は今の気仙口を越えて、鮭に乗って入って来たさうだが、その当時はまだ遠野郷は一円に広い湖水であったといふ。その鮭に乗って来た人は、今の物見山の岡続き、鶯崎という山端に住んで居たと聴いて居る。其の頃はこの鶯崎にニ戸愛宕山に一戸、其他若干の穴居の人が居たばかりであったとも謂て居る。(『遠野物語拾遺』138前半)」 <特徴B群> 1)この伝承は宮家の始祖神話である。こうした始祖伝承は多くの旧家にあるだろう。 2)宮家と鮭を結びつける伝承がある。(『拾遺』139) 伝承の中で「鮭を食べない」禁忌タブーが語られ、時に異類婚やその後の子孫形成に係わる。 3)「川を遡る鮭」というモチーフが別の伝承に語られている。(『拾遺』138) 「鮭の大助」は『日本昔話大成』(関敬吾)でも解説され、鮭を食べないことと結びついている。 4)神(異類)との婚姻があり特別な祖先を持つこと、鮭に救われるなど特別の体験を持ち、他の人(旧住民)と異なる禁忌・習慣を持つことが優位性を示している。 5)その禁忌とされる部分に人が触れると、災いをもたらす。 以上のように纏められる。こうして、改めて『巣人加那志』の<特徴A1群><特徴A2群>を見返すと、以下の<C共通特徴>が見えてくる。 C-1 巣人加那志は異界・神郷(うふあがり=大東島)から来た。奥武島にその子孫がいる。 C-2 亀の背に乗って来た。異類婚ではないが、蝶との特殊な交流がある。蝶の案内で始祖の居住地(奥武島神舎慶)に辿りついた。 C-3 神舎慶という神聖な拝所があり、これを冒す者には祟りがあると言われた。 C-4 旧住民に対する優位性がみられる。「家の下に黄金が隠されている」とする。 奥武島の巣人加那志伝承は情報の少ない伝承群ではあるが、従来の研究を援用して、「国建神話」の構造を再構成することが可能であろうと思われる。 |
クワンヌンガー(観音井泉) 説明版。湧き水は命。他にもいくつかある。 島内の拝所案内がある。 | |
<追加の資料> 『拾遺』138 「この宮氏の元祖といふ人は或日山に猟に行ったところが、鹿の皮を著て居るのを見て、大鷲が其襟首をつかんで、攫って空高く飛揚がり、遙か南の国のとある川岸の大木の枝に羽を休めた。(中略)・・・それに伝わって水際まで下りて行った。ところが流れが激しくて何としても渡ることが出来ずに居ると、折よく一群の鮭が上がって来たので、其鮭の背に乗って川を渡り、漸く家に帰ることが出来たと伝へられる」 『拾遺』139 「宮の家が鶯崎に住んで居た頃、愛宕山には今の倉堀家の先祖が住んでいた。或る日倉堀の方の者が御器洗場(ごきあらひば)に出て居ると、鮭の皮が流れて来た。是は鶯崎に変事があるに相違いないと言って、早速船を仕立てて出かけて其危難を救った。そんな事からこの宮家では、後々永く鮭の魚は決して食はなかった。」 <参考とした図書・出典> 「たまぐすくの民話」(玉城村教育委員会)平成14年 「遠野物語」柳田国男(岩波文庫) 「村落伝承論」三浦佑之(五柳書院)昭和62年 ホームページ 「琉球歴史年表・用語人名系附解説」http://w1.nirai.ne.jp/mic/re/yougo.htm |
魔よけのサン | |
「たまぐすくの民話」の全部・要約版は「物語の地平線」にあります。 「巣人加那志」の類話はそちらを参照してください。 |
ぽんた(八王子市民) |
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