ゴチャゴチャ言わずに証拠を出してくれ

岐阜地裁第6回口頭弁論
傍聴記


桐生正市


三歩進んで二歩下がる裁判

 諸事で筆者は半年ほど裁判を傍聴できなかったが、10月31日久しぶりに傍聴席に座った。篠田さんと、水谷、井口、丸井、各弁護士。岐阜県文化財保護センターと岐阜県側の大塩弁護士。声が小さくて何を言っているのか聞き取りにくい裁判長。前と同じ顔ぶれに安心した。その反面、心配でもあった。裁判が進み、自分がわからないことが争点になっていて、浦島太郎状態にならないだろうかと。それは杞憂だった。これまで大きな進展はなく、三歩進んで二歩下がるような状態である。おかげで半年のブランクがあっても、内容はわかった。
 今の争点は相も変わらずセンターと篠田さんの雇用関係の有無である。センターは篠田さんを雇用していなかったとまだ主張している。いい加減にしろよと言いたいところだが、それについて篠田さん側は準備書面(2)で詳しく反論した。
 岐阜県とセンターの間で結ばれている職員派遣協定では、「派遣職員の給料、手当及び旅費は、乙(センター)の負担とする。ただし退職及び派遣職員が甲において勤務した日の給料は、甲(県)が負担する」(第4条、括弧内引用者)となっている。その次の第五条では「派遣職員は事務連絡等のため、毎月一日は甲(県)において執務するものとする」(括弧内引用者)と定めている。
 つまり、県からセンターに派遣された職員の給料はセンターが払う。ただし、月に1日は県の仕事をしてもらうから、その分の給料は県から出す。という取り決めである。その通り、篠田さんは毎月給料の1日分は県から、それ以外の分はセンターから受け取っていた。
 人事考課についての規定もある。人事考課とは、上司が部下の仕事ぶりを見て、評価することだ。同協定の第九条では「乙(センター)の任命権者は、派遣職員の執行について、(中略)勤務成績の評定を行い、その評定の結果を甲(県)に報告するものとする」と定められている。
 以上のように、給料はセンターから出て、働きぶりはセンターの上司が評価していたのである。これでも篠田さんとセンターは雇用関係になかったというなら、世の中のほとんどサラリーマンは雇われていないことになる。
 協定第2条には「派遣職員は乙の身分を併せて有するものである」とあるのに、センターは知らぬ存ぜぬと言い張る。本当にそうならば、誰もが納得できる証拠を出すべきだ。この準備書面(2)が提出されたのは今年の4月10日。今まで十分に時間があったのだから、すぐに出してほしい。
 前回の弁論では、篠田さん側からさらに「辞令」の存在が雇用関係の証明に出された。1997年3月31日付けで篠田さんはセンターを解雇されている。その辞令が存在する。当然、雇っていなければ解雇はできない。結婚していないと離婚できないのと同じである。
 これについてセンター側は、辞令は岐阜県のものを真似ただけの紙切れといっている。そんなぁ、子どもの使いみたいなこと言ったらダメよ。

センターの管理職に管理能力があるのか

 今回の弁論で、篠田さんの異動について次のようなやり取りがあった。
大塩弁護士「定期異動で、適材適所にした。本来教員として採用した原告を順次本職に戻した。」
丸井弁護士「そうしますと、原告を出向させた目的は何ですか。それを達成したのですか。」
大塩「すべて行政目的で異動させた。全ての職員は目的を達成して元の職場に戻った。」
 この理屈は、県人事委員会で証人として出席した西濃教育事務所長(当時)の岩田義孝氏と同じである。つまり、適正な定期異動だったということだ。しかし、人事委員会のときでもそうだったが、派遣の目的が達成されたかを具体的に示すことはない。この場合、寺屋敷遺跡の調査途中でも篠田さんの派遣目的が全うされたということを証明しなければならないのである。
 職員ひとり一人まで目が届かない知事や部長クラスならともかく、そこで働いていた職員の仕事のことだから、センターはわかるはずだ。前出の「協定」第9条によると派遣職員の「勤務成績の評定」はセンター側がしていた。それで出向の目的を達成できたかどうかを具体的に説明できないなら、センターの管理職は管理能力ゼロということになる。
 2000年11月5日に毎日新聞が、東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長による旧石器遺跡発掘ねつ造をスクープして以来、彼が関わった遺跡の真偽を解明するのに地元の教育委員会が苦労している。しかし、である。存在しない遺物のねつ造が問題なら、その逆に、存在する遺跡の価値を明らかにしない報告書を作成することもまた問題である。
 篠田さんを考古学の世界に導いた、元ニューヨーク州立大学副学長Y氏は、「徳山の遺跡の問題はオールジャパンの考古学の問題」という。実に示唆に富んだ言葉だ。
 今年の裁判はこれで終わった。次回は2002年1月16日である。来年こそは明るい年になってほしい。