第三回:メジャーセブンスの無重力

エリックサティ(1866−1925)は、パリの片隅に住んでいて、毎日酒場でピアノを弾いて生活の糧を得ていました。そのような環境で演奏される音楽ですから、真剣に「観賞」される芸術ではなく、場の空気を作り出すBGMとして客のじゃまにならない音楽が求められ、サティ自身は自分の音楽を「家具の音楽」と言っていたそうです(以上豆知識)。

有名なジムノペディ#1で繰り返されるメジャーセブンスは、不協和音には違いないのですが決して不快な響きではなく、都会的な響きのコードとしてJAZZやPOPS(とくにボサノバ!)でも多用されます。

ジムノペディ#1の元々のキーはDですが、Cに移調すると、曲の前半は
Fmaj7→Cmaj7をだらだら繰り返す斬新かつシンプルな構成で、地に足がつかない、かといって不安でもない、何ともいえないふわふわした感じ、浮遊感覚を作り出しています。この独特の浮遊感覚はどこからくるのでしょうか?

インチキ和声学入門
さて(エッヘン)、そもそもメジャーセブンスというコードはCmaj7を例にすると、下から順に
ド・ミ・ソ・シの4つの音から構成されています。シの上にレを重ねるとメジャーナインスという発展型になります。別の見方をするとメジャーナインスは、
ド・ミ・ソ(C)とソ・シ・レ(G)という明らかに性質の違う二つの和音を合体させたものであり、メジャーセブンスはこの省略形とも考えられます。
ハ長調の場合コードCは「トニック・主和音」であり、Gは「ドミナント・属和音」といわれ、一定の調性感のなかでは、まるっきり反対のキャラクターを持ちます。たとえばC-G-Cのようなコード進行は、終止形で、G→Cになることで「終わったな」とか「調和したな」という強い感覚がでてきます。この正反対の性質の和音を同時にかき鳴らすのがメジャーナインスなのです。
回りくどい説明ですが、要するにメジャーセブンスやメジャーナインスというコードは、主和音と属和音という正反対の性質を同時に併せ持つコード界のキメラ、「両性具有コード」なので、どこまでも決して調和しないのです。
次に、ハ長調の場合コードFは「サブドミナント・下属和音」であり、F→Cは弱終止という終止形を形成します。Fmaj7を構成する音は、ファ・ラ・ド・ミ・(メジャーナインスでは+ソ)でこれまたF+Cによって構成された(下属和音+主和音)キメラコードであります。つまり、
Cmaj7→Fmaj7の繰り返しの裏で常に鳴り続けているのは実は主和音(=ド・ミ・ソ)なのです。ですからこの、Cmaj7→Fmaj7の繰り返しは無限地獄のようにいつまで経っても終わらないような感じでありながら、調性はしっかり保たれているので浮遊はするものの、どっか遠くに逝って還れなくなるような不安を感じることはありません。宇宙船に乗って無重力空間で地球を見ているような感覚です。

ジョン・レノン1971年発表のこの曲は、「天国もなければ足下に地獄があるわけでもない」という文字通りふわふわと宙に浮かんだような詞で始まります。国境・所有・宗教・天国・地獄・そんなものは無く、世界はひとつ・・・当時は共産主義の歌として、ニクソン大統領には大いに敵視され、キリスト教会からもクレームがついた歌ですが、むしろわたくしは「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」という無常観を感じます。大ぜいの犠牲者が出た9.11テロなど悲しいシーンになると思い出される曲でもあります。曲の後半、いわゆるBメロは説教くさいレノン節たらたらでありますが、その前のAメロで延々とCmaj7→Fmaj7を繰り返し浮遊感を高めるところは間違いなくサティの末裔でしょう。

今回紹介のメジャーセブンス繰り返し進行を、ほんのちょっぴり曲の味付け、スパイス的に使う楽曲は数知れず、一昔前のロジャーニコルスやポールウイリアムスなど、A&M系の音楽にはしばしば出てきます。そういえばわたくしが最もリスペクトしている日本のグループ「シュガーベイブ」のデビュー曲のリフレインはこんなでした(サティの明るい末裔?)。

土曜日の夜は七色に輝く下町に出かけましょう!

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