第十回:木枯らしに( ^_^)/□☆□\(^_^ )

春だ、桜だと浮かれているうちにハロウイーンをむかえ、あっという間に時は過ぎてまいります。高校生くらいの頃は一年の中で秋が一番好きだったのに、人生の正午もとうにすぎたこの年になりますと、秋はどうもねえ・・・

木枯らしの吹きすさぶ、ひと気のない裏道を、コートの襟を立ててコツ・コツと靴音を響かせてとぼとぼと歩いてみます。


木枯らしの吹き渡る通りは、ワタシの心象風景では四角い敷石が敷き詰められた歩道と、ガス灯のような街灯がちらちらと灯る、こんなクラシックなたたずまいがよござんすな(ウルトラQ:マンモスフラワーより)。

こんなところに・・・と思うさびれた裏通りにそのバーはあった。
分厚い扉の隙間から漏れてくる、人いきれとシガーの薫りすら懐かしい、その店につま先まで冷えた体を滑り込ませると、止まり木に腰掛けていつもの皿を注文した。こじゃれたバーに不似合いだがこの店の名物は頑固に東京風を守るおでんなのだ。

「このごろはどうだい?」
「ああさっぱりさ、マスター、今日はダブルをホットで・・・」などと他愛ない会話をしながらカウンターのすみを見やると、古びたガットギターが目にとまった。
「やっぱり木枯らし一号が吹いたら、あれでしょう」
「ん、アレですね・・やりますか」とマスターの弾くギターに合わせて40年来の愛唱歌をオレたちは歌った(
クリックしてね)。カラダの芯から温かい生気がみなぎってくるのが、ただただうれしかった。

前フリ長くてもうしわけありません。

顔がある。男がいる。女がいる。若者がいる。老人がいる。喜びがある。悲しみがある。愛がある。憎しみがある。歌っている。叫んでいる。語っている。顔がある。明日がある・・というナレーションで有名なサントリーオールドのCM(小林亜星作曲:夜がくる)です。1967年の作ですからもう40年も親しまれているコマソンです。ナレーションの方もバブル真っ盛りの1989年の大原麗子バージョンを経て、1995年田中裕子バージョンの「恋は遠い日の花火ではない」と変遷して参りましたが唄の方は一貫してかわらず、もはや神曲といっても過言ではありません。ちなみに、ホンモノを歌っている人は、サイラス・モズレーさんという方です。

くすんだアコースティックのノスタルジックな響き、よく似た雰囲気の曲に「ワシントン広場の夜は更けて」があります(クリックしてね)。この曲がリリースされたのは1963年ですから小林さんの4年前ということになります。


実は今回あらためて両曲を耳コピーするまで漠然とにたようなコード進行だろうと思っていたのですが・・同じところはほとんどありませんでした。強いて共通点をいえば、アコースティックなマイナーで、ディキシーランドジャズを思わせるような、はねるようなミディアムシャッフルのリズムであることくらいです。風(伊勢正三)の「22才の別れ」も兄弟曲と勝手に決めつけているのですが、これもコード進行的にはあまりにていません。

ちうわけで、今回は「音楽はコードだ」になりませんでした

てえしゅの好きな歌特集でした。

ここで、発表があります。かねてよりむさ苦しかったガレージバンドにいよいよ紅一点の歌姫様が降臨されました。まだまだ調整中の姫で、ガレージバンドとの同期がうまくとれませんが、ご挨拶代わりに是非一曲お聞きください(クリックしてね)。

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