3月1日

病院研修も終わり、後テストまで、20日。久々に、学校へ集まった皆の顔にも笑顔と焦りの色が交錯している。
それぞれの病院実習での出来事や、病院の雰囲気等の話で盛り上がっている。
変わった症例を見れた所、大阪市立S医療センターではドクターに勉強会と食事会をひらいてもらったとか以外は
某国立O病院では、立ってるだけだったとか、K病院の看護婦は・・・・。
とか、5月の病院研修では行き先を変えてくれとかあまりいい話は聞かなかったような・・・。
ということは、私たち赤十字組は大変ラッキーで充実した研修だったみたいだ。
5月に行くときはまたよろしくね、澤田さん、虎崎さん、山口さん、森田さん、川西さん、赤枝さん、他お世話になった看護婦さん。


3月10日

3月は座学は一つもありません。あるのはテストとシュミレーションのみ。
シュミレーションとは、救急隊3名、患者役、家族役、通行人、やじうま等に別れて、
実際の救急現場を想定して活動する訓練です。
これがまたおもしろい。!関西人がやると「吉本新喜劇」です。
家族役、やじうまなんて「おるおるこんなやつ」て感じでほんまリアルやし、
面白かったです。遠藤君は、窒息の時に、I士長おはこの、「ピースサイン」で盛り上げてくれました。
地方の方が真剣に取り組むと、ついつい方言がでて何しゃべってるかわかりません。
和歌山の岡田君なんかは「ざじずぜぞ」が「だぢづでど」になるから、おかしゅうておかしゅうて!!
しんどう、じんどう、かんどうとなっちゃうんです。そのたびに、心臓。腎臓、肝臓やてしてきされると、
本人はわけわからんようになってくるらしい。
じっさいに、象をひらがなで書くとき「ぞう」なのか、「どう」なのかわからんようになるらしい。
これを読まれてる、和歌山の方心当たりあるのと違います?。


___________試験前につき日記お休みです。____________


3月21日


いよいよテストの日です。皆、思い思い試験会場の大阪工業大学に向かいます。なぜか私は、緊張しませんでした。
それは、自信があるとか無いとかではなく、なぜか落ち着いていました。
答案用紙が配られ試験開始。1問目、、50問、、100問。
斜め前の看護婦さんは、降参したのかもうすでに寝ているようだ。
それとももう出来たのか?
机の間隔が非常に狭いので、隣の人間が気になる。
受験番号の順番は、生年月日の順番です。
時間的に、もっと早く出来ると思ったんですけど2時間10分かかりました。ほんとぎりぎり。
午前中はたぶん80点は取れてると思い一安心。
この試験を受けに来ている人たちは、消防関係者、看護婦さん、専門学性。
救急救命士になるために、専門学校があるなんて知らなかった。
授業料は、2年でうん百万円もするそうだ。
昼休み。みんなで答え合わせ。
すばらしい、午前中は皆合格点だ。
後半スタート。
淡々と問題をこなしてゆきます。 症例問題。後少しでゴール。
2時間30分タイムオーバー。
終わった!!!!。
みんな確かな手応えをかんじて無事終了。
さー、夜の打ち上げで大暴れするぞ!!!。

3月28日

救命士教養を終え、約7ヶ月ぶりに職場復帰。久しぶりに見る鶴見消防署の仲間。何の違和感なしにとけ込む。
本日は救急隊長。終業点検を終えまもなく出場指令。復帰第1発目は、「交通事故」。
自転車と車の接触事故で女性1名負傷。
幸いなことに、左肘の打撲だけで事なきを得ました。
本日は、救急出場11件。


4月某日


気分不良の通報で出場する。住所を確認するといつもの人だ。昨日の勤務から数えて3回目。
病院ではどこも悪くないと先生が言っていました。
お酒のにおいをぷんぷんさせて気分悪いんですと言う。
昨日から数えて3回も救急車を利用し、挙げ句の果てに酒の臭いをぷんぷんさせて気分悪いんです。
ええかげんにしてや。!!。あんたが救急車使用してる間この鶴見区には救急車がないねんで!!。
この間に、一刻を争うような救急事案があったらどないすんねん。!!
と、心の中で叫んでいました。


4月22日


合格発表。大阪研修所全員合格!!!祝


5月10日


今日からまた、赤十字病院での研修が始まりました。
合格したからと言ってまだ救命士を名乗れません。
この最後の病院研修約1月間を終了して晴れて6月の吉日に
救急救命士を名乗れます。久しぶりの赤十字病院。
みなさん元気にしてるかな?。今日は、近鉄電車に乗るが非常に楽しみだ。!!
午前中、手術場の見学を終えて救急センターにて実習。あつ、川西さんがいた。
あの、愛嬌のある顔の婦長さんもいる。何となくほっ。
でも、私たちが知っている他の看護婦さんは、前回の移動でICUに配属になったそうだ。
婦長の目を盗んで、看護婦さんの勤務表をチェック。あーよかった、山口さんと澤田さんがいる。
救急の木村先生は、前回みたいに黒いシャツを襟から見せていませんでした。

    

       婦長さん                 みりんさん(ピンぼけでごめん)

5月12日


今日はLMの実習でした。初めて人に入れるのは勇気がいることでした。
でも、これから先、救命士として活動するためには必要不可欠なものです。
キシロカインを塗りおそるおそる挿入。以外と素直に入ってくれました。
舌の取り扱いに気を付ければLMに関しては問題なさそうでした。(実際はうまくいかないだろうけど)
続いて喉頭鏡を使用して喉頭展開。気管が見えます。
近い将来、気管内挿還も救命士が行えるようになるだろうということです。
そのときのために、喉頭鏡は絶対にマスターしないといけません。


5月18日

ラパ胆の手術見学。ラパ胆とは、胆嚢摘出手術のことです。
私は手術と言うから腹かっさばいて胆嚢をぶった切るのかと思っていたら、
小さな穴をお腹に3つあけて、一つにはマイクロカメラを、
後のこる2つには電気メスやクリップ状の挟む物を挿入して胆嚢を探し出して切り取ります。
切り取られた胆嚢は、一方の穴から袋状のビニールをいれ
(ビニールの先端はひもがついていてちょうど巾着のようになってます。)
その中に、もう一方の穴から挟める形をしたもので胆嚢をはさみ
ビニールの中に入れてひもを穴から引っ張ると、胆汁をこぼすことなく、胆嚢が摘出されます。
この手術は、お腹を切っていないから術後の患者さんは次の日から歩けるし、非常に安全で痛みの少ない手術だそうです


5月20日

脳神経外科と整形外科の境界線について、Y先生から指導を受ける。
この先生は、ブラック・ジャックみたいな先生です。外から見えない血管が、見えるのです。
先日も、CPA患者に対してルートをとるのに、どの先生も看護婦もルートを確保するのに苦労しているところに現れて
見えてない血管をいとも簡単に、確保してしまいました。すん〜ごい。
私たち救急隊にとっては少し難しい話だとおもうのですけど、
例として、とある所で交通事故があって現場に到着した。右側頭部より出血がある。
骨折の疑いあり。創は15pほどあり出血量は多い。
意識レベルは受傷時より清明。脳神経外科を頭におくか、整形を頭に置くかどっち?!
私は脳神経外科と答えました。
両方あるような病院を選択するのがベターだけれど、どっちかというと脳神経外科だと思うのですが・・。
先生の見解としてそれは整形だそうです。
救急隊は、頭をけがしたとか打撲したとか言うとすぐ脳神経外科を選択するけれども、
打撲しようが傷をおって出血しようが脳に損傷がなければ整形の領域だそうです。
言われてみたらそうなんですが、
救急隊としたら、万が一を考えるからどうしても脳神経外科を選択してしまいます。
救急現場にはCTもレントゲンもありません。
まちごうてるんかな?


6月3日

今朝はいまにも、泣き出しそうな空模様。今日で、赤十字病院ともお別れ。いろいろありました。
そういえば、前回の病院研修の初日もこんな天気だった。
午前中オペを見学して午後より救命センターに勤務する。親しくなった看護婦さん達が忙しそうに働いている。
トータル2ヶ月間の研修だったけど知らない間に、自分も赤十字病院の一員になりきっている。
今度、自分が病院研修に行くのは、3年後。場所は、おそらく医療センターだろう。
そのときには、赤十字の研修医の井上、仲川、両先生も腕利きの救急医になられていることだろう。
こつこつタイプの仲川先生、猪突猛進の井上先生がんばって下さい。
とくに、井上先生看護婦さんに負けたらあかんよ。
先生はこれから、だいぶいじめられそうですよ!!

6月7日

昨年の9月16日からの長い長い道のりも、今日でめでたくゴールイン。
緊張感につつまれ、使命感と不安感が交錯しながら署長室に吸い込まれていく。
消防士長 牧野 貢 救急救命士を命ず。


6月9日
今日から、救命士として初乗務。
最初の救急指令は、交通事故。軽症でよかった。
2件目、3件目と軽症事案が続く。
5件目23:00ごろ、36歳 男性 呼吸困難の指令で出場する。
現場到着。自宅2Fにて兄に付き添われ仰臥位でいる。
顔面は既に、チアノーゼがでている。
回りには、黄色い嘔吐物あり。
このような場面では、家族が取り乱していることが多いのだが
なぜか、母も兄も冷静でいる。
隊長が呼吸と脈拍の確認をすると同時にハートメートにて心電図の確認。
フラット。CPA状態。口が硬くて少ししかあかない
隊長が、マスクバックで人工呼吸を、機関員が心臓マッサージを即座におこなう。
私は、経鼻エアウエーを挿入し、3人で協力して車内へ。
100s以上は楽にありそうな傷病者なので2Fからおろすのに苦労する。
やはり、救急隊も日頃の筋肉トレーニングが必要だ。
隊長が、医療センターに特定行為の指示をもらう。
指示確認後、私に「コンビチュウーブ挿入!」の命。
心臓が、ばこばこ、唇がぶるぶる震える。
硬い口をあけ、喉頭鏡にて喉頭展開。赤十字病院の留守先生の声が聞こえる。
「舌に添わして、エピグロが見えたらもう少しブレードすすめ、持ち上げる」
無事、コンビチューブ挿入、即座にオートベントにて換気。
隊長が、ルートの確保を試みるも、血管がみえない!!。
機関員と交代し、夢中で心臓マッサージ。
がんばれ、がんばれと心の中で叫びながら・・・。
救命士として乗務したその日にいきなり特定行為。
もう、訓練でも、研修でもない!。
しゃれにならんで


ーーーーーーーしばらく日記おやすみでしたーーーーーーーーなぜ?外部圧力?ーーー
2000年

5月14日
お昼前の救急事案でした。50歳男性の痙攣発作の指令でした。
現着すると、奥さんに付き添われ居間にて右側臥位で男性が倒れていました。
左手は若干の痙攣が残っていましたが、「わかりますか?!」の問いに
「うんうん」と返答。
奥さんに事故概要を聞くと、献血に行って帰ってきてすぐ町内の清掃に出るために
表に出たとたん体を振るわせて倒れたとのこと。
どんな痙攣ですか?と問うと体全体を振るわしていた。
と言うことだけで後は覚えていないと言います。
私はその日の隊長でした。
私の判断は、電解質以上、血管内のボリュームが減ったから血栓ができTIA、AP?既往なし。
でした。そこへ献血センターの医師が到着、同乗されることになりました。
私は、内科対応で脳外科のある病院に搬送しますと医師に伝えると
医師は脳外科でよいと言われとにかく直近脳外科へ搬送することにしました。
私は隊員に、血圧測定、SPO2測定、検温、酸素投与を命じました。
痙攣発作だったので、SPを確認しないで酸素を投与してしまいました。
隊員に聞くと途中で医師が酸素投与をやめるように指示したとのことで
後でその根拠を聞くと、左手にテタニーのような症状が見られたからだといいます。
同乗の医師の見解は痙攣の原因はハイパーベンチだそうです。
でも隊員の話によると酸素投与をやめたとたんサーチレーションは見る見る下がり
93まで下がったと言います。
そしたらなぜ脳外科ですか?の問いに
「脳外科の診察で脳外科ではないと判断できれば、神経科であるという事が言える。
脳外科ということをうちけしたかったからだ」とおっしゃります。
「だから結果的にあなたの投与した酸素は処置間違いだ。」
でも、どう考えても過呼吸には見えないんだけどな〜!
搬送病院の診断結果は、APの疑いでした。
俺、間違ってたんやろか?

6月23日

昨日は、ノーパンで勤務しました。と言うのも、朝出勤してきて、
パンツの着替えをもってくるのを忘れたので、
「仕方がない今日は、
24時間履いておこう(ばばちー!!)」
と決意しました。
すぐに、救急出場がかかり、現場について
患者をストレッチャーに乗せようと
しゃがんだ瞬間、「バリ」って、おパンツが・・・(T_T)
とにかく、そのまま病院搬送して、
署に帰って見てみると、すでにオパンツは
オパンツの役目をしておりませんでした。
着替え忘れたし、近くに売ってるところないし、
友人に新のパンツ貸してくで〜!!って言ったところ
彼は、快く貸してくれたのは良いけど
ブリーフなんです。愛論人はトランクス派なので
返しました。ブリーフは、金○に違和感があって・・・。(^_^;   
結局、24時間ノーパンで勤務しました。
トイレに幾たびに、チャックの施錠を確認してたいへん。
もし、社会の窓が開いていて、「オパンツ君こんにちは」ならまだしも、
「ドジョウさんこんにちは」してタラ洒落にならん

7月13日

たいへんな一週間でした。
最初は、土曜日、65歳女性の意識障害の指令で
出場すると、すでにCPAでした。
こんなことは、しょっちゅうですが、その人署員のおかあちゃんでした。事情を聞い
ている内に分かったんですが、・・。
その人にコンビチューブをいれ、心臓マッサージするのってつらく
助けてあげたいのですが、やりきれない気分でした。
いつもなら、ルート確保をばんばんチャレンジするのですが
署員のお母さんであるがために、いたずらに手をつつきたくなく
びびってしまって、とれませんでした。
結局、帰らぬ人でした。


火曜日、交通事故で、三次医療機関に搬送したんですが
そこのドクターに、救命士はうそつきばかりや!って
怒鳴られました。
理由は、「三次の対応で夜中わざわざスタッフ集めてるのに、
二次でいけるもんばっかしもってきやがって!」だって、
愛論人は、この人の医療関係者としての良識を疑いました。
悲しいです。10個のじあんの内、それがかりに9個二次対応でいけても、そのうち
1つが本当に重症で有ればそれのためにいつも万全の体制でまっててほしいです。
救命士は、医者じゃありません。
体の中まで見えません、勉強ぶそくと言えばそれまでなのですが・・。
診断結果は、肝挫傷、前頭骨骨折です。

木曜日。隊長の日
昼過ぎ、一家心中と思われる事件。
母が、長男四歳を九階から投げおとし、続いて長女二歳を
抱いて飛び降りる事件があり、到着時
母親と、四歳の子どもはすでにCPA。
二歳の子どもは、骨盤骨折、大腿骨解放骨折意識レベル
20〜30でも、重症。

鶴見救急は,市民に必死に協力を求め、母親のCPRを、
後続の救急が来るまで、依頼し、
鶴見は、四歳の子どものCPRに着手しました。
さすがに、小さい子どもにLMを挿入するときは
言いようのない緊張とやるせなさ、おびえ、・・
つくづくこの仕事の難しさ、重大さを痛感しました。
車中、「戻ってこい!」と必死の願いもむなしく
結局、二人は帰らぬ人となりました。
長女は、一命を取り留めた模様です。
その事案があり、帰署ご、警察、マスコミ、署の幹部連中の
事情聴取の最中に、さっきの飛び降りから
数十メートルしか離れていない場所にて、
加害。到着すると、隣人に殴られたと思われる
七〇歳ぐらいの男性が右手に刃物をもって倒れていました。
顔はぼこぼこ、(外傷性ザー)首には刺創。腹部に二カ所の刺創。
処置と搬送のためにその包丁を取りあげ、後続した警察に
手渡したため、任意提出書と言う書類を書かなければならず
質問調書、やんやで、前回の心中事件の事故報告も終わらぬまま
警察からひっきりなしの電話。
おまけに、夜中にレイプ未遂があり、これも
機動捜査隊の事情聴衆。なんやかんやで三件の刑事事件プラス
救命講習、15件の救急出場!眠れずじまい
もう、隊長なんて、だい嫌いだ!!(T_T)

2000年12月31日
今日で20世紀も終わり、朝からは21世紀。
日記も半年お休みしていました。何故か?
書きたくなかったのでも、書く時間がなかったわけでもない。
単純にさぼっていました。m(__)m m(..)m
2000年の大阪市の救急件数は、16万4973件。
鶴見救急隊は3099件昨年度より85件の増加。
この件数はおそらく、増え続けることでしょう。
来年は、17万件の時代がやってくる!
指令段階でもかなりトリアージはしてくれていると思うけど・・・・
搬送患者の80%は軽症者で、一度救急車を利用すると、
かならずまた、呼ぶようになる。
中には、サイレンを止めてきてくれと注文もつけられる。
市民に優しい救急を目指しているため、要望にこたえてはいるが
サイレン吹鳴を止めているときに事故を起こした場合どうなるのだろう?
緊急執行中といえるのだろうか?
利用する側も正しい利用といえるのだろうか?
この問題は、21世紀まで持ち越しだ。