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#3117/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/12(Wed.)  20:57  ( 35)
a@015 欧米のプロ意識     一久
★内容

【ノット マイビジネス】

 欧米においては、日本のような職場一体となってのフォロー
 は期待できないという。

 一般の窓口などでも、同様に、忙しい部署に同僚が駆けつける
 などということは無いのだそうな。

 これは、プロ意識の欠如であろうか? 日本流に考えればそう
 いうことになるであろうが、実は、彼らのプロ意識のほうが、
 論理的に調っているためである。

 お金をもらっている以上はプロである。しかし、十分な報酬
 を得ていない者は真の意味でのプロではない。

 この二つのプロ意識の妥協点は、結局は、「契約と報酬」に
 求めざるを得ない。

 そして欧米の社会は、これをキッチリやっているだけなのだ。

 すなわち、契約で決められた範囲でのみ、プロ意識を持って
 働く。それ以外のことに手を貸すことは、かえって契約違反
 であり、余計なお世話ということになる。

 もっとも、それで割りを喰うのは客であるが、その対応を工
 夫することはマネージャーの職務ということになる。

 逆に言えば、日本流の「プロ意識を持て」というのは、報酬
 と契約をあいまいにすることによって、少ない報酬で最大の
 努力を社員に求める、相当にヤクザなやり口であるといえる。

 そうであればこそ、社員は面従排復し、訓辞は成果を表さない。
 なんと、おろかなことよ。



#3118/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/14(Fri.)  20: 0  ( 50)
a@016 政党内民主主義     一久
★内容

【選挙は民主主義の入り口にすぎない】

 選挙というものは、民主的手段のひとつには違いないが、選挙を
 すれば民主主義という訳ではない。

 古くから言われているように、選挙によって独裁者が選ばれたり、
 選挙の結果、強圧的な政権が誕生したりすることが少なくない。

 いわゆる識者諸氏は、そうなる原因として国民が馬鹿だからだと
 しか言わない。なにがどう馬鹿なのか、何に気をつければよいの
 か、という肝心なことについては何も言わずじまいである。

 「だまされた国民が悪い」と、他人事のようにうそぶくのである。


【民主主義の国にしたいなら】

 民主主義の国にしたいのであるならば、民主主義を持っている政
 党を選べばよいだけのことなのだ。

 民主主義を持っていない独裁的・強権的・独善的な政党や候補者
 に票を投じなければ良いだけのことだ。

 実に簡単なことではないか。

 個々の政策や、政治綱領などではなく、その政党の内部において
 民主的な話し合いが行われているかどうかを見ればよい。

 しかしながら、今現在行われている選挙は、大概そうではない。

 政党も、マスコミも、国民も、どの政党が最も理想に近い民主主
 義的運営をしているか、などということは、問おうともしない。

 そんな観点から選挙すべきであるとは、誰も考えたことすらない
 かのようだ。

【選挙は捕獲網のようなもの】

 選挙は民主主義のアイテムのひとつである。しかしそれは、民主
 主義以外のものを導入することもできる道具でもある。

 カブトムシ(民主主義)を捕まえようとして民主主義印の昆虫網
 をふるったはいいが、入ってきたのはゴキブリ(独裁政権)だった、
 ということがありえる。

 カブトムシ(民主主義)を手に入れたければ、どれがカブトムシで
 どれがゴキブリなのかを良く見極めて投票(網をふる)必要がある。




#3119/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/15(Sat.)  22:22  ( 28)
a@017 民主主義の政党とは     一久
★内容

【民主主義の政党とはなにか】

 それでは、選ぶべき「民主主義の政党」とは何か?

 民主主義であるべき理由は、言論の自由を確保し、それに
 よって、政策や見解を常に検証し、誤りあれば正すことで
 あり、同様に、自分達の指導者に不正があれば糾弾するた
 めである。

 だから、そういう行為を行っている政党を選べばよいとい
 うことになる。

 党内に言論の自由があって、どのような政策に対してでも、
 常に理知的な反対派を抱え、真摯な討論が繰り返されてい
 るかどうか。

 党所属の議員や有力者の不正を調査することに、検察やラ
 イバル政党以上に真剣であるか。

 多数の違った意見を抱えつつも、現時点で最良とする判断
 を示しえているかどうか。政治である以上は、討論の続行
 と共に、現時点での決断が必要不可欠であるから。

 検証・自浄・決断。この三つにおいて、どの政党の民主主
 義がもっとも優れているかを判定し、選挙で投票すればよ
 い。



#3120/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/16(Sun.)  21: 5  ( 41)
マニフェスト・公約に意味は無い     一久
★内容

【マニフェスト・公約に意味なし】

 マニフェストに意味は無い。

 いかなるマニフェストといえども、現実の政治とは必ず乖離が
 ある。

 ゆえに、政権を得た後は、現実に沿ってマニフェストに修正を
 加えていかざるを得ない。

 しかしながら、もし無制限な修正を許せば、マニフェストには
 なんの意味も無かったことになってしまう。

 修正せずに原理主義的にマニフェストに従うのは愚かであるが、
 無制限に修正を許すことはマニフェスト選挙を無効にしてしま
 う。

 【なんのためにマニフェストか】

 では、なんの為にマニフェストはあるのかというと、それは、
 マニフェストを作る過程を通じて、政党内民主主義があるかど
 うかを有権者が知る為である。

 そのマニフェストは、どのようにして作られたか?その利点と
 欠点、リスクはどこにあるのか、対案は他にあるのか、他の案
 よりもそれを選んだのはなぜか。

 党内の討議において、これらのことが検討され、発表されてい
 てはじめてマニフェストは意味を持つ。

 すなわち、マニフェストが修正されざるを得ない現実にぶつか
 ったとき、この討議の場の経緯結果を参考にして、再考した結
 果、修正しました、と国民に報告する。

 それでこそ、無制限な修正ではなく、より吟味した結果の修正
 であると主張できる。

 マニフェストもまた、政党内民主主義によって担保されるべき
 ものなのだ。



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#3121/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #3120 ***
★タイトル (********)  11/ 1/16(Sun.)  21: 5  (  1)
a@018     一久
★内容
 ナンバーつけるのわすれてた

#3122/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/19(Wed.)  20:49  ( 32)
a@019 国家百年の計     一久
★内容

国家百年の計を考えるのが政治家の仕事だ、とかいう人は多いが、
具体的な国家百年の計をきいたことはいまだにない。代わりに言
ってやろう。百年後に、すべての生活必需品をロボットが生産す
る世界を目指すことがソレだ、と。

物だけではなくて、サービスもだ。医療・看護・メンテナンス、
そうそう、学術や開発もロボットやコンピューターが行う。人間の仕事
は、要求を出すことと、ダメダしをすることだけになる。

人型ロボットは、2050年までに完成を目指して開発されてい
る。ロボカップがそれだ。あれは、単にサッカーで勝つことを目
的にしているのではなくて、サッカーで人間に勝てる能力があれ
ば、他に何でもできるだろうということで設定された競技だそうな。

あと40年ほどでそこまでいくならば、それから60年かけて社
会全般にロボットを普及させることは十分に実現可能なことだろう。

そのうえに、日本政府の政策として、年間一兆円の予算をつける。
財源は赤字国債でよい。計画の進行は飛躍的に高まるだろう。

百年後には、赤字国債が100兆円増える訳だが、べつに問題あ
るまい。それ以後にロボットが生み出す国富は100兆円どころ
ではないのだから。現在のGDPが500兆円だから、ロボットが人間
の仕事をすべて肩代わりすれば、一年間に500兆円の返済をして
いることになる。

ということで、技術的・財政的には簡単なのだが、問題は、社会的
にどうやって以降していくかにある。 一億体のロボットを作って、
働く国民全員に見習いとして付け、一ヵ月後に一斉に交代する、と
いうことが出来れば問題ないのだろうけれど。



#3123/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/22(Sat.)   9:22  ( 34)
自由と平等のバランス     拓睦
★内容
基本的に、自由と平等は矛盾する。
差異を認める自由、等しく平らにする平等。当たり前ですね。
ならば、ケースバイケースで臨機応変に、という感じで運営されてきましたが
どちらが上位概念かは考えられずにいた。

どちらが上位なのか?
思うに「平等」である。
なぜならば、不特定多数を対象にしたインフラだからである。
「法の下の平等」「機会の平等」「GODの下の平等」などは、まさにこれである。
国民、信者、労働者など不特定多数を対象にしており、人間というカゴテリーを
採用しているからです。
ここでは個人というものが出てこない。

故に、個別事象には対応しきれない。
その段階においては、自由の方が活力と創意工夫を活性化でできる。
個別事象とは差異を把握してこそ、有益な手段が創成される。
すなわち、議論による模索だ。
馬鹿な的外れな意見も等しく尊ばれば排除できないからです。

つまり、平等はその非世俗性ゆえに、世俗性のあることには手を出すべきでは
ない、ということです。

個性とは差異を把握することで成立する。
そこに平等を持ち出したならば、抑圧に他ならない。
なぜ国家社会主義者が、ああも暴走するのか?
平等の適用を広げていくと、差異を押しつぶさざるえなくなる。
もし、無制限に広げることができたのならば、、、
その結果残る差異は、指導者(自分)と奴隷(他者)という概念だからです。
「山岳ベース事件」など、この最たるもの。

つまり、アカが暴走するのは、当たり前の話です。
理論の適用範囲は狭いのに、出世のために押し広げるのですから。
自己正当化にも慣れていますからね。



#3124/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/22(Sat.)  11:53  ( 34)
a@0020 現代社会における平等     一久
★内容

【平等とは公正のこと】

 現代の自由主義社会においての平等とは、等しく均すことでは
 なくて、機会均等という言葉に代表されるように、公正な競争
 を行いえることを指す。

 ゆえに、基本的に自由と平等は同席することになる。

 平等でない状態からの自由競争というものもあるにはあるが、
 その場合でも、競争できるという平等性は保障されていなけれ
 ばならない。

 例えば、金持ちの息子が家庭教師を何人もやとって勉強し、貧
 乏人の息子が本もろくにない状況で勉強していたとしても、受
 験する機会が均等にあるならば、貧乏人が勝つこともありえる。

 しかし、資産家の息子しか受験できない不平等な社会であった
 ならば、貧乏人が受験で勝つことはありえない。

 このような社会には、平等も自由も共に存在していないことに
 なる。

【公正な平等】

 平等をテーマにする個人・団体であっても、まったくのナマケ
 モノを手厚く保護せよ、などとは言わないであろう。

 平等の名の下に保護し、援助すべきは、不可抗力もしくは、過
 去の失敗によってマイナス要因を抱え込んでいる人のみである。

 これもまた、一言で言えば、自由競争のための平等のことなの
 である。



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#3125/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/22(Sat.)  12:13  ( 53)
a@021 最低限度、討論に必要な知識     一久
★内容

【正義は必ず勝つ、とは限らない】

 正義が必ず勝つのであれば、負けたということは正しく
 なかったのだ、ということになる。ゆえに、第二次世界
 大戦後の日本人は、一億総懺悔した。

 しかしこの考えかたほど、近代国家から程遠いものはない。

 そして、「負けたのは正しくなかったからだ」という思考
 を否定しない限り、討論ひとつマトモにすることはできな
 い。

 「負けたのは正しくないから」であるならば、討論で負け
 る訳にはいかないようになる。必然的に感情的・煽動的に
 なり、最後は罵倒合戦となる。



【中性国家】 政教分離の本当の意味

 国家における議会の決定も、討論における勝ち負けも、そ
 の結果として出される決定・結論は、単なる法的形式的な
 決定にすぎない。

 決して、勝った側の政策や意見が、真理や正義を意味する
 のではない。

 真理だの正義だのといったものは、各自がそれぞれで追求
 するものであり、国家や討論の場は、それに関与しない。

 どうしてもという人は、宗教だの文学だのといった場所で
 それを求めることになる。

 こうであればこそ、各自は各々の信念に沿って自由に意見
 を述べることができ、かつ、敵対するものの弁を聞くこと
 も可能となる。

 たとえ「敵」の妄言がその場の賛同を得たとしても、それ
 は相手の正しさを意味しないのだから。

 政治的決定(討論での結論も)は、あくまでも法的・形式
 的な決定であって、正義や真理を意味しない。そういうも
 のは宗教(や文学といって精神的なもの)でやるべきこと
 である。

 そしてまた、宗教のほうも、宗教的正義をもって法的決定
 を覆すことはしない。これが政教分離の本当の意味である。

 そして、近代政治は、これなしにはありえない。

 これを中性国家という。



#3126/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/22(Sat.)  12:40  ( 37)
a@022 討論は自己検証のためにある     一久
★内容

 【何のための討論か】

 討論での結論は、正義でも真実でもない。それどころか、
 討論を経ることによって、確からしさが増す訳でもない。

 討論の結果、A案が採択されたとしても、それはA案が
 正しいからではなくて、議論に参加した者がすべてアホ
 だったから、なのかもしれない。

 真実は、否決されたB案こそが正しかったのかもしれない。

 では、そうだとしたら、討論なんて意味がないのではな
 いか。何のためにそんなことをするのか。


 【討論は自己検証のためにある】

 討論の意義は、互いに意見をぶつけることによって、そ
 れぞれの意見の利点・欠点を検証しあうことにある。

 そうすることによって、A案が採択され実行されたとき
 に生じるであろう、現実とのギャップによって生まれる
 不具合に、対応しやすくなる。

 否決されるであろうことが最初から分かっているB案に
 ついても同様のことがなされなければならない。

 なぜならば、A案が全く的外れで、急遽、B案に変更せ
 ねばならない事態もありえるからだ。そのとき、B案に
 対する批判的な議事録が無かったならば、対応できまい。

 いわゆる談合政治がダメな理由もここにある。談合では、
 互いの意見を批判検証することができないからだ。


 


#3127/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/22(Sat.)  12:48  ( 17)
a@023 マニフェストは検証する団体があってこそ     一久
★内容

【検証する団体はいずこ?】

 マニフェストというものは、それを検証する団体があって
 初めて有効なものになる。

 実行できたかどうかを判定し、次の選挙において「格付け」
 をする。

 この政党は、政権を取っておきながら、これだけしか実行
 できませんでした。この政党のマニフェスト信用度は、

   発表します!   「15%です」

 というふうに、である。

 格付けのないマニフェスト選挙なんて、なんの意味もない。


#3128/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/22(Sat.)  21: 9  ( 14)
a@024     一久
★内容
大阪市を切り離すべし

そもそもこの問題は、府市協力といいながら、実際には府は市を搾取したい。
市は府に払いたくない、という構図が下地にある。

そのことは、大阪だけではなく、すべての道府県と、その主要都市について
いえることだ。

ゆえに、真の解決策は、主要都市を都道府県と同格のものとして独立させ、
道府県は、独立できない市町村の面倒をみるだけの存在となることである。

大阪市民は、今後一切の府税を支払わない。そのかわり、大阪府は、大阪
市域内のすべての行政サービスを行わない。これでこそ、スッキリする。



#3129/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #3124 ***
★タイトル (********)  11/ 1/24(Mon.)  21:56  ( 51)
a@025 自由が平等を侵害するとき     一久
★内容

【自由が平等を侵害する】

 自由がなければ平等ではなく、平等がなければ自由はない。

 自由とは、平等に参加・競合・競争できるということであり、
 平等とは、自由に参加・競合・競争できるということである。

 では、世に言う、自由が平等を侵害するという事態は何を意
 味するのであろうか。


【自由が自由を侵害する】

 実は、自由が自由を侵害する場合がある。

 すなわち、自己の自由を主張するあまり、他人の自由を侵害
 することがある。というよりも、自然界においては、この種
 の「自由」こそが普通である。

 人間が言うところの自由とは、そのような動植物的自由では
 なくて、人間社会をより住みやすくするための自由である。

 他人の自由を抑圧することを互いに禁じ、あるいは制限し、
 そうすることによって、より優れた新しい事業が阻害されな
 いようにする。

 かくして、人間だけが高度な社会を築くことが出来た。人間
 は社会的な動物であると言われるゆえんである。


【平等を侵害する自由とは】

 つまり、平等を侵害する自由とは、この「他人の自由を侵害
 する自由」のことである。

 ビルゲイツがいくら稼ごうとも、彼の自由であり、私の自由
 は侵害されない。

 しかし、マイクロソフトが独占的手法でソフトウェア市場を
 支配したならば、ソフトウェア作成会社の競争する自由は失
 われ、マイクロソフトと他の企業との公平性は失われる。

 自由と平等とが相克するとは、実は、自由が自由を侵害する
 ということの結果にすぎないのだ。








#3130/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/25(Tue.)  20:29  ( 24)
a@026 敵対者を尊重せよ     一久
★内容

【自己検証のために】

 討論の目的が自己検証であるならば、自分と対立する意見
 こそを求める必要がある。それなしには、検証など不可能
 である。

 ゆえに、言論の自由が最重要視されることになる。

 誰もが自由に反対意見を述べることができてこそ、自己検
 証もきちんと行われる。

 さらにいうならば、発言しようとしない相手からさえも意
 見を引き出してこそ、真の自己検証だといえるのかもしれ
 ない。

 そこまではともかくとして、反対者の言論を封じたり、威
 嚇したり、罵倒したりする人間には、討論で発言する資格
 はない。

 彼らは自己検証という、討論の目的をすでに喪失している
 ことになるのだから。


 

#3131/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/26(Wed.)   0: 3  ( 58)
山岳ベース事件     拓睦
★内容
あさま山荘事件は有名ですが、山岳ベース事件というとどれほど有名だろうか?
だいぶ風化しているのでしょうね、事件の概要がwikiあたりで調べてもらうとして
なぜ、あのような事件が起こったのか?
という命題を考えてみたいとおもいます。
それにより狂信者と呼ばれる思考形態を分析し「天国にいたるには地獄へ行く道を
知るのが一番である」と信じ予防策がとられることを期待して。

まず、当時状態として

1.社会的に孤立からくる先鋭化
2.別組織との合同に伴う主導権争い

の2点がある。
1.から手段が過激化するのは当然、というかしまっくていました。
2.から火種が内包していた、ということです。
さてさて、こういう事態ならば滅亡目前の末期組織にはよくある話。
この事件の異質さは、集団リンチによる残虐な手口とリーダーの指示に唯唯諾諾
と従ったメンバーにある。
明日は我が身と考え、反乱を考えなかったのか?
リーダーには倫理がなっかたのか?

私の回答としては、倫理があったからこそリーダーは残虐な行為を行い、仲間は
倫理によって反乱をかんがえなかった、です。

なぜならば、倫理のすり替えこそが洗脳の本質だからです。
倫理的だったからこそ残虐な支持を出し、倫理的だったからこそ指示に従う。
さて、なぜそうなったか。
隔絶により外部検証がないこと、でしょう。
組織という閉鎖空間において独自の倫理が働くのはよくある話。
手口が残虐というだけで、目新しい話ではない、というわけです。

つまり、構造的には異質ではない、人間本来の姿です。

では、結果として、そこまで暴走してしまったのか?
倫理があったが、倫理に問題があったのか?
倫理の運営者である指導者に問題があったのか?

この問いは当時も言われており、知識人は指導者を、指導者は思想に責任がある
と主張した。
私の考えとしては、相互依存であると思う。
両方、というわけです。
前回、自由と平等のバランスで書いたように、平等を無制限に拡張すれば指導者
と奴隷という格差以外すべて撤廃される。
そして、関係者は社会的に孤立し、思想以外の物差しを放棄しその純化を求めた。

結果、完璧な思想も、完璧な体現者もないのにそれを求め、上記の主導権争いに
着火した。またリーダーになった人間は本来2流と評され、早急な権威の確立が
必要だったので過激な手段に拍車をかけた。

だだし、平等という概念を弁護すれば、上記は個人を抑圧できる概念と、それを
実行し賛美される閉鎖組織があれば、どこでも発生するものである。
近年だとオウム真理教の「ポア」が該当する。

では、対抗策は?
閉鎖空間の発生を防ぐこと、につきる。
現状では「自由」しかない。
だだし、自由の場合には最後の人間、という問題が付きまとう。
そこら辺は次回にでも


#3132/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/27(Thu.)  22:47  ( 35)
a@027 民主主義の主戦場は政党内にあり     一久
★内容

【政党内部こそ、民主主義の要】

 民主主義国家において、討論や検証を行うべき最重要な
 場所は、国会ではない。テレビ番組の中でもない。新聞
 紙上でもない。

 政党の内部こそが、その場所である。

 政党内部において、真摯な検討を行い、その時点での結
 論を出し、政策に反映させ、誤りあればこれを修正する。

 そのような政党であれば、どの政党が政権を取ろうが、
 政党内部の民主主義的運営を通じて、国家の民主主義も
 保たれることになる。

 二大政党制とは、そのような政党が二つ以上存在し、国
 民はどちらがより優れた民主主義の政党であるかを選挙
 によって選ぶ制度である。

 もしも政党内部にこのような検証能力が無い政党ばかり
 であったならば、政権を取った政党は暴走を始め、政権
 を失った政党は、党利党略に走って議会を混乱させるこ
 とを省みないであろう。

 党内でさえ検証することがない政党が、政敵である他党
 からの批判に応えて、真摯に検討することはありえない。

 あったとすればそれは、数合わせのための行為、すなわ
 ち「談合政治」である。

 数合わせが目的であるから、批判・検討はいい加減なも
 のとなり、その政策のリスクや欠陥は無視される。

 
 

#3133/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/31(Mon.)  20:26  ( 52)
a@028 奴隷経済再考     一久
★内容

【奴隷経済を再考する】

 奴隷制度社会において、失業者も難民も存在しなかった。
 存在すれば、たちまち奴隷にされていたであろうから。

 このことから、逆に、失業者対策や難民救護活動のあり方
 を模索できるのではないだろうか。

 つまり、奴隷とはどんな制度であったのかを再考し、その
 成立条件を抽出し、そして、現代にあわせた形での新制度
 として作り直すのである。

【奴隷とは】

 奴隷は第一に、衣食住を保証されている。

 第二に、労働を強制されている。

 第三に、意外にも奴隷は仕事をサボる者である。古来、奴隷
 労働ほど、生産性の低い労働は無いと言われているように。

 現代の失業対策や難民対策は、この要件を満たしていない。
 ゆえに、効果が薄い。

 現代社会では、衣食住の保証、といっても、金や一時的な食
 料支給しか行っていない。

 労働を強制してもいない。強制しないということは、働く場
 を保証していないということでもある。

 自由に就職活動して働く場を見つけ出せる状況であればとも
 かく、そうでない事態においては、労働を強制されないとい
 うことは、自由を抱いて死ね、と言っているのと同じである。

 難民のように就業経験の少ない人々には、先進国並みの長時
 間労働を強いるべきではない。奴隷がサボれたように、難民
 の仕事は短時間のものにすべきなのである。午前中だけ働い
 て、かつ、週休4日とかにすべきなのだ。

 まとめると、失業・難民対策としては、十分な衣食住を保証
 する見返りとして、労働債務を背負わせるべきである。

 ただし、一日の労働時間も、年間の労働時間も、少なくする
 必要がある。

(どの程度少なくするかは、その社会によって変わる。日本人
 失業者相手ならば、八時間労働・年間1600時間でも少な
 いだろうが、アフリカの難民相手ならば、これは逃亡者が出
 かねないほどの多すぎる労働時間だ)




#3134/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/31(Mon.)  20:45  ( 31)
バブル経済再考     一久
★内容

【バブルはバブルにあらず】

 バブル期の実体経済は、バブルではなかった。

 そのことを理解しないがゆえに、その後の対策は失敗の
 連続となった。


【金融はバブルでも、実態はバブルではなかった】

 地価と株価の暴騰がもたらした金余り現象は、確かにバ
 ブルであった。

 だが、それにも関わらず、貿易収支は黒字を続けた。こ
 れはつまり、生産が消費を上回っていることを意味する。

 実体経済は、バブルなどではなかったということなのだ。

 そのような状況で、金融バブルがはじけたらどうなるか?

 生産力が余って、人減らし、生産調整が起こる。いわゆる
 デフレ・スパイラルだ。

 日本が長期に渡って、不況に苦しんでいる理由はここにある。
 
 実体経済に合わせて、はじけたバブルの分だけ量的緩和す
 べきなのだということが分かっていないのだ。





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#3135/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #3134 ***
★タイトル (********)  11/ 1/31(Mon.)  20:46  (  2)
a@029 です     一久
★内容

 また書き忘れた・・・


#3136/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 2/ 5(Sat.)  21:21  ( 55)
a@30 独裁も民主主義     一久
★内容

【独裁も民主主義】

 なんども言うように、選挙をすれば民主主義、ではない。
 選挙の結果、民主主義の政党が勝ってはじめて民主主義
 である。

 しかし、このことは逆に言えば、次のようにも言える。

 独裁も民主主義である。なぜならば、国民がそれを選んだ
 のであるから。ましてや、選挙で選ばれたのであれば、文
 句なく、民主主義の一種である、と。


【集合で考えるべし】

 民主主義という集合の中には、独裁も民主独裁も、直接民
 主制も、すべて含まれている。

 だから、独裁も民主制である、ともいえる。

 国民がもし、独裁政党を選挙で勝たせれば、それはすなわ
 ち、民主的に独裁国家が誕生したことを意味する。

 しかし、それを本気で望んでいる国民が存在するのであろ
 うか? 自由や平等や公平が脅かされる世界を?

 我々が普通に民主主義と言った場合、言論の自由や機会均
 等や公平性を実現しようとする社会を意味するはずだ。

 決して、独裁政治を意味しはしない。

 私の言う、民主主義の政党が勝ってはじめて民主主義とな
 る、という言葉の意味は、まさにこの狭義の民主主義政党
 を見出し、この政党に投票せねばならない、という意味で
 ある。

 ゆえにもし、このことの重要性を理解せずに、時代の空気
 や個々の問題を重視して選挙での投票を行えば、選挙とい
 う民主主義の手段を使って、独裁政権を作り出す結果とな
 りかねない。

 民主主義という集合には、独裁も自由主義も入っている。
 ゆえに、その集合の中から、各自が「真に民主主義と呼ぶ
 ににふさわしいものはどれか」をセレクトせねばならない。

 これこそが、選挙で第一義的に必要なことなのだ。

 :例えば、菅氏や橋元氏は、民主独裁に近い考えだ。彼ら
  を選ぶということは、民主独裁に賛成するということで
  ある。

 


 

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