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#3123/3200 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 11/ 1/22(Sat.) 9:22 ( 34)
自由と平等のバランス 拓睦
★内容
基本的に、自由と平等は矛盾する。
差異を認める自由、等しく平らにする平等。当たり前ですね。
ならば、ケースバイケースで臨機応変に、という感じで運営されてきましたが
どちらが上位概念かは考えられずにいた。
どちらが上位なのか?
思うに「平等」である。
なぜならば、不特定多数を対象にしたインフラだからである。
「法の下の平等」「機会の平等」「GODの下の平等」などは、まさにこれである。
国民、信者、労働者など不特定多数を対象にしており、人間というカゴテリーを
採用しているからです。
ここでは個人というものが出てこない。
故に、個別事象には対応しきれない。
その段階においては、自由の方が活力と創意工夫を活性化でできる。
個別事象とは差異を把握してこそ、有益な手段が創成される。
すなわち、議論による模索だ。
馬鹿な的外れな意見も等しく尊ばれば排除できないからです。
つまり、平等はその非世俗性ゆえに、世俗性のあることには手を出すべきでは
ない、ということです。
個性とは差異を把握することで成立する。
そこに平等を持ち出したならば、抑圧に他ならない。
なぜ国家社会主義者が、ああも暴走するのか?
平等の適用を広げていくと、差異を押しつぶさざるえなくなる。
もし、無制限に広げることができたのならば、、、
その結果残る差異は、指導者(自分)と奴隷(他者)という概念だからです。
「山岳ベース事件」など、この最たるもの。
つまり、アカが暴走するのは、当たり前の話です。
理論の適用範囲は狭いのに、出世のために押し広げるのですから。
自己正当化にも慣れていますからね。
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