〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

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#3131/3200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  11/ 1/26(Wed.)   0: 3  ( 58)
山岳ベース事件     拓睦
★内容
あさま山荘事件は有名ですが、山岳ベース事件というとどれほど有名だろうか?
だいぶ風化しているのでしょうね、事件の概要がwikiあたりで調べてもらうとして
なぜ、あのような事件が起こったのか?
という命題を考えてみたいとおもいます。
それにより狂信者と呼ばれる思考形態を分析し「天国にいたるには地獄へ行く道を
知るのが一番である」と信じ予防策がとられることを期待して。

まず、当時状態として

1.社会的に孤立からくる先鋭化
2.別組織との合同に伴う主導権争い

の2点がある。
1.から手段が過激化するのは当然、というかしまっくていました。
2.から火種が内包していた、ということです。
さてさて、こういう事態ならば滅亡目前の末期組織にはよくある話。
この事件の異質さは、集団リンチによる残虐な手口とリーダーの指示に唯唯諾諾
と従ったメンバーにある。
明日は我が身と考え、反乱を考えなかったのか?
リーダーには倫理がなっかたのか?

私の回答としては、倫理があったからこそリーダーは残虐な行為を行い、仲間は
倫理によって反乱をかんがえなかった、です。

なぜならば、倫理のすり替えこそが洗脳の本質だからです。
倫理的だったからこそ残虐な支持を出し、倫理的だったからこそ指示に従う。
さて、なぜそうなったか。
隔絶により外部検証がないこと、でしょう。
組織という閉鎖空間において独自の倫理が働くのはよくある話。
手口が残虐というだけで、目新しい話ではない、というわけです。

つまり、構造的には異質ではない、人間本来の姿です。

では、結果として、そこまで暴走してしまったのか?
倫理があったが、倫理に問題があったのか?
倫理の運営者である指導者に問題があったのか?

この問いは当時も言われており、知識人は指導者を、指導者は思想に責任がある
と主張した。
私の考えとしては、相互依存であると思う。
両方、というわけです。
前回、自由と平等のバランスで書いたように、平等を無制限に拡張すれば指導者
と奴隷という格差以外すべて撤廃される。
そして、関係者は社会的に孤立し、思想以外の物差しを放棄しその純化を求めた。

結果、完璧な思想も、完璧な体現者もないのにそれを求め、上記の主導権争いに
着火した。またリーダーになった人間は本来2流と評され、早急な権威の確立が
必要だったので過激な手段に拍車をかけた。

だだし、平等という概念を弁護すれば、上記は個人を抑圧できる概念と、それを
実行し賛美される閉鎖組織があれば、どこでも発生するものである。
近年だとオウム真理教の「ポア」が該当する。

では、対抗策は?
閉鎖空間の発生を防ぐこと、につきる。
現状では「自由」しかない。
だだし、自由の場合には最後の人間、という問題が付きまとう。
そこら辺は次回にでも


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