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#3215/3366 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  12/ 8/15(Wed.)  22:26  ( 71)
ロゴス     拓睦
★内容
言葉のカルマとは、言葉により事象を歪めてしまうとこにある。言葉の力でもあるし、
言葉の暴走でもある。思うに、この2000年とは言葉の時代であったと思う。
宗教・思想・哲学と遍歴を重ねて、思弁的な言葉によって紡がれる価値を至上に置いた
のだから。もっと簡単に言えば世俗化により汎用性を確保したともいえる

いわゆる三業、身業・口業・意業があるが、この上記したように、ここ2000年は口
業が大いに働いた時代だ。仏陀は意業が一番罪深いと語ったが、学問体系が文字によっ
て伝達されるようになってからは口業が暴走したと思う。
ジャイナ教におけるカルマの考えに従えば、カルマは物質的なものだという。
そして、古の宗教は口伝で伝達された。それはカルマによって正確に伝達するためなの
ではないか。しかし文字で伝達すればカルマによる伝達がない。まあ、憶測ですが。

では文字で伝達される時には、どのように暴走するのか。
口伝ならば、発言者は読み手を力量に応じて言葉を選べるが文字は選ばない。
ならば読み手の認識力に縛られることになり、その範囲でしか理解は得られない。
また、読み手の精神的状態も選べない。読み手の状態が悪ければ、文字体系の理解は進
まない。例え簡単な内容であろうとも。
そして、読み手の社会的背景も選べない。社会的背景から文字を歪めるのは、ありふれ
た話だ。北朝鮮でアダム・スミスの国富論を読が読まれたなら、例え読み手が理解して
いたとしてもの批判の対象になるだろう。

上記は欠点としてあげたが、裏を返せば利点でもある。
何時、どこで、誰が読もうとも同じ物を提供できる。だから普遍的といえるのだが。
その普遍的に魅入られ信仰した人々が知識人であり、その信仰故に限界を思いもしない。

なにが言いたいのか、個人の認識力の格差により対象によっては定義の共有は成立しな
い、と言いたい。

言語は伝達の道具として使われている、と仮定する。
そのための前提として人々は同じ舞台に立っているはずである。
しかし、自分の考えは同じ舞台に立っていないとする。個々人に認識の格差があるのだ
から、同じ言葉であろうとも解釈により曲解されたり、美化されたりして正確に伝わら
ない場合が多々ある。
そこで重要なのが定義である、これが完全ならば常に伝達が完璧であるはずだ。
しかし、対象物によると考える。
静的な対象、物体などならば成立する。
故にエンジニアリングの世界では、完全な定義が成り立ち科学技術の恩恵を受けられる。

ところで、定義とはなんぞや?
そこで、この場における「定義」という言葉を定義するが、「自我と他我の共通な事象に
対する同意」をもって、定義が成立したとする。
では、宗教・思想・哲学の世界では?
口業の固まりである宗教・思想・哲学が故に、解決できない。
些細な言語上の違いで論争に終始していく定義は成立不可能だ。
というより、他我というものが人間の知覚能力、五感では知覚できない。
別な方法として類推を行う考えもある。しかし穏当な方法だが合理的根拠にならない。
現実の日常生活では類推で、処理されている。
もっと簡単にかたづけることができる、宗教・思想・哲学の限界だと。
体系の中に乗せ込めないのだから、誤用とするのが正しい。
言語体系の学問は、書き手と読み手の観測系・知覚系という限界が常に存在するのだ。

なのに、それを万能として事象を歪めてきたのは口業の暴走といわざる得ない。

結果生まれた忌み子は、扇動家だ。
言葉に責任を持つとは、言語と事象の結びつきに責任を持つことだ。
彼らは責任を持たないが、自己に都合の良い言葉は言う。
そして、使った言葉と結びつきにはあると恐怖と快楽を使い、人々にすり込む。
大なり小なり扇動家達の舌禍は、何時やむのだろうか。
やはり、人々が言葉は道具であると、コンセンサスを形成したときであろうか

口業の暴走に対抗するには、言葉に対して観測系(他我)を多くして、常に検証に晒さ
れるのが一番だからだ。
言葉は常に道具なのだ、他人を支配するための鎖ではない。
しかし、自分の力で立つというのは疲れるもの。
今は無理だろうが、口業を乗り越えられると思う。

心業の時代から口業の時代になったのなら、新たな時代は身業の時代、すなわち行いの
時代になるのだろうか?
水瓶から水瓶に移すように、一人一人が行う時代になればよいが。

次は、山本五十六にしますかね。映画観ましたが昔書いたことの後始末をせねば


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