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#3313/3366 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  16/ 4/ 4(Mon.)   0:45  ( 50)
マルクスの失敗     拓睦
★内容
お題の通り、なのですが結論から書くと

1:私有財産を否定するならば共有を提唱すべきところを、搾取として革命という強奪を提唱したマルクスは平等をいいつつも平等を見失っている。

2:再分配ならば、富の総量について考察し経費を差し引き分配が可能な量を算出しなければならないが上部構造に論点をすり替え、資本主義における
  下部構造のエンジンである起業家精神に替わる精神を提唱できなかった。

3:1と2の掛け合わせからくる、合成の誤謬

マルクスは、文学者としては天才なんだろうが経済学者としては才能がないな、というのが感想ですね
哲学者としては、これも二流だな。
唯物史観といっているが、史観というものが主観の産物であり科学は手続きにすぎないのに完全な指標と思うあたりね
まあ、ロゴス信仰の時代の人、という弁護はなりたつけれども


さて、1からですが平等というものの背景を考えるとわかる。
数年前、自由と平等のバランスということで、
「個人というのもが差異を把握するものである以上、個人という領域に平等はない。人間や国民といった共通項にある。
 故に自由は個別事象を汲むために狭くて深い。平等は共通項で社会基盤なので広くて浅い」
などと書きましたが、共通項に準拠するわけです。
まあ、バランスですので個別事象は配慮しましょう、ということになりますが。

さて資本家といっても、お金と生産手段を持っているだけで、人間という共通項を持つわけです。
もちろん初期の資本主義における暴走を考えれば、こういう言葉が必要だったのでしょうが、深遠を見つめて深遠に落ちたとしか思えない
結果は、魔女狩りである。
平等を至上としていくのなら、差異で成り立つのが個人である以上、差異を言い立て弾劾する人間に無制限の優位がいく。
嫉妬と群集心理に正当化を与えるだけだ。
そのうえで、革命という暴力を奨励しているのだ。
野に火を放つものの消火の手段がない、という状態が生まれる

2については、実務として再分配をやろうと帳簿を考えればいい。
そうなると、可能量が算出される一方で、総量を増やそうという考えも出てくる
しかし、私有財産を認めなければ貨幣の価値保存効果による社会全体の富が増加していかない。
「悪徳すなわち美徳なり」とったのが蜂の寓話で、マントベルだが総量を増やすという視点から正しい。
その上で、マルクスが失敗しているのは革命を煽ったが、富の総量を増やすといった建設的な部分が皆無であるということ
起業家に代わるエンジンはないのですから、計画経済でのノルマという名前で現状維持に陥る。

その上で3の合成の誤謬が発生する。
現状維持に陥った経済を何とかしようとしても、悪平等が掣肘し停滞を打破できない。
そんな意思、知識、技術を持つだけで殺される可能性が高まる。
停滞した経済は貧困による不満と猜疑心から、奪い合いに陥る
思想による経済介入の結果、1と2の悪循環が発生する。
かくして、国家という立法権を持った最悪の資本家だけになる。
ものの見事な本末転倒、という図です。


「織り成す布は、いつか誰かの傷を庇うかもしれない」
最近からサラ・オレインさんのファンで、糸というカバー曲なのですが、マルクスという人とて、そういう志はあって思索を積んだ
のでしょうが、、、結果は深遠に飲まれたとしか思えない。
そう考えると、痛ましい人だな


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