2001年11月22日〜26日 沖縄旅行

 
機中から撮影した沖縄本島北部


1日目
九州に転勤してから2年目にしてやっと沖縄旅行。仕事では何回か行った沖縄。レジャーで行く沖縄はまた、格別なもの
でした。福岡転勤後、義父母と同居し2回目の家族旅行となる場所は母が前からの念願だった「ひめゆりの搭へ行きたい」
という言葉から沖縄が決定しました。当初は9月頃に決行する予定でしたが私が急遽の入院してしまった為やむなく延期。
その後、ニューヨークのテロ事件が有り、どうしようかと迷っていましたがチャンスはこの時期しかない。気候的にも
それほど
暑くなく、台風の影響も余り心配しなくても良いので出発する事にしました。何せ年寄りの旅行、それも半身
が不自由な為
ゆっくりと1日1,2サイトの観光としました。 1日目・・・那覇空港へ福岡から1時間30分で南国の国に到
着です。当日は那覇は24゜Cで福岡とは約10゜Cの温度差が
有りました。半袖で十分で福岡から着込んでいった上
着を脱ぎ捨てていざ出発。まずは腹ごしらえで嫁さんが親しくなった
レンタカー屋のお姉さんから仕入れた情報で空港
から近くで沖縄そばの美味しい店を紹介してもらいました。「うるかそば」
という店で空港から約10分の金城という町
に有ります。そう旅はうるかそばから始まった。お勧めは野菜そばです。


  
ここのそばは美味しかった。                      首里は朱の館

さあ、お腹も一杯になり出発です。目的地は母の望んだ「ひめゆりの搭」です。レンタカーのナビに完全におんぶにだっ
こ状態で数十分でひめよりの搭に到着です。回りはどこの観光地と同じでお土産屋さんがわんさか有りました。商売上手
というのか、なぜ土産屋さんのところから「ひめゆりの搭」へは入れるのか不思議だったのですが、公道をとおってももち

ろん行けたのですが、初めて訪問するものにとっては
それが通路だと勘違いしてしまう。一歩、資料館に足
を踏み入れるとそこは先ほどの喧燥とううってかわり
、ガジュマルの木がうっそうとしており太平洋戦争の
悲惨さが心につたわってきました。母などは敷地内に
入るなりうるるん状態でひめゆりの唐の前では号泣。
中に入りいろいろな資料を見るなり号泣と鳴咽が繰り
返され、写真はパスをしました。時間はもう16時に
なっており摩文仁はパスをし、首里城へ向かいま
した。琉球王朝のきらびやかさがあり、先ほどのひめ
ゆりとの落差を感じらされましたがそれはそれで観光
客となってしまいました。首里の丘から那覇市内がよ
く見え、時の権力者もこの景色をみていたのかと勝手
に想像しておりました。ここでもっとも感心したのは


身体障害者用にエレベータや階段手すりに昇降機が取り付け
てありなかなかとても工夫されていました。車椅子でも気軽
に入れるというのが嬉しかった。で、時計を見るともう18時。ひゃっー奥間まで約1時間と、30分くらいかかる沖縄自動車
道にのり一路jalオクマリゾートへ。途中に入ったパーキングエリアで「塩せんべい」という駄菓子を見つけた。大阪
の駄菓子屋で良くみる「ぽんせんべい」の塩版というところでしょうか。なかなかおいししかったので一度沖縄へ行った
ら食べてみてください。オクマには20時にチェックイン。もうまわりは真っ暗でちょっと遅いディナーとなってしまいま
した。
 
オクマリゾートのコテージはゆっくりとすごしたいところでした。

2日目
明るくなったオクマは大変美しかった。本来ならここでゆっくりとリゾートを楽しみたかったのですが23日は一足違いで
予約が入り取れませんでした。そうそうインターネットで予約すると随分とお安くとまれます。ツインのコテージが10
000円でした。今日の目的地は辺土岬から名護の方へ戻ります。辺土岬は私が前々から行ってみたかったところ、と言う


  
辺土みさきは300度がうみという感じです。


のは、中学生の時に沖縄から転校してきた友達の名前が辺土名勇という名前でたいへん印象に残っており、沖縄の地図を見る
度に一度は行ってみたいと思っていました。上の鳥の彫刻は国頭村と世論島の友好の搭と書いてありました。よくよく目をこら
してみると沖合いに与論島が見えました。海を見た後は嫁さんがいろいろと調べたらしく山の中の喫茶店へ行くといい出し、
「やちむんシーサー園」という山の中の焼き物と喫茶店の店に
入りました。ここは大層有名らしく、こんなへんぴなところで
もいっぱいでした。ここのひとおしは「ヒラヤーチ」という沖

縄風お好み焼きてです。昨日が結構なハードスケジュールとな
ったので今日は早い目にチェックインしましょうという事にな
り瀬底島のリゾートペンションへ、ここの管理人さんが72歳
には見えないぐらい若い方でした。ペンションといってもほと
んど山小屋みたいな趣でても食事は自炊。アウトドアーな雰囲
気のところで近くのスーパーマーケットで買い出しをしてささ
やかに4うん才になったの誕生パーティーをいたしました。夜
になりせっかく沖縄に来て釣をしていないではないかと私は奥
さんに懇願し、近くの港にでました。きくとメッキアジなどが
上がっているとの事、持ってきた愛用のルアー竿とミノールア
ーで早速に釣開始。「ヒット!」やったと思って釣り上げてみ
たらなんとベルトサイズの太刀魚ではないか。お帰りを願おう
と何気なく手をもって行ったのが悪かった。がぶりと噛まれ、
血が滴り出てしまった。油断は禁物です。


翌日にみた向かいの島がとても南国を感じさせました。水納島です。
3日目
ブセナホテルに到着し、しばらくすると太陽が西に沈み始めた。とそれにあわせてサックスの生演奏がプールの脇ではじま
った。その演奏と太陽の沈むスピードがとても有っており、ついつい30分ほどの演奏に聞き入ってしまった。
母親をフールに入れると母親の分の水着は持ってきていたのに自分は持ってこなかったと嫁さんからクレジットカードを
奪われて水着を買わされてしまった。ここのプールであった那覇の小学生4年生の女の子には感謝したい。私達が母親を
プールに入れた時に「浮き輪が居るね」という会話を聴いていたらしく、浮き輪を持ってきてくれた。
 
ブセナホテルからのsunset                                        同じくsunset後名護湾


その女の子達の自己紹介が特にかわいかった。「私はななです。」「私ははなです。」「2人あわせてナハです。」と声を
あわせて紹介してくれました。とても楽しいたびの出会いでした。
4日目
翌朝は名護の海岸を散歩です。岬の方には「海洋展望搭」というのが有って魚が見えるらしい。近くまで行くと魚の餌が
自動販売機で販売しており、買って餌をやっていると湧いてくる湧いてくるフエフキやらダツ、こぶだいみたいな奴も居る
ここでルアーをとついつい思ってしまう私でした。

 
 
夜が明けてからのブセナの海岸                        海洋展望等の回りには多分フエフキやダツが餌を求めて

さあさあ、本当の水族館へ行こうとその昔に沖縄海洋博をしたといういまは沖縄海洋水族館へ、流石に国立でイルカショー
は無料でした。ただ、ここの電動カーやイルカショーは車椅子ではアクセスが不便でした。また水族館も車椅子でアクセス
出来るのですが、そのアクセスする標識が見えにくく、作っていれば良いだろうというものでたいへん不便を感じました。
「ここも民営化するのだろうか?」とふと思ってしまいました。ひるからはネオパーク沖縄という小さな動物園をとおり
那覇市内へ向かいました。

 
伊江島の尖がり山が、昔のガボテン島というマンガを思い出させた。


 


25日の午後2時にレンタカーを返却し、義父母はちょっと
疲れ気味でホテルでゆっくりとして頂いておりました。
それまでに那覇の街を見て歩こうと国際通り沿いにある公設
市場等を見て歩きました。ここも他の商店街と同じような光景
が一部見られました。店が歯抜けになっていっている。後継者
が居ない、大型店の進出でやっていけない。などの理由でしょ
うが、商店街を奥へ行くほどその傾向は強くなっている。

全体的にはまだ、土産物店としてやっていけるのでしょうか。
衣服はすこし野暮ったい感じがしたが衣料品店と「ウコン」等
の健康食品関係の店が多かった。
そんな中でお菓子屋のスーパーの店を見つけ「bites」と
言うパッケージを見つけ思わず親しくさせて頂いている方の
お土産とした。其れに初日の高速のPAで見つけた「塩せんべ
い」も見つけ思わず買ってしまいました。





沖縄最期のよるは沖縄民謡の生演奏の店で、泡盛とオリオンビ
ールでゴーヤ何とかやら、ミミガーとかアイゴの稚魚と豆腐
沖縄料理を堪能いたしました。

5日
いよいよ沖縄とさよならです。空港で沖縄「歓迎の舞」を実演
していました。飛行機の待ち時間を忘れて見居ってしまいまし
た。本当に楽しそうに踊っていました。
昨日の飲み屋のおかみさんも言っていましたが「沖縄ではみん
な楽しく踊るから長生きが出来る」と言っていました。
本当に楽しく踊っています。土産物屋さんのバックグランド音楽
沖縄民謡がかかっていました。その音楽に合わせて地元の子
供たちが
手踊りをしていました。
本当に明るく振る舞うと言う事は長生きの秘訣だったりして・







沖縄で自分の為に買ったお土産たち
ブセナホテルのキィーホルダーうろこが本物ぽくって買ってしまった。 空港で買ったガジュマルとマングローブ


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