山本淳一・第2回ボウリング大会

2001.7.6 大阪・八尾ボウルアロー

 ラジオのスポンサーの八尾ボウルアロー主催の第2回ボウリング大会、当初は6月15日に開催予定だったのが、淳くんのお仕事の都合により、約1ヶ月遅れでこの日の開催となりました。
 開催日が変更になったので、私たちも新幹線の切符の変更やらでいろいろ手間掛かったので、当日も何かアクシデントがあるのではないかとちょっと心配してたら、私は東京駅の階段で最後の1段を踏み外してコケて膝をぶつけてしまいました。ストッキングは破いちゃうしで、やっぱりアンラッキーデーかも…と思っていたら、新横浜から乗って来るハズの友人がギリギリのところで乗り遅れ。すぐ次のひかりがあったので、無事合流する事はできましたが、波乱の1日の幕開けとなりました。でも、その後はいいことづくめの1日だったから、きっと私たちの運勢は東では悪かったけど、西では良かったんだよとは、終わってからの勝手な解釈(^^;)。
 大阪駅で、福島から飛行機で来た友人と、そのまた友人2人と合流、更に会場の八尾ボウルのある志紀駅でもうひとり、大阪の友人とも偶然会って、総勢6名で会場へと向かいました。

 1時半過ぎに八尾ボウルアローへ到着。まず受付を済ませ、靴を借りてから2階の会場へ。申し込んだ時の3名ずつでレーンは15と21とちょっと離れちゃって、私は15番でした。各レーン4名ずつだったから、13〜26のレーンを使ってたのかな?(確認しなかったけど…)2階の半分を使用って感じでした。
 上がって行ったら淳くんが練習していたらしいけど、私が行ったら丁度終わったところで、見れなくて残念。でもこの後いっぱい見れるし…なんて思っていたら、スタッフルームから出て来た淳くんがこちらへ向かって来たと思ったら、トイレに入って行きました。しばらくしてトイレから出て来た淳くんはまたスタッフルームへ。

 時間になって係りの方の開催の挨拶の後、呼ばれて淳くんマイボールの入ったバッグを持って登場。出て来てすぐのところに立ち止まって話し始めたんだけど、司会の方にどうぞこちらへと呼ばれて、真ん中へ。この日の淳くんのいでたちは黄色いTシャツに迷彩柄のハーフパンツ、時々サングラスを掛けてました。
 まずお詫びですと言って、「世界ウルルン滞在記」が入って、開催日が変わってしまっていろいろご迷惑を掛けたけど、こうして集まってくれたこと感謝してます。きょうは最後まで楽しんで行ってくださいとご挨拶。
 司会の方に「きょうの目標は?」と聞かれて150行ったらいいんじゃないかな? と答えてましたが、2ゲームで? と聞き直されて、2ゲームでなら280くらいと言ってました。でも昨日4ゲーム、さっきも2ゲームやって腕が痛いし、ブラジルから帰ってからまだ日が浅いので、時差ボケが治ってないので…とちょっといい訳。100以上行くよう頑張りますけど、みんなも自分よりいい点出して、賞品持って行ってくださいと言ってました。ちなみに、淳くんよりスコアが上回った人は勝利者賞として、淳くんと2ショット写真が撮れるとのことでした。
 淳くんが靴を履いて準備してる間に、専属プロによる始球式。残念ながらストライクが出なかったので、司会の方に隣のレーンでもう1回投げてみてくださいと言われたプロが投げてる間に、淳くんはプロの残した2ピンを倒そうとして、司会の方に「どさくさに紛れて、山本淳一くん、練習してます」なんて言われてました。そして投げた淳くんのボールは残念ながら外れ…。

 淳くんも19番レーンに入って、ゲーム開始。淳くんはゲームの合間に結構まめに各レーンを回ってました。私たちのところにも3、4回来てくれたかな? 最初に来た時、3フレームくらい終わってたんだけど、私たちは3人ともまだ20ピンも行ってないと言う情けないスコアだったので、淳くんに「低レベルだな」なんて言われてしまいました(^^;)。その後来た時もマジマジとスコア表を眺めるので、「あんまり見ないで」と言ってしまったわ…。でももうひとり同じレーンだった人は高得点を出してたので、「この人、誰?」と気にしてました。で、この時に私たちと隣の16番の人と合同で記念撮影。この写真も後で送られてくるのかな?
 21番レーンでゲームをしてた友人が教えてくれたのだけど、淳くんのレーンに2歳くらいの子供がいて、その子の背の高さが丁度ボールを置いてる台と同じくらいの高さなもんで、淳くん、ボールを取る振りをして、その子の頭をワシッと掴んでいたそうです。
 去年は2ゲーム目は淳くんはやらずに各レーンでお助けしていたようですが、今年はそれはやらずに(後で練習のし過ぎできつかったので、きょうはお助けは止めようと自分で決めましたと言ってました)淳くんも引き続き19番レーンでゲーム。
 1ゲーム終わったところで淳くんのスコアは110。この段階で淳くんより上の人が15人もいたので、2ゲーム目は奮起したのか、最初からストライクの連続。その後もスペア続きで(2ゲーム目の淳くんの成績があまりに良かったからか、時々司会の方が実況してくれてました)終わってみれば186のハイスコアでした。

 ゲームの後は3階に場所を移しての表彰式パーティー。まずは表彰式で、下位のブービー賞の後は50位から5位毎の飛び賞とラッキーセブン賞、5〜1位の発表。
 私は我ながらとーーても情けないスコアだったのですが、50位で飛び賞を頂きました。淳くんが名前を呼んでくれたのはいいけれど、私の本名、淳くんのお母さんと最初の2文字が同じで、読み方が違うんですよ。だから、ふりがな付いてなかったら、絶対お母さんと同じ読み方されるだろうなと前々から思っていたら、やっぱり違って呼ばれちゃいました。ま、よくあることだから慣れてますけど…。淳くんもそう読みながらいいのかな?って感じだったし。
 淳くんからの手渡しでいただいた記念品は熊のカーテンホルダーとねり香水、そして金のマジックでのサイン入りの扇子でした。多分4位までは同じものだったんじゃないかな? 1〜3位の人はトロフィー(盾?)とサイン色紙をもらったようでした。大阪で合流した友人の友人が優勝したので、後で何をもらったのか見せてもらおうと思ってたのに、終わってからバタバタしてたので、見せてもらいはぐってしまったわ…。その連れの方も飛び賞をもらってたので、今回同行した6人中3人が賞をいただいたことになりました。
 淳くんのトータルスコアは296。優勝した方も残念ながらそのスコアを上回れず、今回淳くんと2ショット撮影のできる勝利者賞はありませんでした。その代わりって訳じゃないけど、全員での記念撮影がありました。この写真は後日、八尾ボウルさんの方から送られて来るそうなので、楽しみです。

 ここでちょっと淳くんのご挨拶。このときも最初に本当はもっと早く会える予定だったのに、ご迷惑を掛けたこと、お詫び申し上げますと言って、でもそれも仕事だったから、許していただけるかな…と、アマゾンの話に。
 秘境で感動して、アマゾンの奥地からお土産をもって気たんだけど、帰るまでに2日半くらい掛かるので、帰って開けたら大変な事になってたので、家のベランダに干してありますなんて言ってたのだけど、この時はそのお土産はラジオでプレゼントでもするのかな? と思いながら聞いてたら(多分ほとんどの人はそう聞いてたと思う…)、首飾りなんですが、55人分を作ってもらったのでと言うので、それって私たちへのお土産ってこと? と会場から拍手が湧きました。お詫びの気持ちで…と言ってたけど、開催日が変更になったこと、そんなに気にしてくれてたんだ…とちょっと感動しちゃいました。
 今回は釣りと言うか、狩りをやって、秘境の暮らしがわかると思うので、放送を見て欲しいと思いますとのこと。もう2週間くらいたってるけど、日本とブラジルでは昼夜が反対なので、まだ身体がちょっとおかしいと言う淳くん、いろいろやって来たけど、病気になってなければいいなーと思いますなんて言ってました。あちこち行ってるので身体も慣れっこにはなってるけど、虫に刺されると抵抗力がなくなったりするし…と、今回虫にはずいぶん悩まされたようなので、ちょっと心配してました。確かに近くで見た淳くんの首や腕には虫刺されの痕がまだ幾つか残ってました。って、日本での虫刺されかも知れませんけど…。

 サンドウィッチやスナックが用意してあるので、乾杯しましょうと言う事で、淳くんの音頭で乾杯。その後、淳くんは順位賞をもらえなかった人に参加賞を会場を回りながら手渡してました。参加賞はハンドタオルとペットボトル用保冷袋。参加賞を配ってたら最後に1個残ってしまったようで、係りの人が「まだもらってない人は?」と言ったら、淳くん「俺か!?」なんて言ってました。その前だったかな、私の顔を見て「もらった?」と言うので「飛び賞いただきました」と答えたのだけど、本当に余ってたのなら、どさくさ紛れにもらってもわからなかったかな…なんてね(^^;)。
 そして4つあるテーブルを淳くんがそれぞれ回ってのお喋りタイム。各テーブル5分くらいでお願いしますと言われてて、時間になると司会の人が「お時間です」と促すんだけど、どこも長引いてしまってました。

 私がいたのは3番目のテーブル。USJに行って来たと言う人がお土産を渡したら、USJは日本語なの? なんて淳くん聞いてました(^^;)。淳くんは昔、あちらのに行ったけど、何をやったか全然覚えてないと言ってました。光GENJI時代はいろいろなところに行って、いろいろなことをやったから、忘れちゃうんでしょうね…。ファンは些細なことでもいつまでも覚えてますけどね。と常々思ってたこともあって、私はラジオで時々やる「光GENJI History」のことを話せる機会があったら聞いてみたいと思ってたので、あのデータは自分で調べてるんですか? と聞いてみたら、やはり淳くん自身ではなくスタッフがこーゆーことあったよと教えてくれるのを見ながら、喋ってるとのことでした。自分でもあーそうなんだ…って思うこと多いけど、わかってる振りして喋ってると言うようなこと言ってたかな。さすがにそのデータの元は私のHPだと思うとまでは言えませんでしたけどね(^^;)。でもご自身のファンサイトがあるのを知ってますか? と聞いたら知ってるとは言ってたけど。でもきっとそれもうちのことじゃないと思うわ…。
 後、うちのテーブルでの話は「ウルルン」の話で、アマゾンでは毎日魚、ピラニアや亀を食べてた話や、虫(ゴキブリ?)がこのくらいでと、1/4くらいの大きさのおせんべいを動かしてみせたりしてました。
 他のテーブルでも「ウルルン」の話やお子さん連れの人や妊婦さんがいらしたら、その人たちと子供や出産の話をしてることが多かったようでした。時期が時期だけにねぇ…。景織子ちゃんのお腹はまだあまり目立ってないそうで、そのせいもあって淳くんは父親になる実感はまだないと言ってたのがチラッと聞こえたけど…。後、妹さんの子供が淳くんの小さい頃にソックリって言ってました。

 最後に淳くんの締めの言葉。短い時間でみんなとゆっくりお話はできなかったけど、第2回も楽しくできたと思うので、また3回、4回とできたらいいと思いますと言った後、プライベートのことで、みんなに伝えられないこともあって、自分でも不完全燃焼を起こしてるような状態だけど、そういうことも理解していただいてるようで、有り難いなと思ってますと言ったので、マスコミにFAX流したきりで、なんで正式に言ってくれないんだろうと、不満に思っていた気持ちも何処かへ行ってしまいました。やっぱり淳くんとしては、ちゃんと私たちファンに言いたいけど、状況がそれを許してくれなかったんですね。
 最後にまた淳くんと握手してお別れと司会の人が言ったのだけど、この時点で終了予定の5時を過ぎていて、会が始まる前にこの後淳くんに何やら仕事があるそうで、きょうは5時前に終わると思いますと言ってたのに、いいのかな? と思っていたら、やっぱり時間がないとのことで、握手はなく、淳くんが先に退場となりました。でも、全員何かの賞をもらった時に握手してるから、なくても充分でした。

 残ってるお菓子などを持って行っていいと言われて、帰り道のおやつにしようと貰っていた私たちはのんびり会場を出たので、もう淳くんは帰っちゃったね…なんて思って階段を下りていたら、目の前を見慣れた黄色いTシャツが歩いていました。あら、なんてラッキーと思いつつ、そのまま後ろを歩いて隣の駐車場へ。バスに乗り込んだ淳くんは、駐車場を出るときに出口のところにいた私たちに窓を開けて、手を振ってくれました。
 最後まで楽しい思い出いっぱいのボウリング大会、参加できて本当に幸せなひとときでした。あ、そうそう、今回も淳くんの挨拶などは録音していたので、きっとラジオで流れると思います。
 後日、八尾ボウルさんから届いた、淳くんからのアマゾン土産の首飾りはこちらです。

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