山本淳一のJust in Music・最終回

 オープニング。「先週の放送を聞いていなかった方は『えぇぇ〜〜』って驚くかも知れませんが、今日で最終回となってしまいました。始まった時は22歳だったのが、気がついたら30歳、三十路。♪ガラスの30代〜と言うことで、ひと区切りをつけて、新しい山本でまた旅立とうと思っていますが、今日は最後まで聞いて下さいね」と。

 1曲目は「ヒット・パレード・ボーイ」。曲の後は5月のボウリング大会のお知らせ。番組が終わってしまったら、ボウリング大会もこれが最後かもしれませんね…。
 今まで流れたジングルが流れる度、笑っちゃう淳くん。ジングルもいろいろありましたねぇと。「バンジージャンプ」で始まったラジオ、このタイトルはニックネームから来てるけど、「バンジージャンプ」には戻って来ると言う意味もあるので、終わってもまた「新・バンジージャンプ」でできればいいかなって気持ちだったけど、2ヶ月「バンジー」だったのがすぐピンでの「山本淳一のジャストインミュージック」って変わって、丸8年。8年間続いたのはスタッフがいてくれたお陰。喋りにうなずいてくれる人がいたり、音楽を出してくれたり、「これじゃ、繋げられねぇじゃね〜か」ってのを繋いでくれる人がいたり、喋りに困らないようにいっぱい台本を作ってくれる人がいたりしたから、8年間続けてることができました。中には産休で来なくなった女性スタッフもいたけれど、生まれた子ともう会話ができると言うのが、何か不思議な感じですと、スタッフに対する気持ちを語る淳くんでした。

 コーナーもいろいろありました。生電話、何処へ行っちゃったのかな? って感じで消えちゃったけど、電話で話した人から手紙が来たり、実際には会ってないから想像の世界でしかなかったのが、そのうちプリクラが流行ってくるとそれを貼って来たので、送ってくる人の顔もわかるようになったり、電話も携帯ができたりして、時代の流れと共にやって来たと思います。
 「マダムの部屋」ってのもありましたね。ダンナにナイショで聞いてますと言われたり、自分を応援してくれて人は幅広い年代で、最初はお母さんに手伝ってもらってた手紙が、段々自分で書いてくるようになったり、手紙には性格が出るので、実際会う機会があった時に、なるほどなと思ったりしました。ボウリング大会では葉書だけでない触れ合いもできて、ありがたかったです。
 スタッフは変わってないけど、マネージャーさんはよく変わりました。中には一度離れてまた戻って来た人もいたけど、スタッフも自分も変わってないのですぐまた馴染めたアットホーム感覚のラジオもなかなかないのでは? と。だから、ゲストにも同級生が来たり、事務所の後輩が来たりしたけど、寛くんはもう事務所を離れているにもかかわらず、友達だからと言う安易な考えで、スタッフもいい迷惑だったかと。事務所の社長も知ってたかもしれないけど、怒らずにいてくれて、内緒にしてくれたのかもしれないけど、そういう事をした以上は責任を持っていたいと思うし、その時しか、今しかできないからと言う思いでやってきたので、母親に電話をしたこともありました。その全て今となってはいい思い出。

 電波に乗せて喋る時間が1秒、1秒なくなって行くのがすごく残念。8年間、ピンでラジオ番組を持たせてもらえたのは、ファンの人たち、スタッフの人たちに本当に恵まれてたのかな? くだらない話をしたり、いやらしい話をして反感を買うようなこともあって、言葉遣いには気をつけなきゃと思いながら喋ってるんです、これでも…。
 いろいろなことに対してちゃんとしたことを伝えなきゃと言う気持ちで、毎週毎週勉強してました。22歳から30歳の現在まで頑張って来たけれど、自分が変わったのはホクロを取ったくらいで、中身的には全然変わってないけれど、その歳なりにいろいろなことを伝えられる大きな人間になっていればいいなと思います。またこういう状況で話しをできる機会を作ってもらえるよう、頑張って行きますので…とちょっと詰まり、「ありがとうございました」。

 「最後に、8年間応援してくれたみなさん、ありがとうございました。どうしてもね、涙と言うのが出てしまうんですよね…、許してください。最後になりましたけど、山本淳一らしくと言った言葉を忘れずに、山本淳一らしく精一杯頑張っていきますので、会っても普通に接して欲しいし、いろいろなところで会ったら、声を掛けてください」と涙ぐんで言われちゃうと、聞いてても辛いですよね…。そして最後になりましたが、聞いてくださいと、最後の曲「一緒に‥ネ」。
 エンディング。曲に被りながら、最後にもう一度、スタッフのみなさん、事務所のみなさん、応援してくれてるみなさん、感謝しかないんですけども、長い目で見たらいろいろありますので、前向きに行くしかないので、山本淳一らしく、明るく元気に行きたいと思いますので、みなさんもよろしくお願いします。何を言おうっていう時間が、どんどん過ぎていっちゃうので、8年間の重みをほんと、今、感じています。でも元気で頑張っていればみんなに会えると言うことを胸に、一生懸命頑張って行きますので。本当にありがとうございました。とご挨拶。そして最後の最後は「山本淳一のジャスト・イン・ミュージック、8年間ありがとうごさいました」と元気な声でのお別れでした。

 淳くん、8年間お疲れさまでした。関西地区のみでのローカル放送と言うこともあって、私は8年間丸々ずーーと聞くことはできませんでしたが、ここ数年は貴重な情報源として、電波状態の悪い中、必死で聞いたものでした。番組が始まった時は、ひとりで30分もお喋りができるのかと心配したものでしたが、それが8年も続いて、長く、ラジオがあるのがあたり前のように思っていたので、番組が終わってしまうのは本当に残念でしかたありませんが、最後の挨拶にもあったように、また、いつの日かラジオから淳くんの元気なお喋りを聞ける日がくるのを期待しています。


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