きょうの思い出

01/05

 1989年「ザ・ベストテン」コンサートで名古屋にいるので名古屋・CBCの第7スタジオからの中継。この日は初代の司会者、久米さんが黒柳さんと司会をしていたので、モニター越しに「はじめまして」の挨拶をする諸星くん、久米さんの印象を聞かれて、今も全然変わらなくて楽しい人で…と言ってました。久米さんは胸を骨折して野球をしてる諸星くんを見て、えらい根性、若いのに頼もしい奴だなと思ったそうです。
久米さんがそろそろテレビ朝日の方に行かなくてはならないのに、いつまでも黒柳さんが引き止めるので、モニターの中でずーっとスタンバイをして待ってた光と平家派(笑)。淳くんは投げ上げた剣を受け取り損ねたようだけど、このシーン、フレームアウトしてたからしゃがんで拾うところがギリギリで映らなかったらわからなかったのにねぇ。でも拾った後、横の方を気にしてるし、顔が笑っちゃってるからわかっちゃうかな?ソロは敦くん1人バージョンでした。
歌の後、スタジオに戻ってからCMになるまで少し間があったので、モニターの中でバイバイしてるメンバーでした。

 1990年「GENJI GENKI 爆発」新年あけましておめでとうございます。今年もよろしく! で始まった年明け1回目のこの日の放送は、ひとりひとり今年の抱負を語ってもらいますと。
毎年やってますが、どんなことを話すかと言うと@去年の反省A今年、自分の性格で直したいところBついやってしまう癖でやめようと思うことCこんなことを勉強してみたいと思うことDグループとしてやってみたいことEその他
まずは敦くんから、@はコンサートをやる場所が少なかったと思うA性格はまんまで行きますB爪を噛む癖が復活したのでやめたいCいっぱいあるから何でもDいろいろあるけど、やっぱりコンサート。コンサートでグループの合体をしたいと言うので、「合体」を諸星くんに突っ込まれて、寛くんにまとまるってこと!?とフォローしてもらってました。チームワーク良くと言いたかったらしい。Eドラマとかやってみたい。と、律義に6コ順番に話す敦くんに、淳くんが6コ言うの? と聞いたので、その後のメンバーは全部ではなく、幾つかについて話してました。
晃くん@ファンの人から、テレビであまり笑わないんだねと言われたので、今年はもっと楽しくやって行きたいC1からまたやってみたいと思いますと簡単に。
諸星くん@テレビで笑いすぎと言われたので、今年は怒ってやってみたいと(笑)顔がダラダラしてたので、引き締めて…A性格は直せませんC勉強嫌いだからやりませんD台湾とか、香港とかに行ってみたい。あちらで人気があると聞いたので、コンサートもやってみたい
淳くん@別にない。自分ではわからないし、人から注意されたこともないと言う淳くんに、完璧なんだ!? と諸星くんC歌、発声練習。演技もやりたいD外国でレコーディングもいいんじゃないかとE今年もなるようになるって感じで、頑張ります
寛くん@ファンの子からいろいろ手紙をもらって、書いてあることを自分なりに反省して、そーゆーことがないようにしたいC歌とかD映画をまたやりたい。実話を映画化したようなものを。それぞれ言ったところで、諸星くんがいろいろ目標があると思いますが、ひとつでも実現できるよう、頑張って行きたいと思いますとまとめ。
堅い話はここまでにして、後半は熱い話をと言う諸星くんに、堅いの反対は柔らかいと突っ込むメンバー。と言うことで、後半は葉書紹介。中学校の校則が変わって、髪型の規制が緩くなったので、男子がむさ苦しい頭をしてるので、中学生らしい髪型と言ったら、やはり坊主頭の方がいいのではないかと思うと言う葉書を読んで、中学時代坊主だった諸星くんは、自分も伸ばしたかったと思ってたから、ロックの人のように長髪は行き過ぎかと思うけど、坊主でなくてもいいのではないかと。
「おいしん坊クラブ」への葉書。お雑煮はどんなのですか? と言う質問に、寛くんは四角いお餅を焼いてから赤出汁(赤味噌)で煮ると言うと、敦くんがみんな一緒だよねと言ったら、淳くんは醤油と言ってました。諸星家ではうどんにも餅を入れると言ったら、それは力うどんと突っ込まれ。御飯にも餅、皿を拭くのも餅とむちゃくちゃなことも言ってました。 7.2Kmを走るマラソン大会があったと言う葉書、みんなのマラソン大会の思い出を教えてくださいとのことに、大会の前は緊張して落ち着かなくて嫌だったと言う諸星くん、速い奴はだいたい決ってるよねと。
エンディング、今年の抱負を話しましたが、みんな言ったからには、努力するようにと諸星くん。今年も楽しくやりたいので、どんどん葉書送って来てくださいと。

 1992年名古屋最終日。いつもより1時間早い11時開演でみんなまだちょっと眠たそう。晃くんは最初の挨拶の時、元気ないよと言われてたけど、実際この回は不調だったようで「POLE POSITION」で外周回ってる時も辛そうで2周回ってすぐ引っ込んでしまいました。淳クンと敦くんの曲の紹介もしてくれなかったか、し忘れたんだか…。1部のMCはそれまでもした「紅白」や「かくし芸」の話、内海くんと敦くんのアンパンマン劇場(ホテルの廊下でアンバンマン人形で遊んでいるらしいです。この当時24才直前と18才は…)のこと、諸星くんが振ってくれて淳クンの海外ネタ。ロスのホテルの売店の女の子の後をついて歩いてたと言う話で、内海くんと敦くんの実演。お正月は何してたんだと聞かれて家でテレビ見てたと言って「諸星くんテレビに出てたじゃない、待ってたのに呼んでくれなかった」と拗ねる淳クンでした。
ラストのご挨拶で並んだ時、諸星くんと晃くんが淳クンに話かけてて「赤レンジャーやれ」と言っているようでしたが、淳クンきっかけが掴めなくて引き際スロープまで来たときにやったら諸星くん自分でやらせたくせに「本当にやってる」みたいに笑ってるし、晃くんは帰る振りしていました。でもみんなちゃんとやってくれて「緑レンジャー」でポーズする晃くん。大沢くんは「朝吉」。内海くんは人数数えて「7レンジャー」
2部は「荒野のメガロポリス」の後「風の大地」をやらずにMC。この回はラジオ「All About 光GENJI」風。いつの間にテーブルが? と思ったら中央のセリ台でした。諸星くんが八王子のセブンイレブンに山本くんによく似た人が来ますと言う話をしている時、淳クンは乗り出して諸星くんの手元を覗き込んでました。これは本当に来たはがきではないけれど自分たちで考えたものをちゃんと紙に書いてあったみたい。敦くんの痴漢を目撃した話で内海くんと実演して見せたのがおかしかった。この後晃くんの「音楽の世界」で「真夏の夜の夢」〜「KICK THE EARTH」をやって寛くんと晃くんが抜けて5人で再びラジオの続き。内海くんは敦くんのラジオの時の態度と言って、テーブルに足乗っけてたら椅子ごと後ろにひっくり返っちゃうし。内海くんの掛けた光子ちゃんへの電話に大沢の光子ちゃんが出て内海くんが何かちょっと困ったような顔をしていたのは何故でしょう?
「ROCK AND ROLL」の出で、敦くんはスタンドマイク持って出て来るんだけど、この日はちりとり持って出て(しかも2部は2つ)大沢くんがほうき持ってて音に合わせてお掃除してるのに大笑いでした。それを見て寛&晃くんは手をひらひらさせてるし、淳クンは淳クンでモンキーダンスで踊りまくってました。
 2部終了後、一度引っ込んだ後又メンバーが出てきてくれました。地方でこういうのは初めてじゃないかな。淳クンは内海くんが持っていた(らしい)赤いはっぴをその場で着込んでいました。でもアンコールをやった訳ではなく、ご挨拶とお願い。「追っかけはやめて下さい」と言ってたけど追っかけやってる人はこの時もういないって(^^;)。

 「歌謡びんびんハウス」今までの傑作集。淳くんが「お尻の上のももの裏」と書いたのが流れて、この時鶴瓶さんがしつこく突っ込んでたけど「お尻の上」ってのはちゃんと消してあったのにね。後は敦くんが感嘆詞について質問したシーン(と書いてみなさんわかります?)が流れました。

 おまけ。この日の「クイズ!早くイッてよ」に淳くんと晃くんが出演してました。この2人だけでのテレビ出演はこれが最初で最後でしたね。2人は自分から出たいと言って来たそうで、クイズ好きと言われてました。でもクイズと言うよりゲーム的要素が強くて、ある言葉から連想する言葉を言うクイズで2チーム対戦形式。淳くん達は「チーズ」で連想する言葉を言ったのだけど、残した言葉が悪くて、相手チームに元の「チーズ」を当てられてしまったし、相手チームの残した言葉から元の言葉を当てることができず、チャンピオンゲームに進むことはできませんでした。
また是非出たいですと言ってたけど、番組もあまり続かず終わっちゃって、2度目はありませんでしたね。

 1993年横浜初日。名古屋から変更になったのは中盤のメドレーの後、TOKIOの曲がカットになって晃くんの「BORN TO BE MY BABY」と大沢くんのソロをやるようになったこと。細かいところでは光の曲と淳&晃の「こわがらないで、天使」の最初にリフターを使うようになったこと。
1部のMCで諸星くんは名古屋から帰ってから新潟にスキーに行って、朝7時に帰って来たので寝てないなんて言ってましたが、これは本当の話でしょうか!? 帰り渋滞にはまってトイレに行きたくなって緊急電話のところでポーズしながら用をたしてたって話も最初は本とかなぁと思いながら聞いてたけど、段々ウソ臭い話になってましたしね。どうも彼(彼ら)の話はどこまで本当なのか見極めがつきにくいです。
淳クンが朝から「波動拳」なんてやると諸星くんが言って、しばし「ストリートファイター2」&「嵐になれ」の話題。ファンも疑問に思っていた淳クンのソロの演出について「なんでバスケットしてるんだ?」と聞いてくれる諸星くん、ファン代表の質問ありがとう(笑)。淳クンの説明によるとあれは道場の帰りで、帰りにバスケットボールをやってたのとのことでした。「嵐になれ」は初登場14位。間違っても光GENJIを抜くなよとか、山本さんは脱皮して卒業したのとかって散々諸星くんに責められる淳クン、「(1人でやって)6人の大切さがわかった」と言うんだけど、大沢くんにまで「心にもないことを」なんて言われてたら、寛くんがシングルのCDジャケットのことで、表紙は柔道着を着て赤いはちまきして恐い顔してるけど、裏表紙を見るとジャケット着てニッてやってて、そのニッが光GENJIの山本淳一と言ってくれたので、喜ぶ淳クンでした。
「PROUD MARY」で出て来た時、服の下に何やら赤いものを隠し持っていた淳クン、外周左側まで走って行って取り出したのは赤い羽根の扇子。同じく青い扇子を持った寛くんとジュリアナしてたら敦くんもダッシュでやって来てやはり黄色い扇子を持って踊り。そして少し遅れて晃くんも来たのだけど、扇子を持ってなかった晃くんに淳クンが自分の扇子を貸してあげようかって素振りを見せたら、背中に隠し持っていた緑の扇子をジャンと出して4人でジュリアナお立ち台ギャル(どれももう死語かしら(^^;))と化していたのでした。このジュリアナ大会は翌日の2部まで続いてました。
2部のMCではトシちゃんの真似を淳クンや寛くんにもやらせる諸星くん、淳クンに「飯食ったか?」とやらせて全然関係ないのに「その唇やめ」と触ってました。諸星くんてば淳くんの唇触るの好きよね。で、何故か淳クンの唇ネタに大受けするのが晃くんでした。大沢くんは内海くんに「ウチッピー」と言うあだ名をつけたり、今度宝塚劇場で舞台をやるけどオスカルをやる訳ではないと言って『それでは〜』と歌い出して、何かきょうはノッてますねと言われて「内海くんの兄ちゃんが来てるから」と言ってました。お客さんの多い横浜、この回は内海くんのお兄さんが来場。
淳クンのソロの話でキャンペーン回って6人の大切さがわかったと言う淳クン、またなんだかんだと文句をつける諸星くんに「でも自分がそうだったらメンバー蹴り落すでしょ?」と言ったら「当たりまだ」と答える諸星くん、淳クンに「人が良すぎると芸能界にいられないよ」と忠告してたけど、その後、心の底では山本さんにお世話になってると言って、お互いの実家が「高尾せんべい」やお茶を送り合ってるなんて話をしてました。家族ぐるみで仲よしさんなのね。
大沢くんがいなくなった後、彼はお風呂に入る時、ドライアイスを入れて煙が出ないと入らないだの、照明が青で横にドクロが置いてあるインチキ占い師の部屋のようだの、いないと思って散々いいまくる内海くんと諸星くんでした。内海くんの「想像できちゃうから恐い」ってのに思わずうなずいちゃったりして…(^^;)

 お正月に横浜でコンサートがあったのは'93年だけだったんですね。もう1回くらいやってたような気がしてたけど…。'88年、'89年はまだコンサートに行ってないのでレポートはありません。


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