きょうの思い出

04/01

 1989年 「GENJI GENKI 爆発」オープニング、「歴史上の人物で、誰が好きですか?」との質問葉書に、晃くんはホラー映画が好きなので、ギロチンを発明したギロチン。敦くんは電話を発明したベル。淳くんはライと兄弟。寛くんは吉田兼好。諸星くんは小野妹子。何かみんな結構適当に知ってる名前を言ってるだけのような気がする…(^^;)。僕達も歴史上の人物として名が残るよう頑張りましょうと言う諸星くんでした。
「哀しみ自慢」のコーナー。チーズが嫌いで、ピザ、グラタン、ドリア、ハンバーガーなど、食べられないものが多いと言う人からの葉書を読んでその子に電話。何故チーズが嫌いなの? と聞かれて、お母さんも嫌いだからと言うので、お母さんを電話に出してと言ったけど、お母さんは恥ずかしがって逃げちゃいましたと。で、なんでこれが哀しみ自慢かと言うと、みんなはチーズが入った物が好きだから、自分だけ仲間はずれのような気がして哀しいと言うので、淳くんが細かく切って好きなものに入れて食べれば? とアドバイスをすると、努力しますと言う、素直な人でした。
後半も葉書紹介続き。汽車通学の友人が汽車の時間が迫ってるとダッシュして帰っていたら、途中で「あっ!」と言って下を向くので、見ると学校のスリッパを履いたまま。友人は泣く泣く学校に戻って靴に替えて来きたとの葉書を読んで、普通、泣かないと思いません? と言う諸星くんだったけど、時間がなくて急いでる時に戻らなきゃいけなくなったから、泣く泣くだったんじゃないかと…。山本は作業服を盗まれて泣いたんだよなと諸星くんに言われた淳くんも、カギ付きのロッカーに入れるのが面倒で、たまに上履きのまま帰ったことがあると言いつつ、1回校門まで出たことあったけど、戻って履き替えたって、どっちなの? 敦くんはトイレのスリッパのまま何処かへ行ったことがあると言ったら、いつもじゃんと言われてました。
出張に行った主人が「丹頂鶴の卵」を言うお菓子を買って来て、それを長女が次女に本当の卵だよと言ったら、次女は手で温めてたのだけど、食べてごらんと言われて、食べたら「なんだ、お菓子か」と言い、素直に信じてしまう次女はユニークな子ですとの葉書に、「哀しみ自慢かよ、コレ」と怒る晃くん(^^;)。「主人」ってことは、お母さんも聞いてくれてるんですねと感心もしてたけど…。で、いい話だったと言うことで、「哀しみ自慢」は今回で終わりで、今度は「幸せ自慢」のコーナーにしましょうといきなり、別コーナーをまた作ってました。
エンディングは、次回から放送時間が金曜の夜10時からに変わりますとのお知らせ。次回は4月14日と言うことで、1週お休みです。

 1990年名古屋の初日。この日は2回公演でしたが、初回のチケットが手に入らず、この回は観てません。2部と同じだったのなら、札幌から大きな変更はありませんでした。細かいところでは「THE WINDY」の踊りが少し変わったとか、ミュージカルでの台詞がちょっと違ってるところなどあったようですが、メモにも詳しくは書いてなかったし、さすがに記憶はありません…(^^;)。そうそう、月寒の2日目になくなったペンキ屋さんのオーバーオールのような衣装が復活してました。この衣装は肩がズリズリと落ちちゃうのがまたいいんだな…。

 1991年この年の春のコンサート初日。構成の半分くらいは前年の冬のコンサートと同じでしたが、冬のコンサートがとてもクリスマス色の強いものだったので、その部分はカットになり、新しいアルバムが1ヶ月前に出たばかりなので、そのアルバムの曲を沢山やってました。ソロ曲も変えてきた子と冬のままの子と半々くらいかな。淳くんは冬と同じ「キッチン!」でしたが、衣装は変わってました。ちなみに歌も衣装も全然変わらなかったのは晃くん。しかも動くことなく歌ってて、晃くんファンはつまらなかったのではないかなぁ?
ステージの形は光GENJIにしては珍しく一般的な横に広いステージでしたが、会場を横に使ってるから、普通のステージよりはずいぶん横に長かったですね。でもこんな形でもバックステージに客席作ってるから、バックになると本当に後ろ姿ばかりだったような気がします。それにステージの端の方の席だったりすると反対サイドに行かれてしまうととても遠かったです。それでも愛知県体育館はまだ狭い方だったからマシだったかも。横浜アリーナなんかだと対岸が霞んでましたからね(^^;)。
この日は1公演のみだったので、構成などを確認する暇もなく終わってしまったって感じでしたが、新曲が多くて、しかも好きな曲だし、冬から残ってる曲も好きなのばかりだったから、なかなか満足できました。全体の曲数も多いから確かこの回は2時間をゆうに越えてたと思います。で、翌日からいろいろ変更になったりカットされちゃったりしたんですけどね…。と言うことで、終わってみればこの日のみ特別だったメニューはこちらです。
この回のMCのこと、ほとんどメモが残ってないのですが、あまり楽しいことはなかったかな…? 最初の挨拶の時、諸星くんが重大発表がありますと言って、しばらく個人活動をすることになりましたと言ったのですが、これはエイプリルフールの嘘でした。
この日は淳くんは大沢くんと妙に仲よしさんで、歌いながらニッコリ笑合ったり、手を繋いでステージの端の方に行ったりと、見慣れないものをいろいろ見てしまったような気がします…(^^;)。

本日は4年間あったコンサート全て名古屋でしたね。'88年と'89年はまだコンサートに行ってないので内容はわかりません。更に'88年は公演時間も不明なのですが、どなたかわかる方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。


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