04/21
1988年「ザ・ベストテン」前週に続き、満点にわずかに足らずの9965点、1位で登場。1位のお祝いのくす玉が前日お誕生日だった大沢くんのだけ大きくて、割ると誕生日おめでとうの垂れ幕が出ました。スタッフからプレゼントがありますってことで、MIKIO GRAFFITIのVTRの後、人気がすごくて街を歩くのも大変だろうからと、変装グッズと背中に「私は光GENJIではありません」と書いた赤い派手なジャンパーをプレゼントされました。このジャンパー、メンバーの分も作ってくれたとかで、他のメンバーも貰ったようです。
歌は丸く囲まれた狭い中で歌って、途中から外に出て来て、間奏の後は光はピンクの薄布を持って滑ってたのですが、GENJIの5人は繋がって滑ってたので、先頭の諸星くんだけ両手に2枚持ってました。
1989年「ミュージックステーション」歌前の話は前日の大沢くんのお誕生日の話題から。プレゼントが沢山来るんだろうなと言うタモリさんに、まだ郵便局に取りに行ってないからと言う大沢くんは、私書箱を持ってるそうです。20歳になったと言うことで、前日は家に帰ったらお父さんが食事の時の日本酒を注いでくれて、一気に飲めと言われたんだそう。プレゼントにCDなどが多いと言う大沢くんはビートルズが好きだと話していると、横から諸星くんが「僕はずうとるび聴きます」って口を挟んで来て、タモリさんに「上手いな」と言われたら、ホントですよ。「グリーングリーン」とか「ドナドナ」とかって、そこがすでに嘘(^^;)。他にも大沢くんはクラシックとモダンジャズに凝ってるそうです。大沢くんに内海くんもクラシック聴いてるみたいですよと振られた内海くんは、映画で朝起こされるシーンがオーケストラでクラシック聴いてと言うことだったから、よくCDを貰うんだそうで、ショパンなどを聴いてるそうです。いつもと違う話の内容に、タモリさんは光GENJIと話してるんじゃみたいと言ってました。他にどんなプレゼント貰うのか聞かれて、ファンの子が光GENJIの曲をBGMにメッセージをカセットに入れたものなどがあると言う大沢くん、それを集めてるのが山本くんですって言うので、淳くんはテープを聞くと自分のことばっかりで訳わかんないですと言ってたら、タモリさんに「怒ってるよ」と言われ、怒ってないですと慌てて謝ってました。そこで内海くんが淳くんは沢山CDを持ってますよとフォローしてくれて、CD貸してと言うとカバンにいっぱい持って来てくれると内海くんが言うので、淳くんはファンのみなさんが誕生日などにくれるので、いっぱい集まって…と言ったら、隣にいた諸星くんが「ナイス、フォロー」と言って淳くんに握手を求めてました。
歌は間奏が短く腿叩きなしの手旗バージョン。手旗のメッセージは「シンガクオメデトウ」でした。途中から入った諸星くん、ちょっと間違えてましたね。
「GENJI GENKI 爆発」この日は野球中継が延びたため、20分の縮小版。オープニングで諸星くんは時間が短くなっちゃったので僕達の曲を中心に聴いてもらいたいと思います…と焦り気味の喋り。
と言うことで、1曲目は「NEW 青春にはまだ早い」。曲の後、最近野球に凝っていて、番組収録前にやってたりするけど、何番バッターがいいですか? とメンバーに聞く諸星くん。敦くんは代打で、ポーンと打てたらいいなと思うと言うと、代打は打てなきゃいけないから、ムリムリと言う諸星くんでした。淳くんは2番で、1番の人が塁に出たら送ると言うと、諸星くんはさすが良識派ですねと。晃くんは自信がないので、7か8番と言うと、諸星くんは7、8番って凄いんですよ。3回の3番バッターですから…にみんな一瞬沈黙。で、晃くんがまた自身がないと言うことで、1番と言うと、1番は1番最初の人だから凄いと。寛くんもバッティングに自信がないから9番と言うと、やはり、9番はいいんですよ、1番に回す役だから1番大事と言う諸星くん。結構みんな、知らない振りして、1番いいとこ言ってると。相撲でも柔道でも1番強い人が最後に来る、大将だからそれと同じなんて言うので、ホントに? と聞くメンバー。晃くんは信じようと言ってたけど、野球と相撲は違うんじゃないかい(^^;)。で、その諸星くんはあまり打てないから、4番でいいやと。あまり良くない奴が4番に行くの。できればピッチャーもやりたいけど、ピッチャーで4番でキャプテンがいいななんて、言ってました。
更に、高校野球部で、プロにスカウトされてたんだけど、ジャニーズ事務所に入ってたので、断ったなんて言ってると、敦くんが諸星くんの中学校の卒業文集の作文を読んだと言い出して、諸星くんがもしかして「思い出の1打席」って奴? と言うと、晃くんも淳くんもファンの子からの手紙に入ってたので、読んだと言って、盛り上がってました。落ちは三振だったと言う晃くんに、落ちじゃなくて、ホントの話だよと諸星くん。高校野球の話がでたとこで、2年連続甲子園の入場行進曲を狙ってるこの曲をと言って、「地球をさがして」
エンディング。時間を短縮して、内容を濃くしてお届けしましたと。普段よりちょっと短かったけど、普通のお喋りの方が、聞いてて楽しいですね。
1990年福岡1日目、16時の1回公演のみでした。この福岡は一緒に行く予定だった友人が、都合で行けなくなって、急遽別の友人と行くことになったのですが、元々一緒に飛行機のチケットを取ってなかったため、一緒に行くことになった友人が私と同じ便に乗るのにキャンセル待ちをして、出発ギリギリにチケット貰って羽田空港を走りまくったってのが一番の思い出かなぁ…なんて(^^;)。でも、実際この日はあまりMCでも面白いことはなかったようで、メモにもたいしたことを書いてません。敦くんの「生麦生米生卵」の早口言葉があったって書いてあるくらいかな…。これも記憶はないしなぁ(^^;)。敦くんのことではこの日、踊りが手抜きだったので、みんなと踊りが揃ってなかったとも書いてました。
曲の構成で変更はありませんでしたが、岡山ではGENJIが踊っていた大沢くんのソロのイントロ部分が、SMAPに戻ってました。
1991年「思い出のザ・ベストテン」「ザ・ベストテン」が終わって1年半、たまに特別番組で復活してて、この日は光GENJIがゲストで、番組を12年間の懐かしのVTRで振り返りました。
光GENJIの思い出はまずは昭和62年10月15日放送の赤坂祭の時のもの。この時は晃くんと敦くんは欠席で、淳くんは足の手術から復帰したばかりで御神輿に乗って歌ったのですが、そのシーンで笑いが起きてましたね。VTR終わって諸星くんたら「思い出しました、デビュー曲の『おサルのかごや』」なんて言うし…。
大沢くんの「ザ・ベストテン」で冗談じゃないなと思った思い出は、真冬に屋上に雪を持って来て、その上で裸足の短パン一丁でやったことで、さすがに酷だなと思ったそうです。敦くんは思い出を聞かれて、コンサートからの中継で…と言ったら、メンバーから「ない、ない」って突っ込みを受けてました。光GENJIのコンサートは時間が早かったから、生中継は確かなかったですよね。淳くんは「あぶない少年」のロケ中に芝浦の倉庫から中継があったのが印象に残ってるそうです。そのことを覚えてる? と振られた晃くんは一言「僕、いなかったです。その時」(^^;)。
「ザ・ベストテン」も終わって、歌番組がどんどん減ってくのをどう思うかと聞かれて、大沢くんや内海くんは見てくれる人を楽しませたいなと思ってもそういうことができなくなって淋しいし、今、どういう曲が売れているのかもわからなくなって残念ですねと言ってました。諸星くんも「ザ・ベストテン」を目標にやってきたから淋しいし、僕達も仕事がなくなるから、歌番組をなくしちゃいけないなと言ってました。確かに、この頃は歌番組と言うと「ミュージックステーション」しかなかったから、歌のビデオはあまり残ってないんですよね…。
最後は「奇跡の女神」を歌いました。白い衣装は前を閉めてるときつそうなんだけど、この日、GENJIは晃くん以外みんな閉めてて、踊りにくそう…って思って見てたら、諸星くんは途中でファスナー下げて開けてました。