きょうの思い出

05/16

 1988年「歌のトップテン」この日は紳助さんがローラースケートで光GENJIに挑戦。以前は全然ローラースケートが出来なかった紳助さんだけど、この頃「俺たちひょうきん族」で光GENJIをやっていて、そのメンバーの紳助さんはかなり上手に滑れるようになってました。で、紳助さんは大沢くんの役なので、大沢くんと技を競ってて、ホント、ずいぶん上手なのでビックリって感じでしたが、戻ってくる時に2回とも派手に尻餅をついて派手に転倒して痛そう…。やっぱり光GENJIみたいになるには1年くらいかかりますねとアッコさんに言われてましたね。
この日はアニメは入らないのかな? と思ってたら、なんか中途半端なところで入ってました。間奏もアニメは後半だけ。セットのバックの電飾で描かれたSLの正面の図が段々大きくなって来てたけど、どうなってるんだろう…? と今回ビデオを見返してて、初めて気付きました。

 「GENJI GENKI 爆発」オープニング。「Hello」といきなり英語で挨拶を始める諸星くん。それを通訳する寛くん。諸星くんが名前を言ったところで「僕は佐藤寛之だよ」と言う寛くんに、諸星くんは「いきなり通訳をやめないように」。
最初は電話。高2と高1の子供を持つ40歳の主婦の人が、高2の娘が光GENJIファンで、勉強をしないで困ってますとの相談の葉書を送って来たので、その人へ電話。そんなことしたら火に油を注ぐようなもんじゃん…と思ったけれど、こんな葉書を出すくらいだから、お母さんもファンってことで、困ってると言うことだったのに、すぐ子供に代わろうとしてました。諸星くんは自分のお母さんと年齢が同じくらいってことで、何だか和んでお母さんと話してましたが、娘は敦くんファンとのこと。敦くんにどんなタイプが好きかと質問して、「君」と言われて喜んでました。締めは勉強も頑張って、友達を大事にして、僕達の応援をしてくださいとお決まりの言葉。
葉書紹介。まずは寛くんが、校則で男子は坊主頭なんだけど、クラスの男の子はムースを付けたり、坊主頭で横分けにしてるけど、もし晃くんと敦くんが坊主頭だったらこういうことをしますか? また、坊主頭だった諸星くんは坊主頭の時、どんな工夫をしてましたか? との葉書を読んだんだけど、みんなの答えは何故か子供の頃の髪型のこと。敦くんは坊主頭の経験なし。晃くんは小さい頃に。淳くんは前髪をコテでクルクルとやってスポーツ刈りでお父さんと同じ頭。寛くんも坊主頭経験はなしで、今よりもっと長かった。坊主頭経験者の諸星くんはみんな1回は坊主にした方がいいですよと言いつつ、坊主頭でローラースケートやったら爆笑ものと。で、坊主頭にしたときの心得として、シャンプーは1日1回する。虎刈りはやめてください。部分的に長い髪型はやめてください。規則正しく清潔にとのことでした。
諸星くんが読んだ葉書は、父が諸星くんのファンなので、何か一言言ってやってくださいと言うものだったけど、この時もメンバーの話は、親が誰のファンかと言うちょっとずれたもので、敦くんはお父さんは聞かないけど、お母さんは加山雄三さん。淳くんはお父さんは演歌の人で、北島三郎さんや、山本譲二さん、お母さんは沢田研二さん。晃くんはお父さんは島倉千代子さん、お母さんは石原裕次郎さん。寛くんのお母さんは渡哲也さん。諸星くんはお父さんはお母さんにホレてるから、ファンの人はいないんじゃないかと。話を戻して、父に一言と言われてもねぇと言って「これからも応援してください」と当たり障りのない答えでした。

 1992年「華麗なるMICHAEL JACKSONの世界」この当時、とても流行っていたマイケル・ジャクソンの特集番組の司会を光の2人がしました。司会と言うか、案内人ってなってたかな? ビデオクリップの紹介番組だったので、ビデオの合間、合間にマイケル・ジャクソンについていろいろ話してました。2人ともマイケル・ジャクソン好きだから、ビデオを見て楽しんだり、懐かしがってましたが、私のビデオにはビデオクリップは残っていない…。


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