06/12
1988年「スーパーJOCKEY」敦くんいなくて6人での登場。敦くんは修学旅行中で、今、こちらに向かってますと言うことで、いつの間に来たのかはわからなかったけど、歌のときには7人揃ってました。そして「パラダイス銀河」を7人で歌ったのはこれが最後となりました。
「書きゃいいってもんじゃないんだよ」のコーナー。諸星くんが幼い頃、勘違いをしてなりたいと思ってたものは何でしょう? と言う問題に、軍団の人たちはドラえもんだの自動車だのと答えてましたが、もうちょっとまともなもので「女優」になりたかったと言う諸星くんでした。これは芸能人はみんな「女優」だと思ってたことからの勘違いでした。
この当時、敦くんが15歳未満のため、労働基準法に触れるのではないかと言うことで、夜8時以降の仕事がこの日辺りからしばらく規制されました。晃くんは15歳になってたけど一緒に出演を自粛していたため、8時以降の生番組などは5人での出演となり淋しかったですね。でも何時に撮ってるのかわからない収録番組などはきっと深夜まで仕事してたんではないかと思うし、光GENJIは労働者ではなく、事業主だからと言う理由で、敦くんの15歳の誕生日を待たず、深夜労働もOKとなりました。
1992年「ミュージックステーション」この日もまだ「GOLDEN BOY」に出演のため、諸星くんはオープニングは欠席。途中からの出演でした。
「My Just Fit」は珍しく大沢くんが担当。タモリさんの初恋をイメージしたと言うカツラネタの作詞をしてました。
歌前には諸星くんも到着し、頭が段々黄色くなってくねと言われてました。話はバルセロナオリンピックの代表選手に会ったことで、淳くんは体操の西川選手と池谷選手に会って体操を教えてもらったら、結構出来たそうで、もうちょっと練習すればオリンピックに出れるよと言われたので、調子に乗っちゃおうかなと言ってました。敦くんは女子柔道の柔ちゃんこと田村選手に会って、背はちっちゃいのに大きな人をぼんぼん投げてて、敦くんも取り組んだそうですが、(技を掛けるのが)速いのなんのと驚いてました。
1994年「アイドル オン ステージ」5月12日NHKホールでの公録の2週目分。オープニングでサングラスして格好つけてる諸星くん、笑ってる晃くんに手を出して、その隣の淳くんと目が合ったら淳くんのほっぺも触ってました。淳くんが「マイケル、マイケル」(って口が動いてるよね!?)と言ってるので、諸星くんが何をしてたのかがわかったわ(笑) 。
「Kinkiの話題」に参加の淳くん、東京と大阪での「おばさん」の違いについての話で、少し空いてる席に割り込まれて飛ばされて唖然としてたのが、可笑しかったわ。この時の光一くんのお尻が好きなんだけど…。淳くんは東京のおばさんは優しい風に言ってるけど、大阪の人も東京の人もその人によると思うわ。さすがにKinkiには「山本さん」と言われていた淳くん。でもそのうち「淳くん」と呼ばれちゃうような気がするけどと当時思ったものでしたが、現在どう呼ばれているのでしょう?
歌は春のコンサートでやった「Shake Again」と光の「Dancing Love」、そして「ヨーソロー! 未来へよろしく」。この日は公録は歌って踊ってだけだったから、あまり楽しいことはありませんでした。「Shake Again」は五輪カラーにメダルの沢山付いた衣装で最初、ローラースケート履いて踊ってたけど、何かみんなヨロヨロしてたのは何故でしょう…。靴になってからのダンスは格好いいですね。「ヨーソロー! 未来へよろしく」はコンサートのアンコール時に着ていた白い衣装でした。