08/19
1987年のきょう、光GENJIデビュー。お昼のTV番組「笑っていいとも」にポスターを持って告知に来たり、夜には「夜のヒットスタジオ」に出演。でも、デビュー前から雑誌に載ったり、TV番組などにも出てたので、「夜のヒットスタジオ」もこの日が初出演ではないですね。
「夜のヒットスタジオ」この日で2度目の出演。この日がデビュー日なので、まだオープニングのメドレーには参加してません(多分)。歌前の話では夕方からテレビ局の中をローラースケートで動き回ってる彼ら、ローラースケートでスーッと滑ってくるから気付かなくて、通りすぎた人が驚くとのこと。また、階段をどうするのかな? と思っていたら、横向きでトントントンと器用に降りていたと古館さんに言われてました。
そして、内海くんがキョンキョンの熱狂的ファンだと言うことで、一緒に写真撮影をしてテレカにしてプレゼントしてもらってました。
初出演の時に比べて、ローラースケートがずいぶん上手になったように見えるのは、気のせいじゃないですよね。この日は転んだ子もいなかったけど、リハーサルでは転んだりしてたのかな? 歌い終わって、本番に強いと言われてました。
1988年「少年御三家」コンサートは私が初めて見た、光GENJIのコンサートでした。正確には武道館の初日の16日でしたし、これは光GENJIオンリーではありませんが…。ちなみに「少年御三家」とは光GENJI・男闘呼組・忍者の3グループを指します。念のため…。
今まで、私がいろいろ見たコンサートとは何もかもが違っていて、カルチャーショックを覚えました。特に、アリーナ一面のステージとそれを取り囲む360度の客席、その客席に広がるペンライトの光が印象的でした。ただ、あまりの会場のうるささに、彼らが何を喋っているのかもわからなくて、アイドルのコンサートってこんななの? とちょっとうんざりしたかな。あと、自分たちの曲をあまり歌わなかったので、何でアルバム出てるのに歌わないのかな〜と思ったり…。
私が見たのは初日だったから、まだ活きのいい(笑)彼らでしたが、1日3公演の4日目ともなるとさすがに疲れ果てて足も腕も上がらない状態だったようです。しかも、この日、コンサート後に「ミュージックステーション」に出演してます。この頃が一番ハードだったのかな…?
「ミュージックステーション」少年御三家のコンサートを終えて、駆けつけた彼らは「光GENJI 1st. BIRTHDAY」と床に描かれた屋上の特設ステージからの中継。歌の10分前に着いたんだそう。
歌前に、まずは恒例のプレゼントの当選者の発表。松井さんから晃くんと敦くんから発表してもらいましょうと言われたけれど、そんなことは聞いてなかったらしい晃くん、「知らないです、僕」と言って、今週のプレゼントで敦くんが被っていた帽子を紹介してフォロー。この日でちょうど1周年。1周年を迎えた感想を聞かれて、ここまで来れたのも、スタッフのみなさん、ファンのみなさんのおかげですと絶叫する諸星くんでした。諸星くんからもうすぐ敦啓も1周年…じゃなくて15周年と言われた敦くん、「今年の30日で」って発言。本人言い間違えたのに気付いてなかったみたいですけどね…(^^;)。
歌が終わって、番組エンディング。元気にスタジオに走り込んで来た彼らに、本当に1日3回公演やったのか? と言うタモリさん。3回公演やったらヘトヘトだろうとも言われてましたが、大丈夫です、たいしたことないですと答えるメンバーでした。でも、ここまで元気なのも疲れすぎてハイになってるのかな? って思っちゃいましたが…。本当によく働いていた(働かされていた?)彼らでした。
1990年「ヤンヤンもぎたて族」「もぎたてニュース」でコンサートリハーサル中のVTRが流れ、内海くんが今回のコンサートは新しいアルバムから半分以上歌ったり、自分達のオリジナル曲を結構やるので、見てくれる子も楽しんでもらえるんじゃないかなと思いますと語っていました。他のメンバーもひとことずつ、メッセージ。寛くんの光GENJIにしか着れない衣装もいっぱいあって…ってのに、確かにって思いますね。この夏の衣装はひとつ、とーってもおポンチな衣装ありましたものね。淳くんが着替えようとしてて、「見ないでよ」ってやってたのが可愛い。
1991年WINNING RUN サマーステーション キャンペーンはデビュー当時以外では初めての大掛かりなファンの集い的イベントで、この日から3日間、メンバーが全国各地で握手会を行った訳だけど、何故か淳くんは3日とも誰かと一緒でした。私が行ったのはこの日の兵庫・加古川。やる方も行く方も初めてでどうなることかと心配だったけど、なんかこのイベントについては暑かった、疲れたってことしか記憶が残ってません。デパートの屋上で日干しになりながら待つこと4時間(屋上に上がる前と握手できるまでを入れると9時間…)、私の人生の中で最大の忍耐の時間だったと今でも思う。何も覚えてないと言いつつ、当時レポート書いたの読み返したら淳くんと敦くんの可愛さに感動していたわ。
1992年この年の夏のコンサートは前半が全国各地の会館で、後半が東名阪の体育館クラスのホールで行われ、この日は後半の初日となる大阪城ホールでのコンサート。会場が大きくなったら少し内容も変わってくるかと予想してたけど、あんまり大きな変化はなかったかな?曲順が少々入れ替わってた程度。ただ、最初が会館だったから、振りが正面メインで付けられてたのに、そのまま360度のステージに持ってきてるから「熱帯夜」のイントロの振りがと〜ってもおマヌケって思ったわ(^^;)。
そして忘れてならないこの夏のコンサートの目玉(と勝手に言ってる・笑)「TOKYO-L.A.-N.Y.〜夢の長距離バス」のメドレーにおいて、各地で段々派手になって行ってた諸星くんのご乱行がなくなってしまって残念…なんて思ったのだけれど、それも日を追って復活しました。でも、この曲の後の大沢くんのソロがなくなったせいで、淳くん(と内海くん)が途中退場してしまうのもこの日「つまんなくなった」と思った要因でした
1994年「ミュージックステーション」コンサートで幻の衣装となった園服(笑)で登場。有賀さんも「英国風でとても可愛い」と言ってたし、本当に可愛いからもっと着て欲しかったわ。でも大沢くん、君にこの服は無理があるのはわかるけど着崩すのは止めてね。
この日のJust Fitのテーマは真夏の夜のミステリーにJust Fitする曲で、淳くんが選んだ曲はザ・ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」。スタジオの照明が暗くなってるので、画面の窓に映ってる淳くんが怖い…。で、霊体験の話。釣りに行った時に、山道を通っていたら、カーブを曲がる度「ねぇ、待って」って声が聞こえて、何度目かの時、止まったらサンルーフから覗いてる顔があって、外に出たらカーブの先にお花が置いてあって、もしかしたら自分達も落ちてたかもしれないので、それを止めてくれた良い霊だったのではないかと話しました。聞いててかなり恐いと思ったのに、淳くんてば平気な顔して話してるんだもの…。諸星くんは淳くんの話を信じてないのか立ち上がって拍手なんてしてたけど、私は霊がってのより淳くんが夜中に山道走ってることや海釣りに行ってることの方が心配。あまりひとりでは行かないみたいだけど、ひとりで行ってる時に事故にあったりしたら誰も知らないし、誰も助けてくれないのにって思っちゃうから…。仕事で疲れてて、眠くても釣りには行っちゃうなんて言ってたのを聞いた時には、真剣に止めてって思ったものでした。
歌前の話はなし。