08/21
1987年「ミュージックステーション」この日で2度目の出演かな? 上半身裸の「STAR LIGHT」のポスターを見せて、この感じできょうは歌ってくれるんですねと言われて、Gジャンを脱ぐメンバーでした。脱いだGジャンを預かる中原さんは松井さんに洗濯のお姉さんみたいと言われて、御自分で寮母さんみたいでしょと言ってました。その寮母さんに見送られてスタンバイへ。スタンバイしている間、たった3日間でレコードが10万枚の売り上げがあったと、驚きの報告をする松井さんでした。
上半身裸で、下はGパンってのも案外珍しい格好かな? 下の子達はまだ線の細い子供っぽい体型をしていますね。危なっかしいローラースケートとまだ幼いこの雰囲気が世のお姉様たちの母性本能をくすぐってくれたんですよね…。
1989年横浜でのコンサートの初日、この夏から「親子デー」なる親子優先の公演が作られ、この回がその日でした。でも、何故か横浜での「親子デー」はプログラムがカットされることがあって、この日も「仮面舞踏会」から「TOUCH ME」までのジャニーズメドレーがばっさり切られて、諸星くん以外ソロがない状態…。振りが可愛かった「NINJIN娘」も、敦くんのバックで踊るお兄ちゃんズも、寛くんの10カウント衣装チェンジも、諸星くんと淳くんのおサルの小次郎芸もみぃ〜んなカットされちゃって、このコンサートの見所ないじゃないと怒ったものでしたが、実は私はこの公演は観てないんだな…(^^;)。
この日は「歌のトップテン」の中継があったので、それでカットされたのかなぁとも思いますが、放送では「今、コンサートが終わったところです」と生中継のように司会の方と会話してるけど、これも実は録画だしねぇ…。
「歌のトップテン」コンサートが終わったばかりの横浜アリーナからの中継。たった今、コンサートが終わったところですって言ってるけれど、実は録画中継。ま、コンサートが終わったばかりってのは本当ですけど。
19日にデビュー2周年を迎えたと言うことで、初登場の時の初々しいVTRを流してました。2年前だけど、成長期の彼らだから、みんな変わってるけれど、特に晃くんはこの2年で身長が13、4cmも伸びたと言って、アッコさんに驚かれてました。2年間でどうかわったか聞かれた内海くん、2年前はローラースケート履いてましたねと言って、今も履いてますだの、みんな可愛くなりました…って僕だけか、とひとり突っ込みしてました。きょうはこれからどうするのかと聞かれた諸星くんは、家帰って「トップテン」見ますって答えてたけど、一応、生中継ってことになってるんですけど…(^^;)。
歌はBパターン。前週の大阪城ホールと比べると横浜アリーナは画面を見てても広いなって思いますね。天井が高いし、スロープがなだらかで空間が多いのかな。ステージとセンター席の間も広いですね。で、会場が広いのはよーくわかったから、豆粒になるほど、カメラ引かないでって思います。
「マーケティング天国」シングル売り上げランキングは前週の2位から再び上がって1位。「毎週ジャケットを変えてロングヒットをねらいます」ってそのと通りだけど…。
1990年横浜1日目。この日の構成は名古屋の最終日と同じもの。親子デーは少しカットされましたが、以後、ずっとこのプログラムでした。名古屋からちょっと変わってたのは、「冒険者たち」の闘牛士の様な衣装に肩布が付いたこと、その後のバハマのビデオが少し変わってたような気もしますが、あまりモニターは見てなかったので、気のせいかも。
後、淳くんの「素敵に…」でミラーボールが回るようになったこと。これは奇麗だったので良かったけれど、名古屋で3回も淳くんの「ごめんなさい」を聞いてると言うのに(正確には「ごめんなさい」と言う言葉は1回だけだけど)、この日、淳くんが喋り出した途端、心臓が痛くなっちゃって、最後まで耐えられるかどうか、心配でした。淳くんが何と言うかと言うより、ファンがどう思うかと思って辛かったんですよね…。
この日はアンコールにデビューを控えた忍者が出演。忍者が歌ってる間、メンバーはステージの端の方に避けて見てたのだけど、淳くんと晃くんは並んで見ていて、演歌調のソロの部分でふたりしてこぶしを振るポーズをしてました。
1991年WINNING RUN サマーステーション キャンペーンの3日目。淳くんは諸星くんと高知で握手会、なのに何で私は行ってないのでしょう? スケジュール的にどうしても無理で行かなかったのだと思うけど、今なら1日目の加古川に行かず、絶対こちらに行ったことでしょう。
大沢くんと寛くんの場所が近畿・中国とアバウトになってますが、当時の雑誌などを調べてもよくわからなくて…。自分が行ってないから記憶もありません(^^;)。覚えてる方がいらしたら教えてください。
1992年大阪城ホール3日目、1部でその事件は起こりました。「TOKYO-L.A.-N.Y.〜夢の長距離バス」で通り過ぎる車を首を右から左に振りながら見ているシーンで、淳くんの左隣にやって来て、淳くんに顔を近づける諸星くん。それに全然気づいてなかった淳くんは何の警戒もなく思い切り振り向いてしまったので、本当にKISSしてしまったのでした。その後、何度かこのことについて発言してる2人だけど、諸星くん、あれを事故だなんて嘘言っちゃいけないよ。君が故意に顔を近づけたのは1万のファンが見てる(笑)。淳くんが事故と言うのはわかるけどね。
2部でも同じように顔を近づけてきた諸星くんだけど、この時は淳くんが警戒してたのでぶつかることはありませんでした。でも、その後諸星くんにシャツを脱がされ、Gパンにまで手を掛けられとセクハラされまくりでしたね。だけど、脱がされながらも歌い続けるあたり、さすが淳くん。そう言えばソロでも晃コアラに上に乗っかられて「痛いよ」と言いながら歌ってたし…。
2部は席が正面だったので内海くんのソロの「豹になれ」のライトや「熱帯夜」のイントロに感動して、やっぱり正面で観るに限ると思ったものでした。多分、この回だけだったと思うけど、中盤のDance曲の出で、諸星くんがTOKIOの作る馬に乗って登場したのが、すっごく格好良くて強く印象に残ってます。何でこの時だけで以後、やらなかったのかなぁ…
1995年「めざましテレビ」「やじうま新聞」19日に淳くんと敦くんが渋谷のスペイン坂のスタジオでのFM放送に出演し、光GENJIとして最後の生出演のこのふたりを一目見ようと集まったファンの混乱振りをスポーツ紙全紙が載せたため、この日の新聞紹介番組でも取り上げられました。
新聞によっては集まった人数が1万だったり2万だったり、列も300mから500mとバラつきがあって、どうも当てにならないけど、とにかく凄かったのは確かなようだから、19日の放送直前にふたりの出演のことを知ったので、渋谷には行かなかった私ですが、これを見て行かなくて正解だったかも…って思いました。