きょうの思い出

09/08

 1988年「ザ・ベストテン」この日の司会は井上順さん。この頃撮ってた最中のドラマに順さんも出演しているので、「台詞を誰も覚えない」などと言われてました。何10年も前の7人組のアイドルと言えばこの方達だったんですよと、井上さんもメンバーだったスパイダースのVTRを見て笑うメンバー。見たことないよね? と聞かれて、淳くんは「ありません」と答えてるけど、彼らはまだ当時生まれてもいないので、知らないのよねぇ。
歌の後、ドラマの撮影があるため、ドラマの衣装に着替えて番組参加してました。

 1989年「ミュージックステーション」久し振りにオフがあったと言うことで、歌前の話はオフの日にやってたこと。諸星くんは「狐の嫁入り」な天気で出かけられなかったけど、散歩に行ったら「棚からぼた餅」でいいことがあり、中学時代の片思いの人にあった。淳くんは友達3人連れてボウリング。大沢くんはコンサートや舞台を観に行った。内海くんは早起きして、やることないので洗濯。晃くんは家でビデオ見てた。敦くんは家族揃って花火やって親孝行(笑)。寛くんは夕方まで寝てて、家族と食事。最後の締めは諸星くんのみんな「ピンからキリまで」でした。この頃、諸星くんの「ことわざ・格言シリーズ」ってのがあったのだけど、ことわざでも格言でもないものも混ざってるねぇ。歌は「時を越えたフェスティバル」でした。
番組エンディングでは「歌謡ゴールデングランプリ」の新人グランプリ、シルバー賞を受賞した方々の紹介があって、諸星先輩から格言で一言と言われた諸星くん、先輩ってのはやめてくださいよと嫌がり、「お魚くわえたサザエさん」と適当なことを言ったのだけど、タモリさんがサザエでも魚を咥えるようにならなきゃダメだってことですねとムチャクチャな解釈をしてくれました(笑)。

 「はなきんデータランド」この番組のシングル売り上げのデータは「オリコン」だったか、番組独自だったか忘れちゃったけど、この週のシングル部門第1位は「太陽がいっぱい」でした。「ミュージックステーション」の映像が流れています。

 「GENJI GENKI 爆発」オープニング、毎年、いろいろなブームがありますが、最近の流行はバットマンとテトリス。あーゆーのは何で流行るんでしょうね!? 面白いんでしょうかね、やっぱり…と話をする諸星くん、誰が最初にやったのかだの、ニューヨークで「バットマン」を観たけど英語だからわからなかっただのと言ってました。
「テレパニごめん」。沢山電話したいからとか言いながら、この日はひとりだけ。電話が掛かって来て興奮気味の相手に、どれくらい嬉しい? と聞くと「いっぱい嬉しい」と答えたら、違うなーと諸星くんにその子はすぐ「わかった、『太陽がいっぱい』」と言うんだけど、「違うな〜。お腹がいっぱいなんだな」とちょっと意地悪なことを言う諸星くんでした。質問ありますか? と言う諸星くんに、この人は珍しくちゃんと質問。コンサートで諸星くんがソロで歌ったバラードのタイトルは? との質問に、新しいアルバムに入る「俺の手にSay Goodbye」との答え。逆に「コンサート何が良かった?」との諸星くんからの質問に「カーくん」と答え、他のメンバーがやはり同じように「コンサート何が良かった?」と聞いても全部答えは「カーくん」と答える諸星くんの大ファンの子でした。そしてリクエストも初めて光GENJI以外の曲だったけど、やはり諸星くん絡みで近藤真彦さんの「MOMOKO」でした。
オリジナルグッズ・アイデア募集のコーナー。これまでに届いたアイデアを紹介。温度によって5人の顔の色の変わる温度計、組み立てて作れる5人のプラモデル、5人の形の消しゴム、光GENJIの曲の歌詞が印刷されたトイレットペーパー、パンツ、ソックス、5人の顔が柄に付いた歯ブラシとこれに歯磨き粉とタオルと石鹸とセットになったものと言う葉書にはそーゆーのはジャニーズショップで買ってもらうのが一番いいですねと諸星くん。サイン入りの枕カバー、GENJIブランドで作ったクッキーやキャンディーの詰め合わせ(イラストのラベル付きの瓶詰め)、その日使ったラジオの台本との葉書には、これだったら安くていいですけど…と。台本をバラして1枚ずつだと多くの人にあげられるしと言う諸星くん。アラームがラジオのオープニングの爆発音の目覚まし時計と言うアイデアには、テープに録音してタイマーで使ってもらえれば…と。
この中から自分の気に入ったものを言うメンバー、寛くんはトイレットペーパー、敦くんと淳くんは台本、晃くんは枕カバーと言うと、諸星くんから「ちょっと待った」コールがあって、何故かここで枕カバーへの告白タイム。晃くんは「今度僕と一緒にいい夢を見ましょう」、諸星くんは「カバーさん、僕の寝顔は素敵です。君の寝顔も見てみたいです。是非僕と暖かい夢の世界へ行きましょう」と。これに淳くんが「ごめんなさい!」と答えたので、「バカヤロー」と荒れる晃くんでした(笑)。
エンディングも引き続きグッズアイデア募集のこと。お金が掛かりそうだなとか、こんなの出来そうにないかな? と思うようなものでも構わないので、いろいろなアイデアを送って来てくださいとのこと。

 1990年この日からビデオ撮影のため、フロリダのディズニーワールドへ。2週間くらい行ってたと思いますが、帰国した日付は定かではありません(^^;)。

 1991年「スーパーJOCKEY」パーティを100倍楽しくするグッズの紹介に淳くんと敦くんも参加してるんだけど、フレームアウトしちゃってあんまり映ってない(;;)。でも敦くんは「チェーンショック」と言うゲームをしたから映ってたか…。後ろに座っているので、前で何かやってると結構映るのだけど、やってることが下品なことが多かったから、そんなのの背景でビデオ残すのは嫌!と思いつつ、映ってる異常は録らねばならぬ…と、毎回ビデオを回したものでした。今見ると結構虚しかったりしますけどね。


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