09/21
1987年「歌のトップテン」番組登場3週目と言うことで、どれだけ番組のことを知っているかクイズ。まずは何台のカメラを使って放送しているか。メンバーの答えは4〜8台に分かれましたが、答えは8台で内海くんがみごと正解でした。第2問はこの番組で働いているスタッフは総勢何人か。これには40〜300人と答えに大きな開きがありました。正解は174人だそうで、結構大勢の人が関わっているのですね。ちなみに、淳くんの答えは2問とも、一番小さい数でした。
歌は5人バージョン。5人で歌うと最初が大沢くんのソロで、その後はもう5人で歌っていると思うけど、大抵内海くんのアップで、でもあんまり内海くんの声が聞こえないから、何か画面と音が合ってない感じで不自然…(^^;)
1988年「あぶない少年2」オープニングは「敦啓・晃の夏休み中学生思い出日記」からで、2人が夏休みの思い出を語っています。敦くんはサマーツアーでファンのみんなと会えたり、各地でいろいろなことができたこと。晃くんは淳くんも一緒にコンサートが終わってからホテルの部屋で勉強をしたことが思い出だと。夏休みの宿題も家庭教師のお陰で無事終わったとのことだけど、敦くんは本読みが嫌いなので、読書感想文ができなかったそう。これには毎年、敦くんは苦しんでるそうです。
台本を見ながら話をしてるんだけど、敦くんが「9月1日」を「いちにち」と読んだので、晃くんは「ついたち」と言ったけど、敦くんに合わせて「いちにち」と言いますなんて言ってました。
ひとり倉庫に乗り込んだ高村先生は、3人組が誰に頼まれて今回の事件を仕組んだのか締め上げているところへ、内海と大沢も入って来た。学園を辞める覚悟の高村先生の本気に負けて、3人組は渚学園の元教頭の烏帽子が黒川と言う名を使って、学園を追われた腹いせに渚学園のローラースケート部を潰そうと今回の事件を仕組んだと白状した。その話を聞いて、大沢達は烏帽子の居場所を探そうとするが、ある程度予想していた高村先生は、烏帽子も昔は素晴らしい教頭だったので、ことの重大さを、反省しているだろうと2人を止めた。その烏帽子はローラースケート部を崩壊させて、やっと勝つことが出来たと思っていたが、昔のことを思い出し、これで本当に良かったのだろうか? と疑問に思ってもいた。
翌日の朝。職員会議でローラースケート部は廃部と決まった。そのことを伝えられた内海と大沢は、高村先生が学園を辞めないのを条件に、学園の決定に従うと言い、ローラースケート部が解散しても、自分達はローラースケートを捨てないと宣言し、同好会から再出発をすることにした。
高村先生の指導の下に、再びローラースケートをする部員達の姿を、烏帽子が物陰から見つめていた…。そして彼らの真剣な姿に心うたれた烏帽子は、警察に自首したのだった。
翌日の新聞に暴力事件の新事実が載り、渚学園ローラースケート部は1年間試合出場停止処分となったものの、解散しないで済むこととなり、大喜びの部員達であった。
「Hikaru通信」で雑誌の取材中の光の2人を取材する女の子3人組。大沢くんはスタジオでの取材が好き、内海くんは外での取材もいろいろなところへ行けたりするので好きとのことでした。最後は女の子達の注文で、一緒に写真撮影をしてました。
特別講義はチャンバラトリオを講師に迎え、チャンバラチャレンジ篇。正しいチャンバラのやり方を教わりました。まずはチャンバラではなく、ハリセン入門。痛そうなハリセンに嫌がっていた内海くんだけど、内海くんは自分がハリセンを持つ方とわかってやる気に。でも最初は掠った程度で、もっと思いきりと言われて、可哀相だもの…と言いつつ、2度目は思い切りはたいてました。これって音ほどには痛くないのかもしれないけれど、やっぱり人の顔をぶつから遠慮しちゃいますよね。
いつの間にか着物を着込んだ諸星くんが編み笠を被って「待て、待て、待てぇい」と乱入して来ていよいよチャンバラ入門。刀が長いので、抜く時や仕舞う時にちょっとてこずってましたが、みごと殺陣が決まったところで下の3人もスタジオに入って来て途中参加。寛くんがやった後、いきなり淳くんがやらされて、彼にはこれが似合いますと諸星くんに言われて変な髪型のカツラを被せられてました。でもそっちよりこっちの方が似合いそうとお侍さんの髷のカツラに。で、チャンバラの方はもう一度お手本を見せてもらってから挑戦。最後の方、省略しちゃってちょっと音と合ってなかったですね(^^;)。晃くんは切られ役に挑戦。そして切る側は敦くん。この時、晃くんのジャケットを諸星くんが脱がせてたのに、いつの間にかそれを淳くんが着てるし、敦くんの脱いだジャケットを受け取って、ちゃんと袖を直してあげてるのがお兄ちゃんしてていいなと…。内海くんと大沢くんは息が合ってて、他の子よりスピード感もあって良かったです。
この日、番組の前後に「アメリカンバー」のCMが流れました。商品が発売になってから見たのは初めて。それまでは手に持ってる商品が見えなかったのがこれで「アメリカンバー」の実体が明らかに(笑)。彼らがやったCMの中でこのCMを多分一番沢山見たような気がするけど、「アメリカンバー」も嫌になるほど食べた思い出があります。
1989年「ザ・ベストテン」来週で最終回と言うことで、この日は第1回目の放送を同時放送。久し振りにビデオを見たらエンディングのところなどで音声が違うから??と焦っちゃったわ(^^;)。番組にはいろいろな記録があって、光GENJIもいろいろな記録を持っているけど、1位率(出演回数に対する1位の割合)が50%でダントツだったと紹介されました。出演した半分が1位でって、確かに凄いですよね。カウントダウン番組で1位だと出演時間は短いけど、ビデオを録るのが楽なので好きでした。1回7、8分だと終わってすぐ見返すにも手軽でしたしね。
歌はAパターン。諸星くんと淳くんの手を繋いでのグルグルはカケラしか映ってないわ…。歌う彼らの後ろにいろいろな1位の記録保持者の方々のパネルが立っていました。
1990年「虹色夏物語」は発売前はあまり期待してなかったのだけど、ミュージカル仕立てになったストーリーもなかなか面白かったし、画面が奇麗なのに感動してずいぶん繰り返して見ました。でも、ここ数年見てなかった気がするけど、久し振りに見たら、見てる間中、頬が緩んじゃってましたよ。可愛かったなぁ、みんな…
最初と最後のところでこの年の夏のコンサートの模様が少し入ってますが、これだけでなく、コンサートビデオも出して欲しかったですね。最後にコンサート会場にいる悪魔、私見てます。名古屋の2日目だったかな。アンコールでバックステージ側のスタンド席に悪魔の格好をした人がいて、メンバーも見てるから、何なのかな?って思ったのですが、ビデオ見てこれを撮ってたのねと納得しました。
1995年「めざましテレビ」もう光GENJIは解散しちゃってるし、彼らのことではないのですが、新アイドルグループ発進ってことで、V6のデビューの話題でジャニーズのことを取り上げてて、そこでラスとコンサートの時の映像が少し流れてました。