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1988年「GENJI GENKI 爆発」オープニング。つい最近ローラースケートを買って、練習をしているのですが、スピンが上手になる方法を教えてくださいと言う、11歳の女の子からの葉書を紹介。光GENJIの中で一番スピンが上手いと言われている敦くんが答えて、右足はつま先を上げ、左足はつま先をつけて…と具体的に説明してくれたけど、ラジオで言われてもよくわからないよねぇ。
「GENJIの主張」この日は晃くん。まだ1年と言うことで、歌番組では緊張して振りを間違えたりするし、声が低くなったので、低い声での歌をもっと勉強して、ローラースケートを使ったミュージカルをやってみたい。ローラースケートと踊りとのバランスが崩れないように頑張って、昔ピアノをやっていたので楽器もミュージカルに取り入れてやってみたい。将来的にはどうなるかわからないけれど、先輩にいろいろ教えてもらったり、メンバーとも注意し合うことで勉強になっているので、こらからいろいろなことをやって行きたいと思う。プライベートでは朝早く、夜も遅い生活で家族との触れ合いが少なくなっているので、家族に忘れられないようにして、自分が姉と遊んでもらったように、妹とできる限り遊んであげたいなと思います。途中ちょっと変なところもあったけど、今までの中で晃くんが一番何を言いたいかがよくわかる主張でした。でも主張が終わった後、晃くんはこういうのって緊張しますね。最後はウケなきゃいけないと思うし…なんて言ってて、別にウケを狙わなくてもいいんじゃない!? と思ったら、諸星くんにも同じこと言われてました。
後半は真面目な話をしましょう。僕達は得意ですからねと言って、グループとしてこの1年間はどうだったかの話。淳くんは早い1年間で、手術して迷惑を掛けたことからも1年経っちゃったと言ってると、諸星くんは4人で光GENJIだったことがありましたからねーと。淳くんが復帰して嬉しかったと言う諸星くん、晃くんと敦くんが出て来た時も嬉しかったとも言ってたけれど…。敦くんはグループのメンバーが抜けて歌うってのも珍しいですよねと言うのが、この1年の感想らしいです(^^;)。晃くんも1年間が本当に早かったと言って、「サブローシローの歌えヤング大放送」を淳くんと見に行ったことがあったことや、修学旅行中にテレビで諸星くんが名前を叫んでくれて、より良い思い出になったこと、勉強もみんなの協力があったからできたと思うと言って、敦くんとは言うことが違うねぇと諸星くんに感心されてました。寛くんは最初の頃は電車で仕事場に行ったこともあったと話していると、諸星くんが長崎にマネージャーも付かずに4人だけで行って、嬉しくて走り回ってたと口を挟んでました。で、寛くんの話の続き、最近になって外に行くとギャーギャー言われるようになって、自分達のことを見てくれてる人が増えたと思うと。諸星くんも昔はお父さん、お母さんは僕達のことを知らなかったけど、最近は知ってくれて、ファンの人がいっぱい応援してくれて、僕達を支えてくれる人が増えたのが嬉しいと。後、全国に友達が増えて嬉しいと言ってました。東京の子とか、千葉の人とか、神奈川の人とか、高尾山の人とか…。デビューする前は、自分達はあまり下積み経験もないので、大丈夫かなーと心配してたけど、みんなの応援でここまで来れたので、応援のお返しにコンサートだけでなく、何か楽しいことをしたいですね。キャンペーンみたいなことをやりたいですねと言って、この1年、本当にみなさんに感謝していますと、真面目にまとめてました。
エンディング。1年ってホントに過ぎてみると短いもんだねと言う諸星くんに、寛くんと淳くんも同意してると、1年は1年じゃないか…と言う敦くんでした。
おまけ1987年のことで、日付をわからなくしちゃったのできょうのことではないと思うのですが、とりあえず11月であったことは確か。「マイケル・ジャクソン1440時間の記録」と言う番組がありまして、その中のコンサートシーンで、マイケルがステージを下りて、最前列とステージの間を歩いた時に、最前列から柵越しに必死で手を伸ばしている内海くんと大沢くんの姿が映ってました。大沢くんはどうやらマイケルに触ってもらった様子。ふたりの間に他の人が入ってるし、内海くんの右隣は忍者の子ではないかと思うのですけど…。光GENJIの他のメンバーの確認はできません。来てなかったのかな? 出演した訳でもVTRが流れた訳でもない、あまりに細かいことですが、きょは「GENJI GENKI 爆発」以外何もなかったので入れてみました。