創始者・黒木大尉と樋口大尉の殉職(遺書)


回天隊結成、そして訓練が開始された2日目の昭和19年9月6日、悪天候のもと、樋口大尉(海兵70)操縦、黒木大尉(海機51)同乗の回天は荒波に飲まれ、海底に沈座してしまいます。
隊員たちによる必死の捜索もむなしく、回天が発見され引き上げられたのは翌朝になってからのことでした。黒木大尉と樋口大尉はその中ですでに絶命していました。しかし、それまでの14時間、事故の訓戒を含め、二人は後に続く者たちのために遺書を書き残していました。これが、「黒木、樋口に続け」と隊員達の士気を鼓舞することにつながったといわれています。



回天に乗り込む創始者・黒木大尉

人の子の勉むは国のためなれど.ともに慶(よろこ)ぶ父母ありてこそ
(開戦前、母に宛てた手紙に添えられた句)

人など誰かかりそめに 命捨てんと望まんや 小塚原にちる露は 止むに巳まれぬ 大和魂
(戦局も押し迫った頃、戦友に宛てた手紙より)

>> 当時の日本の状況



●黒木大尉の残した遺書(全文)


19−9−6、回天第一号海底突入事故報告、当日18時12分、樋口大尉操縦、黒木大尉同乗ノ第一号海底ニ突入セリ。前後ノ状況及ビ所見次ノ如シ。


事故報告の一部
 

一、事前ノ状況

当日徳山湾内ニテ樋口大尉ノ回天操縦訓練ニ同乗、17:40発射、針路蛇島向首、18:00頃180度取舵、大津島『グレーン』ニ向ケ帰途ノ途中、18:10ヨリ20節潜航、調深5mニ対シ実深2m、前後傾斜D2〜3度、時ニD4〜5度トナリシコトアリ。当日第三次操縦訓練同乗者仁科中尉ノ所見ニ波浪大ナルトキ、同様20節浅深度潜航中、俯角大トナリ、13mマデ突込ミタル由ノ報告アリ、之ヲ想起シ充分ニ注意ナシアリシ所、約二分ヲ経過シ、浮上ヲ決意シ、操縦者ニ浮上ヲ命ゼントシテ傾斜計ヨリ眼ヲ離シ、電動縦舵機等所要個所ニ注目シツツアリシ時、急激ニ傾斜大トナルヲ感ゼルヲ以テ、傾斜計ヲ注目セルニ、D一杯トナリアリ、察スルニD15度程度ナラン、直チニ速力ヲ急速低下セシモ、若干時ノ後、猶傾斜ノ戻ル気配ナシ。此ノ間操縦者ニ深度改調ヲ0トナスコトヲ命ゼシモ間ニ合ハズ、傾斜計ヲ見ルニD7度、深度18mナリ、海底ニ突入セルコトヲ知リ、直チニ停止ス。突入時衝撃ナシ。


二、応急処置

1、五分間隔ニ主空気一分間排気、調圧ヲ10キロトナシ、気泡ヲ大ナラシム。残圧60キロ

2、縦舵機用操舵空気ヲ常時絶ヘザル如ク放気ス

3、電動縦舵機ヲ停止ス

4、海水タンク諸弁ノ閉鎖ヲ確認ス(前方下ノミ注水シアリ)

5、浸水部ヲ確ム。水防眼鏡ノ『パッキン』部ヨリ水滴落下スル外異状ナシ

6、電灯異状ナシ

7、操空圧力不明(最初読ミ取リアラズ)

 
回天操縦席内部・同乗席より操縦席を見る
 

三、事後ノ経過

1、主空気ノ放気ハ18:45ヨリ五分間放気セントセシ際、19:00ヨリ若干放気後停止、残圧30キロ、前回放気ノ前ニハ残圧50キロアリテ、五分間10キロニテ放気セルモノナリ。

2、操空ノ放気ハ19:13、数十回ノ操作ト同様ニシテ、操空連絡弁ヲヤヤ急激ニ開キシ所、異常音ヲ発ス、即チ、操舵機函上蓋『パッキン』噴出シ、筒内気圧急昇ス、耳ニ痛ク感ゼリ、依ッテ直チニ閉鎖、爾後放気不可能

3、19:25主空気放気セルニ、筒内ニ操舵機函ヨリ噴気スルヲ以テ短時間ニテ停止

4、19:40頃『スクリュー』音二ヲ聞ク、前者ハ直上ニテ停止セルモノノ如シ、但シ爾後遂ニ何等ノ影響ナシ、爾後種々ノ音響ヲ聞クモ近キ音ナシ。


四、所見

1、波浪大ナルトキ浅深度高速潜航ノ可否ハ実験ヲ要ス、確タル成果ヲ得ルマデ厳禁ヲ可ト思考ス(若干処置ヲ誤リシハ当所ノ水深ヲ十二ト判断シ、実深ヲ知ル能ワザリシニヨル)

2、早急ニ過酸化曹達ヲ準備スベシ

3、事故ニ備ヘ、用便器ヲ要ス(特ニ筒内冷却ノ為)

4、実験ヨリシテ二人乗ハ七時間ヲ限度トス

5、『ハッチ』啓開ヲ試ミシモ開カズ

空気量不足ト思考セラルルニヨリ只今(19:55)ヨリ睡眠ス

6、陛下ノ艇ヲ沈メ奉リ、就中○六(*回天のこと)ニ対シテハ、畏クモ陛下ノ御期待大ナリト拝聞致シ奉リ居リ候際、生産思ワシカラズ、而モ最初ノ実験者トシテ多少ノ成果ヲ得ツツモ、充分ニ後継者ニ伝フルコトヲ得ズシテ殉職スルハ洵ニ不忠申訳ナク慙愧ニ耐エザル次第ニ候

7、恩師平泉先生ヲ始メ、先輩諸友ニ生前ノ御指導ヲ深ク感謝シ奉リ候

8、小官思イ残ス処更ニナク、唯長官、総長、二部長島田少佐等ニ意見書有之、聊カ微衷御取扱被下度

9、必死必殺ニ徹スルニアラズンバ、而モ飛機ニ於ッテ早急ニ徹スルニアラズンバ、神州不滅モ保シ難シト存ジ奉リ候

10、必ズ神州挙ッテ明日ヨリ速刻、体当戦法ニ徹スルコトヲ確信シ、神州不滅ヲ疑ハズ、欣ンデ茲ニ予テ覚悟ノ殉職ヲ致スモノニ候

天皇陛下万歳

大日本帝国万歳

帝国海軍万歳


黒木大尉の残した壁書き

『追伸』

1、航外灯ヲ設クベキ事

2、応急『ブロー』ヲ設クベキ事

3、駆水頭部ヲ完備スベキ事

今回の事故ハ小官ノ指導不良ニアリ、何人モ責メラルルコトナク、又コレヲ以ッテ、○六ノ訓練ニ些カノ支障ナカランコトヲ熱願ス

4、一型ニ於テ、海水『タンク』注水及『ブロー』ニ大錯誤アリ、至急研究対策ヲ要ス。片方「ブロー」出来ズ、注水量不明ナリ

5、仁科中尉ニ、万事小官ノ後事ニ関シ武人トシテ恥ナキ様頼ミ候、潜水艦基地在隊中ノ(機48期)渡辺若クハ権藤大尉ニ連絡ヲ頼ミ候。御健闘ヲ祈ル。○六諸士並ニ甲標的諸士ノ御勇健ヲ祈ル。機五十一期級友切ニ後事ヲ嘱ス。(終)

辞世

男子やも我が事ならず朽ちぬとも
留め置かまし大和魂


国を思い死ぬに死なれぬ益良雄が
友々よびつ死してゆくらん


黒木大尉辞世の句
 

1、自室紫袋内ノ士規七則ヲ黒木家ニ伝フ、

家郷ニハ戦時中云フコトナシ、意中諒トセラレヨ

父上、母上、兄上、妹達、御達者ニ

2、血書ハ分配ヲ堅ク御断リス。但シ一通司令官ニ納メテ戴キタシ

人生意気ニ感ズルモノナリ

天皇陛下万歳

大日本万歳

帝国海軍 回天万歳

十九・九・六 22:00

海軍大尉 黒木博司

22:00壁書ス、

呼吸苦シク思考ヤヤ不明瞭 手足ヤヤシビレタリ

04:00 死ヲ決ス 心身爽快ナリ、心ヨリ樋口大尉ト万歳ヲ三唱ス


事故報告の一部 

死せんとす益良男子の悲しみは
留め護らん魂の空しき


所見万事ハ急務所見及至急務靖献ニ在リ同志ノ士希クバ一読、 緊急ノ対策アランコトヲ 十九−九−七

04:05絶筆樋口大尉ノ最後従容トシテ見事ナリ

我又彼ト同ジクセン

04:45君が代、斉唱

神州ノ尊 神州ノ美 我今疑ワズ 莞爾トシテユク

万歳、

06:00猶二人生存ス、相約シ行ヲ共ニス万歳



●樋口大尉の残した遺書(全文)


十九−九−六 17:40発動18:12沈座

指揮官ニ報告

予定ノ如ク航走、18:12潜入時突如傾斜DOWN20度トナリ海底ニ沈座ス。其ノ状況、推定原因、処置等ハ同乗指導官黒木大尉ノ記セル通リナリ、事故ノ為訓練ニ支障ヲ来シ洵ニ申訳ナキ次第ナリ

後輩諸君ニ

犠牲ヲ踏ミ超エテ突進セヨ

七日04:05呼吸困難ナリ

大日本帝国万歳三唱ス戦友黒木ト共ニ


事故報告の一部

訓練中事故ヲ起シタルハ戦場ニ散ルベキ我々ノ最モ遺憾トスルトコロナリ、然レドモ犠牲ヲ乗越エテコソ発展アリ進歩アリ、庶幾クバ我々ノ失敗セシ原因ヲ探求シ、帝国ヲ護ル此種兵器ノ発展ノ基ヲ得ンコトヲ 

周到ナル計画大胆ナル実施

生即死04:40 国家泰唄ス04:45

06:00猶二人生ク、行ヲ共ニセン

大日本帝国万歳 06:10

十九年九月六日

海軍大尉 樋口孝 


樋口大尉絶筆 


*関連リンク (-2012.9.28-)
『回天 菊水の流れを慕う若者たち』…片山利子著 /展転社 (2012年9月7日発行)