− 当時の日本の状況−
猛火をふるう銀座鳩居堂付近 (1945年1月27日)



*昭和17年暮*
ソロモン開戦・ガダルカナル島争奪戦
航空機の損失893(開戦時の41%)、搭乗員2362名戦死。
小型空母二隻、戦艦二隻、重巡三隻、軽巡二隻、駆逐艦十五隻、潜水艦八隻、沈没
重油の貯蓄量(十年かけてため込んだもの)、開戦時の六分の一に。


*昭和18年11月19日*
タラワ、マキン島の日本軍、玉砕。

*昭和19年1月末*
米軍スプルアンス提督指揮の合計287隻の大機動部隊(攻略部隊)、マーシャル群島攻略開始。

*昭和19年2月5日*
クェゼリン(日本軍最大の要衝)陥落。

*昭和19年2月17日*
568機を搭載する三群九隻の空母群、三群十隻の巡洋艦戦隊、三群六隻の戦艦戦隊、約40隻の駆逐艦、9隻の潜水艦からなる大機動部隊が、日本軍の絶対防衛圏であるトラック島を攻撃。これにより日本軍の飛行機325機、巡洋艦3隻、駆逐艦4隻、油槽船6隻、運送船約20隻、沈没。前進根拠地としての機能完全停止。

*昭和19年6月15日*
米軍サイパン島に上陸開始。(B29による日本本土爆撃可能地点)


扇内がサイパン島からB29が爆撃可能な地域。東京、名古屋、大阪などの都市がその中に含まれている。

6月16日空襲:九州八幡製鉄所(B29成都発進−75機、死者行方不明257人、家屋破壊318戸)

*昭和19年7月7日*
サイパン島玉砕。これにより本格的な本土空爆がいよいよ現実問題となる。

*昭和19年7月10日*
特別基地隊令制定。P基地を正式部隊に編成、第一特別基地隊とする。(黒木大尉、仁科中尉の陳情により実現。)

*昭和19年8月1日*
パラオの日本連合艦隊司令部全滅

8月20日空襲:九州八幡製鉄所(B29成都発進−61機、死傷者約200人)


破壊した八幡市街

*昭和19年9月1日*
回天大津島基地開隊(訓練開始9月5日)

*昭和19年9月6日*
黒木大尉、樋口大尉(海兵70)遭難、殉職。

*昭和19年10月17日*
マッカーサー率いる進攻部隊、レイテ湾頭に姿を現す。(レイテ沖開戦始まる)
米軍水上艦艇152隻、陸上用艦船約750隻。日本軍水上艦艇76隻(日本連合艦隊可動艦艇の全力)。


*昭和19年10月25日*
神風特攻はじまる。関行男大尉(兵70期)率いる敷島隊、米護衛空母群に突入。

10月25日空襲:長崎県大村海軍工廠(B29成都発進−56機、死者約2〜300人)

神風特攻司令長官大西滝治郎中将10月20日の訓示
「日本はまさに危機である。この危機を救いうるものは、大臣でも、軍令部総長でもない。もちろん自分のような長官でもない。それは諸子のごとき純真にして気力に満ちた若い人びとのみである。したがって自分は一億国民に代わって皆にお願いする。どうか成功を祈る」(後、大西長官は終戦の8月15日、次長官舎で割腹自殺。)

>>大西滝治郎海軍中将の残した遺書

(このレイテ沖開戦で米軍は8隻損失、日本軍は37隻損失、4隻大破。)

*昭和19年11月8日*
回天特攻隊菊水隊出撃開始

* 昭和19年11月24日*
サイパン(マリアナ)を基地とする米軍B29戦略爆撃機による本格的な日本本土空襲はじまる(88機)。
日本本土空襲は、これより8月15日の終戦まで、日本の各都市に計122回、延べ4800機によって11,000の爆弾と389,000発の焼夷弾が投下され、これにより70万人近くの命が失われた。


11月27日空襲:東京(B29−81機、死者41人、罹災者486人、焼失家屋143戸)

11月29日空襲:東京(B29−27機、死者不詳、罹災者10000人、焼失家屋約3000戸)

12月3日空襲:東京(B29−86機、死者185人、罹災者687人)


B29の焼夷弾投下

12月13日空襲:名古屋市千種区、東区、北区、中村区、三菱発動機製作所(B29−80機、死者330人、焼失家屋487戸)/空襲:浜松市内 (B29−1機、焼失家屋45戸)

12月18日 空襲:名古屋市港区、西区、瑞穂区、南区、三菱航空機製作所(B29−73機、死者334人、焼失家屋323戸)

12月19日空襲:大阪中河内郡(B29−1機、死者0人)

12月22日空襲:名古屋市東区、熱田区、三菱発動機製作所(B29−62機)

(疎開はじまる。)

*昭和19年12月21日*
回天特攻隊金剛隊出撃開始

12月27日空襲:東京(B29−72機、死者不詳)

20年1月3日空襲:名古屋市街(全市)(B29−78機、死者70人、焼失家屋3588戸)/空襲:大阪市、布施市、中河内郡(B29−10機、死者0人)/空襲:浜松市内 (B29−9機、死者2人、焼失家屋72戸)/空襲:神戸市生田区、兵庫区(B29−1機、死者−人)

1月9日空襲:東京(B29−72機、死者不詳)

1月14日空襲:名古屋市熱田区、中川区、港区、南区、三菱航空機製作所(B29−62機、死者94人、焼失家屋194戸)

1月19日空襲:明石市、川崎航空機明石工場とその周辺地域(B29−62機、死者324人、焼失家屋633戸)/空襲:大阪市港区、西成区、大正区(B29−午前・午後各1機、死者26人、焼失家屋33戸)/空襲:浜松市内 (B29−2機、死者4人)

1月23日空襲:名古屋市街、北部、三菱発動機製作所(B29−60機、死者125人、焼失家屋297戸)

1月27日空襲:東京(B29−76機、死者540人、罹災者約4000人)


1月27日、猛火をふるう銀座鳩居堂付近

1月30日空襲:大阪市北区、城東区、北河内郡(B29−昼夜3回各1機、死者63人、焼失家屋115戸)

2月4日空襲:神戸川崎、三菱神戸造船所(B29−99機、死者26人)

2月10日空襲:大阪市生野区(B29−1機、死者26人)/空襲:群馬太田製作所 (B29−98機、死者363人)

2月14日空襲:大阪市阿倍野区(B29−1機、死者24人)

2月15日空襲:浜松市、郡部(B29−11機、死者146人、焼失家屋913戸)/空襲:名古屋市千種区、東区、熱田区、南区、中村区、三菱発動機製作所(B29−101機、死者61人、焼失家屋709戸)

*昭和20年2月16日*
米軍、硫黄島への攻撃開始。19日上陸開始。

2月16日空襲:東京(B29−2機、艦上機−290機、死者不詳)

2月17日空襲:東京(B29−1機、艦上機−600機、死者不詳)

*昭和20年2月*
この頃ヤルタ会談でアメリカ・ルーズベルト、イギリス・チャーチル、ソ連・スターリン3国首脳により、日本へのソ連参戦が討議される。カイロ会談では日本攻略後の4分割占領が検討された。

2月19日空襲:東京(B29−152機、死者不詳、焼失家屋約1000戸)

*昭和20年2月20日*
回天特攻隊千早隊出撃

2月25日空襲:東京(B29−231機午前と午後2回、死者不詳、焼失家屋20000戸)/空襲:浜松市、郡部(B29−11機、死者5人、焼失家屋74戸)

*昭和20年3月1日*
神武隊出撃開始


3月4日空襲:東京(B29−194機、死者不詳)/ビラ撒布:大阪市、吹田市、三島郡

3月4日空襲:浜松市、郡部(B29−9機、死者8人)

*昭和20年3月10日*
東京大空襲。サイパン基地よりB29爆撃機334機来襲。焼夷弾19万個を投下。一夜で8万3793人が焼死、4万0918人が負傷、焼失家屋26万8000戸、約100万人が罹災した。


翌日の東京下町の様子

東京ではこれらの空襲により終戦まで十数万の人々が焼死。十万余りの人々が負傷。約90万戸が焼失または破壊、300万の都民が家を失った。)

3月11日−12日空襲:名古屋市街(全市)(B29−288機、死者519人、焼失家屋25734戸)

*昭和20年3月13日*
第一回天隊(白龍隊)、沖縄に向う

3月13日〜14日空襲:大阪市、堺市、泉大津市、布施市、中河内郡、泉北郡(B29−279機、死者3972人)

*昭和20年3月17日*
硫黄島玉砕。

3月17日空襲:神戸市兵庫区、湊東区、長田区、湊区、須磨区、葦合区、灘区、三菱神戸造船所(B29−309機、死者2598人)

*昭和20年3月18日*
米機動部隊、九州、四国、中国の航空基地をはじめとする要地に空襲敢行。神風、神雷、桜花の各特攻隊出撃(九州沖航空戦)。

3月19日空襲:名古屋市街(全市)(B29−290機、死者826人、焼失家屋39893戸)/空襲:大阪市、吹田市、池田市(艦上機)


B29航空特攻:出撃前の作戦検討

*昭和20年3月23日*
米機動部隊、攻略部隊が沖縄に来襲。
この時点で日本連合艦隊出動艦艇は、<戦艦>大和、<巡洋艦>矢矧、<駆逐艦>雪風、磯風、浜風、冬月、涼月、初霜、霞、朝霜、<潜水艦>伊8潜、伊36潜、伊47潜、伊44潜、伊56潜、呂41潜、呂46潜、呂56潜、呂109潜のみ。これらを可動させる燃料も底をつく状態。


3月24日−25日空襲:名古屋市千種区、東区、三菱発動機製作所(B29−226機、死者1617人、焼失家屋7066戸)

*昭和20年3月28日*
回天特攻隊多々良隊出撃開始

3月30−31日空襲:名古屋市千種区、東区、昭和区、三菱発動機製作所(B29−12機、死者29人)

*昭和20年4月1日*
米軍沖縄上陸開始。

4月2日空襲:東京(B29−124機、死者不詳)

4月3日空襲:群馬小泉製作所 (B29−61機、死者99人)

4月4日空襲:東京(B29−160機、死者不詳)

*昭和20年4月6日*
日本連合艦隊水上艦艇全戦力<戦艦>大和、<巡洋艦>矢矧、<駆逐艦>雪風、磯風、浜風、冬月、涼月、初霜、霞、朝霧による海上特攻開始。艦載機384機が来襲。冬月、初霜、雪風、涼月を残し全艦玉砕。

4月7日空襲:名古屋市千種区、東区、北区、中川区、三菱発動機製作所(B29−182機、死者302人、焼失家屋5191戸)/東京(B29−111機、P51−97機、死者不詳)/空襲:浜松市、郡部(B29−5機、死者59人)

4月12日空襲:東京(B29−330機、死者不詳)

4月13日空襲:東京(B29−352機、死者不詳)

4月15日空襲:東京(B29−120機、死者不詳

4月19日空襲:東京(B29−25機、死者不詳

*昭和20年4月20日*
回天特攻隊天武隊出撃開始


4月22日空襲:神戸市兵庫区、長田区(B29−昼夜各1機、死者37人)

4月24日空襲:東京(B29−133機、死者不詳

4月30日空襲:東京(B29−111機、死者不詳)/空襲:浜松市、日本楽器製造(ヤマハ)、浜松飛行場、郡部(B29−79機、死者965人)

*昭和20年5月5日*
振武隊出撃

5月11日空襲:神戸市、川西航空機甲南工場と周辺地域(B29−92機、死者1093人)

5月14日空襲:名古屋市街(全市)(B29−480機、死者276人、焼失家屋21905戸)

5月17日空襲:名古屋市街(全市)(B29−468機、死者505人、焼失家屋23695戸)

5月19日東京空襲(B29−30機、死者不詳/空襲:浜松市、郡部(B29−272機、死者433人)

*昭和20年5月24日*
轟隊出撃開始

5月24日空襲:東京(B29−525機、死者不詳)/空襲:浜松市内(B29−1機、死者2人)

5月25日空襲:東京(B29−525機、P51−61機)/空襲:浜松市、郡部(B29−3機、死者4人)

5月29日空襲:東京(B29−40機、死者不詳)/空襲:浜松市内(B29−2機、死者1人)


焼夷攻撃により炎上する横浜(中央やや右下に落下する焼夷弾が見える)

6月1日空襲:大阪市、布施市、中河内郡(B29−400機、P51−11機、死者3083人)

6月5日空襲:神戸市灘区、葦合区、生田区、長田区、須磨区(B29−481機、死者3184人)

6月7日空襲:大阪市、豊中市、吹田市、池田市、茨木市、守口市、枚方市、高槻市(B29−250機、死者2043人)

6月9日空襲:名古屋市熱田区、南区、港区、愛知時計電機工場(B29−43機、死者2068人、焼失家屋1843戸)/空襲:明石市、西宮市、川西航空機鳴尾工場とその周辺地域(B29−69機、死者692人)

6月10日空襲:浜松市内(B29−2機、死者6人)

6月11日空襲:東京(B29−60機、死者不詳

*昭和20年6月14日*
大田実少将率いる沖縄の海軍部隊、全滅。

6月15日空襲:大阪市、堺市、豊中市、吹田市、池田市(B29−469機、死者460人)

6月18日空襲:浜松市、郡部(B29−130機、死者1720人)

6月22日空襲:明石市、川崎航空機明石工場、姫路市、川西航空機姫路工場(B29−78機、死者369人)

*昭和20年6月23日*
牛島中将率いる沖縄の陸軍部隊、全滅。これにより本土決戦が現実問題となってくる。

6月26日空襲:大阪市、堺市、布施市、豊中市、守口市、吹田市、池田市、茨木氏、八尾市、岸和田市、泉大津市、枚方市(B29−100機、死者707人)/空襲:名古屋市街、造兵廠千種、熱田工場、愛知時計永徳工場、住友ジュラルミン工場(B29−157機、死者426人、焼失家屋4016人)/空襲:浜松市、浜松飛行場、郡部(B29−5機、死者14人)/空襲:明石市、尼崎市(B29−131機、死傷者250人)

6月29日空襲:佐世保市(B29−145機、死者1030人)

7月1日空襲:浜松市、郡部(P51−25機、死者3人)

7月3−4日空襲:姫路市(B29−106機、死者173人)

7月6日空襲:東京(B29−100機、死者不詳

7月7日空襲:明石市(B29−123機、死者360人)

7月8日空襲:東京(B29−51機、死者不詳

7月9日空襲:東京(B29−170機、死者不詳)/空襲:吹田市、池田市(P51−50機、死者1人)

7月10日空襲:東京(B29−226機、死者不詳)/大阪市、堺市(B29−100機、死者2633人)

*昭和20年7月14日*
多聞隊出撃開始

*昭和20年7月16日*
マンハッタン計画(日本への原爆投下作戦)によって重巡インディアナポリス、サンフランシスコ湾にて二個の原爆を搭載、B29の拠点であるテニアン島に向う。

7月19日空襲:吹田市(P51−50機、死者2人)

7月22日空襲:豊中市、吹田市、池田市(P51−200機、死者2人)

7月24日空襲:名古屋市港区愛知時計永徳工場(B29−71機、死者167人)/空襲:浜松市、郡部(艦載機230機、死者24人)/空襲:大阪市、布施市、守口市、池田市、枚方市(B29−400機、死者220人)/空襲:西宮市、宝塚市、川西航空機宝塚工場と周辺地域(B29−78機、死者133人)/空襲:愛知半田製作所 (B29−78機、死者134人)

7月25日空襲:浜松市、郡部(艦載機12機、死者28人)

*昭和20年7月26日*
インディアナポリス、テニアン島に到着、原爆を降ろし、帰路レイテに向う。

7月26日空襲:浜松市、郡部(大型機2機、死者1人)

7月27日空襲:東京(B29−40機、死者不詳

7月28日空襲:東京(B29−40機、死者不詳

*昭和20年7月29日*
多聞隊の伊58潜、インディアナポリスを撃沈。

7月29日空襲:浜松全市(艦砲射撃、死者170人)

7月29日〜8月1日空襲:長崎市(B24、B28、P38−?機、死者行方不明390人)

7月30日空襲:豊中市、吹田市、池田市(艦上機130機、死者4人)

*昭和20年7月*
ベルリン郊外のポツダムで対日政策を決定。米国、イギリス、中国の3国の名で、日本の戦後処理方針と、日本軍隊の無条件降伏を勧告するポツダム宣言を発表。

8月1日空襲:浜松市内(B29−1機)

8月2日空襲:東京(B29−310機、死者不詳

8月3日空襲:東京(B29−64機、死者不詳

*昭和20年8月6日*
原爆を搭載してテニアン島を飛び立ったB29爆撃機、広島に原爆を投下。

原爆投下により立ち上がったきのこ曇

*昭和20年8月8日*
ソ連が日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告、満州、朝鮮に進入。

8月8日空襲:東京(B29−64機、死者不詳

*昭和20年8月9日*
B29、長崎に原爆を投下。この二つの原爆により一挙に30万人の命が奪われる。


一瞬にして13万人の市民が死傷した広島の街(右が原爆ドーム)

>>原爆搭載艦インディアナポリスの撃沈

8月10日空襲:東京(B29−150機)/空襲:堺市(艦上機、死者1人)

8月13日空襲:東京(B29−60機、死者不詳

8月14日空襲:大阪市東区、城東区、都島区、東成区(B29−100機、死者201人)

*昭和20年8月15日*
天皇の聖断が下され、終戦となる。

8月15日空襲:東京(B29−8機、死者不詳