−神風特攻昭和隊(米空母バンカーヒル突撃戦死)小川少尉の遺品御遺族返還

資料・画像提供:美幸・グレースさん、小川陽子さん



 1945年(昭和20年)5月11日、海軍第721航空隊戦闘第306飛行隊として特攻出撃、沖縄沖南西の太平洋上で米空母バンカーヒル号に体当り戦死した小川清少尉(早大〜・当時22、二階級特進海軍大尉)の遺品が、2001年3月27日サンフランシスコの日本料理店でご親族の大姪陽子さん(小川少尉兄孫)、幸子さん(陽子さん母)に引き渡されました。

経緯:当時バンカーヒル乗組員であったロバート・ショック氏(2000年11月7日他界)が所持していた小川少尉の遺品を形見として受け取った孫のダックス・バーグ氏が、会社の上司で通訳業務に携わる日本人女性(美幸・グレースさん)を夫人に持つポール・グレース氏に、「遺品を御遺族の方々に返還したい」と相談。その後美幸さんのご尽力によって、御遺族の連絡先が判明。遺品返還の模様は上毛新聞(4/1)、産経新聞(4/13)、米国サンフランシスコクロニクル紙(3/30)、共同通信(HP)(3/30)ほか、日本テレビ『ズームイン朝』(5/24)でも紹介されました。 
 
*資料・小川清少尉*

少尉任官前の記念撮影

 


谷田部基地にて
左より後列:丸山、牛山(搭乗員)、小川(搭乗員・出撃戦死)、茂木(搭乗員・出撃戦死)、雨宮、不明、福井
中列:宮坂、丹原、岩間
前列:内田、塚越

小川少尉戦友・岩間旭氏歌集『槻花集』より

 


谷田部基地・谷田部神社前にて

 

最後の便り

 

父母上様 

お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃する事になりました。思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育った事を考えると、感謝の念で一杯です。全く自分程幸福な生活をすごした者は他に無いと信じ、この御恩を君と父に返す覚悟です。

あの悠々たる白雲の間を超えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は一度は死するもの、悠久の大儀に生きる光栄の日は今を残してありません。

父母様もこの私の為に喜んで下さい。

殊に母上様には御健康に注意なされお暮し下さる様、なお又、皆々様の御繁栄を祈ります。清は靖国神社に居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。

清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

 

(英訳)

The last letter of Kiyoshi Ogawa


To my mother and father

Dear Father and Mother,
I, Kiyoshi, have come to depart on the last sortie as an honorable special attack force member. Looking back over the last twenty-plus years, my heart fills with gratitude for your raising me in your arms, parents. I believe there are no other men who had a happier life than me, and in return to the emperor and my father, I shall serve.

Beyond the vast white clouds, I will make the last sortie serenely. Thoughts neither of life or death come to mind. No one can avoid death. It is the day when I have honor to live for the eternal ultimate purpose.

Please be happy for me, Father and Mother.

Mother, please do take good care of your health, and I wish for everyone's prosperity. I, Kiyoshi, will be at Yasukuni Shrine but at the same time I will always be living around you, Father and Mother, praying for your happiness.

I, Kiyoshi, will go with a smile, on the day of my last sortie, and forever.

(翻訳/美幸グレースさん)

 

[履歴書]

本籍:群馬県碓氷郡八幡村藤塚434の1番地
海軍大尉 小川清 大正11年10月23日生
S.18.12.10横須賀第二海兵団ニ入団
同日海軍二等水兵ヲ命ス
S.19.2.1海軍予備学生ヲ命ス(第14期飛行
専修)
同日土浦海軍航空隊ニ入団ヲ命ス
5.25飛行専修予備学生基礎教程終了
同日配属ヲ谷田部海軍航空隊ニ指定ス
9.28練習機教程修業ニ付神ノ池海軍航空隊ニ
入団ヲ命ス
12.25任海軍少尉
同日充員召集ヲ命ス
S.19.12.25海軍練習航空隊特修学生被仰

S.20.4.1補谷田部海軍航空隊附
5.5補戦闘第306飛行隊附
5.11戦死(沖縄南西諸島)
同日任海軍大尉
同日叙正八位
同日叙従七位
同日叙正七位

小川少尉の履歴書と友人からの手紙(左)。小川少尉はこれをお守りとして持って特攻機に乗り込んだ。
 

バーグ氏より美幸さんに手渡された小川少尉の遺品の数々

  小川少尉の写真 

小川少尉兄孫・陽子さんの話 「清の長男(松一)は昨年(2000年)4月に他界しましたので、松一から私の母に清のことで聞かされていることは、とにかく両親思いのやさしい人だったそうです。今回の件を通し、改めて戦争の残した傷痕の深さ、残酷さを勉強させられた気がしました。子供が大きくなって成長したら、大叔父さんはこういう人だったんだよ、と小川家の誇りとして話をしたいと思います。これらの事実がここで途切れてしまうのではなく、後世に伝えていかなければならないと思いました。美幸様はじめ沢山の方々に協力していただき、こうして私ども遺族の元へ返還していただきまして、大変感謝しております。」

 ご協力:国峰様