1991年6月、スイス ひとり旅の記録

2年ぶりにスイスに行こうと思う。実は、記念すべき10回目のスイスである♪
6月・・・アルプスは初夏と言うよりも、春本番。日差しに溢れ、木々の葉は新緑に輝き、色とりどりに高山植物が
咲き乱れる、一年で最も輝く季節である。
仕事も忙しい時期であったが、出発までには何とか目処も付いた。そして、梅雨真っ最中の日本から、爽やかな風が
吹き抜けるスイス・アルプスを心に描きながら飛び立つ♪
ひとり旅・・・『スイスに行きたい!』と、知合いのYさんに言われてたが、今回は叶えてあげられなかった (;o;)


6月23日(:曇り ●オリンピック航空(OA)478便、バンコク経由アテネ行きは、21:20発。18時間の旅である。  夕方、新宿でYさんと会う。『私の分も楽しんで来てね♪』と見送られながら、上野からスカイライナーで成田に  向う・・・後ろ髪を引かれる思いである (*o*) ●チェックインを終らせ、待合室でぼ〜っとしながら、OA478の機体を見つめる。  21:20、定刻に出発。オフシーズンのせいか空いている。四人がけを一人で独占である♪ 安定飛行に入ると  ベッド・モードである☆ ●バンコクで1時間ほどのトランジット。再び飛び立ち、アテネへ・・・空いていて、手持ち無沙汰なのか、CAの  方と色々と話したりして、退屈する事もなく、アテネまでの夜間飛行を楽しむ☆☆ミ


6月24日(月):晴 ■朝9時過ぎ。ほぼ定刻に、アテネ国際空港着・・・現在は市内から20km程離れた近代的な空港に移っているが  当時はターミナルも狭く「これが国際空港?」と 言う感じだった。  OA131便、10:55発のチューリッヒ行きに乗換えである。機材は、DC−9。こちらは混んでいた。  機窓から、アルプス山脈が見える。雪を頂いたアルプスの峰々を見て、Yさんを連れて来れなかった事を悔やむ! ■12:30、ほぼ定刻にチューリッヒ到着。成田から、22時間であった (>_<)  機能的に作られた、好きな空港だ(尤も、その後ターミナル増築等で複雑な分り難い構造になってしまったが)♪ ■ターミナル地下のSBB(スイス連邦鉄道)の窓口で、スイスパスの使用開始手続き。そのままホームに下りる♪ ■実はチューリッヒに着くまで、今日の予定は決めていなかった。  無理すれば、ツェルマットまで行けそうだが、さすがに22時間のフライトの後ではきつい・・・今日はベルナー  オーバーラントの『ラウターブルンネン』に泊る事にしよう。 ■チューリッヒ空港駅から、SBBのインターシティでベルンへ出て、東インターラーケン行きに乗換える。そして、  東インターラーケンで、BOB(ベルナーオーバーラント鉄道)に乗り継ぐ。  ユングフラウの姿が迎えてくれる。感動♪  ラウターブルンネンを始めて訪れたのは、1978年・・・13年前である。変わらない。あの時のまま♪ ■泊るつもりだった、ホテル・オーバーラントは、7月までクローズ(残念)なので『ホテル・シュッツン』に!  ここには、1985年に泊った事がある。山小屋の雰囲気を残した良いホテルで、ここも好きだ。  晩ご飯の予約をしてから、外を少しぶらぶらする。  落差300mの『シュタウプバッハの滝』は、何度見ても感動的だ。風向きで、水しぶきの舞う方向などが変わり  色々な表情を見せてくれる。 ■晩ご飯もたくさん戴いた。無事にスイス・アルプスに来れた安心感。記念すべき10回目(仕事のついでに、僅か  1日の滞在だった事もあるが)のスイスの夜・・・疲れていたのだろうか『あっ』と言う間に眠りに落ちる☆


  
オリンピック航空機(絵葉書)
  
OA131からのアルプス(6月24日)


6月25日(火):快晴 ◆6月の朝は早いが、谷底のラウターブルンネンには太陽はまだ届かない。それでも、目覚めは快適♪  スイスの朝ごはんは本当に楽しみ。チーズ、ハム、パンにハチミツをたっぷり付けて頬張る。日本にいる時の3倍  くらい食べた(笑) ◆8時過ぎにはホテルを出て、ラウターブルンネン駅に。平日のせいか、まだ人影は疎ら。クライネ・シャイデック  (2,057m)行きのWAB(ウェンゲン・アルプ鉄道)も空いていた。  ラウターブルンネンを出ると、村並を見下ろす様に大きく左へカーブする。ここから見るシュタウプバッハの滝は  見える角度と言い、素晴らしい。スイスの好きなシーンのひとつだ♪ ◆クライネ・シャイデックまでの40分、ユングフラウ(4,158m)を目前に仰ぐ、最高の時間!  優雅な山容だが、迫力も凄い。巨大な岩山・・・垣間見える氷河。何度でも来たい。  クライネ・シャイデック到着。アイガー(3,970m)の北壁は、冷酷な表情のままだ。多くのアルピニストが  生贄となった『死の壁』。メンヒ(4,099m)からユングフラウへと目を移すと安堵感さえ覚える。 ◆クライネ・シャイデックでベルナー・アルプスの山々を楽しんだ後、WABの列車で、グリンデルワルドに下る!  アイガー北壁の直下を通るのだが、クライネ・シャイデックからよりもより一層、恐怖感を煽る・・・ ◆フィルストに登る事にする。今はロープウェーになってしまったが、1991年は、まだチェア・リフト。足許は  開放的、何よりチェアがアイガーの方向を向いているのが嬉しい。20分の空中散歩。グリンデルワルドの村並が  段々と小さくなり、逆に今まで隠れていた、ベルナー・アルプスの山々や氷河が姿を現わしてくれる。  ベルナー・アルプスの最高峰=フィンステルアールホルン(4,274m)や美しい山容のシュレックホルンも♪  そして、フィルストからは、1時間ほどのトレッキングで、美しい山の湖『バッハゼー』だ。しかし・・・ ◆フィルスト到着。素晴らしいシーンに息を飲む。  ベルナー・オーバーラントの名峰達のパノラマ。シュレックホルン(4、074m)は裾に氷河をまとい美しい! ◆さて、バッハゼーまでトレッキングだ。高低差はそれほどなく、楽に行けるはずなのだが・・・  残雪がかなり残っている。標高2,200m、初夏でも雪が降る場所である。登山道を歩くに連れて、残雪が深く  なって来る。諦めて引き返すトレッカーも多い様だ。  結局、行程の3分の2ほどの所で、僕も断念する。強行出来るかも知れないが『無理はしない』のがアルプスでの  トレッキングの大原則だ。 ◆フィルストからグリンデルワルドに戻り、ツバイリッチネン経由でラウターブルンネンに戻る。  まだ日が高いので、ミューレン(1,645m)に行く。そう、僕をスイスの虜にした『アルプスの宝石』と言う  表現がぴったりの村だ。 ◆BLM鉄道で、ケーブルカーと単行(1両)の登山電車を乗り継いで、ミューレンへ。  言葉は要らない。ミューレンの村並、リッチュネンの谷とユングフラウ、雲の遊ぶアイガー北壁。全てが魅力的♪ ◆バッハゼーには行けなかったが、素晴らしいアルプスでの一日。夕食も美味しく・・・夢の中へ☆☆ミ


  
ユングフラウと登山電車(6月25日)
  
フィルストからのアイガー(6月25日)


6月26日(水):晴 ▲良い天気・・・朝食のパンをたくさん頂く。  今日はマッターホルンの麓、ツェルマットに移動である。再会を約束して、ホテルをチェックアウト。シュタウプ  バッハの滝にも「さようなら」をして、ラウターブルンネン駅から、BOBで東インターラーケンへ・・・SBB、  BLS(ベルン・ロッシェベルグ・シンプロン鉄道)と乗継ぎ、イタリアとの国境の町=ブリーグへ! ▲ツェルマットへのアプローチ。BVZ(ブリーグ・ヴィスプ・ツェルマット鉄道)の赤い車体の列車に乗り込む♪  今回は、少し大胆な計画があるのだ(笑)早くツェルマット(1,620m)に行きたい (^^) ▲途中駅、ヘルブリッゲンで一旦下ろされる。何とこの先で大規模な土砂崩れが発生して、線路が埋っているのだ!  次の「ランダ」まではバスで代替輸送である。時間は少し余計にかかるが、滅多に体験出来る訳ではない。  ランダからは再び列車で、無事にツェルマットに到着。マッターホルン(4,476m)は雲がかかってはいるが  その独特な山容は良く分る。 ▲『ホテル・ダービー』は、すっかりお馴染みになったお気に入りのホテル。予約はしてなかったが、直ぐに親切に  対応してくれた。オーナーのパスカルさんも元気だった♪  ウッドをふんだんに使った、居心地の良い部屋をアサインされ、ひと休みする。 ▲初夏の日は長い。北欧では白夜の時期である。先ず、山岳博物館へ行ってみる。3回目くらいだと思うが、内容は  濃い博物館だと思う。ウィンパーのマッターホルン初登頂後、下りで起った事故の遺品などが展示されている! ▲明日のトレッキング(と言うよりも登山?)に備え、ヴィンケルマッテン周辺〜ツムットを1時間ほど歩く。  ホテルに戻って、夕食。ダービーでの食事は、一人でも気楽。チーフ・カメリエーレのジョバンニさんと話すのも  楽しい。ワインの効果も手伝って、ゆったりと夢の中☆ (^^)


6月27日(木):晴のち曇り ●少し雲が多いが、青空も見える。天気は少し下り坂との予報だが、今日は大丈夫そうな気もする。  ダービーの朝ごはんは楽しみだ。淹れたてのコーヒー,フルーツ,チーズ,ハムなどでお腹いっぱい♪ ●8時過ぎ、郊外のロープウェー駅からシュバルツゼーに向う。マッターホルンの足許まで一気に登る。途中で一度  乗換えて、20分ほどで標高2,582mの『シュバルツゼー』だ♪  マッターホルンはすぐそこに見える。谷を隔てたワイスホルン山群、遠くミシャベル山群、ゴルナー氷河を従えた  最高峰のモンテローザ(4,634m)の優美な姿も♪ ●フランスから来た学生達と英語で楽しくおしゃべり♪フランス人は気難しいなんて、とんでもない誤解だ! ●これから、マッターホルンのヘルンリ尾根を登ろうと思う。とは言っても、ガイドを雇っている訳でもなし、少し  だけでもマッターホルン登攀の気持ちを味わいたいだけである。  標識に沿って、歩き始める。かなりきつい登りもあるが、比較的順調だ。シュバルツゼーも遥か下方になる。  約2時間半・・・3,280mのヘルンリ小屋に到着。今日の僕の装備では、ここまでが限界。  雄大なヴァリス・アルプスの山々を眺めながら、感慨に耽る。 ●シュバルツゼーまで戻り、ロープウェーでツェルマットまで下る。雲がだいぶ出て来たが、まだ大丈夫そうだ。  適当に見つけたレストランで昼食♪ ●午後は、スンネガ(2,210m)に登る。高速地下ケーブルで10分。  スンネガから、ロートホルン(3,103m)目指して登れる所まで行こうかと思う。残雪も多いし、時間的にも  頂上まではとても無理なのだが・・・ ●登山道は整備されているが、標高3,000m近く。残雪が多く、所々氷結している。  慎重に歩けば全く危険はないのだが、午前中マッターホルンのヘルンリ尾根を登って、少し自信過剰になっていた  かも知れない、残雪の下の氷に足を取られて、10mほど滑り落ちる。  何とか踏ん張って事なきを得た。あと数メートルも落ちれば、そのままフィンデルン氷河まで数十メートルの崖を  真っ逆さまだった・・・冷汗でびっしょりである。 ●そこから、100mほどを慎重に登る。あと90分ほどで頂上だが、ここまでが限界だった。  未練はあるが、決めたからには下る事にする。先ほど滑り落ちた所を慎重に抜けて、スンネガへ・・・  更に、フィンデルンへ。マッターホルンと山村。マッターホルンが最も美しい角度で見える村である。  後は、ヴィンケルマッテンを経由してツェルマットへ。 ●かなりハードなトレッキング(と言うよりもクライミング)。危ない場面もあったが、素晴らしい一日だった。  ホテルのレストランで、Dinner。ジョバンニさんやパスカルさんに話を聞いてもらう♪


  
ワイスホルンをバックに!(6月27日)
  
ヘルンリ小屋:左上の小さい方(6月27日)


6月28日(金):晴れ ■青空が空の大半を支配している。  朝ごはんをたっぷりいただき、荷物を預けて、シュバルツゼー行きのロープウェーに乗り込む。  マッターホルンには、相変わらず雲がへばり付いているが、全体の展望は、今日の方が良好である。 ■今日は、アルプスに『さようなら』をする日である。  アルプスの峰々、知り合った人達、ちょっと危ない思いもしたが・・・シュバルツゼーで、色々な思いを抱きつつ  山々の姿を瞼に焼き付ける。 ■1時間以上、そこに佇んでいただろうか?  下りは、歩く事にする。少し急な所もあるが、危険はない。時々立ち止まっては、振り返って、マッターホルンの  姿を確認しながら歩を進める。 ■昼、ツェルマットまで下り、ホテル・ダービーで荷物をピックアップ。  ツェルマット駅からBVZの列車でブリーグへ・・・ブリーグからは、BLS鉄道のインターシティでベルンへ!  車内販売から買ったパネトーネが美味しい!  ベルンで乗り換えて、チューリッヒへと向かう。ベルンで観光しても良かったが、午前中のトレッキングで疲れた  ので、素直にチューリッヒに向かう (^^; ■チューリッヒの「ゴールデン・シュヴェート」は、1983年にも泊まった、旧市街の繁華街にあるホテル。  疲れていたのか、夕刻にチェックインして、部屋でぼ〜っとしているうちに、居眠りしてしまった。  ホテルの周辺は、レストラン(と言うよりも“食堂”)もたくさんあって、便利だ。  スイス最後の夜は更けて行く☆☆ミ


6月29日(:うす曇り ◆スイスを離れる日・・・ホテルをチェックアウトしてから、チューリッヒ湖の畔まで行く。  思えばこの街をゆっくり歩いた事はなかった。今回も時間がない。リマト河畔の情緒溢れる建物、オペラハウス♪  城壁跡、グロース・ミュンスター寺院・・・いつかゆっくり歩いてみたい。 ◆中央駅から空港へと列車で移動。  13:30発のオリンピック航空(OA)132便は定刻に出発。  アテネからの成田行き、OA477は、来る時同様空いていて、4人掛けを独り占めだった。こんな搭乗率が災い  してか、オリンピック航空の成田乗り入れは翌年、停止してしまった。


  
マルゲリッテの花,他(6月28日)
  
チューリッヒの朝市(6月29日)


6月30日(:晴れ ▼バンコクにてトランジット・・・30日夕刻、無事に成田到着。Yさんに電話、無事の帰国を連絡して、帰路に♪


チューリッヒをゆっくり歩いてみたい』・・・この想いは、10年後以降、何度も叶う事になった。 縁あって、チューリッヒに事業部本社のある、ヨーロッパ大手の電機メーカーに転職する事になったのだ。予定では 数年のスイス勤務のはずだったのだが、市場が日本を含むアジアだったため、東京勤務となった。 それでも、スイスへの出張など、またチューリッヒに2週間の滞在など、夢の何割かは叶えられた。 そして、たまたま知り合った、チューリッヒ歌劇場に努めている方との交流は今も続いている♪♪


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