上告理由書 1996年2月29日


1995年9月28日の控訴審判決を不服として,原告の内148名が上告しました.上告理由書は提出期限の延期が認められたので,じっくりと検討し,1996年2月29日に提出しました.


平成7年(行サ)第100号

都市計画事業認可処分等取消上告受理事件

上告人  S   ほか147名

被上告人 建設大臣

 

右当事者間の頭書事件について,上告人らは次のとおり上告理由を提出いたします.

平成八年二月二九日

 

第一 上告理由第一点

 原判決は、原告適格について、行政事件訴訟法第九条、都市計画法第一条、第二条、第一三条各号列記以外の部分、同条一項五号の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

 原判決の右法令解釈は、新潟空港事件(最高裁第二小法廷平成元年二月一七日判決・民集四三巻二号五六頁)、もんじゅ行政訴訟事件(最高裁第三小法廷平成四年九月二二日判決・民集四六巻六号五七一頁)についての最高裁判所判決に違反するものである。

 

一 原判決は、上告人らの原告適格を否定し、その理由として、左記第一審判決理由を引用し、この部分については第一審判決を変更する必要はないとしている。

 「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益又は住民の良好な生活環境を享受するという利益は、事業地付近の広い範囲にわたる住民に一般的に共通する利益であり、付近住民は多かれ少なかれ、本件の認可又は承認に係る事業によってその利益に影響を被るのであって、特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、その侵害をもたらすとされる事業の施工前に明かとなることがあり得るとは経験則上考えられないし、本件認可又は承認の根拠法規にもそのような住民を区別するような基準を定める規定は置かれていない。」

 しかしながら、右引用部分において、「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益」と「住民の良好な生活環境を享受するという利益」が「又は」という言葉によって、併置の関係として捉えられているところに、原判決が、行政事件訴訟法第九条の規定する原告適格について重大な誤りを犯すものであることが、端的に示されている。

 「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益」と、「住民の良好な生活環境を享受するという利益」とは、一見、都市計画事業によって住民が受ける利益を、前者は否定的側面から、後者は肯定的側面から捉えなおした表現の違いに過ぎないように見えるが、そうではない。およそ、原告適格の存否を判断するに当たっては、この両者は明解に区別されなければならず、併置される関係ではない。

 なぜなら、「住民の良好な生活環境を享受する利益」は、都市計画法が全体として目的的に追求実現しようとする公益そのものであり、都市の住民全てが等しく享受する利益であるから、それだけでは、特定の住民を他から区別することはできない。したがって、ここだけから、取消し訴訟の原告適格を肯定する根拠が導かれることはありえない。ところが、「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」についてはそのように言うことはできない。都市計画法が目的的に全ての住民に被害を与えるわけではなく、都市計画事業によって被害を受けるのは一部の住民に過ぎない以上、被害を受ける特定の住民を被害を受けない他の一般の住民から区別することが出来るからである。

 原告適格とは取消し訴訟による救済を求め得る資格を言うものである以上、救済を求める「被害」に着目すべきは、けだし論理の必然であろう。

 その上、ここで言う「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」は、ある特定の住民の利益と言っても、財産に関する利益ではなく、住民の生命、身体、健康等に関する利益であるから、その利益は、住民一般の利益ではありえず、固有名詞を有する、ある特定の個人らの固有の利益であるから、個別具体性を有する利益であることは明らかである。

 

二 およそ一般に、行政法規は公益の実現を期して策定されるものであるから、当該法規が実現せんとする利益は肯定的側面からのみ規定されている。したがって、行政事件訴訟法第九条に言う法律上の利益が、当該行政行為の根拠法規に明記された利益のみを指すものとすれば、取消し訴訟に於ける(当該行政行為の名宛人以外の第三者たる原告の)原告適格は、ほとんど全ての場合に否定されることとなり、行政事件訴訟法に取消し訴訟が設けられた意味の大半を没却することになる。

 したがって、原告適格を支える法律上の利益は、当該行政行為の根拠法規が公益を追求実現せんとする諸規定を置くにしても、それら規定が公益実現の反面として、第三者たる、被害を受ける者の「被害を受けない利益」をも保護する趣旨を含むものか否か、によって決せられねばならない。

 新潟空港事件(最高裁第二小法廷平成元年二月一七日判決・民集四三巻二号五六頁)、もんじゅ行政訴訟事件(最高裁第三小法廷平成四年九月二二日判決・民集四六巻六号五七一頁)についての最高裁判所判決が、行政行為の根拠法規に「法律上の利益」が明記されていなくても、当該法規の解釈によって、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、原告適格を肯定すべしとするのは、かかる観点によるものと解せられる。

 なぜなら、不特定多数の具体的利益が、当該法規が目的的に追求実現しようとする公益と同一内容であるとすれば、この両者を区別するメルクマールが存在せず、その不特定多数の具体的利益は一般的公益に吸収解消されざるを得ない。しかし、不特定多数の具体的利益が、当該法規が目的的に追求しようとする公益実現の反面として、その過程でこぼれ落ちる「被害を受けない利益」である場合には、「被害を受けない利益」が直ちに一般的公益に吸収解消されるとは断定できず、改めて当該法規が「被害を受けない利益」まで保護する趣旨を含むか否かの検討を要するからである。

 この意味で、本件において、原告適格の存否を判断するにあたっては、本件事業地に土地所有権等の財産権を有する上告人ら以外の上告人(以下、単に非財産上告人という場合がある)らが、本件都市計画事業によって、「良好な生活環境を享受する利益」を侵害されないことが都市計画法上保護されているか否か、を検討するのは誤っているのであって、非財産上告人らが「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益」が都市計画法上保護されているか否かを検討すべきなのである。

 原判決は、右引用部分だけではなく、その判決理由全体を通じて、右「享受する利益」と右「被害を受けない利益」とを截然と区別せず、このため原告適格の存否につき誤った結論に至っている。

 

三 原判決は、都市計画法一三条一項五号「良好な都市環境を保持する」の意義について、周辺住民の「良好な都市環境を害されないという個別的利益」をも保護した規定であると解する余地はない、と判断している。

 しかしながら、「良好な都市環境を害されないという個別的利益」という整理は極めて曖昧である。右に述べた「享受する利益」と「被害を受けない利益」とを混同する表現である。非財産上告人らが主張しているのは、右「良好な都市環境を保持する」には、個別的な「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」が含まれている、と主張しているのである。

 そもそも、「良好な都市環境」という言葉は、都市に住む住民にとって、都市環境が良好であることを意味している。これに、都市計画法一三条一項各号列記以外の部分に公害防止計画への適合が要求されていること、同法二条に、都市計画は「健康で文化的な都市生活を確保すべきことを基本理念として定めるものとする」と規定されていることを、併せ考えれば、この「良好な」都市環境という言葉の中に、「公害のない」都市環境が含まれていると解することに何の障害もない。旧公害対策基本法第二条によれば、「公害のない」とは、つまり「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」のことなのである。

 原判決は、右否定の理由として、「都市環境」とは、一般に、交通、衛生、治安、経済、文化、生活便益等の生活環境を総称するとし、このことは、同項が、市街化区域にあっては道路、公園、下水道を、第一種住居専用地域等にあっては義務教育施設を都市施設として定めるべきことを規定していることに照らしても、明らかである、としている。

 しかしながら、この判断は誤っている。

 まず第一に、「都市環境」の一般的な定義が原判決の言うとおりであるとしても、ここでの課題は、都市環境の定義如何でなく、この「良好な都市環境」が、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を肯定しているか否定しているかなのである。原判決は、良好な交通、衛生、治安、経済、文化、生活便益等が、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を含むと解されるか否かを検討してさえいない。

 同項が、市街化区域にあっては道路、公園、下水道を、第一種住居専用地域にあっては義務教育施設を都市施設として定めることを規定しているとしても、それは「少なくとも」定めよと規定されているだけである。最低の必要条件が規定されているだけであって、最大十分条件が規定されているわけではない。「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を考慮してはならない、と規定されているわけではないのである。原判決の論理は破綻している。

 ここでも原判決は、「都市環境」は公益であるから個別的利益の保護は含まれていない、との同義反復論法を繰り返す誤りを冒している。

 

四 原判決は、都市計画法一三条一項各号列記以外の「当該都市について公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合したものでなければならない。」との関係についても原告適格を否定している。

 その理由とするところは二点である。

 その一は、右規定は、健全な都市の形成、発展を期する観点から、都市計画は国土計画や地方計画、道路などの国の計画など、他の法律等に基づく計画との整合性ある計画の策定を期したもので、専ら公益の保護に出た規定である。

 第二に、右規定を付近住民の個別的利益を保護する規定だとすると、公害防止計画が定められている都市を、定められていない都市に比し、特別扱いしていることになり、合理的理由がない。

 

 1 しかしながら、右も判断を誤ったものである。

  (一)まず原判決は都市計画法一三条一項各号列記以外の部分の条文の一部を読みとらない誤りを犯している。

 同部分は三つの部分から構成されている。

 一つは、都市計画は国土計画、地方計画、施設に関する国の計画に適合しなければならないとする部分である(甲部分という)。

 二つは、「当該都市の特質を考慮して、(次に掲げるところに従って、)土地利用、都市施設の整備及び市街地開発事業に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを、一体的かつ総合的に定めなければならない。」とする部分である(乙部分という)。

 三つは、「公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合したものでなければならない。」とする部分である(丙部分という)。

 原判決は、甲、乙、丙の三つの部分から構成されている都市計画法一三条一号各号列記以外の部分に存在する丙の部分を解釈するにあたり、甲の部分だけを検討している。これは「このことは、同項がその直前において、全国総合開発計画……に関する国の計画に適合するよう定めなければならないと規定していることからも明らかである」とする部分に明瞭である。

 つまり乙の部分に故意に触れていない。条文の解釈として合理的態度ということはできない。

  (二)仮にもし、原判決の言うとおり、丙、つまり公害防止計画適合要求は、単に他の法律に基づく国の開発計画等に整合することと同じ意味で要求されているにすぎないとすれば、公害防止計画適合要求についても、全国総合開発計画や首都圏整備計画等と並んで、甲のなかに規定されたはずである。例えば、「都市計画は、全国総合開発計画、公害防止計画(公害防止計画が定められている場合に限る)、首都圏整備計画、・・・・」と並列列挙されていたはずである。

 そのようには規定されず、「都市計画は、甲とともに乙。この場合において、当該都市について丙」と規定されているのは、丙は、甲と同格に扱われるものではなく、乙に密接に関連するものであることを示している。

  (三)次いで、甲の部分は、都市計画は他の法律に基づく計画との整合性を要求しているのであるから、原判決の言うとおり、公益に出た条文であることは間違いない。しかしながら、ここでの課題は、公益に関するか否かではなく、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を保護する趣旨を含むか否かなのである。原判決は、この検討をまったく行なっていないのである。これでは、原告適格の存否を判断したとはいえない。

 右甲、乙、丙の三つの部分の相互関係は、「都市計画は、甲とともに乙。この場合において、当該都市について丙」となっている。「この場合において」の場合とは、文脈上乙のことであり、乙の場合に丙なのであるから、丙の意味を検討するには、乙の意味を検討しなければならないことは、明らかである。

 丙との関係を考慮しながら乙の内容を検討すると、丙は、「当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なもの」の一つとして要求されていることが明瞭である。

 仮にもし、原判決の言うように、丙が単に、都市計画が他の法律に基づく国の開発計画等に整合することを要求するだけの意味であるなら、事柄の性質上、右乙の部分で、「当該都市の秩序ある整備」とだけ言えば十分である。それとは別に「当該都市の健全な発展」までを言う必要がない。

 つまり、「当該都市の秩序ある整備」とは区別されたものとしての「当該都市の健全な発展を図るため必要なもの」の一つとして、丙、すなわち、公害防止計画への適合が、要求されているのである。

 

 2 「健全な発展」とはいかなる意味であろうか。

  (一)用語の通常な用法に従えば、「健全な」の意味は、第一義的には、心身ともにすこやかで異常のないことをいい、第二義として、物事に欠陥やかたよりがないことをいう(広辞苑)としてよいであろう。ここでは「健全な発展」は「当該都市の秩序ある整備」と区別された意味としてのそれであること、欠陥やかたよりがないことは右「秩序ある整備」とほぼ同じ意味であることから、「健全な」とは、第一義の意味と解するほかはない。しかし、都市が心身ともにすこやかで異常のない、では意味をなさないから、「当該都市の健全な発展」とは、結局、都市の住民が心身ともにすこやかで異常のないように都市が発展することを意味していると解せられる。この意味の中には、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない」ことが含まれることは明瞭である。

 かくして、「当該都市の健全な発展を図るために必要なもの」の一つとして、公害防止計画適合性が要求されることは、極めて整合的である。

  (二)右と同じ解釈が、仮に、法の目的を定める都市計画法第一条、及び都市計画の基本理念を規定する同第二条からも論理的に導きうるとすれば、右解釈は都市計画法の法の趣旨に合致する合理的解釈であるということができるであろう。

   (1)都市計画法第一条は、法の目的として、「都市の秩序ある整備を図る」ことと併せて「都市の健全な発展を図る」ことを挙げている。

 同第二条は、都市計画を定めるに当たって、「健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと」を基本理念とすべきことを規定している。

 第一条と第二条とを対比して用語の対応関係を検討すると、「都市の秩序ある整備を図る」ことが、「機能的な都市活動を確保すべきこと」に対応し、「都市の健全な発展を図ること」が、「健康で文化的な都市生活を確保すべきこと」に対応していることは明瞭である。 

 このことから、第一条と第二条とを総合すると、都市計画法は「都市の健全な発展を図ること」をその目的の一つとし、この目的の下に、都市計画は「健康で文化的な都市生活を確保すべきこと」を基本理念として定めなければならない、としていると解せられる。

 ところで、前記新潟空港事件についての最高裁判決は、原告適格の存否の判断にあたって、「当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規及びそれと目的を共通にする関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において、当該処分の根拠規定が、当該処分を通して右のような個々人の個別的利益をも保護すべきものとして位置付けられているとみることができるかどうかによつて決すべきである。」としていた。

 この意味において、都市計画法の解釈にあたり、旧公害対策基本法が、都市計画法と目的を共通にする関連法規に当たるか否かを検討することとする。

 旧公害対策基本法第一条は、「この法律は、国民の健康で文化的な生活を確保するうえにおいて公害の防止がきわめて重要であることにかんがみ、・・・・・・公害の防止に関する施策の基本となる事項を定めることにより、公害対策の総合的推進を図り、もって国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全することを目的とする。」と定めている。つまり旧公害対策基本法は、「健康で文化的な生活」を「都市生活」に限定せず、それを包括する、国民の「生活」全体について「健康で文化的な」ものであることを確保しようとする法であるから、健康で文化的な「都市生活」を確保すべきことを基本理念としている都市計画法よりも、その取扱う対象範囲がより広範であり、都市計画法を包摂しているということができる。したがって、旧公害対策基本法は都市計画法を包摂する上位規範であり、「目的を共通にする関連法規」であるということができる。

 そこで、旧公害対策基本法の関連規定を検討するに、その第二条は「公害」を次のように定義づけている。「この法律において『公害』とは、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、・・・・地盤の沈下・・・・によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずることをいう。」

 この第二条の定義によれば、これまで論じてきた「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」とは、「公害を受けない利益」のことをいうことが明らかである。加えて、旧公害対策基本法の第一条及び第二条に照らせば、都市計画法第二条にいう「健康で文化的な都市生活を確保すべきこと」とは、「公害を受けない都市生活を確保すべきこと」を意味していることも明瞭である。

 それでは、都市計画が「公害を受けない都市生活を確保すべきこと」を基本理念として定められなければならない、とは具体的にはいかなることを意味するのかを、更に進んで考究する。

   (2)旧公害対策基本法は、その名のとおり、全体として、公害防止に関して行政庁の基本的な努力目標並びに施策方針を規定する法律であって、具体的な施策を規定する法律ではないというべきであろうが、それでも二点については、第一条の目的を達成するための具体的な施策を規定していることもまた明らかである。その一は、政府が環境基準を定めるとする第九条であり、その二は公害防止計画の作成に関する規定である。

 第二章「公害の防止に関する基本的施策」の第四節「特定地域における公害の防止」の第一九条は、内閣総理大臣と都道府県知事に対し、一定条件のもとにおいて、公害防止計画の作成を義務付けている。すなわち、現に公害が著しいか、または、公害が著しくなるおそれがある地域であって、かつ、公害の防止に関する施策を総合的に講じなければ公害の防止を図ることが著しく困難であると認められる地域、または著しく困難になると認められる地域について、内閣総理大臣の指示があるときは、都道府県知事がこれを作成しなければならず、作成したときは内閣総理大臣の承認を受けるものとしている。

 旧公害対策基本法全体の条文を検討すると、不十分な施策ではあるが、少なくとも当面は、環境基準と公害防止計画によって、公害を防止しようとする法意であることは明瞭である。

 都市計画法と、かかる法意である旧公害対策基本法の第一条、第九条、第一九条などの関連法規によって形成される法体系の中に、前記「公害を受けない都市生活を確保すべきこと」を置いて、その意味を吟味すれば、より具体的には、(当該都市に公害防止計画が定められているときは)「公害防止計画に適合するように都市生活を確保すべきこと」を意味していることは明瞭である。

 これは即ち、都市計画法第一三条一項各号列記以外の部分の、前記丙の部分とまったく同じ意味に帰するのである。

 かくして、都市計画法第一三条一項各号列記以外の部分の、前記丙の部分だけの解釈によっても、これに加えて、これとは別に、都市計画法第一条、第二条からの解釈によっても同一の結論に達するのである。このことは、かかる解釈の正しさを裏付けているといえよう。

 このようにして、本件認可及び承認の根拠条文たる都市計画法第一三条の前記丙の部分は、都市計画は、旧公害対策基本法が定める意味における、公害防止計画に適合するように定められなければならないことを意味するものなのである。

   (3)ところで、旧公害対策基本法の定める公害とは、人の健康に係る被害が生ずることをいうものであり、国民の健康で文化的な生活を確保するうえにおいて、これを防止することが極めて重要であるものであった。したがって、「公害を受けない利益」は、人の健康にかかわるものとして法律上保護されている利益ということができる。

 「公害」は、単に、広く一般の人々に「被害」が発生することをいうのではない。人の活動によって(災害によってではなく)人の健康が害せられ、その被害を受ける人々の範囲が広範である場合のことをいうのであり、その核心は健康被害にある。

 かかる健康被害は、ある特定個人の上に発生するものであることが重視されねばならない。健康被害は、より厳密には、一定の健康状態からの悪化、減退をいうが、かかる悪化、減退は、ある個人甲と別の個人乙との間ではそもそも比較すること自体が意味をなさず、ある特定の固有の人の時間的に前後した健康状態の間においてのみ比較可能であるに過ぎない。つまり一般的健康なるものは概念として存在し得ず、ある特定の個人の健康しかありえないものである以上、「公害を受けない利益」は、個々人の、個々人が他人に譲り渡すことができない固有の、法律上保護される、個別的利益であることは明瞭であると言わねばならない。

 したがって、「公害を受けない利益」はいかなる意味においても反射的利益ではありえない。

 「公害を受けない利益」はかかる固有性を本質とする概念であるから、国民一般の利益を意味する伝統的「公益」概念には包摂不可能なのである。

 これをより詳しく論ずれば、「公害を受けない利益」は「公益」と対立あるいは衝突することを本来予定している概念であり、それ以上に「公益」よりもより上位に位置する価値(国民の健康)を擁護する概念であることである。ある行政法規が国民一般のために「公益」を追求実現せんとする法規であるとしても、その「公益」を追求する過程において「公害を受けない利益」と矛盾衝突するときには、その「公益」を否定するに至らないまでも、その「公益」追求に一定の制約を課さんとする概念であることである。つまり「公害を受けない利益」は「公益」を追求する行政権の行使に一定の制約を課す概念なのである。

 かかる意味での公害防止の意義を確立したのがまさに旧公害対策基本法の法意であり、同法第四条、五条において国と地方公共団体に公害防止施策の策定とその実施を義務づけた所以であった。

   (4)「公害を受けない利益」の法的な性質が右のようなもであるにもかかわらず、なお都市計画法は住民の「公害を受けない利益」まで保護するものではないとするときは、その解釈は都市計画法の条文と最高裁判決に反する結果にならざるを得ないこととなるのは必定である。

 原判決は、「良好な都市環境」とは、交通、衛生、治安、経済、文化、生活便益等の生活環境を総称するものにすぎないとし、都市施設の付近住民の生命、身体を保護する趣旨は含まないと判断した。しかしながら、都市計画法の諸条文の中には、交通、衛生、経済、文化となんらかの関連を有する第八条の地域地区、第一一条の都市施設に関する条文は存するものの、治安に関する条文はまったく存在せず、またかかる判断に至った過程が論証されていないことから、この判断は根拠のない断定というほかはない。おそらくは原審は、都市計画法は合理的な土地利用を中心的価値基準として地域地区、都市施設などの物的整備を公益目的とする法に過ぎないものと解したものであろう。

 しかし第一に、この解釈が成立するためには、都市住民は行政庁にとって視野の外にある単なる第三者にすぎないことになるから、都市計画の決定手続から住民が排除されていなければならないはずである。ところが、都市計画法は、都道府県知事等による都市計画案の作成にあったっては公聴会の開催等「住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずる」こととされており(第一六条一項)、都道府県知事等が都市計画案を決定しようとするときはその旨を公示したうえ当該都市計画案を「公衆の縦覧」に供しなければならず(第一七条一項)、かかる公示があったときは、「関係市町村の住民」は都道府県知事に対し意見書を提出することができる(第一七条二項)とし、この意見書が提出されたときは、都道府県知事はその要旨を都市計画地方審議会に提出しなければならない(第一八条一項)と規定されて、住民は都市計画決定手続の当事者の一人として参画できることが法定されている。

 原審の右解釈はこれら諸規定と矛盾するといわざるをえない。

 この点につき、原判決は、「これらの規定も都市計画に広く住民の意見を反映させるという一般公益上の目的を実現するために設けられたものと解され・・・・都市計画の対象となる地域周辺の住民の前記のような利益が個別的、具体的に保護されていると解することもできない」として切捨ててはいる。

 しかし、都市計画法第一七条の条文上、「関係市町村の住民」の意見の内容について法律上の制約があるわけではなく、「関係市町村の意見」しか言えないとされているわけでもなく、「自己の利益を守るための意見」ないしは「公害被害がないようにせよとの意見」を言うことが許さないとされているわけでもない以上、右の諸規定を「一般公益上の目的を実現する」ものと断ずるのは、「一般公益」を意味不明なまま(つまり、都市施設の物的整備をすすめるという公益との異同を明解にしないまま)濫用するものであり、あまりにも恣意的である。住民が自分固有の意見をもって都市計画決定手続に参画することが許されている以上、住民個々人の、他人に譲ることができない利益が保護されているものと解するのが当然である。

 第二に、都市施設等の物的整備をすすめるときそれに随伴して発生してくる公害を、都市計画法の外に追い出し、同法は関知しない旨を明確に規定する条文が都市計画法の中に置かれているならば、右解釈が成立する余地もあるとしてよいであろう。ところがそのような条文が置かれていないことは明らかである。

 逆に、都市計画法第一条は法の目的として、物的整備をすすめる趣旨と同一の意味の「都市の秩序ある整備を図る」旨を規定する外に、「都市の健全な発展」を置いて、物的に整備するだけではなく、それが「健全」なものでなければならないとして、都市に住む住民にとって健全であることを要求している。その上、同第二条は都市計画の基本理念として、都市計画は物的整備が「機能的な都市活動を確保」するだけではなく、「健康で文化的な都市生活を確保」するものでなければならないとして、都市に住む住民にとって健康で文化的であることを要求しているのである。

 この法意は、都市計画法を旧公害対策基本法との関連において解釈すべきことを意味しているとしか解しようがないのである。これをさえ否定するのであれば、前記もんじゅ行政訴訟事件最高裁判決に反する解釈に陥ることとなることは、すでに明瞭である。

   (5)ところで原判決は、都市計画法一三条各号列記以外の部分の「公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合したものでなければならない 」について、原告適格を否定する論拠の第二点として、これが付近住民の個別的利益の保護をも考慮した規定であるとすると、「法は、公害防止計画が定められている都市の住民に対しては、これが定められていない都市の住民と区別して、特別の保護を規定していることとなる」から、合理性を持ち得ない、としている。

 しかしながら、この解釈も誤っている。

 まず、この判断は、上告人らが主張してもいない事項に対する判断を含んでおり、訴訟法上違法である。

 上告人らは、公害防止計画が定められている地域の住民には、公害防止計画が定められているから、原告適格が認められるべきだと主張したこともなければ、公害防止計画が定められていない地域の住民については、公害防止計画が定められていないから、原告適格が認められるべきではない、等とも主張したことは一度としてない。この意味で原判決は、上告人らの主張を曲解すること甚だしく、侮辱的判旨である。

 上告人らは、原告適格が認めらるべき理由の第一として、その居住する東京都に公害防止計画が定められていること、及び都市計画法の一三条一項各号列記以外の部分で「公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合しなければならない」とされて、都市計画法という法律が規定しているから、原告には原告適格が認められると主張してきたのであって、東京都という地方公共団体が公害防止計画を定めているから、原告適格が認められるべきだと主張しているのではない。

 都市計画法そのものが規定していることを、上告人らが主張してもいない事由を理由にして否定する解釈は、誤りも甚だしいといわねばならない。

 上告人らは、原告適格が認められるべき第二の理由として、第一審以来主張してきたところは、都市計画法の立法経過(甲第二四、二五、二六、二七、五五号証)に照らせば、都市計画法は都市における公害防止に配慮した法規であること、この法意は都市計画法第一条、第二条に明記されていること、その上、都市計画法と目的を共通にする旧公害対策基本法と併せ考察すれば、都市計画法は都市計画事業地域の付近住民に都市計画事業による公害を受けない利益を法的に保護していると、当然に(つまり、法一三条一項各号列記以外の部分で「公害防止計画に適合しなければならない」としていることに言及しなくても)、解せられる、と主張してきたものである。

 この第二の主張は、上告人らは都市計画法第一三条一項各号列記の部分は、都市計画法が都市計画事業地域の付近住民に都市計画事業による公害の被害を受けない利益を保護していることを具体的に表わす「徴表」と解すべきであると主張していることを意味しているのである。

 上告人らが、公害防止計画が定められていない地域には原告適格が認められるべきではないとは、主張してもいないことは明瞭である。

 

五 なお、原判決は、右に一審判決を引用した理由中で、「特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、その侵害をもたらすとされる事業の施行前に明らかとなることが有り得るとは経験則上考えられない」としている。

 しかしながら、これこそが、驚くほど経験則に反する見解であり、一般の嘲笑を買うほどに非常識極まりない誤りである。

 汚物処理場、ごみ焼却場、と畜場、火葬場、道路等の都市施設の建設に反対する運動が、当該都市施設建設予定地周辺ないしそれに近接して居住する住民によって行なわれること、他方かかる都市施設建設予定地から一定程度離れた地域の住民は、逆に汚物処理場、ごみ焼却場、火葬場、道路等の建設に反対しないばかりか、その必要性を力説しその建設に積極的に賛成にまわることがあることは、都市に居住する者であれば誰でも日常的に経験するところである。特に東京都においては、かかる反対運動と賛成運動ないし推進運動は日常茶飯に頻発している。建設予定地周辺ないし近接する住民によって反対運動が行なわれ、一定程度離れた地域の住民によっては反対運動が起こらないのは何故かといえば、それら都市施設が現に建設されたときは、それら都市施設から直接に排出される臭気、騒音、大気汚染等の被害がそれら都市施設の周辺ないしは近接住民の上にのみ発生することが事前に予想されるからに他ならず、かつ、一定程度離れた地域の住民には発生しないことが事前に予想されるからに他ならない。すなわち「特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、その侵害をもたらすとされる事業の施行前に明らかとなる」からである。

 いわゆる大阪西淀川大気汚染公害訴訟(大阪地方裁判所平成七年七月五日判決・判例時報一五三八号一七頁)は、大略、大阪市西淀川区に居住する住民らが原告として、国道四三号線を管理する被告国、阪神高速道路大阪池田線を管理する被告阪神高速道路公団に対して、右道路を走行する自動車等から排出される大気汚染物質により健康被害を被ったことを請求原因として、環境基準値を超える窒素酸化物及び浮遊粒子状物質の排出の差止め並びに損害賠償を請求した民事訴訟事件であり、その判決は、国道四三号線及び阪神高速大阪池田線の各道路端から五〇メートル以内に居住する沿道住民に限定して、損害賠償請求の一部を認容した事例であるが、右判決において、右両道路が供用開始された昭和四五年当時においては窒素酸化物による自動車公害は予見不可能であったとする被告らの免責の抗弁に対して、次のように判断を示している。

 「西淀川区においては全国有数の高濃度の大気汚染が社会問題となっていたのであり(略)、加えて自動車排出ガスの有害性が繰り返し指摘され、有害物質の一つとして窒素酸化物に対する警告もなされてきていたことからすれば、そのような状況下で高濃度汚染地域に一日一〇万台規模の巨大道路を二本(国道四三号線、阪神高速大阪池田線)も設置しその全面供用を開始しようとする以上、それによって新たに大気中に排出されることになる自動車排出ガス量の調査、その危険性の研究を行なわなければならないのは当然というべきであって、その契機は昭和三〇年代の終わり頃ないし昭和四〇年代の初頭には十分見いだすことができる。健康への影響が危惧されている以上、科学的な解明が十分でなかったからといって、危険を予測することができなかったとするのは相当ではない。」

 右判決は、供用開始時点における被害発生の予測が可能であることを判示するものであるが、東京都においては将来にわたって、大気汚染が悪化こそすれ、改善の見通しが立たない現況(甲第六〇、六一の一、の二、六二の一、の二、六三、六四の一、の二、六八の一、の二、七一、七三の一、の二、各号証)である以上、供用開始時点の予測可能性と事業の認可、承認の時点の予測可能性に差異があるとは考えられない。

 また、いわゆる国道四三号線公害訴訟についての最高裁第二小法廷判決(平成四年オ第一五〇三号、上告人国、同阪神高速道路公団、平成七年七月七日言渡・判例時報一五四四号一八頁)は、原審が国道四三号線、兵庫県道高速神戸西宮線及び同大阪西宮線の供用に伴い自動車から発せられる騒音、排気ガス等がその周辺住民に生活妨害等の被害をもたらし、その程度は受認限度を超えた違法があると判断したものであるが、上告人らがこの点を捉えて、受認限度を超えるものではないと争った上告理由第三点についての判断において、「原審の適法に確定したところによれば、原審認定に係る騒音等がほぼ一日中沿道の生活空間に流入するという侵害行為により、そこに居住する被上告人らは、騒音により睡眠妨害、会話、電話による通話、家族の団らん、テレビ・ラジオの聴取等に対する妨害及びこれらの悪循環による精神的苦痛を受け、また、本件道路端から二〇メートル以内に居住する被上告人らは、排気ガス中の浮遊粒子状物質により洗濯物の汚れを始め有形無形の負荷を受けていたというのである。・・・・・・本件道路の交通量の推移はおおむね開設時の予測と一致するものであったから、上告人らにおいて騒音等が周辺住民に及ぼす影響を考慮して当初からこれについての対策を実施すべきであったのに、右対策が講じられないまま住民の生活領域を貫通する本件道路が開設され、その後に実施された環境対策は、巨費を投じたものであったが、なお十分な効果を上げているとはいえないというのである。」と判示して原審の判断を是認している。

 右最高裁判決もまた、右道路開設時において生活妨害等の被害の予測が可能であったことを肯定するものである。前記同様に、東京都においては大気汚染状況は、悪化こそすれ、改善の見通しがない現況(前記各甲号証)においては、供用開始時の予測可能性と事業の認可、承認時における予測可能性に差異があるとは考えられない。

 結局、右大阪西淀川大気汚染公害訴訟大阪地裁判決も国道四三号線公害訴訟最高裁判決も、環状六号線拡幅事業・首都高速道路中央環状新宿線建設事業による特定範囲の住民の利益の侵害が他の住民と区別しうる程に重大かつ直接的であることを、「事業の施行前に」予想できることを根拠付ける事例である。

 

六 原判決は、原告適格を否定する理由として、第一審判決を引用した前記部分において、次のように判旨している。

 「特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、・・・・本件認可又は承認の根拠法規にもそのような住民を区別するような基準を定める規定は置かれていない(原告らは、本件条例の定めがそのような基準であるとの主張をするが、・・・・本件条例の定めは本件認可又は承認の適法要件となるものではないから、このような見解を採ることはできない)。」

 右部分は、言葉足らずのところがあり、その意味が判然としないきらいがあるが、原判決は次の二点を判示しているものと解せられる。

 第一点 原告適格を認め得るためには、特定の住民を他の住民と区別し得る基準を定めた規定が、本件認可又は承認の根拠法規の中に置かれていなければならない。

 第二点 本件条例(東京都環境影響評価条例・東京都条例九六号)の定めは、本件認可又は承認の適法要件とはなりえないから、控訴人らを他の住民と区別する基準にはなりえない。

 しかしながら、この解釈にも明らかな誤りがある。

 

 1 右第一点につき、

  (一)原判決は、ある特定の住民を他の住民と区別する基準を定めた「規定」を必要とすると判示するが、原告適格を否定する他の判決例においても肯定する判決例においても、同旨を判示する事例は皆無である。この意味で原判決は原審独自の判断であるというほかはない。

 新潟空港事件、もんじゅ行政訴訟事件についての、原告適格を肯定した最高裁判決も、ある特定の住民を他の住民と区別する基準を定める規定を必要とすると判示するものではない。新潟空港事件についての実体法である航空法の中にも、もんじゅ行政訴訟事件についての実体法である原子炉等規制法の中にも、そのような、ある特定の住民を他の住民から区別する基準を定めた規定は存在していない。

 この意味で原判決は、右二つの最高裁判例に違反している。

  (二)原告適格を肯定する、右新潟空港事件、もんじゅ行政訴訟事件その他の判決例(最高裁判所判例解説民事編昭和五三年度、八八、八九頁掲記のもの等)から抽出、帰納される判例の趣旨としては、特定の者を他の者から区別する基準について、法的基準であることを要するとするものでもなく、まして、当該行政処分の根拠法規に規定が置かれていることを要するとするものとも解せられない。当該具体的事実関係の下において、ある特定の者が他と区別可能であれば十分である。この意味で区別の基準は当該事実関係の中に存するをもって足りると考えられる。

 このことは、もんじゅ行政訴訟事件最高裁判決に端的に示されている。同判決は、原告適格を有する者の範囲を原子炉から半径二〇キロメートル以内としたその原審判決に対して半径五八キロメートルのところに居住する者にも原告適格を認めているが、そのように判断する基準についての論理が判示されているわけではない。

 判例の趣旨は、区別の基準の根拠を問題とするのではなく、ある特定の事実関係の下において、根拠法規によって保護されている利益の中で特定の者の利益が他の者の利益よりも強く保護されていると解せられるか否かの点にのみある、と考えられる。

 原判決を子細に検討すると、原審も、もんじゅ行政訴訟事件の関係では、実は、右判例の趣旨に沿う判断を示していると解せられる部分もある。「規制の在り方いかんによっては『災害の防止』、『公共の安全』の程度に差異が生じうることを考慮すると」「原子炉等の付近住民の個別的利益をも保護する趣旨が含まれていると解されるところである」と判示しているからである。

 この判示部分で、「規制の在り方いかんによっては」ということは、当該事実関係によってはということを意味するのであるから、その事実関係によって特定の住民が他の住民と区別されることになり、その区別によって、原告適格を基礎付けることになることを認めたものであると解せられるのである。この意味でも、原審の論理破綻は明らかである。

 

 2 右第二点につき、

 この点についても、原判決は上告人らが主張してもいない点を判断している。

 上告人らは、右の原判決が括弧書きでいうように、本件条例が都市計画法六一条にいう「法令」として本件認可又は承認の適法要件であるから、非財産上告人らを他の者から区別する基準であると主張しているわけではない。

上告人らが、控訴審において、本件条例が都市計画法六一条の認可又は承認の適法要件であると主張しているのは確かであるが、適法要件であるからしたがって非財産上告人らの原告適格が肯定される、と主張しているわけではない。

 上告人らが主張してきたのは、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業の承認行為がなされる過程で、行政庁たる東京都知事が、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業の実施が環境に著しい影響を及ぼすおそれがある地域として定めた一定地域(「関係地域」を指している)があり、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業との関係においてはもちろん環状六号線拡幅事業との関係においても、上告人らはその地域の範囲内に居住ないしは通学、通勤している事実がある、この事実によって、上告人らは他の住民と区別することが出来ると主張しているのである。

 つまり、上告人らが区別される基準は、本件事実関係の中にあるのである。

 上告人らが、原告適格の関係で東京都環境影響評価条例の存在を主張する理由は(この条例が都市計画法第六一条の「法令」であるということとは関係がなく)、上告人らが本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業との関係でも環状六号線拡幅事業との関係でも、その事業地とある特定の関係が、ある地域に居住等しているという事実があり、その事実は、地域の特定性が上告人らの意思・行動とは関係のない、ある客観的基準によって定められたのであり、その客観的定めは、右条例に基づいて行政庁が、首都高速道路中央環状新宿線建設事業によって悪化しかねない環境を保護する観点から他の地域より、より配慮を要する地域として定めたものだと主張するところにある。

 もちろん東京都知事としては、右地域(つまり「関係地域」)を条例という法規にもとづいて定めたのには違いないが、こと本件原告適格の問題との関係においては、その定められた地域は、本件訴訟においては事実たる性質を有する。特に本件環状六号線拡幅事業との関係においてはそうである(この意味は、本件環状六号線拡幅事業の認可の過程においては本件東京都環境影響評価条例が適用されなかったことを指すものである)。

 ただ事実としてそうであるにしても、上告人らが特に強調したい点は、新潟空港事件やもんじゅ行政訴訟事件と異なり、本件では、右事実が、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業にかかる都市計画を決定した行政庁(東京都知事)によって定められた、という点である。つまり、当該都市計画を決定した行政庁が環境保護の観点から上告人らを他の住民から区別したのであるから、単なる事実によって区別される以上に区別の基準が明瞭である、と主張しているのである。

 そうである以上、環状六号線拡幅事業との関係についても、上告人らは同一の地域内に居住等しているのであるから、他の住民から区別される、単なる事実による区別以上の明瞭な基準があると主張しているのである。

 上告人らが他の住民から区別される基準は、右のとおり本件事実関係の中にあり、そして、上告人らが、他の住民より区別されて保護されることになるその法益の根拠がどこにあるかといえば、それは右条例にあるのではなく、前述したとおり(都市計画事業による公害を防止せんとする法意を含む)都市計画法にあると主張しているのである。

 

七 結 語

 以上の通り、原判決は、非財産上告人らについて、その原告適格を否定したものであるが、これは原判決が、行政事件訴訟法第九条、都市計画法第一条、第二条、第一三条各号列記以外の部分、同条一項五号の解釈を誤ったことによるものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

 

 

第二 上告理由第二点

 原判決は、環状六号線整備計画と現行都市計画法との適用関係について、都市計画法施行法二条の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

 原判決の右法令解釈は、最高裁第三小法廷昭和二八年一二月一五日判決・民集七巻一二号一四三七頁、最高裁大法廷昭和四一年二月二三日判決・民集二〇巻二号二七一頁、最高裁第一小法廷昭和五七年四月二二日判決・民集三六巻四号七〇五頁、最高裁第三小法廷昭和六二年九月二二日判決・判例時報一二八五号二五頁等の最高裁判所判決に違反するものである。

 

一 旧法下における都市計画の新法との適合性(都市計画の法的性質論からの論証)

 1 原判決の検討

  (一)原判決(高裁判決で付加された部分については、*印をつける)は、旧都市計画法(以下、「旧法」という)下において決定された環状六号線整備計画(以下、「本件拡幅計画」という)に、新都市計画法(以下、「新法」ないし単に「法」という)一三条一項本文に定める公害防止計画との適合性は要求されないことの理由として次のように述べている。

   (1)「旧法の規定に基づく決定の適法性は旧法の下においてのみ判断されなければならず、その判断について法を遡及して適用することは、法にこれをすべき旨の特段の規定が設けられていない限りできないものというべきである。」

   (2)したがって、「法にはそのような特段の規定が設けられていないから、環状六号線整備計画の決定について法一三条一項各号列記以外の部分を適用して、その適法性を判断することはできない。」

   (3)「なお、・・・・右規定(法施行法二条のこと)は、・・・・旧法の規定に基づく都市計画決定により形成された秩序を維持しつつ、これと法による制度との調整を図る趣旨の規定であると解されるから、法施行法二条を根拠として、旧法の規定に基づく都市計画決定に法が遡及的に適用されるものとすることはできない。」

   (4)さらに、「原告らは、法施行法二条などを根拠に法一三条が都市計画決定の適法要件ではなく都市計画それ自体の適法要件を定めた規定であると主張するが、法施行法二条について原告の主張するような解釈をとり得ないことは右のとおりであるから、(*仮に控訴人らの主張するように、都市計画の決定当時は適法であったとしても、法の施行により都市計画が違法となる場合があるというのでは、前記の法施行法二条の趣旨が没却される結果となり、そのように解することができないことは明らかである。)都市計画の決定という行政行為を離れて、都市計画それ自体の適法違法をいうことはできないから、法一三条が都市計画それ自体の効力要件を定めた規定であるとする原告らの主張は失当である。」

  (二)原判決の右説示は、上告人らの主張に対して、正面から判断したものではない。論理自体も一貫性がないと言わざるを得ない。

   (1)まず、右(一)の(1)、(2)の説示については、そもそも上告人らは、旧法下における都市計画決定時の違法性を争っているのではなく(都市計画決定時の違法性概念そのものが存立しえないことは後述する)、法施行法二条によって「新法の規定による相当の都市計画」とみなされた右拡幅計画の内容そのものの違法性(公害防止計画への不適合性)を主張しているのであるから、原審判決の右説示は的外れという外はない。

   (2)次に、同(3)についても、上告人らは、法施行法二条が、旧法の規定に基づく都市計画決定に対する法の遡及的適用を定めたものである等という主張は、一、二審を通じて一切していないのであって、主張していない事項を判示するものとして失当である。上告人らも、法施行法二条の趣旨が、原判決説示のとおり、「旧法の規定に基づく都市計画決定により形成された秩序を維持しつつ、これと法による制度との調整を図る」ものであることを認めるものである。

 すなわち、法施行法二条は、新法施行により旧法下における都市計画自体が無効となってしまうと、それまでその都市計画の存在を前提として形成されてきた法秩序(建築制限等)が崩壊することになり、大きな混乱を引き起こすことが予想されることから、旧法下における都市計画を新法下においても一応有効とみなすことにする一方、旧法下において都市計画法は、公害や乱開発といった現代的な課題の克服を考慮していない法規であったことから、新法においては、これらの現代的課題の克服を目的とした制度(第八条地域地区の策定、第一三条都市計画基準、第三章二九条以下開発行為の制限等)を多々定めているので、旧法下における都市計画の内容が新法における制度目的と相反するものである場合には、これらの制度目的に適合するように、その計画変更等の条項(法二一条)を通して新法の適用をも受けることを可能にしたものと解されるのである。

 すなわち、まさに、法施行法二条の趣旨が原判決説示のとおりであるからこそ、法施行法二条の存在により、法一三条等が、旧法下における都市計画の内容それ自体に適用され、新法の制定目的及び基本理念(都市の健全な発展、健康で文化的な都市生活の確保ー法一、二条)に適合しない場合、例えば、公害防止計画に明らかに反するような内容を持った都市計画であれば、法二一条により変更されることになり、これがなされない場合は、都市計画自体違法の瑕疵を帯びることになることは必然的な帰結なのである。

   (3)ところが、同(4)において、原判決は、「法施行法二条について原告らの主張するような解釈をとりえない」から、「法一三条が、(旧法下における)都市計画それ自体の効力要件を定めた規定」ではない、とする。

 先に述べたように、法施行法二条が、原判決の説示するような趣旨であるからこそ、法一三条も旧法下における都市計画の内容それ自体の有効性を判断する基準として機能する、と解するのが必然的な論理的帰結なのであり、原判決は、およそ論理的展開をなしていない。

 少なくとも、旧法下における都市計画を法施行法二条により、新法下においても一旦有効とした上で、その内容に新法の都市計画基準が適用されなければ、新法の制定目的はまさに画餅と化してしまうのであり、新法の制定趣旨そのものが没却されてしまうことになる。

 原判決は、括弧書きの部分で、「仮に控訴人らの主張するように、都市計画の決定当時は適法であったとしても、法の施行により都市計画が違法となる場合があるというのでは、前記の法施行法二条の趣旨が没却される結果となり、そのように解することができないことは明らかである。」と述べているが、全く理解不能というか論理の逆転と言わざるを得ない。

 新法の制定趣旨及び法施行法二条の趣旨を没却させないためにも、旧法下における都市計画決定当時は適法であったとしても、新法の施行により違法となる場合が有り得ると解さなければならないのである。

  (三)結局、原判決は、「都市計画の決定という行政行為を離れて、都市計画それ自体の適法違法をいうことはできない」ことを何の根拠もなく肯定し、これを唯一の根拠として、「法一三条が都市計画それ自体の効力要件を定めた規定であるとする原告らの主張は失当である」と断定しているに過ぎないことになる。

 原判決は、伝統的行政行為論に著しく足を捕られ、都市計画決定の法的性質を見誤ったものというべきである。

 都市計画の決定という行政行為を離れて、都市計画それ自体の適法違法をいうことができるか否か、上告人らは左記のとおり、改めて検討を求めるものである。

 

 2 都市計画決定の法的性質

  (一)判例の傾向と分析から

   (1)都市計画決定には、抗告訴訟の対象となりうる処分性は認められない、とするのが判例である(法八条一項一号に基づく工業地域指定の都市計画決定につき、最判昭和五七年四月二二日民集三六巻四号七〇五頁、法一一条一項一号の道路に関する都市計画の変更決定につき、最判昭和六二年九月二二日判時一二八五号二五頁、最判昭和五四年一二月二八日行裁例集三〇巻一二号二〇二六頁等)。

 このうち、最判昭和五七年四月二二日は、都市計画決定の処分性を否定する根拠について、「この決定が告示されると、建築制限等、建築基準法上新たな制約を課することになるけれども、かかる効果はあたかも、新たに右のような制約を課する法令が制定された場合におけると同様、不特定多数の者に対する一般的抽象的なそれに通じ、個人に対する具体的な侵害を伴う処分があったものとして、抗告訴訟を肯定することはできない」と判示している。

 また、いわゆる行政計画の処分性を否定するリーディングケースといわれているものとして土地区画整理法に基づく土地区画整理事業計画決定に関する最判昭和四一年二月二三日民集二〇巻二号二七一頁では、「(同計画は)長期的見通しのもとに健全な市街地の造成を目的とする高度の行政的・技術的裁量によって、一般的・抽象的に決定するものである。したがって、事業計画は、その計画書に添付される設計図面に各宅地の地番、形状等が表示されることになっているとはいえ、特定個人に向けられた具体的な処分とは著しく趣を異にし、事業計画自体ではその遂行によって利害関係者の権利にどの様な変動を及ぼすかが、必ずしも具体的に確定されているわけではなく、いわば、当該土地区画整理事業の青写真たる性質を有するにすぎないと解すべきである」とされている。

 土地区画整理事業計画は、都市計画法上の土地区画整理事業(土地区画整理法二条、都市計画法一二条一項一号)に関する都市計画決定に基づいて策定されるものであり、個人の具体的権利の制限(土地区画整理法七六、八五条)をかなりの程度伴うものであるにもかかわらず、最高裁は、これを「青写真たる性質を有する」にすぎないものとして、その処分性を否定したのであるから、最高裁の立場にたてば、土地区画整理事業計画の前提となっている都市計画決定の処分性が認められないことは当然であろう。

   (2)都市計画法に基づく都市計画には、@市街化区域及び市街化調整区域に関するもの、A地域地区に関するもの、B都市施設に関するもの、C市街地開発事業に関するもの、の四種がある。通常その性格について、右@、Aが、後続の手続を予定していないいわゆる静的計画であり、B、Cは、後続の手続を予定しているいわゆる動的計画である、との相違があることは学説上もよく指摘されているところである。そして、前掲最判昭五七・四・二二は、前者に関するものであり、最判昭四一・二・二三、最判昭六二・九・二二及び本件拡幅計画に関する原審判決は、後者に関するものである。しかしながら、最高裁は、前述したように、そのいずれの処分性をも否定しているのであるから、右の性格的相違は、都市計画決定の法的性質に決定的な差異を生じるものと考えていないことは明らかである。

 そうである以上、最高裁は、都市計画決定の法的性質について、「新たな制約を課する法令が制定された場合」と同様の「不特定多数の者に対する一般的抽象的な」権利義務の制限にとどまるもの、と解していることは疑いの余地のないところである。つまり、最高裁は、都市計画決定をいわゆる立法類似行為的性質を有する行政庁による行為、と捉えていると解されるのである。

   (3)右のことから、都市計画の内容それ自体は、法規範的性質を有すると解すべきことは論理の必然である。

 一般に、法規範は、憲法を頂点とする法体系の中で整合性を有さなければならない。ある法規範の制定手続について瑕疵が認められなくとも、その時点以後の上位規範の変更により、当該法規範の内容が上位規範との適合性を欠くことになれば、当然当該法規範は、改廃されなければならないことになる。

 このような例は、現行憲法制定後の民法親族相続法の改定、刑法尊属殺規定の廃止、監獄法施行規則一二〇条の改正(面会制限規定)、国民年金法における国籍条項の廃止等、枚挙に暇がない。

 そうである以上、適法な決定手続を経た法規範性を有する都市計画の内容それ自体が、上位規範たる都市計画法の改正によって、同法との適合性を失い、同法違反の瑕疵を帯びることが有り得る論理を承認しなければならない。

 すなわち、都市計画決定という行為を離れて、都市計画(の内容)それ自体の適法違法を判断することは、理論上当然に可能なのである。現行都市計画法の制定趣旨である乱開発や公害の防止という現代的課題の克服が、旧法においては全く考慮されていなかったのであるから、旧法下における都市計画が新法との適合性を欠くことになる可能性はきわめて強いことは優に想定されるところである。

  (二)「行政行為」概念に関する検討

   (1)原判決は、「都市計画決定という行政行為を離れて、都市計画それ自体の適法違法をいうことはできない」として、「都市計画決定」=「行政行為」という概念規定を何の論証もなく前提としている。

 しかしながら、かかる誤りが、原判決の誤りを決定的にしているのである。

   (2)伝統的な行政行為論に則れば、行政行為とは、「行政庁が、法に基づき、公権力の行使として、人民に対し、具体的な事実に関し法律的規制をなす行為」と定義付けられる(有斐閣法律学全集6「行政法総論」田中二郎二六二頁)。かかる行政行為の効力として、いわゆる「公定力」が承認されている。ここでいう公定力とは、「行政行為の拘束力の存在することの承認を強要する力である」と定義されるものである。そして、当該行政行為が違法であったとしても、この公定力の作用により、当該行政行為は有効として扱われることになり、この違法な行政行為によって生じた公定力を排除するー違法な行政行為により、不利益を受ける者の権利を救済するーためには、行政事件訴訟法上の取消訴訟によらなければならない、とされる。すなわち、通常、「行政行為」なる概念は、取消訴訟の対象となる行為(=処分性ある行為)として観念されている。

 判例は、このような意味における行政行為(=処分性ある行為)の違法性判断の基準時が当該行政行為時(=処分時)であるとしている(最高裁第二小法廷昭和二八年一〇月三〇日判決・行集四巻一〇号二三一六頁、最高裁第二小法廷昭和三四年七月一五日判決・民集一三巻七号一〇六二頁等)のであるから、当該行政行為後の法の改正に基づいて、その改正後の法を当該行政行為に適用して当該行政行為の違法性を判断することはできないことは論理の必然である。すなわち、当該行政行為(時点)を離れて処分の内容それ自体の適法違法を言うことはできないことになる。

 したがって、都市計画決定が伝統的行政行為概念に包摂されるという前提に立つ限りは、原判決の見解は正しいことになる。

   (3)しかしながら、「都市計画決定」という「行政行為」は、それ自体、取消訴訟の対象たる処分性が認められない、というのが判例である以上、右にいう公定力は働かない。

 したがって、「都市計画決定」という「行為」は、伝統的行政行為概念とは著しくその内容を異にしているのであるから、都市計画の内容それ自体の違法性判断の基準時を「都市計画決定」という行為時に限定しなければならない論理的必然性はない。

 のみならず、前述したように、「都市計画決定」という「行為」が立法行為類似的性質を有し、その計画の内容それ自体も「不特定多数の者に対する一般的抽象的な」法規範的性質を有するものである以上、「都市計画決定」という「行為」後に上位規範である都市計画法が改正された場合には、その改正法と旧法下における当該都市計画との適合性を判断しなければならないはずである。

 すなわち、都市計画の内容それ自体に対する違法性判断の基準時として、行為時説を取り得ないものと解さざるを得ない、と言うべきである。蓋し、そう解さなければ、上位規範と下位規範との一体性を保つことは不可能であるし、旧法と相反する内容をもった新法が施行された後に、旧法下において適法に決定された都市計画に基づく具体的処分(=伝統的行政行為)がなされた場合に、これを取消す(主文においてではなく、理由中において)ことができなくなる、という現実的不都合が生じるからである。

 換言すれば、「都市計画決定」という行政行為についての違法性判断基準時(違法性を判断する時点の意味ではなく、違法性を判断すべき基準となる時点)は、口頭弁論終結時と言う外なく、したがって、違法性の遡及という概念そのものの成立する余地がないのである。

 「行政権による立法行為であるか行政行為であるかは、その相手方が抽象的であるか具体的であるかによって決まるのではなく、その内容が抽象的であるか具体的であるかによって決まる」(前掲「行政法総論」二六六頁)ものと解されている。

 都市計画決定という行為の処分性が否定されるのは、前掲最判によれば、その内容に着目し、これが、「不特定多数の者に対する一般的抽象的な」ものであり、「個人に対する具体的な処分があった」ものとはいえない、あるいは、「事業計画自体ではその遂行によって利害関係者の権利にどのような変動を及ぼすかが、必ずしも具体的に確定されているわけではなく」、いわば「青写真たる性質を有するに過ぎない」抽象的なものであったからであった。

 したがって、右の基準に従えば、都市計画決定という行為は、「行政権による立法行為」の範疇にきわめて近いものであると解されるのである。

 これに対して、都市計画決定に基づく事業認可又は承認処分により土地収用裁決がなされたり、自作農創設特別措置法に基づく買収処分がなされたりした場合、右裁決や処分は、具体的に特定される土地等の所有権の変動という直接的な法律効果をもたらすものであり、まさにこれらの処分が、「行政権による行政行為」であることは明白である。

 すなわち、前者(都市計画決定の如き行政計画の策定等の立法類似的行為)のような場合は、人民の権利義務に一般的かつ抽象的な影響を与えるに過ぎず、直接的具体的な権利変動を及ぼすものではないから、その時点(つまり、後続する伝統的行政行為に対する取消し訴訟の口頭弁論終結時点)における上位規範との整合性が要請され、逆に言えば、違法性判断基準時が口頭弁論終結時点であるとしても、行為の性質が、人民の権利義務に一般的抽象的にしか影響を与えなかったものである以上、時間的に後に至って人民の権利義務に重大な変更を与え、或は覆すことになるとの非難を受ける恐れがない。

 これに対して、後者(収用裁決等の伝統的行政行為)のような場合は、右に挙げた土地収用裁決のごとき特定人に対する不利益処分だけでなく、特定人のために新たに法律上の力を賦与する特許行為(公物使用権の特許、公企業の特許)や営業や薬事法上の新薬製造の許可行為といった利益処分に関しても具体的な一回限りの事実又は法律関係を規律するものであって、人民の権利義務に直接的具体的な権利変動を及ぼすものであるから、違法性判断基準時は当該行為時でなければ人民に著しい法的不安定をもたらすこととなるため、これを防止するためには違法性判断基準時は当該行為時であることを必然的に要請され、行政行為によって生じた法律関係を公定力を通してその法的安定性を図ることが要請されるのである。

 このように、一口に「行政行為」といっても、行政権による立法類似的行政行為と伝統的行政行為とは、発生する法律効果が実質的に全く異なるのであるから、公定力においても違法性判断基準時においても、別異に考えるべき実質的理由がある。

 かくして、両者の法的性質の違いは明らかであると言わねばならない。

   (4)都市計画決定という行為が伝統的行政行為概念と著しく異なることは、都市計画法のみならず、様々な行政諸法規の条文上の表現からも優に認められるところである。

 都市計画法施行法二条は、「新法の施行の際現に旧都市計画法(大正八年法律第三十六号。以下「旧法」という)の規定により決定されている都市計画区域及び都市計画は、それぞれ新法の規定による都市計画区域又は新法の規定による相当の都市計画とみなす」としており、都市計画それ自体を新法の規定によるものとして、旧法下における都市計画それ自体に対する新法の適用を予定しているのである。

 もし、法が、都市計画決定を伝統的行政行為と捉えていたならば、法施行法二条は、「・・・・新法の規定による都市計画決定がなされたものとみなす」と書かれていたはずである。このことは、法律の改正があった場合に伝統的行政行為と認められるものが新法下においてはどのように扱われるかを定めた経過措置に関する諸法の規定と比較してみると、より一層明らかとなる。

    イ 例えば、旧公害健康被害の補償等に関する法律附則第一一条においては、公害健康被害者の認定という行政行為について、「この法律の施行の際現に旧法第三条第一項の認定を受けている者は、政令で定めるところにより、この法律による認定を受けた者とみなす。」と定められており、認定という行政行為自体を新法によるものとしている。

 また、消防法附則第二条においても、「この法律の施行の日(・・・・略・・・・)前に改正前の消防法(以下「旧法」という。)の規定に基づいてされている許可の申請、届出その他の手続又は旧法の規定に基づいてされた許可その他の処分は、別段の定めがあるものを除き、改正後の消防法(以下「新法」という。)の相当規定に基づいてされた手続又は処分とみなす。」と定められており、やはり、処分という行政行為自体を新法によるものとしているのである。

 試みに、いわゆる六法全書の頭から、法の改正があった法律で、右のように、改正前の法の下において処分があったものが、改正後の法律の下においても処分とみなす扱いとするものがどの程度あるかを検討してみる。

     @国家公務員法/附則(昭四〇・五・一八法律六九号)第二条八項

「この法律の施行前に法令の規定に基づいて人事院若しくは大蔵大臣がした決定、処分その他の行為又は人事院若しくは大蔵大臣に対してした請求その他の行為で、この法律の施行後は内閣総理大臣がすべき決定、処分その他の行為又は内閣総理大臣に対してすべき請求その他の行為に該当するものは、この法律の施行後における法令の相当規定に基づいて内閣総理大臣がした決定、処分その他の行為又は内閣総理大臣に対してした請求その他の行為とみなす。」

     A地方自治法/附則(昭和二二年四月一七日法律六七号)第一一条

 「従前の東京都制、道府県制、市制若しくは町村制又はこれらの法律に基いて発する命令によつてした手続その他の行為は、これをこの法律又はこれに基いて発する命令中の相当する規定によつてした手続その他の行為とみなす。」

     B古物営業法/附則(昭五三年五月二三日法律五四号)二項

 「第一条の規定による改正前の古物営業法(以下、「旧古物営業法」という。)第八条第一項又は第二項の規定による行商又は露店の許可は、それぞれ第一条の規定による改正後の古物営業法・・

(以下「新古物営業法」という。)第八条第一項又は第二項の規定による行商の許可とみなす。」

     C銃砲刀剣類所持等取締法/附則(昭四一年六月七日法律八〇号)二項

 「改正前の銃砲刀剣類所持等取締法(以下「旧法」という。)の規定による銃砲又は刀剣類の所持の許可で次の表の上欄に掲げるものは、それぞれ同表の下欄に掲げる改正後の銃砲刀剣類所持等取締法(以下「新法」という。)の規定による銃砲又は刀剣類の所持の許可とみなす。」

     D出入国管理及び難民認定法/附則(平成元年一二月一五日法律七九号)三項

「この法律の施行の際に、旧法の在留資格をもって在留する者が旧法第十九条第二項の許可を受けているときは、当該許可は、前項の規定によりみなされる新法の在留資格について受けた新法第十九条第二項の許可とみなす。」

     E日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法/附則(昭和三五年六月二三日法律一〇二号)第三条

「この法律の施行前に、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に基づき日本国に駐留するアメリカ合衆国の軍隊の用に供する土地等の使用又は収用に関し、この法律による改正前の日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法の規定によつてされた処分又は手続は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づき日本国にあるアメリカ合衆国の軍隊の用に供する土地等の使用又は収用に関し、この法律による改正後の日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法の規定によつてされた処分又は手続とみなす。」

     F地価公示法/附則(昭和四九年六月二六日法律九八号)第五三条一項

「この法律の施行の際現にこの法律による改正前の(中略)地価公示法(中略)の規定により国の機関がした許可、承認、指定その他の処分又は通知その他の行為は、この法律による改正後の国土総合開発法等の相当規定に基づいて、相当の国の機関がした許可、承認、指定その他の処分又は通知その他の行為とみなす。」

     G国土総合開発法/附則(昭和四九年六月二六日法律九八号)第五三条一項

「この法律の施行の際現にこの法律による改正前の国土総合開発法(中略)(以下「国土総合開発法等」と総称する。)の規定により国の機関がした許可、承認、指定その他の処分又は通知その他の行為は、この法律による改正後の国土総合開発法等の相当規定に基づいて、相当の国の機関がした許可、承認、指定その他の処分又は通知その他の行為とみなす。」

     H住宅地区改良法/附則(昭和五〇年一二月二六日法律九〇号)二項

「この法律の施行前に、地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市(以下「指定都市」という。)において、住宅地区改良法第九条、第二十一条又は第二十二条の規定により都道府県知事がした許可その他の処分又は公告その他の行為は、第十条の規定による改正後の同法第三十六条の二の規定により指定都市の長がした許可その他の処分又は公告その他の行為とみなす。」

    ロ 右の通り、改正前の法の下において行政庁の行政行為とされるものが、改正後の法の下においても行政行為とされる事例は、「・・・・(改正前の)処分は・・・・(改正後の)処分とみなす。」という共通の表現、言い回しでほぼ統一されていると見ることができる。このような事例は右に挙げたものに限らないのは勿論であるが、これ以上の例示は不必要であろう。

 ところが、右に反し、都市計画に関する法規においては、右と違った表現、言い回しが一貫して採られているのである。具体的に例示する。

     @建築基準法/附則(昭和二五年五月二四日法律二〇一号)四項

「この法律施行の際、市街地建築物法第一条、第二条第二項、第四条第三項、第十一条第二項又は第十五条の規定によつて指定されている住居地域、商業地域、工業地域、住居専用地区、工業専用地区、空地地区、高度地区又は美観地区は、それぞれこの法律第四十八条第一項、第五十条第一項若しくは第三項、第五十六条第一項、第五十九条第一項又は第六十八条第一項の規定によつて指定された住居地域、商業地域、工業地域、住居専用地区、工業専用地区、空地地区、高度地区、又は美観地区とみなし、市街地建築物法第十三条並びに市街地建築物法施行規則第百十八条及び臨時防火建築規則第六条の規定によつて指定されている甲種防火地区又は乙種防火地区及び準防火区域は、それぞれこの法律第六十条一項の規定によつて指定された防火地域又は準防火地域とみなす。」 右規定は都市計画法第八条一項一号の用途地域の定めに係わる規定であるが、右においては、「・・・・指定は・・・・指定とみなす」という表現ではなく、「・・・・地域は・・・・地域とみなす」という表現である。

     A流通業務市街地の整備に関する法律/附則(平成五年五月二六日法律第五三号)第二条

「この法律の施行前にこの法律による改正前の流通業務市街地の整備に関する法律第三条の規定により定められた流通業務施設の整備に関する基本方針は、この法律による改正後の流通業務市街地の整備に関する法律第三条の二の規定により定められた流通業務施設の整備に関する基本方針とみなす。」

 右の流通業務市街地の整備に関する法律は、都市計画法第八条一項一三号に係わる規定であるが、右においては、「・・・・定めは・・・・定めとみなす」ではなく、「・・・・基本方針は・・・・基本方針とみなす」という表現である。

     B都市緑地保全法/附則(昭和四八年九月一日法律第七二号)七項

「この法律の施行の際この法律による改正前の都市計画法第八条第一項第十一号に掲げる地区に関し、決定されている都市計画又は行われている都市計画の決定若しくは変更の手続は、この法律による改正後の都市計画法第八条第一項第十一号に掲げる地区に関する都市計画又は都市計画の決定若しくは変更の手続とみなす。」

 右規定は、都市計画法第八条一項一二号に係わる規定であるが、右においては、改正前の「決定されている都市計画」と「行なわれている都市計画の決定」とが画然と区別され、改正後は、前者は「都市計画」そのものとみなされ、後者は「都市計画の決定」とみなされることが定められている。つまり、右規定は、「都市計画」と「都市計画の決定」とを明瞭に区別している。

 右においては、「都市計画」とは、「決定されている都市計画」を指しており、「都市計画の決定」とは「行なわれている都市計画の決定」を指しているのであるから、行政行為たる都市計画「決定」、を離れて「都市計画」そのものを認めていることは明瞭である。

     C生産緑地法/附則(平成三年四月二六日法律第三九号)第四条一項

「この法律の施行の際現に前条の規定による改正前の都市計画法(以下「旧都市計画法」という。)の規定により定められている第一種生産緑地地区及び第二種生産緑地地区に関する都市計画は、同条の規定による改正後の都市計画法(以下「新都市計画法」という。)の規定により定められた生産緑地地区に関する都市計画とみなす。」

 右規定は、都市計画法第八条一項一四号に係わる規定であるが、「・・・・都市計画は・・・・都市計画とみなす」という表現である。

    ハ 右イ、に見たとおり、伝統的な行政行為については、当該行政行為を離れてその内容自体を問題にすることができないことを当然の前提としているのに対し、右ロ、に見たとおり、都市計画に係る法規においては、「都市計画決定」を離れて、その内容である「都市計画」自体を問題にすることができることを前提にして、両者を截然と区別している。都市緑地保全法の規定は特にこの点が明瞭である。

 このように、各種の行政法規を比較対照してみると、都市計画に係る法規自体が都市計画決定という行政行為を、伝統的行政行為概念とは異なるものとして取り扱っていること、都市計画法施行法二条は、「都市計画」それ自体を新法の適用の下に置くことにしていることがはっきりと読み取れるのである。

 

 3 原判決の誤謬

  (一)(1)以上から、原判決が、「都市計画決定という行政行為を離れて、都市計画それ自体の適法違法をいうことができない」としたことの誤りはすでに明白である。

 原判決は、都市計画決定という立法行為類似的な性質を有する行為を「行政行為」であると言い切ることにより、都市計画決定とは性質を異にする伝統的行政行為概念を持ち出し、これを媒介として、都市計画決定と都市計画の内容との関係が切り離せないものであるとドグマティークに前提としたものであり、法に基づかない判断というべきであり、その誤りは決定的である。

 最高裁が認めているように、都市計画が、一般的抽象的な内容を有する立法類似の規範性を有する以上、都市計画の決定とは別個に、その上位規範たる現行都市計画法との適合性が理論上要求されると解されなければならないのである。

   (2)さらに、右の結論は最高裁においてもつとに認められているところである。

 最高裁第三小法廷判決昭和二八年一二月一五日民集七巻一二号一四三七頁は、改正前の自作農創設特別措置法により牧野について定められた未墾地買収計画に基づく同法改正後(牧野は未墾地から外された。)の牧野買収の適否について、「・・・・本件買収計画は、当時(改正前)においては、本件土地が牧野であるがため違法であるということはできない。しかしながら、買収計画は、究極において買収処分によって国が土地の所有権を取得するための段階的な一手続に過ぎず、国が買収処分によって所有権を取得する以前に、法律の改正によって、前記のとおり牧野として買収することに決した以上、買収計画が適法であったからといって、牧野を未墾地として買収することができるものではない。」と判示している。

 右判示は、明確に、旧法下における買収計画決定という行為を適法と認定しつつ、その後の法改正により新法と適合しなくなった右買収計画の内容に基づいて、買収処分という行政行為を行うことは許されない、としているのである。

 右判示によれば、買収計画の決定は、買収処分により国が所有権を取得するための段階的な一手続に過ぎないことをその理由とするものであるが、この論理は、本件都市計画たる拡幅計画と本件認可処分(ないしはさらにこれに後続する土地収用裁決処分)との関係においても適用さるべき論理である。

 右判決が、買収計画決定という行為を離れて、買収計画の内容それ自体の違法性を判断したのは、買収計画が、伝統的な行政行為でなく、その内容が一般的抽象的な法規範的なものであることを前提として、同計画の上位規範である自作農創設特別措置法のその後の改正により、同法との適合性を喪失したと判断したからであることは、容易に読み取れるところである。

 以上から、上告人らの右主張が、最高裁の判例に沿うものであることは明白である。

   (3)したがって、上告人らが従来主張してきたように、本件認可処分の違法性の判断にあたって、旧法下において決定された本件拡幅計画の内容について、その後に改正された同計画の上位規範である新法との適合性を判断することは、法施行法二条の趣旨に反することはなく、また都市計画の法的性質から理論上当然に要請されるものであるのみならず、そのように解しないことには最高裁判所の判例に違反することとなる。

 これを否定し、「都市計画という行政行為を離れて都市計画それ自体の適法違法をいうことはできない」とした原判決は破棄を免れない。

  (二)原判決は、「(都市計画決定が)本件認可の前提となっていることから、その違法が直ちに本件認可の違法となる都市計画の決定については、そのような事由(=本件拡幅計画が公害防止計画に適合するよう変更決定すべきであるのにこれをしないという不作為の違法事由)は、到底違法事由とはなり得ない」と判示している。結局、原判決は、「都市計画決定という行政行為を離れて都市計画それ自体の適法違法をいうことはできない」から、都市計画の違法も決定時において判断されねばならず、決定後に生じた違法事由(変更しなければならないのに変更しなかったという不作為の違法事由)は、本件拡幅計画決定の違法事由たり得ず、本件認可の違法事由にも当然なりえない、とするものである。

 しかしながら、都市計画決定という行為を離れて都市計画の内容それ自体の違法性を判断し得るというのであるから、これもまた誤りである。本件拡幅計画の内容が上位規範たる新法との適合性を欠くことになった場合、同計画は当然に違法の瑕疵を帯びることになる。伝統的行政行為であれば、公定力が働き、取消訴訟において取り消されるまで、違法な行政行為であっても有効なものとして取り扱われるのに対して、都市計画決定という行為は公定力が働かず、取消訴訟の対象となり得ないのであるから、「違法であるが有効」なものとして考えることはできず、したがって、かかる都市計画は、違法である以上、無効であると解する外はない。

 本件認可処分は、無効な都市計画に基づいてなされた処分であることになるから、当然違法な処分として取り消されることになるのである。

 すなわち、本件拡幅計画決定以後に生じた新法と同計画との不適合性は、同計画の無効原因となるものであるから、本件認可処分の違法事由たり得るのである。

 この点においても、原判決の誤りは明らかである。

 

二 原判決の誤りは、以下の点からも明らかである。

 1 現行都市計画法における都市計画決定とその内容は、条文の配列の仕方においても、形式的にも内容的にも区別されている。

 現行都市計画法は、都市計画の内容を第二章第一節に、都市計画の決定手続を同第二節に截然と区別して規定している。この点はきわめて重要である。

 このことは、同法五九条による認可又は承認の違法が(認可又は承認それ自体の違法のほかに)、都市計画の内容が違法であることを承継することによる違法と都市計画の決定手続が違法であることを承継することによる違法の、二つの性質の違った違法として顕現してくることの根拠なのである。

 都市計画の決定手続が第二章第二節の規定に違反して違法であるとき(その違法を捉えて取消訴訟で争うことが容認されていないことから)法五九条の違法として顕現することは勿論であるが、重要なことは、仮に、都市計画の決定手続が第二章第二節の規定に違反せず、したがって違法ではないとしても、その決定したとされる都市計画の内容が第二章第一節のいずれかの規定に違反して違法な場合は、法五九条の違法として顕現するのである。

 つまり、この意味で、都市計画の内容の違法は、都市計画の決定手続の違法とは別個独立に存在するのである。

 このことは、いかなる都市計画も、法五九条による認可又は承認の段階に至れば、その決定(もちろん変更を含む)を経ていることは確かであり、その限りでは、都市計画は都市計画決定と切り離し得ないけれども、そのこととまったく別の問題である。

 後者は、時系列に沿って行政手続がどのように進行するかの問題であり、前者は違法概念の独立性の問題である。

 このように、(取消訴訟において争うことが容認されている)違法性に関する限りは、都市計画の内容の違法は、都市計画の決定の違法とは別個独立に存在すると解されるのである。この観点からしても、原判決の誤りは明白である。

 

 2 原判決は、行政計画相互の適合性という当然の要請を無視している。

 本来、同一地域に複数の行政計画が存在する場合、これら相互が相反し合うものであれば、行政の一体的整合性は崩壊し、その機能が失われてしまう。同一地域に複数存在する行政計画は、少なくとも相互に矛盾しない関係にあること(適合性)が要請されることになると言わねばならない。本件拡幅計画のような旧法下において決定された都市計画についても、この要請は当然満たされなければならない。

 東京都においては、旧公害対策基本法に基づく公害防止計画が存在し、現行都市計画法においては、公害防止計画との適合性が義務づけられている(法一三条一項各号列記以外の部分)。

 右の行政計画相互の適合性の要請が、本件拡幅計画にも当然に及ぶのであれば、同計画の内容それ自体が、公害防止計画と適合しているか否かについて判断しなければならないことになるから、本件拡幅計画の決定と切り離して、同計画の内容自体に新法の適用があると解するしかないことは明らかである。 特に、本件都市計画事業のごとく、都市計画変更決定の後に、その内容を実現するための事業が継続する、いわゆる動的計画の場合であって、かつ、かかる変更決定の後、四〇年以上を経過した後に事業が行なわれる場合はなおさらである。

 事実として、東京という都市がこの間、様々な意味において大変貌を遂げ、整合性に欠ける姿を呈している。しかるが故にこそ、整合性ある都市の建設を目指して都市計画法は改正されたのであった。

 原判決の論理に立てば、改正後の新法からみて整合性にかける都市計画を国民の側から是正する方途を断たれることとなる。これでは、都市計画法の改正にもかかわらず、整合性ある都市・東京の実現を期すことはできない。

 原判決は、その実質においても、不合理な解釈といわねばならない。

 

三 結 語

 以上の検討から、原判決は、全ての上告人らとの関係において、本件環状六号線拡幅事業認可処分の違法性を判断するにあたり、都市計画たる本件環状六号線拡幅計画と改正後の現行都市計画法との適合性を判断しなければならなかったのにもかかわらず、最高裁第三小法廷昭和二八年一二月一五日判決、最高裁大法廷昭和四一年二月二三日判決、最高裁第一小法廷昭和五七年四月二二日判決、最高裁第三小法廷昭和六二年九月二二日判決に違反した結果、都市計画法施行法第二条の解釈を誤り、これを判断しなかったものであるから、審理不尽の違法があり、判決に影響を及ぼすこと明からな法令の違背がある。

 よって、原判決は破棄を免れない。

 

 

第三 上告理由第三点

   原判決は、中央環状新宿線整備計画及び環状六号線整備計画と公害防止計画との適合性判断について、都市計画法一三条一項各号列記以外の部分の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

 

一 原判決は、法一三条一項本文の「当該都市について公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合したものでなければならない。」との解釈について、「都市計画と公害防止計画とは相互に矛盾なく両立するものであればよい」とした一審判決を変更し、「ここにいう公害防止計画が、当該地域において実施されるべき公害の防止に関する施策に係る計画をさすことは明らかであるから、法は、公害防止計画に盛られた施策との間の適合性を要求していることは明らかであり、したがって、都の施策の実施を不能にし又は著しく困難にする場合及び都の実施する施策の効果を直接減殺するような場合には、これに適合しないこととなるが、都市計画が公害防止計画に盛られた施策に積極的に寄与することまでも要求する趣旨でないことは明らかである。」と判示した。

 そして、上告人らの「本件各事業が、公害防止計画の目標である環境基準の達成を阻害ないし悪化させるものである場合、当該事業及び当該都市計画は、公害防止計画に適合しない」とする主張に対して、@都市計画と環境基準の特定の時期までの達成の可否とは比較可能性のない事柄であること、A仮に全ての都市計画が環境基準値の特定の時期までの達成に支障のないものに限られるとすると、各都市計画毎にその時点での環境基準値と現況との乖離を検討しなければならないこととなるだけでなく、都市計画が策定される時期の前後によって、公害防止計画適合性の有無の判断に不整合の余地を残すこととなること、Bその結果、法の期待する都市計画の目的を達することはできないこととなることから、「このような解釈は採り得ない」として、失当である旨を判示している。

 

二 原判決は、上告人らの主張を誤解し、その結果理由不備の違法を犯すものである。

 1 原判決は、「本件各事業が、公害防止計画の目標である環境基準の達成を阻害ないし悪化させるものである場合、当該事業及び当該都市計画は、公害防止計画に適合しない」という上告人らの主張する法一三条一項本文の公害防止計画との適合性の判断基準に対して、前記三点をあげて、排斥しているが、これらはいずれも、的外れな議論であると言わざるを得ない。

  (一)まず、都市計画と環境基準の特定の時期までの達成の可否とは比較可能性のない事柄であることが、何故、上告人らの主張を排斥する根拠となるのか、全く理解不能である。

 そもそも、上告人らは、都市計画の実施と環境基準の達成の時期とを関連させたり、比較したりするような主張はしていない。この点においても原判決は上告人らの主張しない事項をあたかも主張があったものとして判断する違法を犯している。原判決には、このような先走りが多すぎる。

 上告人らは、都市計画と公害防止計画が、全く別個の目的を有する行政計画であることを前提として、法一三条一項本文が都市計画に対し、公害防止計画への適合性を要求している意味について、公害防止計画における大気汚染対策の目標が環境基準の達成であることに鑑み、右適合性の要求は、都市計画において、少なくとも環境基準の達成を阻害ないし悪化させないことを最小限の条件としている趣旨であると主張しているのである(控訴理由書参照)。

 すなわち、上告人らは、環境基準値が特定の時期までに達成されることを都市計画の実施の可否にかからしめる、というようなことは一切主張していないのであって、当該都市計画の実施により、大気汚染を現状より一層悪化させることが予想される場合には、公害防止計画の目標である環境基準の達成を阻害ないし悪化させるものとして、当該都市計画と公害防止計画との適合性が否定され、当該都市計画は、違法の瑕疵を帯びると主張しているのである。

  (二)控訴人の主張が右のとおりである以上、全ての都市計画が環境基準値の特定の時期までの達成に支障がないものに限られることを前提とした原判決の前記批判A、Bは、全く的外れであるとしか言いようがない。

 上告人らは、環境基準値の特定の時期までの達成の可否に関わりなく、当該都市計画が、環境基準の達成に阻害ないし悪化させないものであれば、公害防止計画との適合性を認めるべきであるが、本件各事業については、大気汚染を悪化させることは確実であって、環境基準の達成を阻害するものであると主張しているのである。

 したがって、原判決は、何の根拠もなく、上告人らの主張する公害防止計画との適合性判断基準を排斥していることになり、原判決には理由不備の違法が認められる。

 この点においても、原判決は破棄を免れない。

 

 2 原判決は、施策に着目し、環境基準の達成を無視した判断基準を提示するが、これは法一三条一項本文の解釈を誤るものであり、根拠のない独断というほかないものである。

  (一)原判決は、「ここにいう公害防止計画が、当該地域において実施されるべき公害の防止に関する施策に係る計画をさすことは明らかであるから、法は、公害防止計画に盛られた施策との間の適合性を要求していることは明らかであ」るとして、法一三条一項本文が要求する都市計画と公害防止計画との適合性の意味を、当該都市計画と公害防止計画に盛られた施策との間の適合性と解しているが、そのように解すべき何らの根拠も示していない。

 そもそも、公害防止計画は、上告理由第一点において述べたように、旧公害対策基本法に基づいて定められたものであるから、公害防止計画の構造、意味の分析にあたっては、同法の規定に即してなすべきものであろう。

 同法は、第九条一項において「政府は、大気の汚染・・・・に係る環境上の条件について、・・・・人の健康を保護し、及び生活環境を保全するうえで維持されることが望ましい基準」を定めるものとして環境基準を定義しており、同条三項において、「政府は、公害の防止に関する施策を総合的かつ有効適切に講ずることにより、第一項の基準が確保されるように努めなければならない」と規定して、公害防止に関する「施策」が「環境基準」を確保するためのものであることを明確にしている。その上で、同法第一九条は、かかる「施策に係る計画」としての「公害防止計画」を規定している。

 したがって、公害防止計画なるものは、「環境基準」と、これを確保するための「施策」とが、目的と手段の関係として、一体化されたものをいうことは明瞭である。かかる性質、構造を有する公害防止計画を捉えて、目的たる環境基準を分離して無視し、施策だけを取り出し、公害防止計画適合性とはその施策との適合性であると断ずるのは、人の躰から頭脳を切り放して胴体のみを以てこれを人体であると言うに等しく、原審の判断は極めて偏頗の謗りを免れない。

  (二)本来、行政計画においては、計画の実施により達成されるべき目標とその目標を実現するための施策とが定められるのが通常である。本件公害防止計画の大気汚染(ここでは、窒素酸化物及び浮遊粒子状物質を指すこととする。)における目標は環境基準値の達成である。右基準値を達成するためには、当然のことながら、大気汚染物質の排出量を削減しなければならず、本件公害防止計画における大気汚染に関する施策は全て大気汚染物質の排出量を削減するためのものである。

 本件公害防止計画においては、窒素酸化物の移動発生源対策として、交通量の規制、交通管制システムの整備、幹線道路の交差点の立体化、環状道路等の道路網の整備等が、浮遊粒子状物質の移動発生源対策として、黒煙規制が具体的施策として挙げられている。これらの施策は、すべて自動車という移動発生源からの大気汚染物質の排出量の削減に寄与するものでなければならず、右の具体的施策に挙げられているものであっても、実際にこれを実施した場合に、明らかに大気汚染物質の削減効果が期待できないような場合には、当然本件公害防止計画の施策としては是認されないことと考えなければならない。

 けだし、環境基準の達成=大気汚染物質排出量の削減という本件公害防止計画の目標に矛盾する本件公害防止計画上の施策というのは、自己矛盾であるからである。

 したがって、公害防止計画における施策は、環境基準の達成=大気汚染物質の削減という同計画の目標と独立しては有り得ないのである。

 これに対して、都市計画においては、公害防止計画とは別個の計画目的を有し、場合によっては、必然的に大気汚染を伴うものも都市計画として許容されることもある(都市施設たるごみ処理場等)。

 したがって、法一三条一項本文に定める都市計画の公害防止計画への適合性要求を、前述した公害防止計画における施策と同様に環境基準の達成=大気汚染物質の削減に積極的に貢献するものと考えることはできないことは、原審以来上告人らも認めてきたところである。

 しかしながら、右適合性の要求を、原判決が説示するように、公害防止計画が定めている施策との適合性に限定することもまた不当である。

 仮に、公害防止計画に定められている施策とその目的とを切り離して、公害防止計画に定められた施策と都市計画との適合性を検討することになれば、施策との適合性は認められても(例えば、原判決に従えば、環状道路の建設がこれにあたる)、当該都市計画の実施の結果、大気汚染物質の排出を増大せしめ、結果として、公害防止計画の目標(環境基準の達成=大気汚染物質の削減)を阻害ないし悪化させる(大気汚染を悪化させる)ことをも許容することになり、法が公害防止計画との適合性を要求した趣旨(公害悪化の防止)を没却する結果となってしまうことが有り得るからである。

 したがって、法が、都市計画と公害防止計画との適合性を要求した意味は、大気汚染物質については、その目的である環境基準の達成=大気汚染物質の削減との関連で捉えられなければならず、都市計画の独自性を考慮しても、少なくとも、環境基準の達成を阻害ないし悪化させないことを最小限の条件とする意味であると解釈すべきである。

 本件においても、窒素酸化物については、後述するように、原判決が判示する基準によっても、本件各事業の実施と公害防止計画に定められた施策との適合性すら認められないのであるから、本件各事業が、環境基準の達成=窒素酸化物の削減に反して、これを阻害ないし悪化させるものであることは明白である。

 また、浮遊粒子状物質については、原判決は、「浮遊粒子状物質については、その発生、拡散のメカニズムすら十分に解明されていないため、本件で問題となる移動発生源に対する具体的な施策としては、黒煙規制(特にディーゼル車に対するもの)を揚げるに止まっており、してみると、中央環状新宿線建設計画が、本件公害防止計画が定める対策を困難にし又はその実施の効果を減殺するということもできないから、右都市計画は、本件公害防止計画に適合するものというべきである」としているが、まさに、かかる乱暴な判示は、公害防止計画の目標と施策との関連を切り離したが故に帰結した誤りである。

 確かに、本件各事業たる道路建設と黒煙規制とは直接の関わりはない。しかしながら、本件公害防止計画は、浮遊粒子状物質の発生源として自動車という移動発生源を重要な要素として捉えているのであり、右黒煙規制自体、浮遊粒子状物質の排出削減を目的としたものであることは当然である。他方、現状のまま、本件各事業が実施されれば、交通量の増加により浮遊粒子状物質の排出が増大することになり、その結果、浮遊粒子状物質による大気汚染を悪化させることは明らかである(この点については、記録上、被上告人も争ってはいない。)。

 とすれば、施策との関連のみで言えば、適合性が認められるとしても、環境基準の達成=浮遊粒子条物質の削減という目的とは相反する結果になってしまうのである。

 これは、法の要求する公害防止計画との適合性の趣旨を没却することになることは誰の目にも明らかである。

 

 3 したがって、公害防止計画との適合性を要求した法の趣旨、及び都市計画と公害防止計画とは本来独立した目的をもった別個の行政計画であることを考慮するならば、上告人らが主張するように、その適合性の意味を「都市計画において、少なくとも環境基準の達成=大気汚染物質の削減を阻害ないし悪化させないことを最小限の条件としている趣旨である」と解するべきことは明らかであって、原判決は、法一三条一項本文の都市計画の公害防止計画への適合性の意味の解釈を誤っており、この点において原判決は破棄を免れない。

 

三 最後に、仮に、原判決の解釈基準に従ったとしても、原判決は、本件各事業が、公害防止計画の定める窒素酸化物対策としての施策の効果を直接減殺するか、その実施を不能もしくは著しく困難にするものか否かにつき、理由を付して判断するものではなく、この結果、公害防止計画との適合性が認められるとする点につき、理由不備の違法を犯すものである。

 

 1 本件公害防止計画における窒素酸化物削減のための施策は、交通量抑制、交通管制システムの整備、幹線道路の交差点の立体化、環状道路等の道路網の整備等を移動発生源対策として挙げている。 これに対し、原判決は、「(本件地下高速道路事業は、)首都高速道路の都心環状線を通過する交通の迂回、分散を図り、放射線を含む首都高速道路全体の効率的利用及び高速道路本来の機能を発揮させるとともに、一般環状道路からの利用転換を図ることにより周辺街路の混雑を緩和し、さらには渋谷、新宿、池袋の三副都心の育成を介して東京の多心型都市形成に資することを目的とするもので、もとより前記本件公害防止計画の窒素酸化物対策の実施を阻害したり、その実施による効果を削減するものでないばかりでなく、同対策が道路の渋滞を解消させることにより窒素酸化物の削減を図ろうとする思想と一致するものということができる」から、「本件公害防止計画に適合している」と結論づけている。

 しかしながら、原判決にはそのように判断した理由が付せられていない。

 

 2 本件公害防止計画における窒素酸化物対策の移動発生源対策が、「道路の渋滞の解消を図ることにより窒素酸化物の削減を図ろう」としていることは、原判決適示のとおりであるが、公害防止計画はこれを実現するため、前記のとおり、交通量抑制、交通管制システムの整備、幹線道路の交差点の立体化、環状道路等の道路網の整備等の施策を総合的に進めることにしているのである。

 つまり、本件公害防止計画が列挙する右各対策は、道路の渋滞を解消せしめ、もって窒素酸化物の移動発生源からの排出を削減させることを実現するためのものなのである。

 都市計画の公害防止計画への適合性判断の基準について、原判決の見解に従ったとすれば、「本件各事業が都の実施する施策の効果を直接減殺するような場合」とは、本件各事業を実行することにより、かえって道路の渋滞が促進されたり交通量が増加する結果となり、移動発生源による窒素酸化物の排出量が増加する(又はその蓋然性が高い)ことを意味することになるはずである。また同様に、「本件各事業が都の施策の実施を不能もしくは著しく困難にする」場合とは、本件各事業を実施することにより、道路の渋滞が促進されたり交通量が増加し、本件公害防止計画の施策である交通量抑制策や交通管制システムの完成等の施策の実施が不能もしくは著しく困難になり、結果として窒素酸化物の排出量が増大する(またはその蓋然性が高い)ことを意味することになるはずである。

 つまり、窒素酸化物の排出量が増大することになるか否かが、結論を導く為の主要な事実の筈である。 したがって、原判決の見解に立てば、本件各事業を実施することにより、かえって道路の渋滞が促進されて交通量が増加する結果とならないか否か、移動発生源からの窒素酸化物の排出量が増加することにならないか否か、という実質的な観点からの証拠調べと事実認定を必要不可欠とするはずである。

 しかるに、原判決は、本件各事業が実施された場合に予想される窒素酸化物の排出量の変化等、認定しなければならない事項について(これらについて、上告人らは一審以来詳細に主張立証してきたところであるにかかわらず)、一切、肯定、否定、そのどちらの意味においても、認定していないのである。

 この点につき原判決は、単に、多心型都市の形成、迂回交通の排除等といった、本件地下道路計画の抽象的外形的目的を掲げることだけによって、本件公害防止計画に定める施策を阻害したり、その効果を減殺したりするものではないとし、本件地下道路計画の本件公害防止計画への適合性を認めるという結論を導いているのである。

 つまり、原判決は、本件各事業が、公害防止計画に定める施策の効果を直接減殺するものか否か、あるいは、公害防止計画の他の施策の実施を不能ないし著しく困難にさせるものであるか否かにつき、実質的な観点、つまり結局本件各事業が窒素酸化物の排出量を減少させるのか、それとも増大させるのか、という肝心要の点について、事実認定を回避しているのである。

 これでは、原判決が自ら立てた基準にさえ従っているとは言えず、したがって、公害防止計画との適合性を判断したということはできない。

 自ら立てた判断基準を満足するのかしないのか、について、何等の事実を認定しないのは、理由不備というほかはない。

 

 3 なお、この点について、上告人らは、本件各事業の対象地域たる目黒区、渋谷区、新宿区、中野区、豊島区は、すでに都心と呼ぶべき地域であり、迂回交通の都心流入の排除という事業目的に資するものではないこと、本件各事業の実施によって見込まれる交通量の増加による窒素酸化物の排出量の増大は著しいものがあり、本件各事業によって見込まれる渋滞解消効果を最大限に見積った場合における窒素酸化物の排出量の削減効果を大きく上回るものであること、本件地下高速道路は、構造的欠陥があるため交通の渋滞を招来し、窒素酸化物の排出量の削減効果は期待できないこと等を、一、二審を通じて、詳細に主張立証してきたのである(甲七一、一審における藤原寿和の証言、一審における準備書面六の二・一三頁以下、同七・一〇乃至一二頁、同九・六九、七六頁以下、控訴理由書第二、四以下等参照)。 つまり、本件各事業が実施されれば、結局、道路の渋滞が加速され、移動発生源からの窒素酸化物の排出量が増大することは間違いのないところである。

 したがって、本件各事業は、本件公害防止計画の窒素酸化物の移動発生源対策の効果を直接減殺するか、ないしはその実現を不能又は著しく困難ならしめるものであることは明白である(同じ環状道路でも、本件各事業のように、道路の渋滞を促進するものもあれば、圏央道や外環道路のように、迂回交通の排除に実際に貢献し、施策の効果を上げるものもあることは、控訴理由書第二、四、(四)において主張したところである。)

 

 4 結 語

 以上のように、原判決は、全ての上告人との関係において、首都高速道路中央環状新宿線整備計画及び環状六号線拡幅整備計画の両者につき、公害防止計画との適合性判断において、法一三条一項各号列記以外の部分の解釈適用を誤った結果、理由不備の違法を犯すものである。

 これは判決に影響を与えること明らかな法令の違背であるから、原判決は破棄を免れない。    以 上

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