環六高速道路に対する私たちの活動
豊島区,新宿区,中野区,渋谷区,目黒区の住宅地を貫く都道環状6号線(山手通り)を現在の4車線から6車線に拡幅し,その地下に長さ10.1kmの首都高速道路中央環状新宿線を建設するという環六高速道路事業により,周辺環境は著しく悪化します.私たちは一貫してこれに反対してきました.
環境面から見たこの道路の問題点
バイパス効果をもつ地下高速道路建設にも関わらず地上道路の車線まで増加されるので通過車両,特に大型車を大量に呼び込むことにより,騒音,振動,大気汚染の被害が大きく広がります.地下高速道路からの高濃度の汚染物質を含む排気ガスは無処理のまま高さ45mの換気塔から吐き出され,そのまま地上まで降りてきます.地下鉄の数十倍の断面積をもつ世界に例のない都市部の長大な地下構造物により武蔵野台地を東西に走る地下水脈を大幅に遮断して地盤の沈下や変形が起こります.前例のない大規模な道路を住宅地を貫いて建設しようとするのですから,公害被害は深刻です。
運動の出発点
会員の多くが住む落合地域は,新宿区内では唯一の第1種低層住宅地域が広がる良好な住宅地です.その一角に25世帯130名を立ち退かせて高さ45mの路外換気所を作るというのが当初の計画でした.説明会があるというので出かけていった住民は,そこで初めて自分が立ち退かなければならないことを知らされました.全くの寝耳に水だったのです.そしてさらにその地下には構想路線の高速10号線と接続する地下インターチェンジができるのです.立ち退き住民の運動を支え,地域の環境を守るために1988年8月「落合地域地下高速道路に反対する会」を結成したのが運動の出発点でした.環境影響評価書に対する意見書のとりまとめて提出したり,署名活動を行うなどの運動を進め,地域での啓蒙のために,パンフレット「こんな道路いらない」を作りました.
東京都公害審査会への調停申請と行政訴訟
我々,地域の住民は1990年10月には東京都公害審査会へ調停を申請し,東京都と首都高速道路公団に対し公式の場で道路建設の中止を訴えました。この調停手続きは7年以上続きましたが,1998年4月,調停不成立となり終結しました.また,1991年5月には,建設大臣に対し,これらの事業の認可・承認処分の取消しを求め,行政訴訟を起こしました。訴訟は1994年4月に一審で、1995年9月には二審で住民側敗訴の判決が下され,最高裁に上告中です。
公害審査会においては1995年3月にそれまでの建設中止の主張を取り下げ,道路建設を前提とした調停案を提出し、和解の道を探りはじめました.拡幅部分に広い歩道を確保して十分な植栽を施し,強力な脱硝装置を導入して地下高速の排気ガスを完全に浄化して排気する,そしてそれにより45mの換気搭は建設しない,という骨子のものでいまよりは公害の少ない構造を目指したものとなっている.裁判の一方で和解の道を探るのは普通のことです。審査会委員や我々申請人は実質的な話し合いに入れるものと考えましたが、東京都と首都高速道路公団は、裁判を起こしているような団体とは一切の話し合いに応じられないと全面拒否の姿勢を示してきました.
当初、裁判で係争中だから一切のコメントを差し控えるといっていた被申請人側は、1995年12月になって初めて調停案の内容に対する意見を示してきました。全面的な拒否に近い内容ではありましたが、ともかくも具体的な議論が始まりました。その後約1年にわたって両当事者の言い分を聴取した公害審査会委員は、1996年10月になって調停案を示し、双方に諾否を聞いてきました。我々申請人は、要求とあまりにかけ離れた内容でしたが、委員会としての精一杯の内容であることから調停の成立を第1に考えて受諾することを決定しました。また同時に話し合いの障害となっていた訴訟についても調停成立の場合は取り下げることを通知しました。ところが、植樹帯の整備に関する条項を除いて東京都も首都高速道路公団もいろいろ理由を並べて拒絶してきました。委員会は何とか調停成立を目指して、被申請人側の主張を全面的に取り入れた調停案を次々と被申請人側に提示しました。ここにいたってなお、被申請人側は調停の受け入れを拒絶してきました。しかも今回は理由すらまともに示されていないのです。ここにいたり,ようやく委員長が私たちの意向を汲んで都や公団にかなり強い姿勢を示すようになり,被申請人側に調停の受け入れを求めるようになってきました.
調停手続きの終結
7年間にもわたる多大な努力にも関わらず被申請人側の態度は変わらず,委員会は調停成立を断念,1998年4月23日,第23回の調停をもって打ち切りとなりました.委員長は「東京都や公団の拒否の理由は明確でなく理解できない,大変遺憾に思う.被申請人は公共体であり,今後沿道住民の不安を払拭するよう最大限の努力をしていただくことを強く希望する.」と,被申請人の態度を強く批判しましたが,それなら調停受諾勧告というもっと強い対応をとることもできたはずです.委員長自ら「この調停の限界」と述べたように,行政には弱いという公害審査会の制度的欠陥が露呈した形となりました.
環六高速道路をめぐる動きに事業の経過,これまでの反対運動の動きをまとめました.
新会名「環六高速道路を考える会」
裁判や調停が終了したとはいっても私たちのよりよい環境を求める運動を終わらせる訳にはいきません.私たちは「道路に反対する会」の看板を下ろし,道路による被害を防ぐための闘いに転じることになりました.新しい会の名称「環六高速道路を考える会」の下,道路が必要だと考える人までも含めた幅広い運動を展開しようと決意を新たにしています.