第41回テーマ館「飛行機」



摩天楼の撃墜横 その2 月光の調律師 [2001/08/30 14:57:09]

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 背後から機銃が襲う。しかし、弾丸はすべて後方へ流れ、かすりさえしない。
「情けない奴め。ガッツのあるところを見せてみろ!!」
大戦当時、教官に散々吐きかけられた罵声が口を突く。空戦のさなか、思わず笑みがこぼれた。
 互いに旋回中の彼我の距離はざっと200メートル。遠すぎる。
 かつての大戦で活躍した伝説の撃墜王『赤い騎士:レッド・バロン』や、撃墜数300を超え
るような伝説的なエースパイロットたちならば話は別だ。しかし、彼らをして空中戦で200メ
ートル先を飛行する目標に命中を得ることは、あまりにも難しい。
「貴様それでも空の戦士か。貴様には空の本質が見えてない!!」
あえて記憶のなかから教官のセリフを引っ張りだす。
 ウィングは翼を振って強引に高度をとった。太陽に機体の腹を見せるように宙返りを打つ。も
たつく敵機を尻目に、あっという間に後上方の絶対優位体勢へ入る。
 カードをめくったような攻守の反転は、見事と言うほかはない。
 スピットファイヤは一転、螺旋降下から逃走を試みた。
「売った喧嘩で逃げるのか、ほんとに情けねえ奴だな」
と言いつつも、思い切りのよい逃げっぷりに賞賛の口笛を吹く。
 空戦における複葉機の優位性をあえて探せば、軽快な操縦性による旋回半径の小ささがある。
くるくると飛び回る機体には、確かに照準を合わせにくい。
 しかし、ウィングは慌てない。スロットをわずかづつ絞り、加速と高度差にのみ注意を向け、
ゆったりと旋回降下して敵機を追う。
 余裕の答えはすぐに見えてきた。
 濃い青色にきらめく、蒼茫たるマンハッタン島の海がそこにある。
「空の青さに抱かれて死ねるんだ。この幸せモンが!!」
三度、記憶のなかからセリフを引き出し大きく口元をゆがめる。
 スピットファイヤの逃走術は、当たり前のことだが空中でしか通用しない。空の終着点たる海
面が近づくにつれ、スピットファイヤの翼が微妙に揺れる。
 高度計がゼロ点を指すギリギリお高度が終結の場となった。
 眼前に迫る海面に退路を断たれたスピットファイヤは、ついに万策尽きて水平飛行に移った。
『空は誰のものでもない。あらゆるものに味方せず、あらゆるものに敵対しない』
出撃していく飛行部隊を見ながら、必ず教官が口にしたセリフだった。
(女神は俺に微笑んだ)
ためらいなくトリガーを引く。
 機銃選択は全発射。機首の二挺の13ミリ、両翼の四挺の20ミリ、合わせて六挺がすさまじ
い咆哮をあげ、スピットファイヤをずたずたに食い破った。
「スプラッシュトゥ! このマンハッタンでデカイ面なんぞできると思うな。マンハッタンは、
ニューヨークの空は、誰のものでもない!!!」
 一際高く上げられた歓声はエンジンの駆動音にも決して負けていなかった。

 コックピットでは一人の男が女神に向け、敬礼の型をとっている。
 男の名はウィンザー・ベルフォーク。かつてドイツ第三帝国で戦闘機部隊少年訓練兵として従
軍し、ただ一度の出撃もすることなく終戦を迎えた戦闘機乗りである。

 単葉の戦闘機はゆっくりと旋回し、リヴァティー島の『自由の女神』を巻いて、マンハッタン
島へ帰還していった。

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