第79回テーマ館「シュークリーム」



シュークリーム・プリーズ(1) 夢水龍乃空 [2010/11/27 13:28:46]

 特に目的があったわけではないが、丸尾は屋上へ出てみた。
 今日は天気がいい。丈夫な柵で囲われた自社ビルの屋上は、最近では珍しく社員に開放
されている。弁当をつつく社内恋愛のカップル、自前のシートの上で寝そべるオジサン、
キャッチボールしている若手社員など、なかなかの賑わいだった。
 丸尾は一つ深呼吸して、ダクトをくぐって階段ホールの裏手へ向かった。夏はエアコン
の排気が厳しくてとても近づけないが、秋も深まったこの時期なら、人もいないし音もわ
りと静かで、落ち着きたい時の穴場となっている。
 丸尾はただの息抜きでその穴場を目指していたのだが、そこを穴場と知って利用してい
る光景に出会い、戦慄を覚えた。
「それ、プロフィトール」
「フ? ホエハヒアヘ」
 相当驚いたらしく、相手の小野山は激しく咽せた。
「どういうこと?」
「あのね、これは、あの、ね?」
 笑ってごまかそうとしている。社内でも有名な美人の小野山美月(みづき)だ。男なら間
違い無く許しているだろうと、丸尾は思う。ただ、残念なことに丸尾は女だった。
「説明してもらおうかしら」
「えっと・・・」
 丸尾は小野山の隣に座り、じっと目を見詰めた。
 小野山の手元には、まだ白い箱に入った小さなシュークリームが二つばかり残ってい
た。箱のロゴを見るまでもない。それは今大人気の新作スイーツだった。ヴォートル・
ドゥー・ボヌールのプロフィトール。その名前の通り一口サイズのシュークリームで、3
0種類のクリームが自慢の商品だ。発売後あっという間に知れ渡り、丸尾も一度食べてみ
たいと狙っていた。昼休みにダッシュしても絶対買えない上に、朝焼いた分を売り切った
らもう追加しないという話は有名だ。
「お、おいしいわよ、これ」
 うろたえながらも笑顔を忘れず、小野山が箱を差し出した。明らかに懐柔作戦だと分
かっているのだが、丸尾の心は震えた。
「そ、そんなもんで、わわ、わたしは欺されないわ」
 そう言う丸尾の視線は、中のシュークリームから離れられずにいた。
「ほら、わたし家が近いでしょ? だからね、色々あるのよ、ね?」
 確かに、小野山の家は会社に近いバス停から5分程の近所にある。家もまたバス停のす
ぐ目の前だ。
「昼は実家だもんね」
「うん。お昼代が浮くから」
 昼休みになると、小野山はバスで帰宅して食事を取っている。定期代は会社が出してい
るので、何往復してもタダなのだ。
「でも、それとこれは別よね」
「うーん・・・」
 丸尾も譲らない。もし手段があるのなら、丸尾だって食べたいのだ。しかも隠れてこそ
こそ食べていたのが気になる。
「親に買ってもらってるとか?」
「無理よ。両親まだ働いてるし、お昼だって作り置きだもん」
「そうだったわね。じゃやっぱり何なのよ?」
「あー・・・」
 なぜ言い渋るのか。丸尾の疑惑は深まるばかりだった。
「店員が彼氏とか?」
「まさか。仮にそうでも無理じゃないかな。店長が厳しい人だし」
「そうよね。フランス帰りの職人気質で、苦い顔して甘いもの作るって、雑誌でも書いて
たし」
「そうそう。お客さんにもバイトの子にも、愛想一つ無いって評判よね」
「じゃあその店長を籠絡して」
「もお、バカ」
「それは無いか」
 丸尾は考えた。
 噂の一口シュークリームは、だいたい午前中には売り切れる。つまり、朝から客は来て
いるのだ。だいたいが暇な女子大生か学校にいるはずの女子高生らしい。OLは外回りの
ついでに立ち寄る人が稀にいる程度だと、雑誌のインタヴューに店員が答えていた。
「学生の妹がいるとか? 弟でもいい」
「いないよ。いてもちゃんと学校に行かせます」
「ダメか」
 小野山は箱を引っ込めようとしない。丸尾も目が離せない。早く食べないと、皮が乾い
ておいしさが半減してしまう。思わずよだれが垂れそうになった。
「美月はいつもここで食べてるわけ?」
「うん。天気悪い日は家とか」
「え、じゃ毎日?」
「あっ」
 小野山は口に手を当てて、しまったという顔をした。図星だったのだ。小野山は毎日こ
のシュークリームを食べている。
「珠莉(しゅり)ちゃん、内緒よ?」
 そう言うと、さらに箱を近づけてきた。完全に買収モードだ。負けそうなのを堪えて、
丸尾はさらに考えた。
 噂の一口シュークリームには、常連客がいる。発売日から毎日一個ずつ買って全種類制
覇した人が、雑誌の取材に答えていた。その人は既に二周目を達成するため、郊外から車
で毎日通っているという。
 他にも、母親と散歩がてらに寄る男の子、大学へ向かう前に立ち寄る女子学生、仕事に
紛れて通う生保レディー、あえて時間を合わせて来るウォーキングの主婦。人呼んでプロ
フィトール四天王。全種類制覇の常連客は尊敬を込めてレジェンドと呼ばれている。
 彼女らはほとんど開店と同時に訪れて確実に入手していく。そうでなければ午前中から
並んでも買えるとは限らない。
 男の子は母親が専業主婦のため保育園には行かず、来年からは幼稚園に通うらしい。母
親にだっこされながら、お金を出して箱を受け取る時の笑顔は店の名物になっている。
 女子学生はあえて一限目の講義を入れず、時間を作っている。試験のシーズンに朝一で
コマが入ったりしないかが、目下の心配事だそうだ。
 生保レディーは朝出社して準備をすると、必ず店が通り道になるようなコースを設定し
て車で向かう。適当な顧客がいなければコースを外れてでも店に行くという。
 主婦は二時間強のウォーキングの折り返し点に店を設定し、シュークリームを楽しみに
毎日励んでいる。
 もちろん、他にも通い詰めている客はいる。だが店員含めて全員に覚えられるほどの常
連はレジェンドと四天王だけだ。毎日通うOLの話など、どの雑誌にも載っていなかっ
た。
「店員に残してもらってるとか」
「予約は受け付けてないから」
「誰かから横取りしてるとか」
「それじゃ泥棒じゃない」
「ゴミ漁り?」
「珠莉ちゃん!」
「分かった。焼き上がった時に見つけた失敗作でしょ」
「お店に知り合いなんかいないって」
「クリームの詰めそこねたやつ」
「だからぁ」
「んもおっ!」
 丸尾は我慢できずに、シュークリームに手を伸ばした。
「おいしぃ〜」
 男っぽい性格から、小野山とは違った意味で女子社員から頼りにされる丸尾だが、自他
ともに認める甘党だった。チョコクリームの味わいにすっかりとろけていた。
「ね、おいしいよね」
 小野山が残りを食べる。丸尾は食べてしまった以上、もう追及できない。昼休みが終わ
り、謎だけが残った。

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