第40回テーマ館「三日月」



三日月より突入せよ  後編 ひろし [2001/08/06 04:00:30]

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三日月を目指して急上昇した道長孝一郎は機体を一気に下げ、ひろがる黒い海面に向かって急降
下しながら、着水すれすれで尾翼を上げた。途端、黒い波が翼にぶっつかりそうに迫ってきたの
で、渾身の力で操縦桿を押さえ、一瞬、胆を冷やしながら、やがて見事なまでに機体は道長の勘
に従って水平に保ってくれた。あとは計器だけが頼りになった。
満天の星が降り注いでいる。大気の状態は平穏で、海面に沿って飛ぶ零戦のエンジンは快調に目
的地に向かって進んでいる。乱気流に翻弄されることもなく、平和そのもので、この調子なら2
時間もあれば沖縄の上空に無事到着できるだろう。
左に桜島のシルエットが見え、遠くに人家の灯が輝いている。57年目の出撃。道長は桜島の裾
を迂回して、あくまでも海面すれすれの低空飛行を維持することにこだわった。
学徒たちの神風特攻隊の未熟な腕では沖縄に到着することもなくヘルキャットの銃弾が零戦のア
ルミの胴体に穴を開けて撃墜され、オレンジ色の火の塊となって散華して、敵艦を黒煙に包んだ
のはわずか数機に過ぎなかった。
あのヨーロッパを席巻したヒトラーの野望とは意味が違う。戦争を仕掛けたのはルーズベルトの
方だ。アメリカが不況を乗り切るために戦争を必要とした。一方、日本は石油と鉄がなければ生
きていけなかった。すべてをアメリカに依存していた日本にとっては死活問題だった。ルズベル
トにとっては願ってもないチャンス到来として映った。そして日本は戦線を拡大したままで頓挫
し、生きる道を失って、南方に資源を求めなくてはならなくなってしまった。アメリカとの戦争
は窮鼠猫を噛むの譬えのように悲壮感に満ちた涙ぐましい戦争だったといえる。
道長は当時、大学に入ったばかりで、臨時ニュースを聞いたあとの興奮は頂点に達していた。司
令官南雲中将率いる第一航空艦隊はオアフ島の海上から突入した。航空母艦は赤城、加賀、瑞
鶴、蒼龍、翔鶴の6艘。これを護る戦艦、比叡、霧島、新鋭巡洋艦、利根、筑摩、それを取り巻
く駆逐艦9艘という日本海軍総力を上げての布陣だった。そして水上偵察機が1機づつ発進し、
続いて淵田中佐指揮の下、第1波攻撃隊が飛び立った。淵田中佐のあとに48機が続く。村田電
撃隊の40機、高橋少佐指揮の急降下爆撃機51機が飛んだ。板谷指揮の制空隊、零戦43機
は、これら編隊の上空を飛んだ。
7時53分、「トラ、トラ、トラ」が淵田中佐から打電された。その様子を道長は映画館のニュ
ース映画に身を乗り出して、仲間とともに歓声を上げて見入った。
だが、ミッドウェー海戦の失敗によって戦局はアメリカ側に移り、日本は防御一方になった。ソ
ロモン、ガダルカナル、レイテと南方を飛び石伝いに攻め上ってくる米軍に、補給のきかない日
本軍は弾薬が尽き、食料もなく、密林を餓死に瀕して生きる屍となって彷徨するしかなかった。
グアム、テニアン、サイパンが落ち、ついに硫黄島も落ちて、そこから一直線に連日B−59が
東京を空襲し、火災は皇居だけを残して東京全土をなめ尽くしたが、もはや抵抗する力のない日
本軍は敵機の殺戮の蹂躙に身をさらすしかなかった。
沖縄に米軍が上陸すると、雨の神宮外苑に学徒が集結し、誰一人生きて帰る考えのない趣旨を東
条首相に披露し、取り巻く女学生の涙と万来の拍手を浴びた。神宮外苑を一巡する間も女学生の
振るハンカチが目に染みた。それを昨日のように道長の目に蘇っていた。
(生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ)
おれの戦争はまだ終わっていない。アメリカ政府を震撼されるような目覚しい戦果を上げなけれ
ば、学徒の英霊に合わす顔がない。武士らしく死にたい、というのが道長の悲願だった。
海は静かだった。このあたりだろうか。あの神雷部隊の攻撃は無残に終わり、多くの学徒が貴重
な命を失ったのは。そうだ。あの戦艦大和もこのあたりで沈んだ筈だ。大和は片道燃料のまま沖
縄に向けて海の特攻となった。アメリカ艦隊と空母機の迎撃を強硬突破して沖縄に突入を試みた
が、すでに巨艦時代は去り、大和は7発の魚雷を受け、巨大な龍の足掻きにも似た断末魔の白波
をうねらせて、虚しく九州南方の坊ノ岬沖で沈んだ。
道長は風防ガラスの中から敬礼して暗い海に黙祷を捧げた。
頭上の三日月と星の煌きの中で感覚も思考も停止していた。それは宇宙に溶け込んだような不思
議な平安に満たされた感じだった。
あれから57年の歳月が流れた。日本も変わった。道長孝一郎も葉山作太郎も水島俊幸も吉田元
男もこんな日本になるとは予想もしなかった。自分たちの時代には携帯電話もビデオもパソコン
もなかった。若者たちが当然のように享受している便宜も恩恵も存在しなかった。敗戦によっ
て焼け野原となった日本の復興を信じて今よりも働いた。寿命は短く、期待もまた控え目だった
テレビ番組、音楽、政治状況、それよりも何よりも肝心なのは、人々の価値観が変わってしまっ
たということだ。
いったい日本は、これからどんな路線をとるのだろう。日本のすぐれた文化を守り、日本映画、
和食、日本の哲学を守ってくれるだろうか。それにはかなり強い意志と、そして大きな経済的犠
牲をともなうことになるだろう。バブルが弾けて以来の高い失業率、大型倒産、社会不安、街角
にはホームレスであふれるといった典型的な景気後退現象が加速する。
そして日本には富んだ者がいて、貧しい者がいる奇妙な国になまるだろう。そして生活がこれか
らよくなると本気で考える者もいなくなるだろう。
今夜は死ぬのにもってこいの夜だ。三日月も星も大気も自分に呼吸を合わせて、美が身体の中で
休もうと言っている。武士は恥辱の中で生きるより、名誉ある死を選らぶ。日本よ、栄光あれ。
こんど生まれ変わってくるときは、日本の美しさを見せてくれ。二世よ、いや三世よ、頼むぞ。
道長は頭に浮かんだ辞世の一首を口にして詠んだ。
「夢一つ一つ桜の散りゆきて染めて迷わじ黄泉の山路は」
かって紅葉に彩られた本土の山野を上空から見て、「この美しい日本を守らなければならない。
そのために死ぬのだ」と覚悟ができたものだった。
あれから57年。国土は荒廃し、無残に削り取られた山肌や、色の変わり果てた海を見た。この
有様を英霊たちに何と報告したらいいのか。道長は暗然とし、胸のつぶれる思いがした。
鹿児島を発って2時間の飛行を終えると、前方に沖縄の島影が見えてきた。よし!
道長は羽を休めている戦闘ヘリコプターの上を一直線に通過した。さらに南に下って、キャン
プ・ハンセンの格納庫すれすれに飛んだ。兵員がばらばらと基地にあふれ出して見上げている。
零戦を知らぬ米兵は、映画でしか見たことのない第二次大戦の日本の戦闘機を見て驚愕してるこ
とだろう。
夜空のに向かって射撃の火花が激しく乱れて糸を引いた。まさか帝国海軍の奇襲部隊か?いや、
一機だけだ。
キャンプ・ハンセンを矢のように過ぎた頃、零戦の機体がぐらぐら揺すぶられた。相手の機影は
見えなかった。どこかの滑走路から飛び立ったF−15イーグル戦闘機に違いない。あの湾岸戦
争でイスラエル空軍F−15Eの活躍は目覚しく、F−15イーグル戦闘機の性能の高さは世
界に印象づけたことは道長も知っていた。それに比べて零戦は玩具のようなものだった。全身が
縮むように感じ、思わず操縦桿を倒し、急激に速度を出しながら急降下し、米軍の瀟洒な家々の
並ぶ屋根すれすれを旋回した。さあ、撃ってみろ!
F−15イーグル戦闘機が空気を裂きながら上空を左右に交差して行き過ぎた。目指すは辺野古
弾薬庫だった。
道長は米軍の家々を盾にして機銃を避け、零戦の小回りを巧みに操って執拗に旋回を繰り返し
た。
そこで時間をとられて、急いで高度計を見ると、針はゼロに近づいている。
しまった!
あと15分か20分しか飛べないことを示す赤いランプの警告に愕然となった。
もはやこれまでか。道長は機首を垂直に上げた。酸素が尽きるまで、三日月を目指して上昇し
た。意識が薄れ、目がかすんだ。F−15イーグル戦闘機が機体を波のように揺すぶる。
三日月を眼窩に入れてから、機首を反転し、乱高下しながら急降下した。眼下の格納庫がどんど
ん拡大していく。道長の神風特攻だった。彼は風防ガラスの中から「トラ、トラ、トラ」と絶叫
した。
ミサイルが零戦を火だるまに変えた。その光景を沖縄の何人かが目撃したが、それが零戦だとは
誰も気づかず、無数の疑問が心に渦巻いていたが、隕石以外に答えの出しようがなかった。
オレンジ色の火の玉は輝くような美しさを見せて、空中に薄れて消えると、やがて満天に星が輝
き、世界は静寂に包まれて、まるで時間が停止したかのようだった。三日月だけが中天で悲しそ
うに漂っていた。
米軍はこの事実をひた隠しに隠し、日本政府には一切伝えなかった。米上層部では日本人が見か
けどおりではないという感覚に襲われ、内心に高まる恐怖を反映してか、どの兵士の呼吸も荒れ
ていた。

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