『テーマ館』 第29回テーマ「死にたくない」


自室と階段 投稿者:はなぶさ  投稿日:09月04日(土)10時47分34秒

      
      夜ふと死にたいと思った。しかし、続いてほぼ同時に死にたくな
      いとも思った。ベッドの上で頭を抱えて、やがて訪れる眠りを待
      った。ラジオから英語まじりのお喋りが頭に響くので、スイッチ
      をオフにした。頭の後ろから首筋がしびれるように痛い。

      突然電話が鳴った。反射的に受話器に手を伸ばして、握ったとこ
      ろで動きは停止した。あいつからの電話だと思うと、それ以上は
      動けなかった。あいつは私に死について考えるきっかけをくれた。
      私の過去をすべて調べ尽くし私に提示するだけで、簡単に死につ
      いて考えるようになった。

      私は子供のころから盗癖があり、中学二年ころ近くの本屋から万
      引きをして主人に見つかり、店の裏に連れて行かれたこともある。
      その時に初めて人を傷つけた。その本屋はその後休業し、しばら
      くしたら無くなっていた。その時の私は自分の力の大きさに興奮
      したものだった。

      人を脅すことが一番簡単な方法だと気づいたのは、高校に入った
      ころだった。追い込まずに脅す技術はそのころ養った。薬の入手
      についても覚えたから、それを使って多くの人を手懐けたりもし
      た。特に高校三年になったら銀行の女を金づるにすることが出来
      たので就職することは全く考えなかった。その女を殺した時にも
      次の女の子とだけを考えていた。

      一度でも自分の死について考えたことは無かった。殺されるかも
      知れないとは思ったが、死ぬわけが無いと思っていた。それがど
      うだろうか。一瞬で死にたくなったのだから、あいつの腕はたい
      したものだ。自分のしたことをただ目の前に提示され、一人一人
      の苦しみを説明するだけで私の心は崩壊した。

      今では私の心が自分であると言えるが、それまでは自分は誰でも
      なかったのだ。心はどこかで眠っていた。今、その心は時折死に
      たいという衝動を連れて来る。その心は死について考えることを
      私に強要するかのように。心は自発的な死を望んでいる。消えて
      なくなれば私は幸せになれると言うように。

      私は死にたくない。体は死の階段を登りはじめて、屋上に達する
      まで止められそうも無いが、死にたくない。気づかなければ良か
      ったのかも知れない。そして、突然誰かに殺されていたら良かっ
      たのかも知れない。その罪を告発されていたら良かったのかも知
      れない。それだったら分裂した気持ちで死んでいくこともなかっ
      たのに。

「夢と夕日」