『テーマ館』 第29回テーマ「死にたくない」


眩暈(第1幕) 投稿者:とむ  投稿日:09月13日(月)01時54分12秒
            

                                         第1幕

                               ひとつめのプロローグ

       「寒いな」
       私は口に出してそう呟いた。
       ビルの屋上。
       私の頬を切りつけるように勢い良く吹きつける冷たい風。
       屋上の端にゆっくりと歩み寄ると、眼下に町並みが見えた。
       ここはこの町で一番高い場所。
       (こんな町にいたんだ)
       本当に、ちっぽけな町。
       でもこの町は私の全てだった。
       ここが私の住んでいた世界の全てだったのだ。
       ということは、その中に居た自分はどうだったのだろう。
       私の存在。私自身。
       私は私であることが嫌だった。
       私は私でありたくなかった。
       常に変わることを望み、変わろうとした。
       憧憬・・・変身・・・絶望・・・敵意・・・抹殺。

       ふと、曇り空を見上げる。
       その時、眩暈が私を襲った。
       クラクラと頭の中が揺れ、同時に身体も揺れた。
       そして私は、今自分が望んだ世界へと吸い込まれていった。
       自由落下───そう、私は、落ちた。


                                    第1幕 嘘

                                         ※

       小さな町の小さな病院に少女が運ばれてきた。
       近所に住む青年が、ちょうど向かい側に建てられているビルの下で
      倒れている少女を見つけ、ここまで運んで来たのだった。
       少女は頭部から多量に血を流してはいたが、まだ息はあった。
       この病院の医院長はすぐに応急手当てに取りかかった。どうあれ、
      今ここで手術などできない。
       少女の身にまとっている制服は彼の知っている高校のものだった。
      胸の所には「神山真紀」というネームプレートが付いていた。
       医院長はとにかく施設の整ったちゃんとした病院へ移すことが最優
      先と考え、その場に残っていた青年に救急車を電話で呼ぶよう指示し
      た。
       「神山さんといえば裏通りのあの神山さんかな」
       妻にそう聞くと「そうね」といういらえがあった。
       「そうか・・・じゃあすぐに連絡してくれ」
       医院長は妻にそう言って少女の腕をつかんだ。
       その時、少女の身体がぴくりと一瞬だけ震えた。

                                 ※       ※

      『私はひとりっこだった。
       そのせいか、両親は私を眼に入れても痛くないというくらいに可愛
      がってくれた。
       ごく普通の家庭。世間から見ると、わりと裕福な家庭であったのか
      もしれない。
       朝、早く目が覚めた時にはママの朝食の用意を手伝ったりした。
       あくびをしながら鍋を濯いでいると、横でママがネギを切り刻みな
      がら言った。
       「学校で居眠りしちゃうんじゃないの?」
       「大丈夫よぉ」
       ふたり、顔を見合わせて笑った。
       朝食の支度が終わるタイミングを見計らっていたかのようにパパが
      寝室から出てきた。パパはテーブルに来るまでに2回大きく口を開け
      てあくびをした。
       ママは呆れたように呟いた。
       「親子よねぇ」
       今度は3人で笑った。』

                                 ※   ※   ※

       ・・・そ・・・・・・・・・そう・・・・・・・

       (あっ)
       私は急に軽い眩暈に襲われた。
       「どうした」「体調悪いの?」
       両親がテーブルに座る私の顔をのぞきこむ。
       私は頭がちょっとだけ痛かったけれども、笑顔を見せる。
       でも、両親は困った顔をした。

                                 ※       ※

      『私たちは図書館で調べものをしていた。
       次の時間にある歴史の宿題だった。
       親友の由加里が図書館の入口から顔だけ出してきょろきょろと誰か
      を捜している風だった。
       私の顔を見つけると、笑顔を見せながら近づいてきた。
       「ねぇねぇ、歴史の宿題やってきた?」
       由加里は声をひそめながら訊いてきた。
       「やってきたよ。あったり前じゃん」
       私はそう言って机の上に広げていた歴史のノートを見せた。
       それを見て由加里は眉尻を上げ、ぴくぴくさせていた。
       「あんた、な〜にが『やってきた』よ。今やったんじゃん」
       「あはは、まぁまぁ落ち着きたまえ」
       私は笑いながら由加里をなだめた。
       「そう言う由加里も忘れたんでしょ?」
       由加里は、ふんっと鼻を鳴らして私のノートを手に取った。
       「見せてね」
       「どうぞ御自由に」
       そう言ってふたりで顔を見合せ、破顔した。』

                                 ※   ※   ※

       ・そ・そう・うそう・・そ・そうそ・・う・・そ

       また眩暈だ。
       朝から体調がおかしいとは思ったが、原因は良く分からない。
       笑い声が聞こえた。
       私も笑おうと思った。
       でも、図書館で笑うのは趣味ではない。

                                 ※       ※

      『学校の帰りに裕司と喫茶店に寄り道をした。
       店員がコーヒーを運んできた。
       「砂糖何杯?」「1杯でいい。君は?」「いい」
       私はスプーンに粉砂糖を1杯ずつ盛って入れた。
       「夏休みにさ、どこかに行かないか?」
       「そうだね。ディズニーランドとかまだ行ったことないし・・・」
       そこで彼は少し間を置いてから、こう言った。
       「泊まりでさ」
       私はきょとんとして彼を見つめた。彼の口から発せられた言葉の意
      味を理解するのに長い時間を要した。
       「考えといてね」
       裕司はそう言ってにっこりと微笑んだ。
       私は慌てて周囲を見回し、声をひそめた。
       「誰かに聞こえたらどうするの?」
       裕司は声を上げて笑った。
       「いいじゃないか、それに・・・」
       彼の視線が横にずれた。』

                                 ※   ※   ※

       うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそ

       まただ。
       眩暈がまた私を襲った。
       ちょっと胸が苦しくなってきた。   
        「大丈夫か?」
       裕司が心配げにこちらを見た。
       私は笑って彼に心配をかけないようにしようと思った。
       彼の困った顔など見たくないのに───。

                                         ※

       少女の身体が一瞬震えた。
       その時、医院長は見た。
       少女は微笑んだのだった。
       医院長は少女の両腕を取って胸元にそっと置いた。
       「連絡して来ました」
       妻が戻ってきた。
       医院長は大きく首を振って少女がたった今息を引き取ったことを告
      げた。
       そして、ぼそっと呟いた。
       「いい笑顔を見たな」


                                ひとつめのエピローグ

       (どうしてこれがここにあるの?)
       自分の机の引き出しに自分のものではない日記帳があった。
       最近の箇所と思われる記述を読んでみた。そこに・・・
       母と父と私がいた。友人と私がいた。恋人と私がいた。
       明らかにそこにいるのは私だった。
       (全部私だ・・・でも)
       欠けている・・・まやかしだ。
       ふと、眩暈がした。
       ぱたりと日記帳を閉じる。
       (「どうしたら笑えるの?」)
       昔、1度だけ彼女にそう訊かれたことがある。
       笑わない彼女。世間から、そして親からもそう思われていた。
       が、実際は違う。彼女はいつも笑っていた。
       でもそれは端から見ると引きつらせた顔にしか見えなかった。
       だから、彼女は自然と無口になった。そして───病んだ。
       ふと、日記帳に目を落とす。
       明らかに彼女が書いたもの。彼女の筆跡。
       だが本来のあるべき形がここにはない。いびつで破綻している。
       彼女自身が私であったかのような文章。私に憧れていた?
       (彼女は・・・神山真紀になりたかったのだろうか)
       そう考えてしまうのは私のエゴか。
       私という存在がある限り、彼女は私になれない
       彼女は私ではないのだから。−−−あぁ、それを悟ったのか。
       だから彼女は私の姿で飛んだ。私のネームプレートを付けて。
       そして私を殺した。
       その代償に自分が生まれ変わるとでも考えたのか。
       どんな安寧をそこに見い出すつもりだったのだろう。
       (でも・・・)
       彼女の笑顔は私には見えていたのに・・・
       彼女の笑顔を”笑顔”として誰も見ることができなくても、私だ
      けには見えていたのに。
       それだけ、彼女に伝えたかった。
       「姉さん・・・」
       涙がぽとりと日記帳の上に、落ちた。

            (to be continued……)