第55回テーマ館「夢」



土蔵破り    −銀次捕物帖ー GO [2004/11/14 14:04:11]


(1)
 小伝馬町の牢屋敷は板塀に囲まれて、囚人は畳一畳に二十人も詰め込まれているので、
夏は息が詰まるほど蒸し暑く、また冬は火の気がないので氷室の中にいるようで、それに
寄ってたかって殺されたり拷問によって死んだりする者もいて、虚弱な肉体の者には年を
越すことなど、まずおぼつかなかった。

 この小伝馬町の牢屋敷の三万坪が日本橋のど真ん中に位置して、毎日のように首を斬る
役人の刀が振り下ろされるのが丸見えだった。
 死刑囚は面紙をあてがわれて数人の男に身体を押さえつけられ、掘られた穴に前屈みな
っているのを役人が狙いすまして刀を振り下ろすのだ。斬られた首が掘られた土の穴にど
すんと落ちて転がると、首筋から血しぶきが高く噴き上がる。とても芝居では得られぬ驚
きに見物人は声もなく身を縮める。そのあとは獄門台に晒されるのである。

 霞の源兵衛の首がまだつながったままでいるのは理由があった。土蔵破りの大盗人では
あったが、ともに腕を競うように商家の土蔵を荒らしまわっている対手の不知火の蜘蛛が
いまだに捕まっていないからであった。

 その不知火の蜘蛛を見知っているのは霞の源兵衛ただ一人で、その源兵衛の口から聞い
た話では、不知火の蜘蛛は、まるで屋根から屋根へ飛び移るムササビのようで、男か女
か、見分けがつかなかったという。役人たちも不知火の蜘蛛を知らないので、源兵衛の話
を形のない影のように聞くだけで、どうにも怪しい話としか思えながったが、ただ黙って
頷くほかはなかった。
 この源兵衛を処刑にすれば、たちまち不知火の盗人天下になることは明白で、それで石
を抱かせて拷問にかけるわけにもいかず、役人たちは随分と苦悩した。

 そこへ南町奉行の青木伊右衛門がぶらりとやってきたのは、暮れの押し迫った師走のこ
とであった。まだ若い剃り跡の初々しい奉行で、兄の高右衛門が剣術の同輩の篝陣十郎に
斬られて死に、そのあとを受け継いだのが次男坊の伊右衛門だった。本来ならば仇討ちを
終えなければお家再興は叶わぬのだが、殿の特別の計らいを得て、仇討ちもせずに家は安
泰を保てた。いまは南町奉行である。兄の仇である篝陣十郎は藩を逐電して、いまだに所
在は掴めぬままであった。

 その青木伊右衛門が紀州徳川家から南町奉行に推挙されたのは由比正雪の乱の翌年のこ
とで、その重責を担っての青木伊右衛門の意気込みに老中たちの期待もまた大きなものが
あった。いまだに由比正雪の残党が紀州の根来寺の元雑賀党の一向門徒と結びついている
という噂があったからである。

 かって豊臣秀吉によって攻め滅ぼされ、華麗な大塔伽藍のことごとくが焼き払われた恨
みのこもった根来寺である。それだけに忍者たちの叛意の気配があるらしかった。その忍
者らに江戸に入られては、それこそ幕府にとって、またもや由比正雪の乱のような騒乱の
元となる。そこで紀伊大納言頼宣の推挙で青木伊右衛門が南町奉行に推挙されたという次
第である。

 その青木伊右衛門が深編笠を取ったので、その来訪者の顔を見て役人たちの血がたちま
ち凍った。何しろ雲上の人とあっては、ただもう平伏して震えているよりしかたがなかっ
た。
「なに忍びじゃ。遠慮するでない」
 与力筆頭の島崎次郎兵はいつもの大鼻を真っ赤にして下卑た笑いを浮かべながら、自ら
茶を運んできた。青木伊右衛門は額に陰鬱な皺を刻んで囲炉裏の火に手を揉んでいる。

「不知火の蜘蛛を捕らえるには、霞の源兵衛を解き放ってはどうか?」苦痛の呻きを上げ
るように苦味走った顔で島崎の耳に囁いた。「老中たちも気をもんでおられての。南北両
奉行ともどもお叱りをこうむったところじゃ。こうなっては不知火の蜘蛛も霞の源兵衛
も、ともども年を越させるわけにはいかぬ」
 与力筆頭の島崎次郎兵は戸惑いながらもお奉行の言葉に恐縮して、この寒いのに頭を上
げられずに鼻の頭に汗を滴らせていた。

「まことにごもっともでございます。やつには固く口止めさせて解き放ちましょう。あと
はわれらの手で引っ捕らえるまででございます」と悲痛な声で叫んだのは霞の源兵衛を捕
らえた日のことが頭に浮かんだからだった。
 やつの女は深川佐賀町で常磐津の師匠をしていて、両国の花火をこれ見よがしに二階か
ら見物している二人の寄り添った姿を目明しの銀次が見つけて知らせてきたからだ。

 霞の源兵衛は人に見られるのを、むしろ自慢げにしていたので、大抵の者は彼を見知っ
ていた。しかも貧乏長屋に小判をばら蒔いたこともあったりして、誰もが花火見物よりも
義賊のような霞の源兵衛と常磐津の師匠の寄り添った姿に見惚れたものだった。
 だが、盗まれた大店の主人にとっては大災難である。店の丁稚を走らせて貧乏長屋をあ
たらせては、銭をばら蒔いては行き先を尋ね回った。結果、深川佐賀町の常磐津の師匠宅
にいるところまでは聞きつけた。あとは役人の仕事で、銀次は昼夜を問わずねばった。そ
して両国の花火見物の夜に捕り方の御用提灯がびっしり囲んだというわけである。

 そのときの源兵衛の神妙な態度に役人たちまでが感動させられた。というのは何と意外
にも源兵衛はすでに覚悟していて、「こうしてお縄になるのも何かの因縁でございましょ
う。決してお手向かいは致しませぬ。どうぞ如何様にもお引き回しくださいませ」と自ら
両手首を差し出したので、さすがに霞と名乗るだけのことはあると島崎次郎兵をはじめ、
役人たちまでが一様に感服とたものだった。

 ところが霞の源兵衛が捕まると、とたんに不知火の蜘蛛は近江屋、大和屋などの土蔵か
ら千両箱の三つ四つを好き勝手に運び出すようになったから、奉行所は仰天して腰を抜か
してしまった。もしや霞の源兵衛はそれを見込んでお縄にかかったのではないかと疑いた
くなるほどの手並みのよさで、あるいは不知火の蜘蛛と霞の源兵衛は裏でつながっている
やも知れぬと思われるほど役人の裏をあざやかにかいて見せたのである。

 というわけで、南町奉行の青木伊右衛門は屈辱ながらも霞の源兵衛の罪を軽減すること
を条件に解き放ちを命じることにしたのである。しかし、それは方便で、運よく不知火の
蜘蛛が捕まれば、遠島どころか霞の源兵衛も不知火の蜘蛛も処刑に処して獄門台に首を並
べなければ、江戸の庶民の笑いではすまされず、由比正雪の残党が蔓延り、果ては江戸幕
府の崩壊にも繋ぎかねず、南町奉行の威信は地に落ちたも同然だったからである。

 そんなことは露知らず、島崎次郎兵の太い眉が霞の源兵衛の耳元に近寄り、「この年の
瀬までに不知火の蜘蛛を見つけて知らせよ。さすれば罪を減じて娑婆に帰そう。決して常
磐津の師匠であるお栄にも他言は無用だぞ」と相変わらず酒と女で身をもちくずしたやつ
れ顔でそっと囁いたのだ。

 霞の源兵衛は病死人を運び出す戸板に乗せられて何の疑いもなく木戸番の開けてくれた
不浄の裏木戸から、まんまと堅固な小伝馬町の牢屋敷から出されたのである。行き先は役
人も承知の深川佐賀町の常磐津の師匠、お栄の宅であろう、と役人たちは何の疑いもなく
信じたのである。

(2)
銀次の子分の小平は四六時中、常磐津の師匠宅を見張っていた。商家の若旦那衆が出た
り入ったりするのを眺め続けるのは苦痛なものである。
 親分の銀次は指折りの捕物名人で、その名もまた江戸庶民に知られており、果たして霞
の源兵衛や不知火の蜘蛛をお縄にできるかどうかが、もっぱらの話題になっていた。

 あの霞の源兵衛とお栄が両国の花火見物をしているのを見つけたのも銀次であったか
ら、寄ると触ると、せっかく霞の源兵衛をお縄にしておきながら、まんまと小伝馬町の牢
から解き放たれた銀次の落胆ぶりを酒の肴にして大いに盛り上がった。
「役人もだらしがねえな」と庶民はせせら笑った。
「どうせ役人らは霞の源兵衛の口車に乗せられて牢から出されたのだろうよ。銀次親分も
気の毒になあ」

 あれほど内密にされていたはずの霞の減兵衛が解き放ちになったことは江戸の貧乏長屋
の者にとっては町奉行所をはばかりながらも、その霞の源兵衛に拍手喝采したくなるほど
満面を緩ませた。

 肝心の銀次にとっては穏かではなかった。彼はすがすがしいまでに眉目が整い、双眸が
澄み、鼻梁や唇のかたちなどは役者を唸らせるほどの美男ぶりだった。しかも腕も確かな
ら、江戸の庶民にも人気があった。面倒見もよかった。小平を子分にしたのは呉服屋の丁
稚が勤まらず、いまさら多摩の水飲み百姓に帰すわけにもいかなかったので、やむなく子
分にしてみたが、深川の佐賀町にある常磐津の師匠宅に近い剣術の道場に通わせてみたが
物にならず、ただ取柄といえば足が韋駄天のように速かった。誰もがすっ飛びの小平と呼
んで囃した。

 何しろ銀次は役者のような顔つきだから、惚れる町娘は多く、その中でも器量よしのお
袖という水際立った商家の娘が女房同然に居着いてしまってからも、相変わらず銀次を通
りで見つけると、たちまち町娘が集まってくる。銀次の評判は少しも落ちなかった。

 この日本橋は畿内から下ってくる酒、醤油、酢、瀬戸物、呉服などの問屋が建ち並んで
いて、外濠の流れは常盤橋から呉服橋へ、そして日本橋をくぐって、隅田川の河口あたり
で江戸湾に注ぎ込む。
 江戸の街道は五つある。東海道、中仙道、日光街道、奥州街道、甲州街道のすべてが日
本橋からで、いわゆる五十三次もここからである。また日本橋は初富士を拝む最高の場所
でもあり、江戸城に敬意を表す場所でもあった。

 日本橋は八丁堀が近いので奉行所の与力や同心の屋敷も多かった。
 が、近年は何といっても上方から出店してきた新興の商家が圧倒的に軒を占めており、
いわば江戸消費経済の中心地といった感があった。

 町衆の頼りは銀次親分と仰いで、決しておろそかに扱わない。銀次が通ると、いつもの
ように店から飛び出してきて挨拶をすることを忘れなかった。
「親分、霞の源兵衛をそのままにしていてよいのでございますか?」と商家の主人までが
通りに出てきて心配顔で訊ねたりする。
「これもお上のなさることで、岡っ引の分際じゃ口出しできねえんでござんすよ。きっと
お上にお考えがあってのことで、ご心配にゃいりやせんや。それより火の用心が大事でご
ざんすよ」

「ごもっともで」商家の主人は頭を下げ続けた。「親分だけが頼りでございます」
 何しろ銀次は八丁堀の役人のように欲と道連れの商家の厭がる態度がなく、決して銭の
包みをほところに入れない清廉潔白なところがあって、商家の主人は銀次を一目も二目も
置いていた。
 銀次は日本橋筋から分かれて、永代橋を渡った。深川である。

 深川は木場である。火事が頻繁に起こったので、その火事後の復興の木材需要のために
深川が木場となった。その木場の四方に土手が築かれ、掘割の十箇所に橋が架けられてい
る。渡ってきた永代橋もその一つだった。
 足を入れると、材木置場らしく、木場一帯が商家の寮で軒を並べていて、なるほど風光
明媚な水郷の景観である。いま渡ってきた永代橋も、歌舞伎でお馴染みの『お嬢吉三』の
台詞通り、「月も朧に白魚の、かがりも霞む春の空……」が浮かぶほど景観のよい橋であ
る。

 深川の佐賀町あたりも商家の寮がひしめいていて、ここまでくると、銀次はやおら足を
止めて、一際目立つ常磐津の師匠宅を眺めて立ち尽くした。相変わらず、金と暇を持て余
した道楽の若旦那衆が出入りしているので、ほんとうにこの宅に霞の源兵衛がいるのだろ
うか、と疑いたくなるほどの人の出入りが頻繁だった。

 どこかで見張りの小平があたりで目を光らせているに違いないので、銀次は近くの稲荷
神社の湯茶と団子と書かれたよしず張りの気心の知れた茶店に入った。
 見ると茶巾の俳諧師らしい格好の先客が一人いて、背中を向けて煙管をくゆらせてい
る。銀次はその背中に自分の背中を合わせるようにして腰を下ろした。

「これはこれは親分さん、よく立ち寄ってくださいました」と鼻水をすすって婆さんが茶
を出した。
「どうだい、商いは?」
「へえ、お陰さまで、この通りでございますよ」
「そりゃ結構だ。団子でももらおうか」
「しばらくお待ちくださいませ」

 その間、よしず張りから常磐津の師匠宅を眺める。女らしい艶っぽい宅で、入り口の格
子戸まで青々とした植木でいっぱいである。小娘がときどき出てきては桶の水を杓で掬っ
て植木や石畳に水を撒く。銀次は常磐津の師匠宅に入ったことはないが、宅の中はおよそ
想像がついた。雅な色合いが目に浮かぶのだ。師匠の素性は知らないが、おそらく京あた
りから流れてきたような風情が感じられた。

 それにしても豪勢なたたずまいだ。もしかしたら大店の旦那衆が後ろ盾になっているの
かも知れず、師匠の面倒を見る者がいなければ、とても女の身でこれほどの暮らしができ
るわけがない。
 銀次は茶をすすりながら、霞の源兵衛が狙う土蔵も案外こんなところから大店の内情を
仕入れているやも知れぬと思えた。

 やっと婆さんが三つ串の団子を皿に入れて運んできたので、「これはうまそうだ」と一
串を握って歯で噛み、串を引いた。いつもの婆さんの味である。
「うまい!」
「へえ、ありがとう存じます」と婆さんは土瓶の茶を湯呑に注ぎ足してから、歯のない口
を開けて嬉しそうに笑った。「見よう見真似の婆の味でございますよ」

 断固を食い終わって茶を飲み、煙管取り出して、小鉢の火に近づけた。しばらく煙の輪
を二つ三つ吐いて、吸殻の火を火鉢に叩こうとしたとき、深編笠の黒い着流しの武士が入
っていったので、おやっ? と身を固くした。
 武士の着物は無紋で、しかも身のこなしに優雅さがあったから、よけい怪しかった。若
旦那の道楽ならわかるが、武士の尋ねるところではない。一体、あのお侍は何者なのか?

「すみませぬが、煙管の火を頂戴できませんか?」と背中の俳諧師らしい茶巾の男が声を
かけてきた。
「ああ、よござんすよ」とまだ火鉢に叩かずにいる煙管の火を背中の男に差し出した。
「ありがとうございます」と言って煙管を返し、「まったく気楽な稼業でございますな」
と煙の輪を一つ吐いて言った。

「あの常磐津の師匠のことでござんすかね?」
「そうでございますよ」と振り向いたので、銀次は信じがたいものを見た常で、衝撃の波
が一瞬遅れてやってきた。
「てめえは霞の源兵衛じゃねえか!」と思わず立ち上がった。
「へえ、あの節はいろいろお世話になりました」と源兵衛は唇の端に厭味な笑いを浮かべ
て、煙管をくわえたままでぺこりと頭を下げた。

(3)
 銀次は不意打ちを食らったように息が詰まった。しばらく呆然と霞の源兵衛を凝視して
いたが、ようやく立ち直って、「一体、ここで何をやっているんでえ?」と皮肉っぽく鼻
を鳴らした。
「へえ、ご覧の通り、何もすることがございませんので、句の一つでもひねろうかと思っ
ているところでございますよ」と、いかにも遠いところを見るような素振りをした。

 この当時の俳諧は江戸庶民にとっては代表的な文学で、前衛的な要素もあり、時には藩
幕府的な句も数々あった。
「句だと? 大盗人のてめえに句が詠めるのかい? 笑わせるんじゃねえぜ」と銀次は語気
を荒げた。せっかくお縄にした大盗人が小伝馬町の牢から解き放ちになったのを江戸の庶
民があざ笑っているのを知っているので、ついむらむらと怒りが湧いてきた。

 こんな大盗人に、あの磐石な小伝馬町の牢から解き放ったお上の真意がどうしても銀次
には解せなかった。いやいやお上の方こそどうかしていると思えたからだ。
「そうおっしゃいますがね、親分さん。このあっしは解き放ちの身でございますよ。たと
え親分さんといえども手出だしはできやしませんのでね」と霞の源兵衛はさりげなく銀次
の疑いを邪魔されたくないように視線を宙に泳がし、吸った煙管から煙の輪をぽかりと吐
いて見せた。

「くそっ! そんなこはわかってらあな」それにしても、そのなりで俳諧師きどりか?」と
霞の源兵衛の態度が歯噛みしたいほど小憎らしかった。お上のご処置もさることながら、
この源兵衛の横柄さに、銀次は口をきいているだけでも癪に障った。
「ええ、まあ、そんなところでございますな」と源兵衛は相変わらず悠然たる態度で火鉢
に煙管を叩いて煙管差しに収めると、茶巾の位置が定まらないのか手でいじった。
 にわか俳諧師もざまあねえや。

「ま、そのうち、てめえの盗人ぶりをとくと見物させてもらうから、覚悟しておけよ!
婆さん、銭はここに置くぜ」と腰掛の上に七文銭を転がした。かけそば一杯が十六文だっ
たから、ずいぶんと安かった。
 あとは物陰の小平に辛抱して見張ってもらわなくちゃなるめえ、と足下に唾を吐いて立
ち去った。

 目明しの銀次が去ると、霞の源兵衛はひとり手持ちぶたさになってしまい、火箸で火鉢
の火を掻いては息を吹きかけてみたりする。
 源兵衛が迷いに迷っているのは、不知火の蜘蛛の居所がまだつかめないからだった。盗
人稼業では負けぬつもりでいても、不知火の蜘蛛を見つけなくては、また小伝馬町へ逆戻
りになる。

 あの小伝馬町の牢はひどすぎた。もう二度と入るところではない。やっと牢から解き放
ちになったときは夢のようで、伸び放題の髭と垢の積もった身体で厚化粧の夜鷹の老いた
皺肌にむしゃぶりついたものだった。
 暮れいっぱいが娑婆の空気を吸う見納めにならないためにも、早く不知火の蜘蛛を見つ
けなければ獄門台が待っている。さて、どうすべきか。ともかくどこかの土蔵を破って不
知火の蜘蛛を誘い出さなくてはならない。不知火の蜘蛛の顔を見たわけではないが、やつ
の手癖は知っている。きっと張り合うために姿を現すだろう。

 今夜あたりは雪が降りそうだから、やつも暮れのたんまり積まれた千両箱の山に狙いを
絞っているはずだ。
 よし江戸一番の越後屋なら不知火の蜘蛛も現れるだろうから、早速に盗人装束をして、
やつの尻尾を掴んでやろう。今夜こそ勝負だ、と霞の源兵衛は、さる筋から商家の鍵屋の
鍵を仕入れていたので、そう腹を決めると、まだ入ったことのない常磐津の師匠宅を虚し
くながめて立ち上がった。
 あの両国の花火見物は、とんだ猿芝居であっただけに、思い出すだけでも気分が悪く、
見上げる見物人の見惚れた姿に惨めさが募り、なんとも居心地の悪い思いをしたものだっ
た。

 一方、銀次も今夜あたり霞の源兵衛が動き出すはずだと睨んでいた。夜中に雪になれ
ば、取り方たちは足をしられて動けなくなるので、霞の源兵衛も不知火の蜘蛛も、これを
好機と千両箱の高く積まれた大店の土蔵から千両、二千両と持ち出すに違いない。
 銀次は与力筆頭の島崎次郎兵の行きつけである深川の鈴乃屋へ走った。

 二階に上がると、島崎は四十近い骨太の怪異な風体で、じろりと銀次を睨みつけては両
手に女を抱いてかなり酔っていた。酒を飲んでいても刀の冴えは衰えることがなく、与力
随一の剣の達人で、酔うと刀を抜く癖がある。女たちを追い回してはお気に入りをものに
するのが与力の特権とでもいうような態度だから、逃げ惑う女たちには虫酸が走るほど厭
な客で、いくら銀次に助けを求められても、相手が与力とあっては、どうにも手のだしよ
うがない。

「なんだ、銀次か?」と怠惰な口調で訊いた。「なにか用か?」
「へえ、今夜あたり不知火の蜘蛛が出そうな気がしますんで、ぜひお出ましを願いとう存
じます」
「ふん」と盃を不快にあおってから、「ほんとうにそうか?」と赤鬼のように赤らんだ酔
いの大鼻をひくつかせて朦朧と目を細めた。
「へえ、今宵は雪になりそうなので、まず間違いございません」

「そうか」と言って、女の襟に手を滑り込ませる。なんとも気のない返事だ。どうやら酒
をまずくしたらしく、しばらく女と興じてから、「わかった。その時刻には腰を上げる」
と冷淡に突き放した。下がれと言わんばかりに太い眉を逆立てて目を怒らせる。酒の座を
乱されたのがよほど気に入らないらしく、あとは無視するように女と戯れるばかりであ
る。
「承知しやした」と銀次は何とも腹に据えかねる気持ちで階段を降りた。外に出てやれや
れと白い溜息をついたが、すぐに気を取り直して家路に急いだ。

 銀次の長屋は神田両国浜町の奥にあって、浅草寺も、吉原も、市村座や中村座にも近
い。いつも人の往来が絶えない。その奥まったところに銀次の長屋横丁がある。
 まだ日暮れたばかりで、低い雪雲の間から、ときたま星のきらめきが認められたが、も
うすでに風花の雪片が風に散っているので、今夜の捕物は雪であることを覚悟しなくては
なるまい。永代橋を渡る足下は水嵩が増し、流れる波頭が白く砕けている。

 出張るのはまだ早かったから、ともかく腹ごしらえだけはしておきたかった。おっつけ
常磐津の師匠宅を見張っていた小平も戻ってくるだろう。銀次は空っ風に吹き払われるよ
うにして神田両国浜町の長屋横丁に入っていった。

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